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追いかけっこ

 アルマの視線の先では、冬の初めのこの時期には珍しい数の平底船がメナド川の川面を埋めていた。


「リコ、いい知らせだろうね」


 メナド川の北岸から輝く川面を眺めていたアルマは、背後に控えるリコにそう呼びかけると、赤い外套の襟元を引き寄せた。だが川岸を吹く北風は外套の裾を翻すと、その白く艶かしい太ももを露わにする。


「はい。学園に飼っておいた狐から連絡が入りました。目的地は南区の道場だそうです。これからそこに網を張りに行きます。それと内務省が動いている理由も分かりました。王子とその友人たちがそのカスティオールの小娘を迎えに行くために学園を出たそうです」


「王子様御一行を警護するために内務省が動いているというのかい? それはちょっとおかしいね。ガキが学園から出ないようにするのが連中の仕事じゃないのかい?」


 そう言うと、アルマはリコに向かって首を捻ってみせた。


「学園を出た理由ですが、セシリー王妃の慈善事業の手伝いだそうです」


「なるほど。あの跳ねっ返りが絡んでいるのかい。それで王宮魔法庁の連中も動いている。やっと納得がいったよ」


 アルマがリコに向かって頷いて見せる。だがリコはそれに同意する代わりに険しい顔をした。


「ですがお嬢様、王妃もからんでいるせいで内務省の一部と王宮魔法庁も動いています。それに相手は学園の生徒です。流石に危険すぎではないでしょうか?」


「なに、ちょっとの間だけ迷子を保護するだけの話しさ。あんなつまらない所には帰りたくないと言うかもしれないけどね」


「国を相手にしてはいくらお嬢様でも――グェ!」


 何かを言いかけたリコの腹に、アルマの履く赤いハイヒールの爪先がめり込んだ。うめき声を上げつつ、リコが地面に跪く。


「内務省、ましてや王宮に比べたら、私らなんてのはかわいいもんさ。世の中を全部仕切っているつもりになっている連中だ。奴らは学園のガキ共のことだって、人質か()()()ぐらいにしか思っちゃいない。むしろ私のおもちゃになった方がよほどに人らしい扱いじゃないか」


「ですが!?」


「それにリコ、お前なら分かるだろう。私が連中相手に意地を張りたくなる理由が……」


「はい」


 リコは返事をしつつも、アルマの視線を避けて顔を俯かせた。


「仕掛けに必要な連中を除いて、後は引き上げさせな」


「了解しました」


「それと警備庁の犬どもには適当な鼻薬を持たせて、今回の件はうちから逃げた商売女を探していた事にするんだ。先週、うちからばっくれようとした田舎女がいただろう」


「ミゲルの店の女ですか?」


「その女を適当な頃合いでメナド川に浮かべておやり。体に傷はつけていないだろうから、世を儚んで身を投げたことにすれば辻褄は合う」


「承知いたしました。例の娘を招待する件については私の方で手配させていただきます」


「ミランダの娘だよ。お前達の汚い手であれやこれやと触るんじゃない。あれに触ってくれたからね。もう私の手の中にいるようなものさ」


 そう呟くと、アルマは川の流れに目をやった。そしてその紅い唇に小さくて指を当てて、投げキスをして見せる。そして自分の下腹部に手をおいた。


「お、お嬢様、まさか!」


 そのアルマ様子を見たリコの口から驚きの声が上げる。そして慌ててアルマの元へ駆け寄ろうとした。


 バン!


 だが鈍い音と共に、アルマの蹴りを受けたリコの顔からメガネが吹き飛んだ。それは風に舞うと護岸を滑り、カラカラと乾いた音を立てつつメナド川の川面へと落ちていく。


「丁度月が変わって生み時だ。私のかわいい子供にあの子を招待させてやろうじゃないか。ロイスの精が元だから喜んで会いに行く」


 そう言うと、アルマはリコに向かって唇の端を上げて見せた。その冷めた笑みを、流れる鼻血をそのままにリコが見上げる。そして何かを口にしかけたが、アルマの顔を見ると口をつぐんだ。


 アルマはリコに向かってフンと鼻を鳴らしてみせると、傍に停めてあった豪華ではあるが、やたらと趣味の悪い装飾がしてある馬車に向かった。リコは急いで立ち上がると、ハンカチで鼻を抑えて扉を開ける。そしてアルマの手を取ってその扉を閉めると、侍従服の膝についた泥を払いつつ、二人の声が届かぬ距離に立っている黒の三つ揃えを着た男達に視線を巡らせた。


「お前達、今から私が手を上げるまで、この馬車から50m以内に何も近づけるな。何もだ」


 リコの声に周囲を固めていた男達が辺りへと散る。それを眺めるリコの耳に、アルマの呻き声が小さく聞こえてきた。


* * *


「本当に着替えなくても良かったのですか?」


 学園からの馬車に同乗していた、ランセルという名前の魔法職の男がマリアンに訪ねた。まだ若い男らしく、その頬にはニキビの跡が目立つ。


 マリアンは連絡役のこの男と舵を握る船頭、それに海馬の御者役の四人で木の葉の様な小舟に乗って、メナド川を密かに渡っている。


「侍従服の事? そんな暇はないわ。とりあえず外套を着込めば分からない。それに何かあったら私があの人の囮になる。そのためにも必要よ」


 ランセルの言葉に、マリアンは首を横に振って見せると、皮でできた焦茶色の外套の裾を持ち上げてみせた。そのそばから外套に風で飛ばされてきた飛沫がかかる。それはよく油を馴染ませてある皮の表面で雫になると、船底へと落ちていく。


