依頼書
オリヴィアとイサベルの二人は急ぎ足で教室へと戻っていた。その二人の背中を北からの木枯らしが押している。
「イサベルさん、イアン王子様って?」
オリヴィアは少し肩で息をしながらイサベルに声を掛けた。
「実はイアン王子様から、ある切り札を預かっているんです」
「切り札?」
「はい。私とオリヴィアさん、フレデリカさんの三人でセシリー王妃様の手伝いをして欲しい旨、イアン王子様から声を掛けられました。その為に内務省からの署名が入った白紙の依頼書が教室に置いてあります」
「イサベルさんはイアン王子様から直接に声を掛けられたのですか!?」
イサベルの言葉を聞いたオリヴィアが悲鳴のような声を上げた。その声にイサベルはオリヴィアに向かって首を横に振って見せる。
「オリヴィアさん、誤解ですよ。イアン王子様はフレデリカさんを誘う為に私に声を掛けたんです」
「でも、そうだとすれば直接フレデリカさんに声をかければいい様な気がしますが…」
オリヴィアが戸惑った表情でイサベルに問いかけた。
「何でも王子の立場としては差し障りがあると言っておられました。私は完全な当て馬ですよ。本命はフレデリカさんです」
そう言うと、イサベルはオリヴィアに苦笑して見せた。
「それって、イアン王子様がフレデリカさんに懸想しているという噂は本当だという事ですか?」
「さあ、そこまでは分かりませんが、今はこれを使うしか手がありません」
「どの様に使えば良いのでしょうか?」
「これでフレデリカさんを含めて、私達が学園を出た事を既成事実にするのです」
「既成事実ですか?」
「そうです。これで学園の外に出てしまえば…」
「フレデリカさんが抜け出した事はなかったことになる。単にセシリー王妃の依頼で外に出ただけ」
オリヴィアがイサベルの言葉を引き継いだ。
「その通りです」
イサベルはそう言うと、女子授業棟の前で立ち止まった。廊下からは早めのお昼に入った教室があるのか、ざわめきが聞こえてくる。
「でも私達だけでは依頼書があっても無理です。既成事実にするにはもっと信頼性が高く、かつこの無理筋を通しても納得してもらえる人物の協力が必要です」
「イサベルさん、それって…」
「そうです。イアン王子様本人に協力してもらうしかありません。そうすればセシリー王妃様にその事実を認定してもらえます。いくらこの学園には自治が認められていると言っても、王妃様に対して面と向かって文句を言う人は誰も居ません」
そう告げると、イサベルは授業棟の中に入って教室へと向かった。オリヴィアもその背中を追いかける。
「でもどうやって?」
オリヴィアがそう問いかけたところで、イサベルが不意に立ち止まった。オリヴィアはその理由を知ろうと、イサベルの横から顔を出して教室の中を覗いた。
イサベルの席のところに誰かが座っている。お昼を食べるのに席を借りている生徒だろうか? いや、違う。小柄ではあるがその姿は生徒のものではない。
オリヴィアは恐る恐るイサベルの方を見た。イサベルがオリヴィアに頷いてみせる。どうやらこれはこの件に関する最初の難関というやつらしい。イサベルとオリヴィアは互いに頷き合うと教室の中へと足を踏み入れた。
「メルヴィ先生」
イサベルの問いかけに、席に座っていた人物は立ち上がると二人の方を振り返った。最も少し背が高いイサベルの方を見ると完全に見上げる感じになる。
「イサベルさん、オリヴィアさん、どうやら宿舎から戻ってこられたようですね。私はお二人には自習をするように言っていたはずですが、どうして抜け出して宿舎まで行かれたのか説明してもらえませんか?」
メルヴィの言葉遣いは丁寧だがその目は明らかに怒りに燃えている。
「はい。イアン王子様を経由して、セシリー王妃様の手伝いに参加するように言付かっております。その準備のために一度宿舎に戻らさせて頂きました」
「セシリー王妃様の手伝い?」
メルヴィの顔に当惑の表情が浮かんだ。
「恵まれない方々への支援とお聞きしています」
「休養日ではなくて、授業のある今日にですか?」
「はい。予定についてはセシリー王妃様の都合に合わせるというお話です。なので急遽準備をすることになりました」
「それなら先に私の方へ連絡をすべきなのではないですか?」
「すいません。日付を間違えていまして、自習中にそれを急遽思いだしたのです。ついては時間がありませんので、このまま男子授業棟まで行って、イアン王子様とこの件について至急打ち合わせをしたいと思います。ご許可いただけませんでしょうか?」
「許可って、何を根拠に許可をするのです」
「少々お待ちください」
イサベルは自分の席の鞄を取り出すと、そこから丸く巻いた書類を取り出した。それを止めていたリボンを外すと、中からは重々しい紋章と文様がちりばめられたいかにも重要そうな書類が顔を出す。
フレデリカはそれをメルヴィへと差し出した。その書類には内務大臣の署名と大きな内務省正式印が押されている。
「この件に関して、内務省配下ならびに全ての関係機関に全面的な協力を要請する」
そこに書かれている文章を読んだメルヴィの顔に、まさに驚きとしか言えない表情が浮かんだ。
「な、なにこれ。こんなの見たこともないし、聞いたこともない。これって本物なの!?」
「はい。イアン王子様から預かりましたから偽物とは思えません。ですので男子授業棟へ行く許可をお願いします」
「わ、分かりました。学園も一応は内務省の下部組織ですからね。こんなのに逆らって首になるわけには行きません。ですが何かあった場合には責任問題が発生するのも事実です。なので男子授業棟までは私も一緒に行かせていただきます」
そう言うと、メルヴィはイサベルとオリヴィアに向かって頷いて見せた。