お買い物
「えっ!」
私の呼びかけに、線が細くて青白く見える顔が上を向いた。そしてぽかんという顔をしている。
「わ、わがまま娘!」
あのですね。人にぶつかって謝りもせずに文句を垂れた上に、いきなり「わがまま娘」とは何ですか!?
「一体どうしてここに?」
トマスさんが上げた声に、周りの人達が不審そうな顔をしてこちらを見る。
「それにその髪と服!」
あのですね。さらに大声を上げて目立つまねをしてくれるとは、全くもって有りえません。
「その説明は後です。ともかくここから移動しますよ」
トマスさんの手を引いて市場の奥の方へと移動する。どうやら今日はお休みらしい店の前まで行くと、彼に向き直った。トマスさんは麻の袋を抱えたまま未だにポカンと言う顔をしている。
「トマスさん、いいところで会いました。これから南区まで行きますので、私につきあってください」
「南区!?」
再び大声をあげようとしたトマスさんに向かって、口元に人差し指を立ててやる。お前は大声をあげないと話が出来ない呪いにでもかかっているのか?
「なんでそんなところまで行かないといけないんです」
「ちょっと野暮用です」
「僕はガラムさんに急ぎで香辛料を買ってこいと言われているんですよ。そんな暇はありません」
「すみませんが、こちらこそそんなことをしている暇はありません。これにはある人の命が掛かっているかもしれないのです。それに私の意地も掛かっています」
「そんな事を言われても」
そうだ。お使いと言う事はお金も持っているはず。おじさんが南区は侍従が行くような場所じゃないと言っていた。確かにこの服はここでは目立ち過ぎる。
「お使いのおつりはまだありますか?」
「えっ!?」
「お金です!」
「まだ全部買えていないので、残りの金ならありますが?」
「丁度よかったです。この姿だと目立つので、ここで服を買って着替えます」
「ちょっと待ってください。その金は香辛料を買うために預かった物ですよ。それに屋敷に戻らないと…」
「いいことを思いつきました。トマスさんがそのお金を落とし、それを探すのに時間が掛かって、屋敷に戻るのが遅くなった事にしましょう」
「はあ?」
「ごく自然な理由です。完璧です」
「何を言っているんですか!そんな事になったら、どんだけコリンズ夫人から地獄のような説教をされると思っているんです!」
そ、それは分かります。この世のものとは思えない説教をされるのは間違いありません。ですが私の魂の尊厳が、なによりも人の命が掛かっているんです。
「なんで僕がそんなのに付き合わないといけないんです? 灰の街にお使いに行ったのだって、その後何もしてもらっていませんよ!」
「そうですね。その件についてはごめんなさい。何もお返しできていません。この件でもとても迷惑を掛けることは分かっています」
私は素直にトマスさんに頭を下げた。私が彼に深々と頭を下げているのを見て、買い物客の何人かが怪訝そうな顔をしてこちらを見ているのが分かる。でも今はそんな事はどうでもいい。
「トマスさん。私は冬に凍えることなく、自分の手を汚すこともなく日々の糧を得ています。マリは私にはその代わりに果たすべき役割があると言ってくれましたけど、今の所は何も出来ていません。ただ日々を学園で安穏と暮らしているだけです」
私の台詞にトマスさんが当惑した表情を浮かべる。
「ちょ、ちょっと。こんなところで何を言い始めるんですか? やめてください!」
「お願いします、話を聞いてください。そんな私でも、人を一人救うためのきっかけになれる可能性があるのなら、私はそれをしたいと思うのです。だからトマスさん!」
「は、はい」
「あなたには何があっても私につきあってもらいます。分かったら、まずは着替えです」
「き、着替え!?」
「この服は街では意外と目立つようです」
舐めていました。屋敷や学園では当たり前だったので、その辺にもっといるかと思っていましたが、明らかに男性達からガン見されています。