 その風はマリアンが被っている皮のつばなし帽も吹き飛ばそうとしたが、マリアンは帽子を片手で抑えると、風に乱れた髪をすばやく帽子の中へと押し込んだ。その姿は少女というより少年の様に見える。


 マリアン達が乗る小舟はメナド川の中を行き交う大型の平底船の影に隠れるように、王都の中心部である北岸から南区のある南岸に向かって進んでいた。実態は進んでいると言うより、平底船の船首が立てる波にもみくちゃにされていると言う方が正しい。


 その波頭が立てる飛沫は遠慮なくこの船に乗船するマリアン達にも降り掛かり続けている。冬が近いこの季節、それはまるで氷の粒を受けているかの様な冷たさだった。


 それでも水中に適合した馬である海馬に引かせた船は、手練れの船頭の舵で着実に南岸へと進んでいる。


「何か手がかりはあった?」


 どうやら連絡用の使い魔が現れたらしく、しばし俯きながら呪文を唱えていたランセルに向かって、マリアンが問いかけた。


「それについてはまだ何も入っていません。ですが姐さん、うちの息がかかった連中だけじゃありません。アルマの息のかかった連中が、あからさまに侍従服を着た女性を南区で探しています」


「どうして南区で? あの人が外に出たことをアルマは知らないはず。 私を探すのなら、馬車駅か事務街で待ち伏せするはずだけど……一体何が目的なのかしら?」


「それもはっきりしません。アルマだけでなく警備庁の私服も動いていますし、どうやら王宮の方にも動きがあるという連絡が来ています」


 ランセルの言葉にマリアンは首をひねって見せた。


「アルマごときに警備庁や王宮が動くことはないし、それにアルマも目立つ動きは避けるはず。辻褄が合わないことだらけね」


「はい。マインズの兄貴からも気をつけろと言付けがありました」


「あの人と同乗していた侍従については?」


「まだ連絡はありません」


「間もなく間を抜けます」


 舵を握っている船頭から声がかかった。それと同時に舳先にいる海馬の御者が、人間の耳には聞こえない笛を吹く。


 マリアンの視線の先では、大型の平底船が何重にも行手を阻んでおり、その間を抜けるなどと言うのはとても出来なさそうに思える。


 平底船にぶつかったら、この小舟などすぐに転覆してしまうだろう。思わず船縁沿いにつけられた手すりを掴む手に力が入る。


「あっしらに任せてください。気が付かれない様に間違いなく対岸に届けます」


 マリアンの背後から老人の低い声が響いた。同時に前に見える平底船の船縁から何人かの男が顔を出すと、こちらに小さく腕を回しているのも見えた。


 背後の老人も船員に向かって腕を回して合図を送ると、それを待っていたかの様に前にいる平底船の切先と船尾の間に僅かな隙間が現れ、小舟はそこに向かって慎重に進んでいく。


「わしら川筋者にとって、モーガンが仕切っていた頃の組は正直なところ厄介なだけでした。ですがロイスの旦那だけは違いました」


 船をその隙間へと誘導しながら、船頭がマリアンに話を続ける。

 

「モーガンに代わってロイスの旦那が仕切るようになってからは全てが変わりました。まるでミランダの姐御が戻ってきた様です。ロイスの旦那の為なら、わしら川筋者は協力を惜しみません。この平底船の船員達も皆で同じ思いです」


 そう言うと、川面に並ぶ見たこともない数の平底船を指差す。それはまるで防壁のように川の上流と下流を塞でいた。そしてこの小舟を左右から挟んで、両岸から隠してもいる。


「ありがとうございます。この御恩は忘れません」


 そう言って頭を下げたマリアンに、老人が手を横に振ってみせた。


「礼には及びません。いざという時には遠慮なくわしら川筋者に声をかけてください。わしらでお役に立てることであれば、何でもやらせていただきます」


「はい。その時はよろしくお願いします」


 そう答えると、マリアンは船頭に向かって頷いた。


「では行きますよ。飛沫をだいぶ被ります。その防水布を頭から被っていてください。操舵、面舵二時、ヨーソロー!」


 船首に座る海馬の御者がマリアンの方を振り向くと、笑みを浮かべて見せた。


「お嬢さん、なりは小さいですけど大船に乗ったつもりでいてください。何せ舵を握っているのは生きる伝説ですからね」


「おい、無駄口を叩いているんじゃない!」


 船頭の言葉に御者は肩をすくめると前を向いた。


「アイアイ、船長。面舵ニ時、ヨーソロー!」


 マリアンとランセルは防水布に身を隠すと、船底に体を押し付けた。防水布の上に滝のような水がかかる。


「姐さん、組長は助かるんでしょうか? 俺らはあの人がいなかったら――」


 マリアンの横で身を伏せているランセルが、恐る恐るマリアンに尋ねた。


「大丈夫。あの人ならきっと助けてくれる。あの人は私だって救ってくれた人よ。それだけじゃない。世界だって救える人なの」

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