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 ロイスは夢を見ていた。自分の前にいる人物はもう死んでしまった人物なのだから、これは夢に決まっている。もしくは自分がもう死んでしまったかのいずれかだ。


「ロイス、あんたに必要なのは気合いさ」


 麦わら帽子を被った女性が、焼けてそばかすが少し目立つ顔に満面の笑みを浮かべて見せた。


「気合い?」


 ロイスはその姿を女神でも見る思いで見上げながら女性に問いかけた。


「そうだよ。欲しいものはなんとしても手に入れるという気合いだ。そして絶対に奪われないという気合いだよ」


 そう言うと、その人物はロイスに向かって大きく口を開けてからからと笑った。その動きに肩までに切り揃えられた栗色の髪が宙を舞う。


「それがあればあんたは立派な顔役になれる。顔役というのは文字通りみんなの顔だ。特にあたし達みたいな半端物にはよりどころという物がないからね。そのために誰かが顔になるんだよ。そして根性だったり、気合いだったり、半端者達同士で足りない物を埋める為の手伝いをしてやるのさ」


「姐さん。俺たちは姐さんさえいれば他には誰もいりません。皆で姐さんについて行くだけです!」


「ロイス、これでも私は女だよ。いつかは誰かと一緒になって子供を産むんだ。だから私がここを去った後はロイス、あんたがみんなの顔になってやるんだ」


「俺じゃ無理です」


「だからあんたに足りないのは気合いだよ」


 ロイスは必死に顔を横に振った。この人が自分達の前からいなくなるなんてのは考えられもしない。この人がいなければ自分達はどこまで行っても半端者だ。


「俺は絶対に姐さんみたいな顔役にはなれません!」


「そりゃそうだ。あんたが私みたいなべっぴんになれるわけないだろう!」


 そう言うとロイスの前の人物は自分の頬を両手で引っ張った。


「ハハハハ!」「フフフフ!」


 二人の口から笑い声がもれる。


「今は私があんた達を引っ張ってやる。だからついてきな!」


 そう言うと女性はロイスに手を差し出した。ロイスの握った手は女性らしく小さい手だ。だがとても温かい手だ。


「…ロイス……ロイス、しっかりして!」


 うっすらと開けたロイスのまぶたの先に、懐かしい人物の影がある。栗色の髪。少し日に焼けた肌。夢の中の人物と同じ色の目がロイスを見つめている。


「ミランダ姐さん…」


「違うわ。私よ、マリアンよ」


 その顔はとても似てはいたが、夢の中の人物とは違った。ロイスが何かを告げようとする前に、柔らかいものがロイスの唇に触れる。そこから冷たい水が口の中へと流れ込んで来た。


 ロイスはそれを押し返そうとしたが、その唇の奥から差し込まれた舌がそれを押しとどめた。


「母さんじゃなくて残念ね」


 ロイスの口から唇を離した少女が、少し拗ねた表情で肩をすくめて見せる。


「な…何をしている…」


 ロイスの顔に当惑の色が浮かぶ。


「水を飲ませてあげたの。ただそれだけの事よ」


 そう言うと、マリアンは水に濡らした布でそっとロイスの額を拭った。


「…なぜ…ここにいる…だ、誰か…」


「ここにいるのは私だけ。それにこれはあなたのせいよ。私の言うことを聞くように皆に指示したでしょう」


「マインズのやつがお前に話したのか?」


 弱ってはいたが、ロイスはそれでも顔に怒気を浮かべて見せた。マリアンが指でなだめる様にその頬を撫でる。


「違うわ。ここに居るのは単なる偶然。あの人が私に化けて学園を抜け出して、それを追ってきたの。あの人を見つける助力を請う為にここに来ただけ。それよりもどうして私に知らせなかったの?」


 ロイスはマリアンの瞳の中にいる自分を見つめた。そこには目の周りが落ち込み、青白い顔をした死相としか呼べない男の顔が映っている。


「おれは…あんたの為にいる。俺の事は気に…するな。それよりも…あのお嬢さんを…追いかけなくて…いいのか?」


「見つかったら行く。それまではここにいる」


「俺は大丈夫だ…」


「ロイス、私は永遠にあの人の剣よ。だけど何事にも例外はあるの。それにあなたは何か勘違いをしていない? あの人は私なんかよりもとっても強い人なのよ。私は何度もあの人に命を救ってもらったの」


「あの…お嬢さんにか?」


「そうよ。私の夢の中で私が殺してやろうとしたのに、私を救う為にそれはそれは恐ろしい魔物の群れに立ち向かってくれた人よ。それに誰も勝てなかったお化けを燃やして、皆を救ってくれた人でもあるの」


「フフ…、お前の、夢の…中ではあのお嬢さんは無敵…なのだな」


 マリアンはロイスに向かって頷いて見せた。


「ええ、私の無敵の師匠よ。だから私はあの人の永遠の弟子で剣なの。でも死にかけのあなたは間違いなくその例外」


「死にかけか…。下手を…打った。まさかあの女が…これほどすぐに、仕掛けてくるとは…思わなかったな」


「ロイス、下手を打ったのはあなたじゃない。私よ。あなたが生き残れようが死のうが、私があの女を遠いところに送ってやる」


 そう告げたマリアンに向かってロイスが力なく首を横に振った。


「や、やめろ…。お前まで…こんな事になったら、ミランダ…姐さんに、遠いところで、顔向けが出来なくなる。そもそもお前の手を汚した時点で…俺は間違いなく姐さんに半殺しにされる」


