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地下水路

 ドロレスさんは慣れていると言っていたが、その言葉通りに、エミリアさんは水路にいた老人から、あっさりと船を借りてきた。よほどの大金が入ったのか、貸し手のおじいさんは私たちに船を渡すと、足取りも軽く通りの向こう側へと消えていく。


 私たちが船に乗ると、ヤスさんは手にした長い棒で岸壁を軽く押した。その動きに小舟は運河の中を滑るように進み出す。ヤスさんはこの迷路のような水路をよく知っているらしく、棒を巧みに操りながら、迷うことなく船を進めた。


 その手際は鍛冶屋ではなく、こちらが本職なのではないかと思えるぐらいだ。元は盗人稼業だったと言うのも納得出来る。船はより狭い、運河というよりは小さな堀へと進んでいき、やがて行き止まりとしか思えない水路へと入り込んだ。


 だが行き止まりの様に見えたその先に、ぽっかりと口を開けた穴の様なものがある。もちろんその先には何の明かりも見えない。これがヤスさんの言っていた地下水路の入り口らしかった。


「おい、そこの軟弱男。船首に置いてあるランタンに明かりをつけろ」


 ヤスさんはトマスさんにそう声をかけると、自分でも船尾においてあったランタンに明かりを灯した。船はランタンの微かな明かりを頼りに、そのまま吸い込まれるように地下水路の中へと入っていく。


 中は不気味なほど静かだ。水が流れる音すら聞こえてこない。唯一聞こえるのはヤスさんが操る棒の先から滴り落ちる雫が、水面に跳ねる音だけが小さく耳に響いてくる。


 闇に慣れてきた目を凝らして辺りを見ると、水路の幅は大人が数人分腕を広げた程度の横幅があり、長身のヤスさんが立ったままでも頭をぶつけないで済むくらいの高さもあった。思ったよりもかなり広い。


「よく船を貸してくれたな」


 不意に背後からヤスさんの声が響いた。確かにその通りだ。下町というところは身内には親切だけど、よそ者には警戒心がとても強い所でもある。


 古い船だけど面識もないのにいきなり借りてこれるなんて、エミリアさんはなんて交渉が上手な人なんだろう。出会った時の少し固く思えた態度からはとても想像できない。


「困ったときにはお互い様ですよ。それに借賃は少しは弾ませていただきましたから、喜んで貸していただけた様です」


 ドロレスさんがヤスさんに小声で答えた。その声は地下水路の壁や天井に反響してとても大きく聞こえる。


「この南区でよそ者が気前よく金を払うなんて、襲ってくれと言っているのと同じだぞ。そもそもこの辺りは女だけでウロウロする場所じゃない。あんたたちはよほどのあほか、よほどに肝が座っているかのどちらかだな」


 ヤスさんの呆れた声に、ドロレスさんが小さく含み笑いを漏らして見せた。


「あら、思っていた以上に物騒なところなんですね。でも女は度胸ですよ。そうですよね、マリさん?」


 そう告げると、ドロレスさんが同意を求めて私の方を振り返った。


「は、はい」


 とりあえず愛想笑いを浮かべはしたものの、今は素直に「はい!」と言える気分ではない。


 前世でもお化けとの相性は最悪でした。こんなお化けがてんこ盛りで潜んでそうな地下水路なんて、こんな状況じゃ無ければ絶対に入りません。


 こちらは歯がカチカチと音を立てそうになるのを必死に抑えているのに、目の前のドロレスさんに闇を恐れる様子は全くない。


 それどころか子供が探検ごっこをしているみたいに、好奇心に満ち溢れた顔をしている。まさに女は度胸を絵に描いたような人です。


「それに随分と立派な作りなんですね」


 そう告げると、ドロレスさんは辺りを見回した。私も彼女と同じことを考えていた。


 水路の壁は石を隙間なく積み重ねて作られており、天井はレンガでアーチ状に組み上げられている。その作りはとても丁寧だ。正直なところ、南区の地上にある建物よりはるかに立派な作りをしている。


「当たり前だ。こっちが本物の王都だからな」


 背後でヤスさんが小さく呟いた。


「本物?」

「どういうことですか?」


 私とドロレスさんの声が重なって、大きく水路に響いた。


「大きな声をだすんじゃない。変なやつらが寄ってきても知らないぞ」


 えっ、変な奴って、やっぱりお化けが居るんですか? ヤスさんの言葉に、冬だというのに背中に冷たい汗が流れそうになる。


「あんたたちは本物の世間知らずな田舎もんらしいな。言葉通りだよ。この南区こそ、もともとは王都があったところだ。だから南区は北の街と城がすっぽり入るぐらいに広いんだ」


「でもどこにもお城の跡も、お屋敷の跡も無かったですよ?」


「能天気娘、あんたに目があるなら壁をよく見るんだな。この地下水路こそがその名残だ」


「えっ!?」


「灰の街があるメナド川と大運河の間にある堤防は南区を、以前の王都を囲んでいた城壁の一部だったんだ。メナド川の南側の護岸はかつての城の一部だ。橋も元々は城と城壁をつないでいた連絡橋だったものなんだよ。だから南区にはあれだけ立派な橋と護岸があるのさ」


 確かに渡ってきた橋は南区が王都の中心ではないのに、とても立派な橋だった。以前は南区側に船着き場があったからだと思っていたけど、どうもそうではなかったらしい。


 そう言えばロゼッタさんからもそんな話を習った気がする。前世の記憶を取り戻す前の私はひたすらにあくびをかみ殺すのに必死で、まともに授業を聞いていなかったのが悔やまれます。


