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仕事

「ふ〜〜ん、ふふ、ふ〜〜ん」


 エドガーの耳にどうやら機嫌を直したらしいナターシャの鼻歌が聞こえてくる。手には今は緑色の棒つき飴が握られており、それで楽団の指揮者のごとく調子を取っていた。


 ナターシャが背中に傾けては戻している椅子の足元にある丸い穴では、赤い液体の入ったグラスを片手に長椅子へ足を投げ出して座っている妙齢の女性、王都の顔役の一人、鮮血のアルマが見えている。


「どうやらあちらさんもご機嫌みたいね。さっきの二人については確認を取った?」


「ああ、一人はアルマの表向きのレストランの支配人の男だそうだ。エラディオとかいう名前だ。侍従服の女性については不明らしい。新しく雇って顔を見せに連れてきただけじゃないのか?」


「そんな一女中なんかにかまけるような女じゃない。それにだいぶスレた感じはしたけど、着ていた侍従服は安物じゃなかった」


 ナターシャは僅かに考え込む様な表情を見せたが、エドガーに対して言葉を続けた。


「最近はあまりやっていないらしいけど、どこかの家の奥方をゆする手筈を整えているのかも。飲んだくれのくせに仕事熱心なおばさんよね」


 そう告げたナターシャが、手で飴を振るのをやめて耳を澄ました。エドガーの耳にも使い魔の羽ばたく音が聞こえてくる。高度な紛れがかかっているらしく、目視はできないが、誰かがナターシャに連絡を送ってきたらしい。


「え〜〜〜!」


 顔を上げたナターシャが、不意に呆れたような声をあげた。どうやらただの連絡ではなかったらしい。


「事件か?」


 エドガーが問いかけると、ナターシャは少し複雑な表情をしてみせた。


「事件、まあ事件と言えば事件よね。『鎌』と『槌』が王妃様の監視に失敗だって」


「失敗? どういうことだ?」


「どうもこうも、覗いていたのをぶち切られたみたいよ」


 ナターシャはそう告げると、エドガーに向かって肩をすくめて見せる。


「ぶち切られる?」


「あんた、少しは私の豊かな表現力について来なさい。要は向こうからこちらの監視に思いっきり紛れをかけられたということ」


「ちょっと待ってくれ。その二人には会ったことはないけど、『腕』なんだろう。腕の星振による監視を逃れたと言うことか?」


 そう告げると、エドガーは自分達の頭の上でゆっくりと振れる銀色の玉、星振を見上げた。最上級の星見官である腕の監視を、そう簡単に抜けられたりするものだろうか?


「私達の仕事は足の引張合いだから、相手の力次第ね。セシリー王妃様にはスオメラ国王が送り込んできた侍女がついている。間違いなくその女の仕業よ。私達も舐められたものよねー」


「なんとかならないのか?」


「そりゃ腕だもの、腕としての力を使えばぶち抜けるけど、王妃様相手にそんなことが出来ると思うの?」


「無理だな」


 ナターシャの言葉にエドガーも同意した。


「そうよ。即時待機の命令はそのままだけど、向こうがその気ならどのみち打つ手なしね。でもなんでこんな無茶をするのかな?」


 そう呟くと、ナターシャは首を捻って見せた。


「セシリー王妃様は無茶をする人だと聞いていたけど、それは単なる噂かい?」


「あんた、相手が私だからいいけど、そんな口を不用意にきくと不敬罪に問われるわよ」


 ナターシャの台詞にエドガーは小さくため息をついた。もちろんナターシャに自分の台詞だろうなどと余計な事を言ったりはしない。


「ぶっちゃけ、王宮のしきたりとかについては真っ向無視する人と言うのは本当だけど、それも考えがあってというか、あえてスキを見せる為だと思っていたんだけどね。こっちの監視を振り切るなんてのは流石に無茶苦茶。一体何の考えがあって……」


