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古巣

「もちろんよ!」


 ミスリルさんと言う名前らしい女性は我に返ったように頷くと、ヤスさん、もといジャスパーさんの腕を引いて、階段の奥の倉庫のような部屋の中に招き入れた。


 腕を引っ張られながらヤスさん、もといジャスパーさんが私たちに一緒に来るように手招きをする。流石に今度は大丈夫でしょうね。さっきはマジでやばかったんですよ!


 恐る恐る扉の先へ入ると、天井こそ低いが思ったより広い部屋だった。テーブルや椅子、それに短弩に鉄製の矢が詰まった箱なども置いてある。その横で弩を肩からぶら下げた腹回りが緩い男が立っているのが見えた。さっき矢を放ったのはお前だな?


 だがよく見ると真っ青な顔をして震えている。どうやらミスリルさんからの叱責を恐れているらしい。やはりミスリルさんの中身は間違いなく見かけとは違うようだ。


 それにあれだけの愛情表現ですからね。間違ってヤスさんに矢がかすりでもしていたら、間違いなくナマズの餌になっていたと思います。


 私が当たっていた場合はどうだろう。まあ当たらなかったので、取り敢えずは横に置いて置くことにします。


「ジャスパー、あなたがここに戻ってきてくれるなんて――」


 ミスリルさんがこれ以上はないという笑みを浮かべてヤスさんに声をかけた。


「悪いなミスリル」


 だがヤスさんは首を横に振ると彼女の言葉を遮った。


「今日はここに用事があったわけじゃない。無理やり招待されただけだ」


「そうなのね」


 ミスリルさんはいかにも残念そうにため息を漏らすと、背後にいた短弩を持つ少年の方を振り返った。


「シルバー!」


「ミスリルさん、すいません!」


 頭に布をまいた少年が声を張り上げると、慌てて頭を下げる。その拍子に帽子が滑り落ちて、中から黒く長い髪がこぼれた。ちょっと待ってください。どこからどう見ても……


「えっ、女の子!」


 顔を上げた少年、もとい、私よりも年下にしか見えない女の子がこちらの方をじろりとにらんだ。あのですね。ちょっと驚いただけです。そんな殺気がこもった目でこちらを見ないでください。


「俺が抜けたあとに入ったやつだろう。知らなくても仕方がないさ。それにある意味では助かった。案内を頼まれたんだが、上は得体がしれない連中が山ほどウロウロしてやがる。一体何があったんだ?」


「私達もさっぱりよ。アルマの息がかかった連中から、頭ごなしに侍従服姿の若い女を見つけたら、すぐにつなぎをよこせと言って来た」


「相変わらずこっちを手下かなんかと勘違いしてやがる」


「それだけじゃないの。どうやら警備庁(犬達)までこちらに出張ってきているみたい。それにロイスの旦那からも同じ依頼が来た。こんなことは初めてよ」


「ロイス? モーガンのところの護衛役のか?」


「そうよ。モーガンやその息がかかっていた連中はみんなナマズの餌になって、今は川筋を仕切っているのはロイスの旦那なの」


「あのロイスがか? 信じられないな」


 ヤスさんはそう答えると、疑わしげな表情を浮かべた。


「私も最初は信じられなかった。でも本当よ。おかげでモーガンがいた時に比べたら全てがマシになったわ。あの人は私たちの様な溝鼠も対等の相手として扱ってくれている」


 そう告げたミスリルさんの顔が少しだけ明るくなった。だけどヤスさんの表情はより疑わしげだ。


「本当か? こちらをうまくおだてているだけじゃないのか? 奴らがお前を――」


「ロイスの旦那はモーガンとは違うわ」


 ミスリルさんがヤスさんに対して首を横に振った。どうやらロイスという人はミスリルさんから随分と信用されているらしい。でも……


「やくざもんの男なんてみんな同じだ!」


 そうですよね。恋人が他の男を褒めるのは妬けますよね! 


「でも兄さんが――」


「兄さん? ランセルが戻ってきているのか?」


 ミスリルさんの台詞にヤスさんの顔色が変わった。


「そう簡単にやられる玉じゃない。やっぱり生きていやがったな!」


「私もモーガンに殺されたと思っていたけど、モーガンがいなくなって戻ってきたわ。今はロイスの旦那のところにいるの。これはあなただから言うのだけど、兄さんが言うには川筋は姐さんが来てから全てが変わったと言っていた」


「姐さん? ロイスじゃなくてか?」


「そう、伝説の人が戻ってきているんだって!」


「伝説? 一体どんな与太話だ」


「ミランダ姐さんよ」


「ミランダ姐さん? 引退してとっくの昔に死んだはずだろう?」


「娘さんらしいの。兄さんはマリ姐さんって呼んでいた。まだこの子と同じぐらいの年だそうよ」


 そう言うと、ミスリルさんは私の方を指さした。ちょっと待ってください。マリは一体いつから伝説の人になったんですか? いや、伝説の人の娘さんだったんですか!?


