共犯
「本当にきれいですね」
明後日に迫ったお披露目を前に、やっと仕上がってきたドレスを見て、フレデリカお姉さまが声を上げた。私の少し紫が掛かった黒い髪と、青がすこし入った灰色の目に会わせて、それは明るい紫の光沢の生地に、黒と赤色を基調としたフリルやレースが使われたドレスだった。
明後日の打ち合わせの為に、お母さまは席を外している。そのせいもあるのか、フレデリカお姉さまはまるで跳ねるように、そして庭の花を愛でるように、私のドレスの周りをぐるぐると回りながら、何度も感嘆の声を上げていた。
「アンジェリカさんにとてもお似合いだと思います。襞の間から見える赤が、とても情熱的に見えますね」
一部には少し明るめの赤も使われていて、それがとても効果的なアクセントになっている。フレデリカお姉さまはそれを何度もほめてくれた。
その横には私の付添人として、お披露目について行くお姉さまのドレスが置いてある。暗い紺に近い紫のそれは、まるでどこかの制服のような地味な色に見える。でもその地味な色故に、付添人として新しくドレスを作る必要は無かった、そうお母さまは言っていた。
二年前にこのドレスを作った時に、裁縫組合から来た職人達も皆がもっと違う色、赤色にすべきだと言っていたのを思い出す。正直なところ私もそう思った。
お姉さまの髪の毛は珍しい赤色、それもほとんど茶が入っていない赤色だ。それに合わせればきっと赤い花びらが開いた様に見えたことだと思う。だけどお母さまは、カスティオール家伝統の紫を使うべきだと主張して、それを頑として受け入れなかった。
結果、お姉さまのドレスはお母さまの希望通りになった。だけどお母さまは私のドレスのような明るい紫は、本来のドレスらしい色は選ばなかった。地味なこの色を選んだ。もしかしたらお母さまは、この二年後のことまで考えていたのかもしれない。今回のお披露目では、これの裾やら袖を調整したものをお姉さまは着ていく。
本来は貴族の、それも侯爵家の娘が、同じドレスを着て公式な会に行くなどという事はありえないと思う。だけどお母さまは、付添人なのだからこれでいいと主張した。それを聞いたコリンズ夫人は頭から湯気が出ているのではないかと思えたぐらいに見えた。でも最後はフレデリカお姉さまが、時間もないし、これでいいとコリンズ夫人を説得したらしい。
「アンジェリカさん、もう袖は通してみたのですか?」
「仮縫いの時に一度袖を通しました。レースやリボンがついて仕上がったものはまだ袖を通していません」
「そうですね。崩れたりしたら困るから、当日のお楽しみですね。きっとみんなの注目の的ですよ」
フレデリカお姉さまが何気なく私に告げた。お姉さまは本気で言っているのだろうか?
私達はカスティオールの人間だ。ドレスが善し悪し以前に、家の付き合いとして私に声をかけてくれる殿方がいるようには、この私でも思えない。お姉さまが二年近く前にお披露目に出た時の話を聞いた時には、私には永遠にお披露目が来なければいいと思ったぐらいだった。
だけど、物心ついた時からお母さまは、私をお披露目に出す事、そしてカスティオールの娘として問題なく認められることに心血を注いでいた。たとえカスティオールがまだ子供の私から見ても、崩れかけの砂の城だとしてもだ。以前の私にとってそれは単にお母さまに認められるためだけの、そしてそれを満足させるためだけの話だった。
そう、それだけの話だった。私はお母さまさえ満足させられれば、お母さまに無事にお披露目を迎えられる娘として認めてもらえさえすれば良いと思っていた。それが間違いだと気が付いたのは本当に偶然の出来事だった。
お母さまのお部屋でダンスの練習についてお叱りを受けていた時だった。その時のお母さまの怒り方は本当に激しかった。何度もどう思っているのか聞かれて、最初は色々と自分の至らぬ点を挙げていたのだけど、そのうち何も理由が思いつかなくなってしまった。私は嵐の中で舞う一葉の葉のようにただそれにじっと耐えていた。
最後はそれがお母さまの怒りにさらに油を注いでしまったらしく、お母さまは私を残してご自分の寝室の方へと去ってしまった。私は寝室の戸を何度か叩いてみたが、お母さまは何も反応してはくれない。ここを立ち去っていいのかも分からない。
部屋の中はお母さまが怒りに任せて投げたもので、足の踏み場もないほどに荒れていた。子供ながらにも侍従さんを呼んで、この部屋の方付けをお願いするのは心苦しいと思えた。荒れた原因は自分なのだから。
少し時間がたてば、お母さまのお怒りもちょっとは晴れるかもしれないと期待して、せめて部屋の中に落ちているものを何かの上へ置こうと思った。その時だった。一枚の少し縁が茶色くなっている、小さく折りたたまれた紙らしきものが見えた。どうやら便箋のようだ。
私はゴミかどうかを確認するために、それを開けてみた。何でそんなことをしたのだろう。もし時間を遡ることが出来るのであれば、それをしようとした自分を止めたいくらいだ。そこには子供の私でも分かる、お母さま宛のとても熱烈な思いが書かれている。そして最後に、
「あの子は私と君の子だ」
と書かれていた。それを見た時、私は最初は意味が分からなくて首をひねった。だが頭の中でその言葉の意味がゆっくりと形を成していった。お母さまには子供は一人しかいない。つまり私はカスティオールの娘ではない。
それを理解した時、お母さまがどうして私にこれほどまでにお披露目の為の色々な習い事を強要するのか、そしてフレデリカお姉さまの事を敵視し、排除しようとするのかを理解した。子供の私でも分かる。私がカスティオールの娘である事の既成事実を作り、もはやそれを取り除くのを難しくするためだ。
