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偶然

「すいません。ちょっと道をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 振り返ると銀髪で水色の目をした、とても上品な女性がこちらを見て微笑んでいる。その背後にはもっと若い女性もいて、褐色の肌に緑色の目という王都では珍しい姿だった。


 二人ともゆったりとした濃いベージュのワンピースに、焦げ茶色の肩掛けをしている。市場で見た人々と同じ普通の服装なのだけど、なぜかとても普通とは思えない。


 そもそも二人とも美女過ぎです。女の私でもそう思うぐらいだから、隣のトマスさんが口をポカンと開けて、二人をガン見するのも分かります。


 特に声を掛けてきた女性はイサベルさんと同じ、生粋の貴婦人だけが持つ、とても言葉には出来ない高貴さに満ち溢れている。このカビ臭い路地裏に、金木犀や薔薇が咲き誇っているのではないかという錯覚を起こしそうなくらいだ。


 そんな事よりも、二人はいつの間に私達に近づいたのだろう。私の妙に優秀な耳にも、誰かがこちらに近づく音など全く聞こえなかった。この路地裏に忽然と降ってきたとしか思えない。もしかしたら天使とか天女の類ではという気すらしてくる。


 口を半開きにして二人をガン見し続けているトマスさんはさておき、ヤスさんも呆気に取られた顔をして女性たちを見ていた。どうやら彼女たちに気付けなかったのは私だけではないらしい。


「この南区にあるはずのドミニク道場に行きたいのですが、場所をご存じでしょうか?」


「えっ、ドミニク道場ですか!?」


 その台詞に思わず驚きの声を上げてしまう。


「ご存じなんですか?」


 銀髪の女性はさも安心した様な表情を浮かべると、口元に手を添えて笑みを浮かべて見せた。その仕草の一つ一つがとても優雅で思わず見とれそうになる。だが女性は私の方を見ると、少し当惑した様な表情を浮かべた。


 何だろう。もしかしたら、こんな路地裏に男性二人といる私のことを、男の袖を引く怪しい女とでも思ったのかもしれない。


 誤解を解こうと、口を開きかけた私の前にヤスさんが素早く進み出た。そして女性と私の間に割り込むと、後手に待てと合図を送ってくる。


「おばさん、あんた何者だ?」


 ヤスさんが女性に問いかけた。その態度は眼の前の人物に対する不信感に満ちあふれている。


「無礼な――」


 背後にいた若い女性がヤスさんに向かって声をあげようとしたが、銀髪の女性が片手を上げてそれを制した。


「これはご挨拶が遅れてすみませんでした。私はドロレスという田舎から出てきたばかりの()()の主婦です。こちらは姪のエミリアです」


 そう言うと、女性は背後に立つ少し小柄な、緑の美しい目を持つ若い女性の方を振り返った。紹介された若い女性が私達に向かって小さく頭を下げる。


「エミリアは武門の家で育ちまして、少し言葉遣いに固いところがあってすいません。息子がその近くにいるらしいので、これから会いに行くところなのです」


 ふ、普通でしょうか? 言葉使いといい、立ち振る舞いといい、ただならぬ雰囲気満載です。そもそも「普通の主婦です」と自己紹介をする当たり、本当は普通では無いと宣言しているだけの様な気もします。


 それに後ろにいる姪御さんは武門の育ちのせいかもしれませんが、ヤスさんを殺しかねない目つきで睨んでいます。おかげでこちらの首の後ろまでチリチリするぐらいです。

 

「ちょっと待て、おばさん! 田舎から来た主婦が、いきなり女二人で南区まで息子を訪ねて来たというのか!?」


 私同様に、どうやらヤスさんもこの二人から只者ではない何かを感じているらしい。隣のトマスさんも……姪御さんをじっと見つめているだけです。この男はその美しさ以外は何も感じていません!


 でもいくらとっても美人だからって、そんなにじろじろと見ていたら間違いなく嫌われますよ!


「はい。この街はやたらと目つきの悪い男達がうろうろしていて嫌ですね。それを避けて裏通りへ入ったら、今度はどこにいるのかすらよく分からなくなってしまいました。なのでここから道場まで、なるべく目立たずに行ける方法を教えて頂けると助かります」


「あんたまでドミニク道場だって? 一体今日はどんだけの厄日なんだ?」


 ヤスさんはそう吐き捨てると、建物の間から見える初冬の空を仰いだ。ちょっと待ってください。その元凶は私ではないですよ。あなたがザンスさんの馬車を脱輪させたのが、そもそもの原因です!


「あんたの息子は王都でぐれて、やばい世界にでも足を踏み入れたのかい?」


「さあ、どうでしょう?」


 ヤスさんの言葉に、ドロレスさんは小さく首を傾げて見せた。


「息子というのは母親に心を開いてくれませんからね。それを確かめたいと思ってここまで来ました」


 ドロレスさんは私達にそう告げると、肩を小さくすくめて見せた。きっと息子というのは娘と違って、母親にとてもつれないものなんでしょうね。確かに私の周りにいる男性達を見る限り、とてもよく理解できそうな気がします。


 そんなことよりも何たる偶然なんでしょう!


