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襲撃者


「ヒィーーー!」


 先頭にいるトマスさんから、まるで女性の様な悲鳴が上がった。その声に前を見ると、突然にまばゆい光がこちらを照らす。


 前だけではない。後ろからも黄色い光が灯ると、私たちの船を前後から明るく照らし出した。闇に慣れた目にその明かりは昼の太陽以上に眩しく、前世で閃光弾を不意に使われた時みたいに視力が奪われてしまう。


「待て、女がいる。まだ撃つな」


 前方から少し甲高い声が聞こえてきた。腕で明かりを防ぎつつ必死に目を凝らすと、こちらと同じような船が行く手を阻んでおり、そこには何人かの黒い人影が見える。


 船首にいる一人がこちらに向けて何かを掲げているのも見えた。おそらく短弩で私達を狙っているのだろう。先ほどの風切り音は、間違いなくこの弩から放たれたものだ。


 この狭い水路で前後を囲まれている以上、こちらはどうすることも出来ない。


「おい。命が惜しかったら船をゆっくりこちらに寄せろ。女達の面を確認させてもらう。金になりそうなら……」


 相手の要求に船縁を握る手に力が入る。こんなところで行方不明にでもなったら――。


「はあ」


 だが背後からこの場にそぐわない大きなため息が聞こえてきた。


「だから言っただろう。大声をあげると変なやつらを引き寄せるって……」


 私に向かって、ヤスさんが先ほどと変わらぬ呆れた口調で声をかけてきた。そんな愚痴みたいなことを言っている場合ですか?


 でも何でだろう。事態はとても切迫しているはずなのに、その口調にも態度にも緊張感らしきものは何も感じられない。


「お前ら、南区の女でのシノギはご法度じゃなかったのか?」


「てめぇ何者だ!」


 船首にいる人影が声を上げた。そしてヤスさんに向かってピタリと弩の狙いを定める。やはり少し甲高い声だ。先頭にいるのは私よりももっと若い少年なのかもしれない。


「奥様……」


 若い女性らしく不安なのだろうか? エミリアさんがドロレスさんに小さな声で問い掛けた。でもこれまでの態度同様、そこに怯えらしきものはない。


「慣れていらっしゃるようだから、ここはヤスさんにお任せしましょう」


 そう告げると、ドロレスさんはエミリアさんに対して首を横に振って見せた。この奥様の肝が座っているのはお化けに対してだけではないらしい。


 ヤスさんといい、この二人といい、トマスさんを除くと私の同行者達はやはり只者ではない。たとえ短期間のものであっても、前世での冒険者としての経験が私にそう告げている。


「おい、聞いているのか!?」


 船首の人影からさらに苛ついた声があがった。その手に握られている弩は今にも放たれんばかりだ。


「本当に今日は厄日だな。やっぱりお前はどこかの悪魔の手先か?」


 ヤスさんの口から漏れたのは怒鳴りつけてきた相手にではなく、あろうことか私に対する謎の文句だ。しかもその口調は先ほど同様に、世間話をしているかの様にのんきなままです。


 もしかしてあんたも、あの王子様同様に嫌味男の一味ですか? その態度と言葉に、思わず恐怖を忘れて怒りがこみ上げてくる。


「あのですね! どうしてこんなか弱い女性に向かって、悪魔の手先なんてセリフが出てくるんです!」


 それはこの襲ってきた者たちに対して言うべきセリフですよ!


「まだお若いのに、マリさんはとっても度胸があるのね」


 振り返ると、ドロレスさんが私の方を見て含み笑いを漏らしている。ちょっと待ってください。それはこちらのセリフですよ!


 そもそもヤスさんも、ドロレスさんも落ち着きすぎです。この男たちに拉致されて、口にとても出来ないような、あれやこれやをされちゃうかもしれないんですよ!


 トマスさんはと言うと、一番前でガタガタと震えている。かなり情けない姿ですが、ある意味、これこそが正しい姿です。みなさん、ちょっとはトマスさんを見習ってください!


「あのですね――」


「なにをぐちゃぐちゃと勝手にしゃべっているんだ。これが最後の警告だ。水路のナマズの餌になりたくなかったら、さっさとこっちに船を寄せろ!」


 いけません。色々と考えている間にも事態は悪化し続けていた様です。


「そうだな。色々と厄介事が増え過ぎて、俺一人では相手をするのがしんどくなっていたところだ。さっさとミスリルのところに案内しな」


 ヤスさんがまるで命令でもするかのように、前の船に向かって言い放った。え、ちょっと待ってください。ミスリルさんって誰ですか?