「どうした?」


 途中で言葉を飲み込んだナターシャにエドガーが声を掛けた。その視線の先、穴の向こうではこちらを見上げたアルマが妖艶な笑みを浮かべながら、手をひらひらと振っている。


 その姿はナターシャが星振の力で見せている穴の中で徐々にぼやけていった。それを見たナターシャの手の中の飴が震える。


「紛れ!? この私に向かって紛れをかけてきたって言うの!」


 ナターシャの口から叫び声が上がった。それだけではない。怒りからか肩がぶるぶると震えている。


「このクソババア! 絶対にヒイヒイ言わせて泣かせてやる。頭の毛から下の毛まで一本づつ抜いてやって……」


 ナターシャの口からは物騒な呪いの言葉も漏れてきた。


「紛れを抜けないのか?」


 そう口にしてからエドガーは思いっきり後悔した。出来るならとうにやっているはずだ。真っ白でほとんど何も見えなくなった穴を見つめていたナターシャが、上目遣いにエドガーの方を睨みつける。


「もちろん抜けるわよ。だけどそれをやると、穴の中から向こうをぶち抜いてやらないといけない。今回は腕としての力の行使は認められていないから無理!」


 そう言うと、ナターシャは手にした飴を口に入れた。ガリガリと飴を歯で砕く音が聞こえてくる。どうやら相当に悔しいらしい。


「なんなの。まさかこっちまで『鎌』と『槌』と同じ目に会うだなんて。でも変よ。絶対に変。この腐れおばさんだって、あからさまにこちらが見ているのを分かった振りをした上に、紛れまでかけてよこすだなんておかしくない? ねえ、そうでしょう!」


 ナターシャはそう告げると、顔を上げて飴がなくなった棒をエドガーの方に振りかざした。


「単に力を誇示したかっただけじゃないのか?」


「そう、それよ。だけど普通はいざという時のために隠しておくべきものじゃない? 王妃様といい、この色ぼけおばさんといい、惜しみなく手札を使ってくるって、一体どういうことなの?」


「さあな。俺のような一介の魔法職にはさっぱりだよ。それに即時待機だったから、あの女への監視も成り行きだろう? ここで監視が切れたところで、誰かにそれを咎められる理由はないはずだ」


「それはそうだけど、気分が悪いことには変わりはないわよ。ちょ、ちょっと。あんたは一体何を始めるつもり?」


 ナターシャは腰から杖を外してそれを手にしたエドガーを見ると、慌てた声を上げた。


「王妃様もあの女の監視も無理のようだから、こちらの仕事をやらせてもらう」


「あんたの仕事って、また例の金髪女を覗くつもり?」


「それが俺の仕事だからな。どうやら動きがあった様だ。なのでそれを追いかける」


「はあ? あんたって、やっぱり金髪女がいいわけ? それにまだ小娘じゃない。もしかしてそういう若いのが好みなの……」


 ナターシャは口ではブツブツと文句を言ったが、エドガーが星振に意識を同期する補助と、精神の共有の為に共に杖を掲げた。


 エドガーの心の中にどこかの馬車の中の景色がいきなり広がる。その横には杖を持つナターシャもいた。普通は視界だけで己の姿など見えないが、それが意識できるのはナターシャの補助のおかげだろう。


 エドガーの力ではナターシャの様に像を床に固定したりは出来ないので、星振の揺れに合わせて像がはっきりしたりぼやけたりを繰り返している。だがこの距離ならそれはさほど問題にはならない。


 二人の前には立派な座席に座る黄金の髪を持つ少女がいた。その前の座席には学園の制服を着た二人の若い男性が座っており、馬車の中で三人は真剣な顔をして話し込んでいる。


「金髪さんも男二人を連れ回すだなんて、中々にやるじゃない」


 ナターシャがからかう様にエドガーに声を掛けた。その呼び掛けにエドガーが小さく肩をすくめて見せる。


 エドガーとしてはイサベルの無事が確認できればそれで十分であり、彼女の友好関係に口を挟むつもりは毛頭ない。故に彼女が誰と何をしていようが何も問題は無かった。


「ちょ、ちょっと待って!」


 だがナターシャの方から戸惑った様な声が漏れる。


「これって馬車よね。どうして学園の生徒が今頃外へ出ているの? それにこのアホ面はヘルベルト! と言う事は隣に座っているのは――」


「知り合いか?」


「これでも一応は魔法職の家系だって言ったでしょう。あんたは知らないだろうけど、この手の代々魔法職とかいう世界は貴族の世界以上に狭いのよ」


 そう告げたナターシャが背の高い黒髪の少年を指差す。


「このガキ、ヘルベルトの家はアレンス家と言って、うちと同じような家の出身よ。そしてこれは相棒だから言うけど、こいつが引っ付いている相手、横に座っているのは第六王子のイアン様」


