なりすまし
「もう、フレアさん。洗濯物を増やすのだけは勘弁してください」
そう言うとマリが私に口を尖らせた。だがその顔は決して不満気という訳ではない。
今日は大事をとって休みということで、朝から消化に良い物と、とても手の込んだ朝食を作って持ってきてくれたりと、色々と世話を焼いてくれている。どうやら久しぶりにこうして二人で時間がとれていることを楽しんでいる様だ。
その屈託のない笑顔に心がキリキリと痛む。そのせいか、いつもだったら私がこの部屋を出るとすぐにいく洗濯にもゆっくり目で行くつもりらしい。
私としては時間の余裕がなくなるので、焦りもあるのだが、マリの楽しそうな表情を見るとそれをせかす気にもなれないし、せかしたらマリは間違いなく私が何をしようとしているのかを見抜いてしまう。
「ちょっと喉が痛いような気もするから風邪かな?」
「だいぶ冷え込んできているのに寝相が悪すぎるからです。いったい何回私が掛布をかけ直していると思うんですか?」
「えっ、マリは夜にかけ直してくれているの?」
「はい。一応は不審者がいないかの見回りもしないといけないですからね」
「ふ、不審者!?」
「そもそも、フレアさんは危険に対する…」
いけません!間違いなく踏んではいけない何かを踏みました。
「そ、それについてはロゼッタさんからもお説教を食らっていますので許してください。熱が、熱が出そうな気がします」
「しょうがないですね。この件については回復されてからゆっくりとお話しさせていただきます」
何ですか、この台詞は? 間違いなくマリはロゼッタさんに似てきています。ロゼッタさんが二人居るなどというのはあまりにむごすぎます。息が出来ません。
「昨晩ミルクをこぼされた寝間着はそのままに出来ないので洗ってきます。それとお昼の準備もしてきます。お昼ご飯まではおとなしく寝ていてください」
「は~~い!」
とりあえずは元気よく答える。そして次の瞬間に後悔した。元気に答えてはだめだった。だけどマリは小さく笑みを漏らすと、桶に洗濯物を入れて扉の外へと出て行った。
その足音が廊下を遠ざかっていくのを私の地獄耳で確認する。間違いない。階段を降りていく足音がする。
寝台から飛び起きて、昨日の夜に掛布の影で隠れて買いた書き置きを枕の上におく。我ながら酷い字だが暗闇で書いたのだから仕方がない。それでも読める字をかけた自分を褒めるべきだ。
最初にやるべきは髪を黒く染めることだ。おそらく黒く染めれば、私の赤毛はちょうど栗毛ぐらいに見えそうな気がする。前世で隣のおばあさんがやっていた技を思い出して実践だ。髪染めを手伝ったのがこんな所で役に立つとは思わなかった。
火鉢用に小さく切られた炭を棒で叩いて粉にする。それを水で溶いたものを、蜜蝋を溶かしておいた液に入れ、それを髪に塗っていく。ともかく今日一日、帰りまで持ってくれればよい。
慌ててやったので、たれた液が寝間着を汚してしまった。これはきっと落ちないので、マリに後から相当に怒られると思ったが、心の中で百回ほどマリに土下座して許してもらう。たれた液を拭いた布も真っ黒だ。乾くまで時間が掛かるが、それを待っている暇はない。
急いでマリの使用人控え室へ入ると、そのクローゼットを開けた。そこには紺色の侍従服の予備が掛かっている。これが頭からかぶらないで、後ろで止める方式になっていることを感謝しつつ、寝間着を脱ぐとそれに袖を通した。
「あれ?」
ボタンを留めようとして思わず声が漏れた。胸元に余裕がある。ありすぎる。おかしい。私とマリではそれほど体型に違いがなかったはずだ。マリはいつの間に成長したのだろう。それに腰回りがきつい。これは、これは一体どういうことです!
だけどそんなことを気にしている暇はない。胸元にはタオルを一枚入れることにして、腰回りは気合いでなんとかする。マリが外に出るときに持っている肩から掛ける袋と、中に入っている小銭入れを確認した。
それに侍従服だとまずい場合の為に、着替え用の服も入れる。着替えは秋物で少し肌寒いかもしれないが、仕方がない。
マリから聞いた話によれば、使用人用に学園の前から王都の馬車駅まで、乗り合い馬車が一定時間毎に入り口の横から出ているはずだ。準備が終わった私は窓の外を見た。そこからは学舎の棟の時計台が見える。
マリが私の世話を色々とやいてくれたおかげで時間はもう昼に近い。昼になる前にはここを離れないと色々と面倒なことになる。
私は鏡の前で自分の姿を確認した。胸元にまだ若干余裕があるように思えるが、とりあえず侍従服は着れている。それに髪はまだ乾いていないが、黒が入ったおかげで栗毛ぐらいには見えていた。
私のオレンジに近い黄色がかかった目も少し明るすぎではあるけど、色の系統として同じだから、俯いていれば光の加減でごまかせそうな気がする。
それに前世の私は庶民だ。イサベルさんやオリヴィアさんの様な深窓の令嬢とは違う。むしろこうして侍従服を着ている方が、学園の制服を着ているよりよほどに似合っている。
「うん、大丈夫」
自分に対して仕上げの暗示を掛けた。完璧ではないかもしれないが、今できる最大限の努力はした。これで失敗して退学になるのであれば、それはそれで仕方がない。だがこれをしないようなら私は本当に籠の鳥だ。