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相棒

「なんなのこのおばさん! 渋い男を寝台に引っ張り込んで、わざとらしく見せつけてくれるだけじゃ飽き足らないというわけ?」


 星見官の中の星見官、「腕」が所属する黒曜の塔の中の星振の間に、若い女性の怒りの声が響いた。その声の主、「斧」の二つ名を持つナターシャは手にしたピンクの棒つき飴を、星振の振り子が床に描く情景へ向かって突き出して怒りをあらわにしている。


 そこには胸元が開いた赤い光沢の生地のドレスに身を包んだ、妖艶としか言えない女性がこちらを見上げており、謎の微笑みを向けている。そして空のグラスをわざとらしく振って見せてもいた。


「こっちが見ているのはお見通しという舐めた態度! 本当に腹が立つわね。絶対に手を出すなと言われていなかったら、馬車に轢かれた蛙みたいに今すぐ叩き潰してやるのに。蛙よ蛙、絶対に蛙!」


 黒い床と灰色の壁で囲まれた、とてつもなく高い天井を持つ部屋にナターシャの甲高い声が響く。エドガーはその反響する声を耳を覆って防ぐと、天井からぶら下げられた星振がゆっくりと揺れながら黒い床に映し出す情景を眺めた。


 普通の星見官なら天井からぶら下げられた銀色の球、星振に意識を同期させて頭の中に映すものを、床に穴から覗く様に映し出しているのは、「腕」と呼ばれる最上級の力を持つ星見官であるナターシャの力だ。


 エドガーの力では自分の意識の中にナターシャを迎えて同期することしかできない。そのナターシャが先程まで退屈そうに座っていた椅子を蹴っ飛ばして、穴の向こうでにやけた顔をする女にガチギレしている。


「あんたもそう思わないの!」


 そう告げたナターシャは今度は飴をエドガーに向かって突き出した。だがエドガーの顔を見るとすぐに大きくため息をつく。


「そのどうでもいいという顔をするのはやめてくれない。色々な意味でこちらまで生きている張り合いがなくなりそうになるんですけど」


 ナターシャの言葉にエドガーが小さく肩をすくめて見せる。


「あんたって本当に見かけ通りの年? このおばさんが男とあれやこれやしているのを見ても何もなし。このヘラヘラした態度を見せつけられても同じ。あんたの男の本能とか、プライドとか言うのはどこに行っちゃったわけ?」


 ナターシャはそう告げると、再び飴の先を床のアルマというヤクザの顔役に向けた。


「こんな色ぼけしたおばさんには興味がないと言うのなら話は分かるけど――」


 そういうと今度は自分の顔に飴の先を向ける。


「目の前にこんないい女がいても興味がないのよね」


 エドガーの目の前には鮮やかな緑の髪を頭の上でお団子にして、黄色いブラウスに薄いピンクのジャケット、それに髪の毛と同じ緑の短いスカートに白いタイツ、足元には明るい茶色のブーツという、子供というか見せ物小屋の道化というか、よく分からないかっこをした若い女性の姿がある。


 アーモンドを思わせる明るい水色の瞳に、少し丸顔だが整った顔。スラリと伸びた手足に女性らしく丸みを帯びた胸から腰への線。こんな奇抜な格好をしていなくても、街を歩けば多くの男達から注目を浴びるのは間違いない容姿でもある。


「君が美人なのは誰もが認めるさ。それにこれは単なる仕事だろう。怒る理由なんて何もないさ」


「ふ〜〜ん。単なる仕事ね」


 ナターシャはエドガーの発言に対して腕を組むと、含みのある表情をしてみせた。


「もしかしてあんたってさ、金髪じゃないと興味が湧かないという人?」


「金髪?」


「あんたが必死にいつも覗いているのは女も()も金髪さんだもんね。それに資料にはなかったから分からなかったけど……」


 ナターシャはエドガーの前に一歩進むと、ピンクの飴を顔の前へ突き出す。


「実はあんたって男もいける口なのね。それともそっちの方が専門? それにとっても面食い」


 ナターシャの言葉にエドガーの顔色が変わった。その瞳が宿した光に、ナターシャが思わず一歩後ろへ下がりそうになる。


「僕のことはいくら嘲笑してもいい。だがあの人のことをそんなくだらない話に使うな」


 エドガーはそう宣言すると、突き出されたナターシャの手をはね退けた。ナターシャが手にしていた飴が床に転がる。


「あんたってさ、自分のこと以外なら怒れるのね」


 エドガーの態度に、ナターシャがフンと鼻を鳴らして見せた。その表情には怒りというより何処か寂しさが感じられる。


「なら私はどうなの?」


 ナターシャの言葉にエドガーは面食らった。先程まで感じていた怒りも何処かへ行ってしまう。


「どうって?」


「誰かが私のことを馬鹿にしたら、あんたは怒ってくれるの?」


「君は優秀な『斧』の二つ名持ちの『腕』じゃないか。誰も君を馬鹿にだなんて――」


 その言葉に、ナターシャの目に先ほどよりもはるかに激しい怒りの色が浮かんだ。


「そんなことを聞いているんじゃない! 私だって人なんだよ。あんたとそう年が変わらない人なんだ。あんたも私のことを『腕』と言う()みたいに思っているの!」


 エドガーはそう叫んだナターシャの目尻に光るものを認めた。いつも感情をあらわにしているふりをしているが、今のこれは本物だ。


 ナターシャの目が訴え掛けているものに、エドガーは彼女がどうして自分を相棒として受け入れたのか、やっと分かった気がした。ナターシャは年の近い自分が、彼女のことを本当に理解できる相棒になれると期待したのだ。