 そう言うと、ナターシャは黒髪の少年の隣に座る茶髪の少年を指差した。その少年の顔には年齢よりもだいぶ落ち着いた大人っぽい表情が浮かんでいる。エドガーはこの少年がイサベルと学園の図書室で、二人だけで何か会話をしていたのを思い出した。


 イサベルは王族を除けば貴族筆頭のコーンウェル侯の孫であり、唯一の直系であることを考えれば、王子と付き合っても別におかしくはない。それに釣りあうのに十分な家柄に身分だ。


「エドガー?」


 声を掛けられたエドガーは、ナターシャが不思議な顔をしてこちらを見ているのに気がついた。


「なんだ?」


「あんた、どうしてこれを覗けるの?」


「えっ?」


「ヘルベルトはいけすかないガキだけど、間違いなく腕は悪くない。それにイアン王子の護衛役だから、普段から覗かれないように紛れもかけているはず」


「そうなのか? たまたま忘れているだけじゃないのか?」


「そんなことはない。間違いなく紛れをかけている。辺りの風景がよく見えないのがその証拠よ」


 エドガーはナターシャに言われて、初めて馬車の周りの風景が霧の中を走っているかの様にはっきりとしないのに気がついた。


「エドガー、あんたは心像を顕在化できない程度の腕しかないけど、あんたの力は私が知っている力とは別の種類の力の持ち主なのかも……」


「君が助けてくれているからだろう?」


「お世辞はいらない。それに謙遜もよ。私でも腕としての力の行使なしにここを覗けたりはしない。あんたは優秀な覗き魔なのね。あの陰険親父(レオニート)があんたをこの監視役に割り当てているのも、それが理由なのかもしれない」


「何はともあれ、俺はあんたの相棒だ。そうだろう?」


 エドガーの言葉にナターシャの口元が緩んだ。


「ふふふ、少しはこのナターシャ様の魅力が理解出来てきた? この金髪女よりは遥かに魅力的でしょう?」


 そう言うと、わざとらしく両腕で胸を寄せて見せる。イサベルの監視が絡むと、ナターシャはとても子供っぽく振る舞う。エドガーは思わず苦笑しそうになったが、小さく頷いて見せた。だがすぐに馬車に乗る三人の表情が深刻なものに変わったのに気がつく。


 声は聞こえないが何かあったらしい。ナターシャもそれに気がついたらしく、首を傾げて見せた。


「エドガー、イアン王子が学園から外に出ている。それにヘルベルトのガキのこの真剣な顔からして、これは単なるサボりとは違うみたいね。それに母親のセシリー王妃様もこちらの監視をぶっちぎってくれている」


「つまり彼らの目的は――」


「ビンゴ!」


 ナターシャが新しく手にした飴をエドガーに振って見せた。その顔は先ほどアルマに紛れを掛けられた時とは打って変わって、鼻高々という感じだ。


「間違いないわ。セシリー王妃様と合流するつもりね。ふふふ、これは大当たりよ!」


「大当たり? 何がだ?」


「『鎌』と『槌』がぶっち切られてうちの面子は丸潰れよ。でもこの人たちを追いかけていれば――」


「いずれはセシリー王妃様に当たる……」


「そう。あの陰険おっさん(レオニート)の顔も立つと言うことよ。つまりは大きな貸しが作れる。ふふふ、これで当分は非番になれるわよ!」


「非番?」


「何よ、あんたは嬉しくないの! 忘れたの? あんたとのデートよ」


「えっ?」


「ふふふ、喜びなさい! これがうまくいけばお泊まりデートだって出来るかも!」

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