同行者
時間が遅めなので誰もいないと思っていたのだけど、どうやら甘かったらしい。通用口の辺りには結構人が居た。洗濯が終わって外に用事を済ませにいくのには丁度いい時間なのかもしれない。
周りの人を見てその通りにしないといけないと思うのだけど、それをするとキョロキョロしてしまい逆に目立ってしまう。ともかく愛想笑いをふりまきつつ気合いで突破。それしかない。
「みかけないね。新入りかい?」
茶色い長い髪を無造作にまとめた少し背が高めの女性が、麻のバッグを肩に担いで背後に立っていた。年齢はロゼッタさんと同じか少し上ぐらいだろうか?
その顔は美人という訳ではないが、切れ長の目には女の私でも分かる色気のような物がある。
さらに胸元が白で肩から脇が深い紺色の侍従服が、胸の膨らみと腰の線を強調していて、その立ち姿からは私には全くない女性としての魅力を十分に感じさせていた。
「そんなところでぼけっと立っていると、いつまでも外に出られないよ」
そう言うと振り返った私の方をじっと見る。そして少し疑わし気な表情をした。
「は、はい。そんなものです」
とりあえずは愛想笑いしかない。
「まあついでだ。ついておいで」
女性はそう告げると、私についてくるように合図をした。正直なところ目立つことはしたくはないのだけど、ここで断るとたたりがありそうな気もするので、とりあえずは彼女について行くことにする。
女性は通用口の脇に並んでいる列を無視すると、警備員室の扉を開けて中へと入っていく。
「お、ジャネットじゃないか?」
中に居た警備員が女性を見て声を上げた。
「マサさん、久しぶりだね。休暇は終わったのかい?」
彼女はそう言うと、椅子に座っていた縮れ毛の四角い顔のおっさんに声を掛けた。そして背後からその胸元へと腕を回す。彼女の長い髪が座っているおっさんの胸元へとかかるのが見えた。
「これでしばらくはまたしゃばとお別れだよ。今日は外かい?」
「今日は月の終わりだから大混雑さ。まともに並ぶと馬車に乗れなくなるからね。そっちから出させてもらえない?」
「しょうがないな。そっちの子は?」
「は、はい。フレデリカ・カスティオール付きのマリアンと申します」
私の答えに、おっさんからジャネットと呼ばれた女性がチラリと私の方を見た。もしかして本物を知っていたりするのだろうか? 思わず背中に冷たい汗が流れる。
「またかわいい子だね」
椅子に座っていたおっさんが私の方を向くと、頭のてっぺんから足の先までをじっとりと眺める。ナメクジに這いずり回られている様な気持ち悪さを感じるが、ここはじっと我慢だ。
「マサさん、この子はその家の旦那が奥さんからの嫉妬を避けるためにここに送ってきたおぼこだ。変なことをすると後で祟るよ」
「なるほどね。世の旦那衆の方々はこんな子を隠し持てるんだから、俺の様な庶民にはうらやましい限りだ」
「そうさ。世の中というやつは不公平に出来ているんだよ。今日はこれで我慢するんだね」
そう言うと、女性はおっさんの手を取って自分の胸元へと押しつけた。おっさんの顔がだらしなく緩む。
「手をうごかすんじゃないよ。これ以上は取る物をとるからね。それにこっちだって月末で忙しいんだ。馬車が一杯になっちまうじゃないか」
「はいはい、分かったよ。そこの書類に予定と署名を書いてくれ。馬車は横にある優先の札を持っていきな」
「マサさん、助かるよ。懐に余裕があるときは呼んでちょうだいな」
「そうだな。くじでも当たったらそうするよ」
そう言うとおっさんは机の方へと向き直った。女性が背後の机にあった書類に署名をすると私を手招きする。そこにあった書類に羽ペンをとって署名をするが、うっかり「フレデリカ」と署名しそうになった。
「マサさん、またね。帰りも頼むよ」
女性はそう言うと、出口の横にあった赤い札のような物をとって警備室の横手の扉から出る。私もその背中を慌てて追った。
「あ、ありがとうございます」
「ついでだよ。ジャネットと申します。よろしくお願い致します」
女性は私の方を振り向くと、急に侍従らしい丁寧な挨拶をしてみせた。
「フ、マリアンと申します。よろしくお願いします」
私もマリのやり方を思い出して、侍従服の裾を持ち上げて挨拶をする。不意の攻撃に思わず自分の本名が出そうになった。あぶない、あぶない。
見ると馬車の前にも大勢の侍従らしき人達が並んでいる。馬車に一度に乗れる人数は限られているから、これを待っていたらいつになったか分からない。それにここを出る前に間違いなく本物に捕まる。
「優先だよ。二人だ」
ジャネットさんが呆気にとられて列を見ていた私の手を取ると、馬車のところにいる係員らしき男性に声を掛けた。そして先ほど警備室でとってきた赤い札を出す。
係員がまだ誰も乗っていない馬車の扉を開けると、御者に合図をした。ジャネットさんはあっさりとその馬車に乗り込んだが、私としては馬車を待っている人達からの冷たい視線が気になってしまう。
だがもはや手遅れだ。ジャネットさんに続いて素直に馬車に乗り込んだ。係員が馬車の扉を閉めると、御者のかけ声と共に、馬車は私達二人だけを乗せてすぐに走り始めた。
「フレデリカだっけ? あんたは侍従をするのははじめてかい?」
しばらくの沈黙の後に前に座ったジャネットさんが声を掛けてきた。
「は、はい」
「もともと侍従という感じではないね?」
そう言うとちょっと疑わしそうにこちらを見る。ま、まずいです。ばれるととっても差し障りがあります。ここは前世を元に話を作らないといけません!