「マリ?」


 私の方を見たヤスさんが怪訝そうな声を上げた。あのですね。知り合いというか、親友ではありますが、当人ではありませんよ。いや、当人の振りなど私にはとても無理です。あ、今はしているのか? ともかくここは逃げの一手です。


「み、皆さん、ミスリルさんにジャスパーさんって、とっても素敵な名前ですね!」


「みんな名前なんか適当よ。勝手に名乗っているだけ。だれも娼婦の私生児にまともな名前なんてつけないわ」


「えっ、そ、そうなんですか~~」


 ミスリルさんが話に乗ってきてくれて良かったです。ともかく話のネタをマリから変えないといけません。


「ちょっと待て。俺たちの名前なんてどうでもいい話だ。お前もマリだったよな?」


「ぐ、偶然ですね~」


「それにお前が現れたのと同時に、この辺りが急に騒がしくなったぞ」


「どこかのマリさんのせいですかね。もう本当に勘弁してほしいですよね~~」


 濡れ衣を着せてしまっている当人に心の中で謝りつつも、ともかく逃げの一手です!


「やっぱり堅気じゃなかったのか。だから灰の街で――」


 空気が全く読めない(トマス)の存在を忘れていました。ともかく口を、口をふさがないといけません。弩弓を、その弩弓を私に貸してください!


「ふう」


 どこかからため息が聞こえた。ヤスさんだ。


「意外だったな、見かけによらず……」


 ヤスさんが私の方を見つめつつ呟く。まずいです。ここで本物のマリに間違われると色々と不都合が――、いや不都合どころではありません!


「あんたの彼氏は冗談が言える口なんだな。それにお前みたいな能天気女と、その伝説の娘さんが同じ名前とはびっくりだ」


「能天気女? あのですね――」


「確かに能天気なあんたとは……、痛い!」


 いや、これは訂正してはいけない奴でした。それよりもトマスさんがこれ以上余計な事を言わないように口をふさぐ方が先です。


「ジャスパー、そんな事よりここは色々と変わって来ているの。だから……」


「今の俺は単なる鍛冶屋の見習いだ」


「そうね。そうだったわね」


 ヤスさんの言葉にミスリルさんは小さく答えると、何かを諦める様に顔を伏せた。そうか、そうなんだ……。二人の間のことは二人の問題であり私は赤の他人だ。それでも私の中の何かが二人に告げなければならないと叫んだ。


「ヤスさん、間違っています!」


「何がだ?」


「あなたがしていることです」


「俺が鍛冶屋として一人前に――」


「そこではありません。ミスリルさんを待たせていることです」


「何の話だ?」


「あなたが一人前の鍛冶屋になるまで、ここにいる人たちを養えるようになるまで、ミスリルさんを待たせている事です」


「小娘、お前の知ったことじゃない。口を閉じていろ!」


「歳は関係ありません。私でもそのぐらいの事は分かります。ミスリルさんに約束したんでしょう? でもその約束自体が間違いなんです」


「てめえ!」


 そう叫んだヤスさんが私の胸倉に手を伸ばそうとする。やはり図星だ。


「一緒に苦労してくれとお願いすべきなんです!」


「な、な……」


「一緒にいたいと思うのなら一緒にいるべきなんです。どんなに努力したって、一人前になるには時間がかかるじゃないですか! 明日自分が生きているかどうかだって分からないじゃないですか!? それができる時にするべきなんです!」


 私は、私は前世でそれを間違った。明日は常に勝手に来るものだと思っていた。そして私のそばにいてくれた人はずっと自分のそばにいてくれると思い込んでいた。


 だけど違った。感謝を、自分の素直な心を言うべき相手に言うことなく、私はその世界を去ってしまった。たとえこの生が前世と全く違う生だとしても、その後悔がもたらす痛みは決して消え去りはしない。


 いや、これは私が私である限り、私に魂がある限り、私が感じるべき痛みだ。だから……


「あなたには私と同じ過ちはして欲しくないんです!」


「同じ過ち? 一体何のことだ?」


 できる事なら前世で私が犯した間違いの全てを、その一つ一つをあなたに説明してあげたい。だけど今それは出来ない。それでも――


「そうですね」


 誰かの声が聞こえた。そして私の胸倉をつかんでいるヤスさんの腕に手をおくと、それをそっと下ろした。


「ドロレスさん?」


「ジャスパーさん、マリさんの言う通りですよ。誰かを待つのはとても辛いことです。それに誰かを待たせることはそれ以上に辛いことです。どうせ辛い思いをするのなら、一緒にした方がよくはありませんか? 苦労とは皆で分かち合うべきものですよ」


