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もぬけの殻

「イサベルさん、フレデリカさんは大丈夫なのでしょうか?」


 オリヴィアはイサベルに問いかけた。その問いかけに振り返ったイサベルの先には、誰も座っていない席とそれを不安げに見るオリヴィアの姿がある。


「一体何がおきたのでしょうか?」


 心配するオリヴィアの姿には、車椅子に乗ってこの教室に通っていた時のか弱さはもう感じられない。その正反対の存在だったフレデリカが休んでいるのだ。


 イサベルもオリヴィア同様に何が起きているのか、事態がよく分からない気分だった。


「さあ、昨日は特に何も変わったところはなかった様に思います」


「私もそう思います」


 イサベルの答えにオリヴィアも頷いた。


 ガラリという音がして教壇側の扉が不意に開いた。メルヴィがそのとても小柄な体に紙の束を抱えて教室へと入ってくる。それを見たイサベルとオリヴィアは慌てて前を向いた。


「皆さん、ハッセ先生の理科の授業ですが、ハッセ先生が腰痛の為、本日は自習となります。今から問題が書かれた紙を配りますので、そちらで学習をお願いします」


 そう言うと、メルヴィは紙を教壇に近い生徒達に配り始めた。イサベルのところにも前の席の生徒から自習用の問題の紙が回ってくる。イサベルがその問題に目を落とすと、僅か数行の問いかけによる問題がいくつか書いてあった。


 ぱっと見、イサベルには意味不明な問題だが、フレデリカの言うように、これはなぞなぞだと思って解くべきものなのかもしれない。


「配り終わりましたでしょうか? 時間になりましたら本日の日直の方で回収して、教務室の私の席まで持ってきてください。それでは自習をお願いします」


 メルヴィは教壇で小さくため息をつくと、そのまま教室から去って行く。その足音が聞こえなくなるや否や、教室の中から小さなざわめきが聞こえてきた。その大半は問題の意味に関する前後の席同士でのぼやき声だ。


 どうやらこの時間の終わりまでメルヴィが戻ってくることはなさそうだ。それに終わったらそのままお昼の時間になる。この時間を使えば、フレデリカのところに様子を見に行けるかもしれない。イサベルはオリヴィアの方を振り返った。


 オリヴィアも同じ考えだったらしく、イサベルに向かって小さく頷いて見せる。そして二人で同時に席を立つ。


「イサベルさん、どうされたのですか?」


 後ろの席の生徒がイサベルに問いかけた。


「すいません。急にお腹が痛くなったので、お手洗いまで行ってきます。もしメルヴィ先生が戻られましたら、そうお伝えいただけませんでしょうか?」


 そう言うと、イサベルは後ろの席の生徒へ小さく礼をして、素早く教室の出口へと向かった。後ろからは一緒に来るオリヴィアの足音もする。


 二人の行動に教室の中ではざわめきが起こっているのが聞こえたが、イサベルはそれを無視した。


 胸騒ぎがする。心の中の何かが、これは普通でない事が起きているとイサベルに告げていた。 


* * *


 二人の足下では風に吹かれて落ちた葉がカサカサと音を立てている。


 朝の登校時には清掃されていたはずだが、吹き始めた木枯らしに道は赤や黄色の少し色あせた落ち葉で埋め尽くされていた。二人はそこを黙々と宿舎に向かって歩いている。


 イサベルはオリヴィアの為に少しゆっくりと歩こうと思っていたが、どちらかと言えばオリヴィアの方が小走りに近い早さで先に進んでいた。


 もし誰かに声を掛けられたら、急なあの日で生理用品を取りに戻ったと理由を告げることに決めてある。だがお昼前の忙しい時間であるのか、宿舎の入り口は鍵も掛かっていなければ人の気配もない。


 イサベルとオリヴィアの二人は階段を上がると、二階にあるフレデリカの部屋の前へと向かった。扉の向こうからは特に話し声の様なものは聞こえて来ない。


 二人は目を合わせると、イサベルが少し遠慮目に扉を叩いた。だが中からは特に反応はない。もう一度、今度は少し強めに扉を叩く。


 トン、トン、トン


 その音は思ったより大きく廊下に響いたが、中からは何も反応はない。普通なら寝ていてもこれだけの音がすれば目を覚ましそうではある。イサベルとオリヴィアは再び顔を見合わせた。


「何かご用でしょうか?」


 廊下の先、奥の階段の方から不意に声が掛かった。見ると栗色の髪を頭の高い位置にまとめた、侍従服姿の少女が二人の方をじっと見つめている。その胸には洗濯用の大きめの桶を両手で抱えていた。


 廊下の明かり窓から差し込む光の影になってその表情はよく見えない。


「あ、あの、フレデリカさんのお見舞いに来たのですが…」


 少女は持っていた桶を背後へと回すと、膝を折って頭を下げた。


「イサベル様、オリヴィア様、これは大変失礼致しました。フレデリカ様の侍従をしております、マリアンと申します。よろしくお願い致します」


 イサベルの目にはその動作の一つ一つがきびきびとして小気味よく見えた。その顔立ちは女性としてだけでなく、少し中性的な魅力にもあふれている。遠くから見かけた事はあったが、こうして面と向かって話をするのは初めてかもしれない。


