付き添い人
「どうだ?」「服はそれらしいが……」「違うな」
馬車の荷台の向こうから男達の声が聞こえてくる。もう残りの乗客は降りてしまっており、荷台の上に残っているのは私達だけだ。
こちらとしてはこの手の人達に絡まれる覚えはないが、面倒ごとに巻き込まれると、学園を抜け出したこと自体がバレてしまう。
「行くぞ」
ザンスさんの小さな掛け声に、ヤスさんとトマスさんが先に馬車を降りて昇降口の両側で私達を待つ。それに続いてザンスさんが、そして最後に私が昇降口を降りた。
視線の先では左耳に目立つ傷を持つ男を先頭に、数名のいかにもやばそうな感じの男達がこちらを見ている。ヤスさんとトマスさんが私の両側を固めた。
ヤスさんは少し首を傾げながら男達を余裕で見ているが、トマスさんは顔を真っ青にしている上に、歯同士のぶつかるカタカタと言う音がこちらまで聞こえてくる。
もう、男なんですから、ザンスさんやヤスさんを見習って堂々としてください!
「人を探していてね。悪いが後ろのお嬢さんの顔を改めさせてもらうよ」
先頭にいる男がザンスさんに向かって声をかけた。
「俺の顔を知らない上に、うちの身内の娘に面をかせと言うあんたはどこの組のもんだ?」
「うだうだ言っていないで――」
「バシリオさん、ちょっと」
凄んで見せようとする耳に傷がある男の背後にいた、少し背が低い筋肉質の男がその肩を叩いた。そして耳元で何かを囁く。
「ザンス親方です。南区の工房組合の会長ですよ。機嫌を損ねると色々と差し障りがあります。南区の北側全部を敵に回しかねません」
普通なら聞こえないのだろうけど、私の意味もなく優秀な耳はその言葉を捉えた。
『工房組合の会長!』
思わず心の中で声を上げる。只者ではないと思っていましたが、やはり有名人だったようです。
「髪の色は手配通りだが侍従服ではないし、連れはいないという話だからいいだろう」
耳に傷のある男の言葉に、背後の男も頷いて見せる。
「これは大変失礼致しました。そちらのお身内なら問題ないでしょう」
男がザンスさんに向かって丁寧に頭を下げて見せた。だが上目遣いにこちらを眺めている目は、どこまでも冷徹で隙がない。
ザンスさんは二歩、三歩と歩くと、頭を下げている男達の横で立ち止まった。
「ふん。あまりでかい顔をする様だと、俺としても昔馴染みに苦言の一言も言いたくなる」
ザンスさんが男達の方へ視線を向けることなく告げた。
「はい。気をつけさせていただきます」
頭を下げたまま男達が答えるのを聞くと、ザンスさんは私達に向かってついて来るように合図をした。馬車駅の中を通り過ぎて、辺りを囲む建物の影に入るまでがとても長く感じられる。男達が見えなくなるや否や、思わず大きく肩で息を吐いた。
「お嬢ちゃん。ここは普通の人間も住んでいるが、あんな連中や、場所によってはもっと危ない連中も住んでいるところだ。運河をひとつ渡っただけでまるで違う。どこまでお使いに行くかは知らないが、気をつけていきな」
「はい。ありがとうございます」
私はザンスさんに向かって出来る限り頭を下げた。あいさつと感謝の意を示すことはとっても大事です。これができない人には商売人は無理です。
隣を見ると、トマスさんがボーッとした顔でつっ立っている。とりあえずその足を思いっきり踏んでやります。
「あ、ありがとうございました」
トマスさんも慌ててザンスさんに頭を下げた。それを見たザンスさんが私に苦笑して見せる。思わずこっちも釣られて苦笑してしまう。ほんのちょっとだけど、コリンズ夫人の日々の苦労が分かった気がした。
「それに今日は色々と厄介ごとが多い日だ。そもそもこいつが馬車を脱輪させてからこの方、十分に散々な一日だな」
そう言うと、ザンスさんが隣に立つヤスさんの方をジロリと見る。その視線にヤスさんがタジタジになった。どうやら不肖の弟子というのは本当らしい。
「ヤス、お前はこのお嬢さんの案内をしろ」