「それが何百年か前の大雨で、急にメナド川の流れが変わっちまって、一晩で街も城も水の底に沈んじまったという話しさ」


「一晩でですか!?」


「ばあさまから聞いた話だ。さも自分が見てきた事の様に話していたけど、流石に一晩ということはないだろう。尾ひれぐらいはついているさ。どうせ俺の母親同様に娼婦だったばあさまが、昔に懇意にしていた男からでも仕入れた話だ。そもそも本当かどうかも分からない」


 そう言うと、ヤスさんはフンと鼻を鳴らして見せた。


「親も居なくて、手がつけられないガキだった俺を怖がらせるための与太話だと思っていたさ。だがな、地下水路に入ると、それが本当の話に思えてくる。南区の街はかつての城と貴族の屋敷の上に建てられているってね」


 ヤスさんは棒で水路の壁を差し示した。その先にある大きな石を組み合わせて作られた水路の壁は、まるで鏡の様に滑らかだ。


「そんな事があったんですね。全然知りませんでした」


 そんな大きな街が一晩で水に沈むだなんて、一体どれだけ酷い天災だったんだろう。でもちょっと不思議だ。それだけの大災害なら、いくら昔の事でも教訓として、もっと詳しく語り継がれていてもおかしくはない。


 年に一度の避難訓練ぐらいあってもいいくらいです。あれ、避難訓練ってなんだ? やっぱり私には色々と変なものが混じっている気がする。


「死んだばあさまがよく言っていたよ。お前みたいな悪ガキは街を沈めた魔物に、地下水路へ連れていかれるってね」


「えっ、やっぱりお化けがいるんですか!?」


 ちょ、ちょっと待ってください。南区自体が巨大なお化けの巣に思えてくるじゃないですか!?


「だから大声を出すなって言ってんだろうが!」


 大声も上げたくなります。前世で図らずしも出会ってしまった、神もどきみたいなやばいやつが居たらどうするんです!


「ヤスさんのおっしゃる通り、この水路はもともと道路だったり、街路や城の基礎だったところなのですね。だからとても立派で、王家や貴族たちの紋章まである」


 お化けに恐れおののく私と違って、前に座るドロレスさんが考え込むような表情をしながら呟いた。


 その視線の先にはランタンの光を鈍く反射する黒い石がある。だいぶ摩耗して薄くなってはいたが、重なる二つの月、赤い月と黄色い月を模した、ロストガル王家の紋章が刻まれているのが見えた。


「それが地下水路を行き来する俺たちの目印だ。おかげで水路を間違えてもなんとか場所が分かる」


 水路を挟んで反対側の壁にも紋章が見える。薄暗くてよく見えないが、それは真四角にはめ込まれた黒い石の上に、王家の紋章よりも大きく描かれていた。王家の紋章の向かいに、それよりも大きな紋章を刻むだなんて……一体何者なんでしょう。でもこの絵柄には見覚えがある気がする。


「あ、うちのだ……」


 思わず口から心の声が漏れてしまった。見間違えるはずもない。一輪のバラ、カスティオール家の紋章だ。それが王家の紋章に向かい会う位置に刻まれている。もしかしたらここは自分のご先祖の誰かが住んでいた屋敷の一部だったのかもしれない。


 でも勘弁してほしい。何でわざとらしく王家の紋章より大きな紋章を刻むなんてことをするんです。そんなバカげたことを堂々とするから、今みたいに没落するんです!


「あら、あなたのお家の紋章なの?」


 いけません。ドロレスさんの声に我に返る。


「前にごひいきにしていただいた家の紋章がありましたので、つい自分の家紋を見つけた様な気分になってしまいました」


「薔薇の紋章。カスティオール侯爵家の紋章ですね。マリさんはカスティオール侯に何かご縁があるのかしら?」


「いえ、ご縁というほどでは……」


 ドロレスさんが小首を傾げてこちらをじっと見ている。まずいです。学園から逃げ出してきたことがばれたりしたら、それこそ大変な事になります。退学になる前に、先ずはロゼッタさんに説教で十回は殺されます。


 それにどこかの小さなお屋敷のお手伝いの設定だったはずなのに、話がややこしくなってしまいました。こういう時こそ、普段使っていない頭を使うべきです。


「前に野菜を買っていただいた事があるだけです」


「マリさんは商家の娘さんですか?」


「そんな大層な者ではございません」


 ドロレスさんが相変わらずこ首を傾げてこちらを見ています。な、流してくれません。その奥ではトマスさんが何を言っているんだという顔をしてこちらを見ている。


 そうでした。トマスさんが居たのを忘れていました。取り敢えず目で余計な事を喋るなと釘を刺す。もし何か言ったら水路に叩き込みますよ。


 その視線に気がついたらしいエミリアさんまで怪訝そうな顔をしてこちらを見ている。これは間違いなくより深みにはまってしまった様です。こんなところに紋章を刻んでくれた自己顕示欲の塊なご先祖様に、正座して説教してやりたい気分です。


 ですがこの筋立てなら何とかなります。何せ前世では本物でしたからね。ともかく前世での経験を使って切り抜けるしかありません。後はトマスさんが余計な口をきかないことを願うのみです。


「実家は裏通りで八百屋をやっていました」


「あら、マリさんは八百屋さんの娘だったの?」


「はい。これでも早朝から荷車をひいてですね――」


「おい、静かにしろと言ったのが分からなかったのか? それともその頭の中身は空っぽなのか?」


 ヤスさんが呆れた声で私たちに嫌味を言ってきた。


 ヒュン!


 その時だった。不意に何かが頭の上を横切る風切り音が聞こえた。

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