それからの私は、お披露目のための稽古を真剣にやるようになった。それ以外に私が生き残る道はない。ここを出されてしまったら私には何もない。何もないのだから。そして早く大人になってここから出ていく。そうすれば私はお母さまの重荷でもなくなる。
フレデリカお姉さまは、そんな私を見て「頑張り屋さん」だとほめる。だけどお姉さまは、私が何のために頑張っているのかは全く理解していない。
それが分かってから、私の目には色々なものが見えてきた。ここの侍従さん達は陰で、フレデリカお姉さまはあたかも東棟に閉じ込められているかのように言う。だけど私の目から見れば全く違う。フレデリカお姉さまは、コリンズ夫人や、ロゼッタさんをはじめ、お姉さまの事を本当に大事に思っている皆様に囲まれている。
私の周りにも人はいる。そして私の扱いは皆さんとても丁寧だ。だけどそれは仕事としてのものであり、私同様にお母さまを恐れているからだ。決して私を思いやる心からのものではない。
そしてフレデリカお姉さまの笑顔と私の笑顔も全く違う。フレデリカお姉さまの笑顔は心からの笑顔だ。乗馬の練習の時に、庭の花壇で花が咲いたことをロゼッタさんに語る、フレデリカお姉さまの笑顔は太陽のように眩しい。私のように相手がどう思っているのかとか、どうすれば歓心を買えるかといった打算に満ち溢れたものではない。
それに気が付いてから、私はフレデリカお姉さまの屈託のない笑顔が、裏なんか無い笑顔を見るのが苦痛で苦痛でしょうがなくなった。それは私の中に残っている良心というものを揺さぶり、私の心臓が鉛でできているのではないかという重さを感じさせる。
笑顔だけじゃない。フレデリカお姉さまの存在全てが、私に逃れられない痛みを、息が吸えなくなるぐらいかと思える苦しさと、いたたまれなさを与える。お姉さまの存在自体が、私がカスティオールのものではない、この家のものではないという事実を突きつけてくる。
きっとお母さまも同じに違いない。だからお母さまは、フレデリカお姉さまを何とかして神殿に送り込もうとしている。
私とお母さまは共犯だ。私もこの人を私の前から追い出したいんだ。
* * *
「ドレスには袖を通してみたのですか?」
「はい、ロゼッタさん。少し腰回りはきついような気がしますが、コリンズ夫人に袖と裾を伸ばしてもらっただけでいけました」
私の問いかけに、フレアは少しばかりはにかんだような表情を浮かべて答えた。以前も屈託のない笑顔をする少女だったが、今のそれには、そこに込められている様々な思いを読み取ることが出来る。本当に表情が豊かになった。それがこの年頃の少女が纏う魔法だとしても、フレアのそれはとても眩しく見える。
「それは良かったですね。コリンズ夫人は大変だったみたいですけど」
カミラ奥様も、コリンズ夫人を怒らせるのも大概にしてもらいたい。そのとばっちりを受けるこちらの身にもなって頂きたいものだ。だけど今回については、コリンズ夫人が怒るのも当然だという気がする。
姉の身で付添人にさせられた挙句に、ドレスが間に合わないから、お披露目のドレスを直して着させるなんていうのは、この子をあまりにも侮辱しすぎている。いやこの子だけではない、カミラ奥様はフレアの周りに居る者全てを侮辱している。
しかしこの子は、それを一顧だにしなかった。それどころか、怒りに燃えるコリンズ夫人に対して説得を試みようとすらした。少し前のフレアであれば、それを受け入れただろうけど、花壇の隅でそっと涙を拭っていただろう。
「いいえ、よくありません。胸周りに問題がないというのは問題です」
「胸周りですか?」
「いえ、何でもありません。忘れてください。それよりも、アンジェリカさんのドレスはとっても素晴らしいドレスでした。きっととってもお似合いです」
「それは良かったですね」
『そして、少し大人になりましたね』
心の中で告げる。この子の中には何かに耐えるだけでなく、それに立ち向かおうとしている気配を感じる事が出来る。
「はい、おかげでお披露目が楽しみになって来ました。きっとアンはとってもかわいらしく見えると思います。姉としては鼻高々です」
フレアはそう言うと、とても楽しみにしているように目を輝かせた。この子は本当に妹思いの子だ。
二年近く前の、この子がお披露目に行った時のことを思い出すと、今思い返しても腸が煮えくり返りそうな思いがする。この子の存在を無視する。あるいは自分達の愚かな自尊心を満たすために冷笑して見せる。この子はその視線の全てから必死に戦っていた。
本当に辛かったことでしょう。
私は手にした詩集を必死に見つめた。顔を上げて、その愚か者達を視界に入れれば、その者すべてを穴の向こう側に送ってやりたくなる気持ちを抑える事などできなかったからだ。たとえ王宮付きの魔法職がこちらの一挙一動を見ていたとしてもだ。
もしその者達が私の邪魔をするというのなら、その者達も含めて、全て穴の向こう側に送ってやる、そうすら考えたが、フレアが耐えているのだ。大人の私が耐えなくてどうする。自分にそう必死に言い聞かせて詩集に目を落としていた。
「それは良かったですね」
生涯の心の傷になるのではと危惧していたが、この子は私が思っていたよりはるかに強い子だった。この子がお披露目の付添人になると言ったのは、自分でそれを克服し、その先へ進もうとしているからだろう。
「はい、ロゼッタさん!」
私はこの子に学問というものを教えているが、もっと多くの事をこの子から学んでいる。
『ありがとう、フレア』
私は心の声でこの子に告げた。