 イサベルはその姿をぼうっとする思いで見つめた。自分の侍従のシルヴィアがキャーキャー言うのも分かるような気がする。


「マリアンさん、入学式の時にはお世話になりました」


 オリヴィアの問い掛けに、マリアンが優雅に礼をしてみせた。


「いえ、大したお手伝いが出来ませんで申し訳ありませんでした」


 イサベルから見る限り、侍従としての立ち振る舞いだけでなく受け答えも完璧だ。


「皆様、フレデリカ様に何かご用でしょうか?」


 マリアンの言葉にイサベルは我に返った。


「はい。急に欠席されたので心配でお見舞いに来ました。でも反応がないようなので…」


 イサベルの言葉にマリアンが小さく笑みをもらした。


「おそらく寝ていらっしゃるのだと思います」


「ならば安心ですね。起こすと悪いので教室に戻ります」


「いえ、このまま帰られてしまうと、フレデリカ様にどうして起こさなかったんだと後で怒られてしまいます。すぐに起こしますので、しばしお待ちいただけませんでしょうか?」


 そう言うと、マリアンは扉を開けて中へ一歩入った。だがそこで不意に立ち止まる。


「フレデリカ様?」


 マリアンの問い掛けにも誰の返事もない。イサベルはオリヴィアと頷き合うと、マリアンの後ろから部屋の中へと入った。マリアンが少し慌てたように部屋の中でフレデリカの姿を探している。


「お手洗いでしょうか?」


 そう言ったオリヴィアが廊下の方へと駆けて行こうとする。だが寝台の上に何か書き置きのようなものがあるのにイサベルは気がついた。


「マリアンさん、何か書き置きのようなものが寝台の上にあるようです」


 イサベルの言葉にマリアンは慌てて寝台の上へと戻ると、折りたたまれた一枚の便せんを広げた。その顔に驚きの表情が浮かぶ。


「ど、どうしたんですか?」


 背後からオリヴィアがマリアンに声を掛けた。マリアンはその呼びかけに一瞬だけ逡巡する様な表情を見せたが、イサベルに対して便せんを差し出した。その顔は驚きの顔から、必死に怒りを抑えている様な表情へと変わっている。


 便せんを受け取ったイサベルが、オリヴィアにもそれを見せながら、そこに書かれた文言に目を走らせた。そこには子供の殴り書きのような字で、マリアンに対する詫びの言葉と心配しないようにという一文、さらに夕方までには戻ってくると言う内容が書かれている。


 それはとても汚い字ではあったが、その筆跡には見覚えがあった。間違いなくフレデリカの字だ。


「オリヴィアさん!」「イサベルさん!」


 便せんを見た二人が同時に声を上げた。


「これって…」


 イサベルの問いかけにマリアンが頷いてみせる。


「はい。間違いありません。洗い場に髪を染めたらしい跡がありました。それに予備の侍従服もありません。私になりすまして学園の外へ出るつもりの様です。どちらに行かれるつもりか心当たりはありますでしょうか?」


 オリヴィアがイサベルに対して頷いてみせると、マリアンに向かって口を開いた。


「はい。おそらくは南区にある、ある方のご実家に向かわれたのだと思います」


「どなたでしょうか?」


「はい。エルヴィンさんという方です。三人でそこに訪問したい旨の希望を私の方からフレデリカさんに申し上げました。おそらくは私達に先だってその辺りまで様子を見に行かれたのか、もしかしたらそこにいる妹さんに会いに行かれたのかもしれません」


 その言葉にマリアンは一瞬だけあきれた表情をしたが、すぐにそれを険しい物に変えた。


「イサベル様、オリヴィア様。大変申し訳ありませんが、もし教室でどなたかがフレデリカ様にお会いしたいなどと言うことがありましたら、極力それを避けるように何か理由をあげていただけませんでしょうか?出来れば偶然に会った侍従から、咳がひどいとか聞いたとか言っていただけると助かります」


 そう告げると二人に向かって深々と頭を下げた。


「私の方は今すぐにフレデリカ様を連れ戻しに行きます」


「でも、もしフレデリカさんが学園の外に出てしまっていたらどうするのですか? マリアンさんが二人居ることには出来ないと思いますが?」


 イサベルの問いかけにマリアンが頷いて見せた。


「はい。その点については私の方で対処させていただきますので大丈夫です。申し訳ございませんが急ぎますので、ここで失礼させていただきます」


 イサベルとオリヴィアは慌てて部屋を出た。続いて廊下に出たマリアンが二人に再度小さく頭を下げると、まるでつむじ風の様に奥の階段の先へと消える。


「イサベルさん、どうしましょう? これは見つかったら大変な事になりませんか?」


 我に返ったオリヴィアがイサベルに問いかけた。


「はい。間違いなく大変なことになります」


「では、どうすれば?」


「ある方に頼むしかないと思います」


「ある方?」


「はい。イアン王子様です」


 そう告げると、イサベルはオリヴィアに向かって深く頷いて見せた。

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