「実は私たちもドミニク道場へ行こうとしていたんです!」


「おい、能天気娘。知らない奴にそんなことを教えるなんて――」


 ヤスさんが私に文句を言い終わる前に、ドロレスさんがヤスさんを突き飛ばす様に私の前へと進み出た。


「まあ、それは本当に偶然ですね。神様に感謝しないといけません!」


「ええ、本当です!」


 そう答えた私の手を、ドロレスさんが本当に嬉しそうな顔をして握りしめた。そして再び私の顔、いや顔だけでなく全身をじっと見つめる。


「あら、そのエプロン。とってもかわいらしいですね。よくお似合いです。このクローバーの刺繡はご自分でされたのかしら?」


 買ったばかりのエプロンに目を留めたドロレスさんが、私にそう問いかけてきた。


「『はい』と言いたいところですけど、実は買った時からついていたんです。でもとっても気に入っています」


 お世辞だと分かっていても、褒められると思わず顔がニヤけそうになる。「奥様も――」と言いかけて、まだ自己紹介をしていない事に気がつく。やはり挨拶と乾杯は大事です!


「ドロレスさん、こちらこそご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はマリと申します。こちらは鍛冶屋のヤスさんに、私の彼氏のトマスさんです!」


 せっかく紹介してあげたのに、ヤスさんは額に手を当てて呆れた表情をしている。トマスさんはと言うと、相変わらず緑の目の美少女をガン見です。あなたがモテない理由がよく分かりました。デリカシーが無さすぎです!


「マリさん?」


「はい!」


 ドロレスさんが私の目をじっと見る。何でだろう。初めて会ったはずなのだけど、前からこの人を知っている様な気がする。だが私たちの間に再びヤスさんが割り込んできた。


「盛り上がっているところ悪いが、遠いし今日は色々と面倒なことがてんこ盛りだ。行くならあんた達だけで行ってくれ」


「ヤスさん、困っている女性に対してつれないですよ!」


「そう言う問題じゃねぇ!」


 ヤスさんの言葉に、ドロレスさんがおやっと言う顔をして見せた。


「あら、ここからまだ遠いのですか? 南区と言うのは思ったより広いのですね。私たちがここまで乗ってきた馬車が表通りに止めてありますので、それで行けませんでしょうか?」


 これぞまさに天の助けです!


「はい。それなら問題ないと思います」


 私はヤスさんの方を振り返った。


「道案内はこちらのヤスさんがしてくれますので、案内のついでに、その馬車へ同乗させていただいてもよろしいでしょうか?」


「もちろんですよ」


 だがヤスさんは私に向かって首を横に振って見せた。


「ダメだな。馬車に乗ってなんていうのは目立ちすぎだ」


 態度と目が悪いのは玉に瑕だけど、どうやら私たちのことを真剣に考えてくれてはいるらしい。隣でただ立っているだけのトマスさんとは大違いです。


 というか、あんたはさっきからずっとエミリアさんを見ているだけですよね。今日の設定を忘れていませんか?


「トマスさん!」


「なんだよ、わがまま娘!」


 思いっきり忘れていますね。今日の設定は彼女と彼氏ですよ。とりあえずその足を思いっきり踏んでやる。


「いて、何すんだよ!」


 私達のやりとりを見ていたドロレスさんが、口に手を当てて含み笑いを漏らす。


「あら、ずいぶんと仲がいいみたいですね」


「はい」

「絶対に違います!」


 トマスさんの答えに、ドロレスさんがいかにも疑わしそうな顔をしてこちらを見ています。慌ててトマスさんの手を握ろうとしたが、私の伸ばした手はトマスさんによって振り払われた。


「ちょっと、トマスさん! 設定を忘れていますよ!」


「なんの設定だよ!」


「フフフ」


 私たちのやり取りに耐え切れなくなったのか、ドミニクさんが口に手を当てて含み笑いを漏らす。どうやら完全にバレバレの様です。


 「へへへへ……」


 とりあえずは愛想笑いでごまかす事にします。だいたいトマスさんは役者として実力が不足過ぎです!


 それに彼女じゃないのに彼女の振りをしているだなんて、完全に怪しい女そのものではないですか!?


 トマスさんの事はさておき、馬車がある目的地が同じの方とここで巡り合うとはなんて幸運なんでしょう。きっと今までの悪運はこの日のために積んでいた善行に間違いありません。


「目立ってもいいじゃないですか?」


 私はヤスさんに問い掛けた。別に悪い事をした訳じゃないですし、ザンスさんから案内しろと言われていますよね?