「ミスリルだって! てめえ、姐御のことを呼び捨てにしやがって、何様のつもりだ!」


「いいからさっさと案内しろ。さもないとミスリルにナマズの餌にされるのはお前のほうだぞ」


 ヤスさんはそう言うと、何故か私に向かって大きく肩をすくめて見せた。


 * * *


 私たちの乗る船は前後を襲ってきた船に囲まれながら、地下水路のさらに入り込んだ奥へと誘導された。正しく言えば強制的にだ。


 途中は水路というよりも排水溝としか思えないもので、女の私でも頭を下げていないと天井に頭をぶつけそうなぐらいだった。


 幅も船がやっと通れるかどうかという感じで、船べりの外に手を出していたら、間違いなくどこかの岩にぶつけて血だらけになった事だろう。


 正直なところ、地下水路に巣くう溝鼠(ドブネズミ)にでもなった気分になる。ありがたいことにその姿はまだ見ていない。もし見たら、お化けにあった時と同じくらいの悲鳴を上げられる自信がある。


 小さく絞られた、しかも下向きにだけ灯が漏れる様に調整されたランタンの明かりの下、先に進んでいた船からいくつかの人影が素早く岸に上がるのが見えた。どうやら目的地に着いたらしい。


 しかし船を寄せた先にあるのは、両手を広げたほどの幅もない石のでっぱりにすぎない。もしかしたらここで金品を奪って、私達を地下水路に突き落とすつもりなのだろうか?


 それは私の杞憂だったらしく、先に降りた一人がこちらに縄を投げてよこす。


 船首にいるトマスさんがそれを受取ろうとするが、縄はあっさりとトマスさんの手をすり抜けた。だが後ろにいたエミリアさんが素早く縄を拾い上げると、トマスさんに代わって船首をそれで固定した。


 残念ですが、トマスさんがエミリアさんにちょっとでも男らしいところを見せられる機会は永遠になさそうです。


 船尾の方は縄を受け取ったヤスさんが素早く固定した。鍛冶屋のお弟子さんのはずだが、船を操る手際といい、こちらの方が本職としか思えない。がっちりと固定された二艘の船はちょっとした浮き橋の様だ。


 手前の船に体重をかけると足元で二つの船がギシギシと軋み音を立てる。その音に、私は前世で初めて嘆きの森へと入った日を思い出した。


 浮き橋を使って初めて黒青川を渡った時も、マリ、前世での実季さんと一緒だった。マリだけではない。あの黒娘、百夜とも一緒だった。三人で大騒ぎをしながら浮き橋に乗った時も、足元でこんな音がしていたと思う。


 あの子は、百夜(ひゃくや)はどうしているだろうか? 無事に限界線の先の森から戻ってこれただろうか?


 白蓮だけでは心もとないけど、あの初代嫌味男(旋風卿)とも、無限さんとも一緒だから、間違いなく無事に戻ってきたことだろう。だけどそれはもう私が関わることができない過去なのか、未来なのかも分からない世界の話だ。


「大丈夫ですか?」


 足を止めた私を不審に思ったのか、隣にいたドロレスさんが声を掛けてくれた。その声にいつの間にか流れていた涙をぬぐう。そうだ。こんなところで立ち止まってなどいられない。そんなことでは百夜(黒娘)に馬鹿にされる。


「はい。大丈夫です。革靴なので足元がちょっと滑っただけです」


 靴は授業に行く時と同じもので、普通の革靴だ。なので水に濡れると氷の上にいるみたいに滑りそうになる。岸に片足を掛けると、そこは水浸しな上に足元が暗いのもあって、気を付けたはずなのに本気で滑りそうになった。


 思わずバランスを崩しかけた私に、咄嗟に誰かが手を貸してくれる。トマスさんだろうか? いや違う。それはもっと小柄な人影だった。


「気をつけな」


 そのぶっきらぼうな声に、私に手を貸してくれたのはこちらを襲ってきた少年なのが分かった。ヤスさんと同じで口は悪いが、根はそう悪人ではないのかもしれない。


 でも地下水路に巣食う盗賊団にしては何か違和感を感じる。このぶっきらぼうな態度も、単に虚勢を張っているだけの様にしか思えない。それに先程握った手はとても柔らかく、まるで女性か子供の手だ。


「おい、何をもたもたしているんだ。急がないと日が暮れちまうぞ」


 暗闇の先からヤスさんの声が聞こえてきた。


「おい、あんた何を勝手に――」


 少年の掲げたランタンの灯りの先にはうんざりした表情を浮かべたヤスさんが立っている。だが奥っていったいどういうことだろう。ヤスさんが立っているのはこの小さな船着き場らしきものの一番端だ。その先には何もない。

 

「悪いな、こっちは色々とあって時間がないんだ。ミスリルは奥にいるんだろう?」


 ヤスさんはそうこちらに告げると、水路の壁としか思えない石を軽く押した。それは回転扉の様にくるりと回ると、ヤスさんの姿はどこにもない。


 私は思わず隣に立つ少年の方を見た。少年も唖然という表情をしてこちらを見ている。


「あら、とっても面白そうな仕掛けなんですね」


 背後からはドロレスさんののんきな声も聞こえてきた。


「あんた達は一体何者なんだ?」


 それはこちらの台詞です。私は少年に向かって、思わず肩をすくめて見せた。

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