持ってきたワンピースも間違いなく浮きまくりです。もっと普通の服に着替えないといけません。それにこれだけガン見されると、胸の半分近くが偽物だとばれそうです。
「なので、奥のあの女性物の服を売っている店まで行って、普通の服を買います。トマスさん、足りなかったらあなたの手持ちのお金も前借りさせていただきます」
「へっ?」
何をぼっとしているのです。買い物は女にとって戦のようなものですよ!まあ、トマスさんがぼっとして居るのはいつものことですけどね。
丁度いいことに、奥に女性物の日用品やら服やらを売っている店が何軒か固まっていた。あんぐりと口を開けているトマスさんの手を引っ張ってそこまで移動する。なかでも感じの良さげな、少しふくよかなおばさんが居る店に声をかけた。
「ちょっと服をみせてもらってもいいですか?」
「いらっしゃい。お屋敷を抜け出して二人でデート? こんなかわいいお嬢さんと一緒だなんて、あんたはとってもうらやましい人だね」
そう言うと、おばさんはトマスさんの腕を肘でつついてみせた。流石です。商人の鏡です。買い物というのは客に楽しんでもらわないといけないと言うことが分かっています。
「い、いや、デートじゃなくて!」
これは乗ってなんぼなんですよ!この男はこの辺りが全く分かっていません。
「はい。お屋敷だと色々と差し障りがありますので…」
トマスさんの腕を掴んで自分の腕に絡めて見せた。私達の姿を見ておばさんが苦笑して見せる。
「おやおや、近頃のお嬢さんは積極的なんだね。で、今日は何をお探しですか?」
「服を探しています。それと試着出来る場所はありますか?」
「そのカーテンの影で着替えられるよ。でもうちにはお嬢さんに似合うようなかわいい服はどうかね。もっとデート向けの服がおいてある店を紹介してあげようか?」
「目立って誰かに見つかると困りますので、普段用でいいんです。それに普段着の方がベタベタ出来ますしね」
そう言うといつのまにか私の方から身を離しているトマスさんの腕を引く。どうしてお前は私からそう離れようとするのだ? 今はともかくこちらに合わせてもらわないと色々と困るんです。
「普段使いね。白だと汚れが目立つから、こちらのベージュの服辺りがいいかね」
おばさんは鍵がついた長い棒を使って、上に吊るしてある服を何着か降ろした。
「そうですね。服だけでここをうろうろしていると汚れそうなので、それに合わせて使えるエプロンなんかもありますか?」
本当はじっくりと選びたいところだが、今日は涙を飲んで我慢です。
「そっちは白の方がいいかね。柄とか刺繍とかは?」
「なしでもいいですけど、流石にそれだと地味すぎですかね。裾の方に一カ所ぐらいあってもいいかな?」
おばさんがエプロンを選ぶ間に、服を体に当ててみる。思った通りだ。少し胸元に余裕が有り過ぎな気がする。それに今は胸をちょっと盛っているのですよ。
「大きさはもう一つ小さくてもいいです」
おばさんは小さく含み笑いを漏らすと、少し小さめの服へと変えてくれた。見繕ってくれた服とエプロンを持って、布で仕切られた一角で着替えてみる。
選んだ服を着てエプロンの紐を後ろで結ぶと、自分で見る限りは市場で働いている娘さん達と同じ姿になれた様な気がする。でも鏡が無いのでよく分からない。やはり第三者の意見は大事だ。
「トマスさん、どうかな?」
布を開けて前へ出て、トマスさんの前でくるりと一周して見せた。回転に合わせて白詰草の刺繍が裾に入ったエプロンがふんわりと浮く。
「か、かわいい」
私の地獄耳がトマスさんの口から漏れた言葉を捉えた。フフフ、やっと分かりましたか?
私だってどう考えても似合わないフリフリがいっぱい付いた服じゃなくて、この様なまともな服を着ればちょっとは見れるという物です。いや、やっと正しいあるべき姿に戻れたと言うべきかもしれません。
このままここで働き始めたい気分ですが、残念ながら今日の私には使命というものがあります。
「ではトマスさん、こちらの支払いをよろしくお願い致します」