「ロイス、それはあなたのせいじゃない。あなたと会う前に私の手は汚れていた」


「それも…俺が姐さんとの約束を…守れなかったからだ。これは俺の落とし…前だ。お前は手を…出すな」


「いやよ。絶対に殺す!」


 そう告げたマリアンの目が不意に大きく見開かれた。椅子から立ち上がると、寝台の上をじっと見つめる。


「待ってロイス。こ、これは何なの?」


 マリアンはそう言い放つと寝台の上を指差した。だがロイスの目にはそこには何も見えない。ただ自分の体に掛かっている掛布があるだけだ。 


「ど、どうした…?」


「これって、ま、まさか…神もどき!」


 マリアンの口からロイスが聞いたことがない悲鳴に近い叫び声が漏れた。


* * *


「リコ、思ったより早く役者が揃ったじゃないか。これは面白くなるよ」


 革張りの派手な装飾の長椅子に横たわり、赤い液体が入ったグラスを片手にアルマが上機嫌で語った。アルマの前には板張りの床の上に跪く侍従服姿のリコがいる。


「ですがカスティオールとはいえ一応は侯爵家です。色々と面倒ではないですか? ともかく内務省に、ましてや王宮に目をつけられると言うのは危険過ぎます」


 リコは頭を上げると、少し険しい顔をしつつアルマに答える。アルマはその答えに長椅子から起き上がるとリコの方へ向き直った。組んだ白い素足が跪くリコの前に突き出される。


「何を言っているんだい。こいつはバリーのところや、その先にあった暗殺ギルドを丸ごと消した件とも繋がっている話だよ。ヴォルテの叔父さんだって、それをほったらかしには出来ないだろう?」


「それはそうですが…」


 そう答えた、丸メガネの奥のリコの目にはまだ不安の色が浮かんでいる。


「カスティオールについてはたまたまそれに関わりがあったというだけだ。侯爵家そのものをなんとかしようという訳じゃない。それはお前がヴォルテ叔父さんにそう報告すればいいだけの話じゃないか」


「分かりました」


 リコはアルマに頷いて見せた。確かにバリーの件と合わせて考えれば筋は通っている。


「ですがロイスの玉を取って、それをネタに学園を出てきた女の身柄を抑えると言うのが、やはり一番確実な手だとは思いますが……」

 

 リコの答えにアルマがグラスを口元へと持っていった手が止まる。リコはアルマからの叱責に備えて身構えたが、アルマはグラスを下ろすと、リコの台詞にあっさりと同意して見せた。


「それについてはリコ、あんたの言う通りだ。間違いなくこっちに殴り込みにくるだろうから、それを確保する。ミランダの娘が筋者の情婦ということもバレるから、学園からは追放されるし、侯爵家の庇護もない。一番確実というやつだ」


 リコもアルマに頷く。そして小さく息を吐くと肩の力を僅かに緩めた。


「なんだい、リコ。なんだかとっても嬉しそうじゃないか?」


「いえ、特には……」


 ドン!


 アルマの蹴りが飛び、跪いたリコの顔からメガネが吹き飛んだ。


「私に嘘をつくんじゃないよ。私がロイスをあっさりと殺すことが嬉しいんだろう?」


 アルマは長椅子に深く背を預けると、リコの顔を素足の先で小突きながら声を掛けた。


「やっぱり若い男はいいね。でも若すぎるのはダメだ。それがいい時もあるけど、がっつきすぎですぐに飽きる。ロイスぐらいが丁度いい。ちょっと勿体無い気もするが、引き伸ばしだなんてつまらない手を使ってくる様じゃダメだね。期待外れもいいところだよ」


 そう言うと、アルマはリコに向かっていかにもつまらなさそうな顔をして見せた。メガネを失ったリコは赤いペディキュアを塗ったアルマの足に小突かれるに任せている。


「だけどその侯爵家のお嬢さんを餌に、ミランダの娘を釣ると言うのは最高じゃないか。ミランダの娘が一番大事に思っているのを目の前で壊してやれるんだ。それもロイスの玉を取った私を殺してやりたいと心から思っている小娘に対してやるんだよ」


 アルマはさも満足気な顔をすると、足をおろしてグラスをリコに差し出した。素早く立ち上がったリコが、サイドテーブルにあった真紅の液体をアルマのグラスへと注ぐ。


「これこそ私好みの展開という奴さ。考えただけで濡れてきそうになる奴だよ。それを諦める理由なんて爪の先ほどもないね」


 トン、トン、トン


 不意に扉を遠慮がちに叩く音が響いた。


「何だ?」


 リコが戸口に向かって問いかける。


「はい。例の件でエラディオが女を連れてこちらまで来ました」


「フフフ、人と言うのはこうじゃないといけない。嫉妬というやつは何よりも強力な感情なんだ。それの吐口がある時に、それを押しとどめるなんてのは絶対に無理な話しさ」


 その妖艶としか言えない顔に笑みを浮かべたアルマが、リコに向かって顎をしゃくって見せる。


「すぐにここまで連れてきます」


 リコはアルマに向かって一礼すると、侍従服の皺を伸ばして部屋の外へと出ていく。アルマはそれを満足げに眺めると、グラスの中の液体を一気に飲み干した。


「そうだよ。それこそが私があの女に、ミランダにずっと持ち続けたものさ。それにリコ、心配なんていらないね。とっくの昔に内務省にも王宮にも目をつけられている」


 そう呟くと、アルマは空になったグラスを天井へ掲げて、ニヤリと口元を歪めて見せた。

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