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転がり

「だから、直ぐにエラディオさんに繋いでもらえませんか? 大事な用件なんです」


 夜の開店に向けて清掃中の店の方から女の声が響いている。そこに自分の名前を聞いて、エラディオは顔をしかめた。


 表で自分の名前が叫ばれるのは気分のいい話ではない。それにあのお方はどんな些細な手抜きやミスも許さない。


「なんなんだ?」


 飲み物を持ってきた案内係にエラディオは問いかけた。まだ開店前の掃除の時間なので、その胸元のボタンは外したままだ。


「きっとどこかの家の奥様からの手紙を言付かった侍従だと思います。駆け出しですかね? 普通は裏からこっそりと渡す物ですが…」


 そう答えると、案内係は苦笑して見せた。その顔はエラディオへの追従の表情にも見える。あの事件では口にとてもできないような酷い目にあったが、その後エラディオは店の責任者になっていた。


「お屋敷の件だと言ってくれれば分かるよ」


 その言葉と声に、エラディオの手からグラスが滑り落ちて床に落ちた。御影石が敷き詰められた床に落ちたそれは派手な音と共に粉々に砕け散る。


「エラディオさん、大丈夫ですか?」


「何をしている、表にいる女をすぐに連れてくるんだ!」


 エラディオは案内係の胸ぐらを掴むとどなりつけた。案内係は慌てて店の方へ駆けだしていくと、すぐに侍従服姿の女をエラディオの前まで連れてくる。


 あの夜は似合わないドレスを着ていたが間違いない。あの中の女の一人だ。


「逃げた人がわざわざここに戻ってくるとはまさかですよ。どう言うことか説明してもらえませんかね?」


「そんなことより、大事な用があるんです」


「大事な用?」


「ええ、みなさんはあの女に用事があると思うんです。マリアンという名前の侍従です。その女が私達をあのお屋敷から連れ出したんです」


 ジャネットの言葉にエラディオは首を横に振った。


「あなたはあなたを拉致した私たちのところにわざわざ戻ってきて、あなたを救った女を私達に売る? 全く話が見えませんね」


「こっちとしてはこちらの皆さんには恨みも何もないんです。私達もあの女に嵌められたんです」


「嵌められた?」


「あの金貨も、そのマリアンと言う女が私達に渡した物なんです。あの女は私達をはめて教訓を与えておいて、それでいて恩着せがましく助けて見せたんです。全てはあの女の策略なんです」


「百歩譲ってそれが正しいとして、大事な用件とはなんでしょう?」


「あの女の主人が侍従に化けて学園を抜け出して、今は馬車駅にいるんです。あの女はどういう訳か知りませんが、その主人にべったりなんです。なのでその主人を人質に取れば、あの女を好きに出来るはずです」