 エドガーの中で色々なことが繋がった。それに対して自分はどうだっただろう? 自分の方がよほどに拗ねた子供の態度ではなかったのか? 


「そうか、それでその格好なんだな」


「あんたは――、な、何よ急に」


 何か文句を続けようとしたナターシャが、エドガーの言葉に慌てる。


「ナターシャ」


「あんたね、その名前で呼んだら殺すって――」


「僕たちは相棒だろ。二つ名なんかで互いを呼ぶ相棒なんていない。前の職場で相棒になった人に主任執行官殿とつけたらそれはそれは怒鳴られたよ」


「何よ、急に馴れ馴れしくしたって――」


 エドガーの言葉にナターシャがはにかんだ表情をする。それを見たエドガーは、目の前の女性が自分とそう年が変わらない普通の女性であることを思い出した。


 それと同時にナターシャに対して作っていた、いや自分が星見官に異動になってから、世の中の全てに対して作っていた壁の愚かさも理解した。


「ナターシャは何で魔法職になったんだ?」


「え、な、何って。家は代々魔法職の家系だし……」


「僕の家は教師と言っても、田舎の街の学校に勤める程度の家系でね。魔法職なんかとは縁もゆかりもなかったよ」


「じゃ、あんた……エドガーは何で魔法職なんかになったの?」


「田舎でまだ学校に通っていた頃の話しさ。女の子に助けられたんだ」


「女の子?」


「ある年に大火事があってね。僕と母さんは学校から戻ってくるはずの父さんを待っていて逃げ遅れた。火に巻かれてどちらに逃げればいいかも分からなくなった時に、僕らの前に自分と同じ年ぐらいの女の子が現れて、僕達の方を振り返ったんだ」


 そう告げたエドガーの顔をナターシャが驚いた表情でじっと見つめた。


「泣き叫ぶ僕らに向かって唇に手を当てて静かにするように合図をすると、手にした杖で地面に何かを書いたんだよ。その後、それはそれはとんでもない音が響き渡ったのさ」


「何の術だったの?」


「おそらくは暁の大鳳だろうな。当時は真剣に世界の終わりが来たかと思った。今思い返しても一人の人間が召喚したとは思えない威力さ。燃えていた辺りの家を炎ごと吹き飛ばした。いつかその人にお礼を言うために魔法職を目指すことに決めたんだ」


「お礼? そんな理由で王宮魔法職を目指したの?」


「そうさ。魔法職になるなんてのは気が狂っている。ましてや王宮魔法職になろうなんてのは――」


「間違いなく変態だ。それでも俺たちゃ杖を持つ――」


 ナターシャがエドガーの節回しを引き継いだ。


「本当は箒でもいいのだけど、杖がなけりゃ誰も魔法職だなんては分からない」


 最後は二人の声が重なった。


「今度の非番の時に外へ飯にでも行こう。その時は君の男の好みでも聞かせてくれ」


「あんたね、ちょっと調子に乗っていない!?」


 そう声を上げたナターシャの前に黒い影が舞込んだ。連絡用の使い魔だ。ナターシャは杖を上げて解除の呪文を唱えると、そこから小さく丸めた紙を取り出して目を通す。


「監視対象を変えるそうよ」


「どう言うことだ? この女から片時も目を離すなと言うことだったんじゃないのか?」


「最優先事項の変更。今度は王妃様の警護だそうよ。現状は『鎌』と『槌』が監視中。私たちは即時待機命令。だけどこちらにも動きがある」


 そう告げると、ナターシャは床に広がる穴へ目を向けた。そこではどうやら客を迎えた女が満足げに赤い液体をグラスから飲む姿が映し出されている。客は何処かの店の従業員だろうか? 礼服姿に侍従服を着た男女だ。


「エドガー、どうやらあんたと食事に行けるのは相当先になりそうね。でもその時はその女の子の話をもっと聞かせてちょうだい。とっても美人だったとか、可愛かったとか、心の底から惚れそうだったとか、覚えていること全部よ」


 そう言うとナターシャは床から拾い上げた飴をエドガーに向かって突き出す。だがその顔からは彼女がいつも見せていた、何かに苛ついたような表情はどこかへと消え去っていた。

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