「元は八百屋ですね」
「八百屋?」
「はい。元々は両親がやっていたんですが、父が亡くなってからは一人でやっていました」
居候が一人居たような気がするが、話がややこしくなるからここでは割愛です。
「毎朝、仕入れに行って行商に行って、お店に並べてという感じですかね? この時期になると大根や白菜なんかの重量物が出回るので、荷車を引くのは結構大変なんです。なので見かけより力持ちですよ」
あれ? この世界では荷車は引いていないから、力持ちは嘘の様な気もするが、細かいことは全て割愛です。
「八百屋? 変わったお嬢様だね」
「変わっていますかね?」
まさか前世と現世を通じて、その頃がもっとも幸せな時代だと思えるようになるとは思いもしなかった。
現世でも出来れば貴族のお嬢様なんて、どう考えても合わないのより、どこかの街角で八百屋をやりたいと本当に思う。いや、学園を卒業した暁には本当に出来ないだろうか?
「そりゃそうさ」
気がつくと、前の席でジャネットさんが腹を抱えて笑っている。今の話のどこにそれほど笑える要素があったのだろうか? 人の笑いのツボと言うのは本当に良く分からない。
バンバン!
御者が天井を叩く音がした。気がつくともう街の中心部まで来ている様だ。道が石畳になり、窓の外からはすれ違う馬車が見えた。建物も基礎が石造りの背が高い建物に変わっている。
やがて馬車はたくさんの馬車が止まっている駅らしきところに止まった。とりあえず馬車を降りると、昼頃のせいか辺りは結構人でごった返している。その人の波に思わず今降りた馬車の方へ戻りたくなるほどだ。
「ところで、マリアンさんはどこまで行くんだい?」
馬車を降りたジャネットさんがこちらを振り向いた。
「みな、荷物を取りに戻ります」
「ふ~~ん。こっちは野暮用だからすぐに終わる。お昼でも一緒にどうだい? この近くにいい店を知っているんだよ」
「えっ、お店で食事ですか?」
ジャネットさんの誘いに思わず前のめりになりそうになる。連れだって街の中心部で食事!? 憧れの普通の生活!だけど今はだめだ。
「せっかくのお誘いはうれしいのですが、すぐに戻らないといけないので…」
「なあに、そんなに時間は掛からないよ。それに戻りの馬車でもこの優先符は使えるんだ。それぐらいしても、いつもより早く戻れるぐらいだよ」
「それにそんな余分なお金は…」
「そのぐらいは先輩として出してあげるからさ」
理由はよく分からないが、ジャネットさんには相当に気に入られたらしい。もしかしたらジャネットさんの実家や親戚が八百屋でもやっているのだろうか?
個人的には学園での侍従生活などを教えてもらえれば、再度抜け出すときに抜け出しやすくなるが、今回は寄り道している暇はない。
「ジャネットさん、南区側にいく馬車はどの辺りから出るか知っていますか?」
「南区?」
私の問いかけにジャネットさんが怪訝そうな顔をした。なんか変なことを聞いてしまっただろうか?
「まためんどくさいところにお使いだね。どうやらあんたは王都には慣れていないみたいだし、ここで待っていな。野暮用はすぐに終わるから案内してあげるよ」
「あの、いくらなんでもご迷惑じゃ…」
「そこを動くんじゃないよ。それに寄ってくる男は全部無視しな。間違ってもついていったりすると、とんでもない目に合うよ」
そう告げると、ジャネットさんは左右をチラリと見て通りの向こうへと走っていく。
「親切な人だな」
思わず口から言葉が漏れた。だけどその親切に甘えるわけにはいかない。今後の事も考えれば全て自分で出来るようにならないといけないのだ。
トマスさんと文通した時に聞いた話では、乗り合い馬車は行き先の地区ごとに色が違う板を前に出している。うちの屋敷がある西地区の方は水色だ。南地区は確か…
忘れた。全くもって記憶にない。まあいいでしょう。そのぐらいは誰かに聞けば教えてくれるはずです。