「お、おやっさん!」
「てめえはやんちゃをやっていた分、少しは若い奴らに顔が効くだろう」
ザンスさんとヤスさんには変な人達に絡まれずに済んだだけでも、十分に助けて頂いた。流石にこれ以上の迷惑を掛けるわけにはいかない。
「ザンスさん、ヤスさんもお忙しいと思いますし――」
「なに、馬車の御者も務まらない男だが、地元の案内ぐらいなら少しは役に立つだろう」
そう言うと、ザンスさんはヤスさんの方を指差した。そして再びその顔をジロリと睨む。ヤスさんも諦めたのか、ザンスさんに向かって頭をペコペコと下げた。
「ありがとうございます!」
「今日はお礼にお伺いする時間はありませんが、次回こちらまでお使いに来た時には、必ずお礼にお伺いさせていただきます」
今日は下見ですからね、みんなでくる次が本番です。
「お嬢ちゃん、気にしないで――」
「いえ、その可愛い可愛いお孫さんに会いにお伺いさせていただきます!」
「それはいい。お嬢ちゃんなら、間違いなくうちの孫もババアも大喜びだ」
そう言うと、ザンスさんは私に向かってにこやかに微笑んでくれた。私も思わず自然に笑みが漏れる。
カーーン!
どこかの時計台が午後の鐘を打つのが聞こえた。なんてことだ。早くも午後になってしまった。
「おっと、時間がない」
ザンスさんも少し慌てた顔をする。
「寄り合いがあってな。今度こちらまで来たら、この馬車駅でザンス工房と言って貰えば、間違いなく道を教えてくれるはずだ。ヤス!」
「は、はい!」
「てめえは嬢ちゃんをちゃんと案内して、戻りの馬車に乗るまで面倒を見るんだ。分かったな!」
ザンスさんは私達に手を振ると、少し坂になっている道を一人登っていく。その足取りは職人らしく足早で、あっという間にその背中は小さくなり、通りの角を曲がっていった。
「はあー」
その瞬間だった。私の両脇に立つ男性二人が大きなため息をつくのが聞こえた。あのですね、そんなに大きなため息をつくようなことなどあります?
だがヤスさんは私が文句を言う間もなく、いきなり私の腕を引くと、建物の間の小道へと引きずり込んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
師匠がいなくなった途端にこれですか!? だけどヤスさんは私の言葉を無視して、そのまま裏道の奥の方までどんどん私の体を引っ張っていく。トマスさんはと言うと、相変わらず陰気な顔をしたまま、私達の後ろをついてくるだけだ。
再び文句を言おうとした私に向かって、ヤスさんが口元に指を当てて見せた。背後の通りの方を何人かの男達が忙しげに通り過ぎていくのが見える。
「おやっさんの言う通りだ。どこかの組の連中だけじゃない。警備庁の私服までうろうろしてやがる」
その真剣な表情に耳をそばだてると、あちらこちらで誰かが小走りに走るような音が聞こえてきた。
「こんな面倒な日に、面倒ごとを押し付けられるだなんて、まったくもってついてねぇ」
ヤスさんはそう独り言を呟くと、肩をすくめて私の方を見た。隣に立つトマスさんも同意する様な表情をしている。
なんですか? こんなに可愛い乙女の付き添い人ですよ。もっと嬉しそうな顔をするとかありませんか? ほら、知り合いにあったら、新しい彼女だとか言って見せつけるとかですね――
「で、マリさんだっけ。一体どこまでいくんだ?」
いいのか悪いのかは分かりませんが、この方は私には全く興味がないようです。まあ、変に興味を持たれたりしたら面倒ですから、きっとこちらの方がいいのでしょう。
「はい。南区にある剣の道場に行きたいのです」
「道場? あんたはとても剣を使う様には見えねえけど、実は剣を振り回す口かい?」
あのですね。誰に向かってものを言っているんです。こんな乙女が剣を振り回したり……まあ、入学式早々にちょっとだけ振り回しましたけどね。あれはあくまで行きがかり上です!