「おい、能天気女。さっきのやばいやつらをもう忘れた訳じゃないだろうな。馬車に乗って表通りをいくなんて、面倒以外の何物でもないぞ!」


 せっかく交渉がまとまったと言うのに、ヤスさんは再び首を横に振る。それだけではない。相変わらず険しい顔をしてドロレスさんの方を見ている。


「それにあんた達のせいじゃないのか?」


「何がですか?」


 ヤスさんの問いかけに、ドロレスさんが小首をかしげて見せた。


「あちらこちらで変な連中がうろうろしている事だよ」


 そう言うと、ヤスさんは表通りの方を顎でしゃくってみせた。


「これでもやばい事には鼻が効くんだ。あんた達のあれやこれやに巻き込まれるのはごめんだよ」


「なんなんでしょうね。私達が女だけだからって、ジロジロ覗き見されたりと、本当に面倒です」


 ドロレスさんが優雅にため息をつく。まあ、ドロレスさんも相当な美人ですし、姪御さんもトマスさんがぼーっと見惚れるぐらいですから、それは男達がわんさかと寄って来て、大変だったんでしょうね。


「しらばっくれて――」


「お前、少し態度が過ぎる――」


 ヤスさんの言葉に耐えきれなくなったのか、エミリアさんが声を上げた。そしてヤスさんの方へ歩み寄ろうとする。その動きに首の後ろのチリチリする感じがさらに増す。


 まずいです。これはかなりヤバい感じです。エミリアさんの表情を見たヤスさんも、思わず後ずさりしそうになっている。トマスさんは……相変わらずのガン見です。


「エミリア、失礼ですよ。口を閉じていなさい」


「申し訳ございません」


 ドロレスさんの言葉に、エミリアさんがすぐに深く頭を下げた。思わず口から安堵のため息が出る。こんなところで謎の果たし合いなんかになったら大変です。


「ヤスさんでよろしかったでしょうか? どうか道案内をお願いできませんでしょうか?」


 ドロレスさんがヤスさんに向かって頭を下げた。


「ヤスさん。私からもお願いします」


 私もヤスさんに向かって頭を下げる。だがヤスさんは私達に首を横に振って見せた。


「今日は無理だ」


「そうだよ。遅くなったらコリンズ夫人に何を言われることか――」


 隣で浮気男(トマス)も口を挟んでくる。何も役に立っていないので黙っていろという感じですが、やっぱり今日は諦めるしかないのでしょうか?


「それこそ昔の盗人家業の時みたいに、小船で小運河と地下水路を抜けて――」


 ヤスさんはそこまで言ってから、しまったと言う顔をして慌てて口を閉じた。そして私たちの方を見る。


「まだガキだった頃の話だ。おやっさんのおかげで足を洗って、今では真っ当なカタギだぞ!」


「誰も聞いていないよ」


 トマスさんが余計な口を滑らせると、ヤスさんが額に青筋を立ててトマスさんの胸元を掴んだ。


「てめぇ、誰に向かって余計な口を聞いているんだ」


 もうこれだから男の人たちは面倒ですね。余計な口については同感ですが、こんなところで……。


「皆さん、喧嘩をしている時間はないですよ」


 ドロレスさんの冷静な声に、ヤスさんが諦めたようにその手を離した。やはり只者ではありません。コリンズ夫人やロゼッタさん同様に、この奥様にも決して逆らってはいけない何かがあります。


「では船で行くことにしましょう」


 ドロレスさんがあっさりと私達に告げた。


「船って、どこで手に入れるつもりだ。おやっさんに頼んで借りてくるのにも時間がかかる」


「路銀は用意してありますし、どこかで船を貸してもらうことにしましょう」


「ちょっと待て!」


「善は急げです。エミリア、確かその角を曲がったところの運河に小舟が止まっていたと思います。そこにいる方と交渉してきてください」


「そんな簡単に――」


 ヤスさんが面食らった様な声をあげたが、ドロレスさんはそれを一顧だにすることなく、姪御のエミリアさんに頷いて見せる。


「はい。奥様。承知いたしました」


 エミリアさんがドロレスさんに向かって一礼する。


「あの、姪御さんだけで大丈夫でしょうか? 私も一緒に行ってお手伝いしましょうか?」


 これでも一応は元商人なんですよ。


「慣れていますから大丈夫でしょう。マリさん、トマスさん、ヤスさん。どうか道中よろしくお願いいたします」


 ドロレスさんはそう告げると、私に向かってにっこりと微笑む。


「それよりもマリさん。あなたを抱きしめさせてもらってもいいかしら?」


「えっ?」


「変なお願いで申し訳ないですけど、あなたは私がよく知っている方にとっても似ているの。私はその人にもう会うことはできない。その方の代わりに抱きしめさせてもらえないかしら?」


 そして私に向かって再度丁寧に頭を下げた。この人にはやはり前に会った気がする。この銀色の髪にも見覚えがある。一体どこで見たのだろう? それにこの人達は一体何者なのだろう?

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