「何を勝手な事をほざいてやがるんだ! ここがどこだか分かっているのか? 南区の外れもはずれの溝鼠の巣だ!」


「苦労に場所は関係ありません。どこでも同じですよ」


「どうやったら堅気になってこいつらに飯を食わせればいいんだ! 俺がいつか親方みたいなでかい工房を持つ他に、一体どんな手があると言うんだ?」


 ご安心ください。それについては私も少しは頭を使いました。


「船です。皆さんあれだけ狭い地下水路でも、縦横無尽に船が操れるんです。それだけの腕があれば十分に稼げませんか?」


 だけどヤスさんは私に向かって大きく首を横に振って見せた。それだけではない。大きなため息までついて見せる。


「お前は本当に世間知らずだな。ギルドに入っていない、入れない俺らなんて川筋で船を操ることなんてできない。組の扱う抜け荷の様な裏の仕事がせいぜいだ」


「それならどこかの商会に直接に雇ってもらうとか?」


 これでも一応は伝手があるんですよ。もっともその伝手も本物のマリさんの伝手ですけどね!


「あのな。商会とギルドは持ちつ持たれつの同じ穴の貉だぞ!」


 そうですね。前世でも組合同士は持ちつ持たれつでした。そこから独立したところと言うと――


「どこかの貴族に雇ってもらうというのはどうでしょうか?」


「はあ? どうして世の貴族なんて連中が俺たちみたいなはみ出し者を雇うんだ?」


 皆さんは知らないかもしれませんが、世の貴族も皆が同じではないのですよ。


「カスティオールなんていかがでしょうか?」


 そうです。うちは一応は海運で何とか命脈を保っている家なんですよ。自前の船着き場も持っていますが、ともかく誰もカスティオールなんて落ち目な所に雇われたくないので、人が集まってくれないんです。


「お前、俺たちにあんな魔族が出る地に行けと言うのか?」


「違います。カスティオールは神殿を含めて外海の航路をもっていて、王都に自前の船着き場もあるのですが、領地でのごたごたで人手が全く集まらないそうなのです。そこなら皆さんも問題なく雇ってもらえると思います」


「何をばかな――」


「待って。ジャスパー、確かにこのお嬢さんの言う通りかもしれない。貴族の荷下ろしはギルドの管轄外よ」


「だけどあのカスティオールだぞ。払う金などあるわけがない」


「それが最近は違うらしいの。ライサ商会の代表が変わってから、カスティオールの海運がまともに動き始めているという話を聞いたわ」


「ライサ? しみったれのやくざもどきの商会がか?」


「でもあなたの言う通りに夢物語ね。私たちでカスティオールの門を叩くなんて無理。百歩譲ってライサの裏口を叩いたところで、叩き出されるのが落ちよ」


「やってみたんですか?」


「えっ?」


「門をたたいてみたんですか? まだ叩いていないですよね? そんな愚痴はやってみてから言えばいいんです」


「フフフ、マリさんの言うとおりね」


 そう告げると、ドロレスさんが小さく含み笑いを漏らす。そうです。まずはやってみるべきなんです。それにこの件は私がライサにねじ込みます。


 私がだめならマリにねじ込みさせます。それでもだめなら地面に頭をこすりつけてお願いしてきます。任せてください。前世では何度もやりましたからね!


「ともかくうちは人手が足りませんから……」


「おい!」


 不意にトマスさんが私に声をかけてきた。何ですか? 今はとっても忙しいんですよ。あれ?トマスさんが私に向かって口に指を立てています。


「うち?」


 気づけばヤスさんとミスリルさんが、怪訝そうな顔をしてこちらを見ている。


「う、うちの元お得意さんですからね!」


「あら、丁度よかったですね。この件については私の方からも知り合いにお願いすることにします」


 そう告げると、ドロレスさんが私に頷いてくれた。


「ドロレスさんはギルドにお知り合いでもいらっしゃるんですか?」


「直接はいませんけど、主婦というものは色々とつながりがありますからね」


 そうですね。前世の井戸端のおばさんたちも、街の噂話に関しては間違いなく只者ではありませんでした。


「それはそうと、ミスリルさんに私たちがここに来た目的をまだお話ししていませんでしたね」


「そうだった。能天気女のせいで忘れていた。というか、お前のためにここまで来てやったんだぞ!」


 ヤスさんが思い出したように文句の声を上げた。


「はい。ありがとうございます」


 この件に関してはおっしゃる通りです。


「ミスリル、ドミニク道場だ」


「ドミニク道場って?」


 ミスリルさんが驚いた顔をしてヤスさんの顔を見た。


「このお嬢さんに、奥さんたちが?」


 そう告げると、ミスリルさんは呆気に取られた顔で私たちの方を眺めた。

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