「学園にいる貴族の令嬢ですよ。そう簡単に手は出せませんね」


「カスティオールですよ。落ち目も落ち目の貴族です!」


 そう告げたジャネットの声はほとんど叫び声に近かった。


「分かりました。ですがあなたは私の最初の質問にまだ答えていない。どうしてあなたは私のところへ?」


「ジャネットです。私の名前です」


「ではジャネットさん。どうして私のところへ?」


「もううんざりなんですよ。どうでもいい男達に好き放題されるのも何もかも。自分がその辺りにある誰かに蹴っ飛ばされるだけの石ころなのは分かっているんです」


「石ころね」


 そう言うと、エラディオは女の目をじっと見つめた。そこにはほの暗いなにかが燃えさかっているのが見える。それは自分の中にうずいている物と同じものだ。


「でもね、石ころだって自分で転がるときがあってもいいじゃないですか?」


「分かりました。単なる意趣返しという訳ではないのですね。見返りには何をお望みですか?」


 エラディオはジャネットの目を見ながら問いかけた。それがはっきりしないものは協力者としてはとても信用できない。


「エラディオさん、あなたの女にしてください」


 ジャネットはエラディオの問いかけに即答した。


「おや? そんなものでいいんですか?」


 エラディオが思わず聞き返す。


「私は金が欲しいんじゃないんです。自分がいる世界を変えたいんです。それは金じゃだめなんです」


 そう答えたジャネットの目は真剣だ。いや狂気すら感じるぐらいにエラディオの方をじっと見つめている。これは恋心とか憧れなどとは全く違う目だ。


「分かりました。ではそのお嬢さんのところまですぐに行くとしましょう」


 そうジャネットに告げると、エラディオは背後にいる男達を振り返った。


「店は臨時休業だ。獲物が網に掛かりましたとお嬢様に連絡しろ。それにすぐに人も集めるんだ」


 エラディオがそう指示すると、店の奥にいたもの達が慌ててあちらこちらへと動き始める。それを見たエラディオはジャネットの方を振り返った。


「私は彼女とすぐに馬車駅に向かう」


* * *


「エルヴィン君はこちらの教室にいますでしょうか?」


 イアンの声にお昼の弁当を広げ始めた青組の生徒達が、一斉に入り口の方を振り返った。そしてそれが王子だと分かると、イアンと目があった者達が会釈の様なものをする。


 ソフィア姉さんなら、ここではそんなものは不要ですぐらいの講釈を垂れるところだろう。いや少しでも姉を知っている者達なら誰もそんな態度はしないはずだ。


 でもそれは姉が本当に要求しているものとは違う。見かけだけのものだ。結局のところ末席であろうと、王家と言う呪縛からは逃れる事は出来ない。イアンはそんな事を考えながら教室の中を見渡した。


「はい。何か御用でしょうか?」


 教室の奥の方で声が上がった。そこで誰かが立ち上がる気配がする。見るとそこには背が高い黒髪の生徒と、少し小柄な明るい灰色の髪を持つ生徒がイアンの方を見ていた。そして入口の方へ歩もうとしている。


「こちらから伺います」


 イアンはそう告げると、青組の生徒達の視線を一身に浴びながらその二人の元まで歩み寄った。


「エルヴィン君、それにヘクター君、運動祭以来かな?」


「ええ、そうですね」


 ヘクターが男性とは思えない整った顔に朗らかな笑みを浮かべてイアンに答える。イアンはそれに頷き返すとエルヴィンの方を向いた。


「急なお願いで申し訳ないのですが、母が午後から南区で慈善事業をするので、その手伝いに呼ばれています。ある人達から君の実家が南区にあると聞きました。ついては私と一緒に参加して欲しいのです」


「えっ!」


 イアンの申し出にエルヴィンが驚いた顔をした。そしてヘクターの方を見る。


「南区ということであれば、ヘクターも私と同じ南区の出身です。私よりヘクターの方がよほどにお役に立てると思います」


 そう言うとヘクターの方を指差した。イアンはエルヴィンが南区というセリフを少し遠慮目に、そして小さな声で告げたのに気がついた。どうやら自分はまだまだこの辺りへの配慮が足りない。


 それに今回は極力人数を抑えるべき案件なのだから、ヘクターが席を外しているか、別件で他に行かせる等の手を打つべきだったと後悔した。


 だが時間もないのも事実だ。この失敗は次に活かせば良い。イアンは湧き上がってきた後悔を振り払うと、ヘクターに向かって声をかけた。


「そうですね。ならば二人で参加してもらうのが一番良いようです。それと学園への許可はとってありますので、申し訳ありませんが、この件は今すぐに参加をお願いします。何せ私の母はとても気まぐれで気が短いのです」


 イアンが二人に後について来る様に促して教室を出ると、背後では青組の生徒達が興奮気味に何かの話しをするざわめきが上がる。


「赤毛のせいでまたキース兄さんから小言を言われるな」


 イアンはそれを聞きながら、誰にも聞こえぬ様に小さく愚痴を漏らした。

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