「おい、人の話を聞いているのか?」
過去の思い出してはいけない何かを必死に忘却の彼方へ送り込もうとしている私に向かって、ヤスさんが声をかけてきた。
いけません。己との戦いにしばしかまけていました。
「は、はい。私ではなくて、私の友達がそこの道場の出身なのです。先ずはその道場まで行って、友達のお家を教えてもらうつもりです」
「ふーん。中心部のお屋敷に近いところと違って、南区には道場なんて洒落たものはそんなにないけどな。どちらかというと、組みもどきが道場の看板だけを掲げているようなところがほとんどだ」
「そうなんですか?」
「なんだ、俺が嘘でもついていると言うのか?」
「ちょっと、そんな事は誰も言っていませんよ」
かなりの近眼なんでしょうか? さらに目を凝らしてこちらを見ています。それに性根のねじ曲がり方はトマスさんと同じですね。
「まあいい。それで道場の名前か場所はわかっているんだろうな」
まあいいはこっちのセリフですが、時間もありません。
「はい。手紙によれば、アルゴ運河の近くにあるこじんまりした道場って書いてありました」
「アルゴ運河!?」
ヤスさんの口から少しばかり大きな声が上がった。先ほど私に向かって、人差し指を口に当てて見せませんでしたか?
「おい、それはアがつく別の場所とかの間違いじゃないだろうな?」
こちらを全く信用していませんね。
「はい。間違いなく手紙にそう書いてありました」
「アルゴ運河沿いの道場って言えばあそこしかねぇ」
ヤスさんの目が大きく見開かれている。どうやら目を大きく開ける事も出来るみたいです。
「場所は分かっているみたいですし、何も問題なしですね」
「何を言っているんだ、この能天気女!」
「はあ?」
能天気女ですって!? やっぱりこの方の中身はトマスさんと同じ類です。
「アルゴ運河側っていうのは、この南区の中でも一番近寄っちゃいけない場所のひとつだ。俺もやんちゃはしていたが、あそこにはあまり立ち入ったりはしなかった。何せ、そのドミニク道場があるからな。ドミニク道場の奴と関わるなんてのはあのあたりの命知らずでも避ける」
「へえ? その道場の人たちというのはとっても強いんですね」
「強い? 何を寝ぼけた事を言っているんだ能天気女」
あのですね。どうして強いと言っただけで、またもや「能天気女」とか言われないといけないのでしょうか?
「イカれているんだよ。間違いなくイカれているんだ。それに南区も一番端に近い。ここから徒歩で行ったら、一刻とは言わないが半刻(1時間)以上はかかる。帰りには間違いなく暗くなるぞ。暗くなってからあの辺りをうろうろするだなんて、襲ってくれと言っているのと同じだ」
「えっ、そんなにやばいところなんですか?」
「ちょ、ちょっと待て、わがまま娘。そんなに遅くなったら、コリンズ夫人に説教で殺される!」
横からトマスさんも口を挟んできた。うるさいですね。とはいえ、確かに行って戻ってくる時間はなさそうです。
それにそんなに遅くなると学園に戻るのは夜になる。マリも心配するだろうし、ロゼッタさんにも間違いなくバレます。そうなっては何もかもがおしまいです。
仕方がありません。今日は服を手に入れられて、南区までの行き方も分かって、ザンスさんと知り合いになれただけでもよしとするべきでしょう。
「しょうがないですね――」
今日はここまでで諦めますと口から出かかった時だった。
「あら、ちょうどよかった」
誰かが唐突に背後から私達に声を掛けてきた。