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かごめ

「ねえ、マリ」


「はい、フレアさん、何か心配事でしょうか?」


 夕飯の片付けを始めたマリが私の問いかけに振り向いた。その顔は少し怪訝そうな、そして心配そうな顔をしている。どうやら私がため息ばかりついていることに気がついていたらしい。


「ここって一体なんなのかな?」


「ここですか?」


「そう、学園っていったい何なんだろう。ジェシカ姉さんにはいっぱい恋をしてきなさいと言われたし、ロゼッタさんが学園のマドンナだったと言う話も聞いたけど、本当にここはジェシカ姉さんが通っていた学園と同じところなのかな?」


 マリが答えに困ったような顔をした。自分でも変なことを聞いているのはよく分かっている。


「変な規約がいっぱいあって、無理やりに男女を隔てているところはあるけど、比較的中では自由よ。それに運動祭みたいな男女が一緒でやるイベントもある」


 そうだ。その点ではあまりうるさくはない。だけど…


「でも外へ出ることに関してはとっても規約がいっぱい。その点で言えば前世の監獄みたいなところじゃない?」


「そうですね」


 そう言うとマリは少し辺りを伺う様なそぶりをみせた。そして水洗いを始める。


「前にも言いましたが、その様なところはあるのだと思います。有力者の子弟を集めるというのは人質を集めるのと同じ事です」


「本当にそれだけかな? なんか腑に落ちないのよね。学園っていかなくてもいいところかと思っていたけど、そうでもないみたいだし」


 イサベルさん達は学園への入学は強制的だみたいなことを言っていたが私は違う。


「私の入学は拒否されたでしょう? これはカスティオールは貴族の一員ではもはやないという意味かな? それでも一応は領地もあるし……」


「そうですね。その点は不思議に思っていました」


 私が食べた食器の水洗いをしながらマリが小声で答えた。


「マリは前世では侍従さんをしていたから、この辺りは私よりよほど分かるような気がするけど、マリでも分からないのなら、私は考えるだけ無駄かな?」


「前もって何が起きるかを想定するのは決して無駄ではありません」


 マリがさらに声を潜めて答えた。私のとっても優秀な、余計なことまで聞こえてくる地獄耳でなければ、聞き取れるかどうかと言うところだ。


「何にせよ、油断してはいけません!」


「油断?」


「これだけ外部から固めているのにもかかわらず、旧宿舎の件が起きたのはなぜでしょう?」


 マリの声は静かではあったが、その響きは真剣だ。


「目玉おばけ?」


「はい。それに私達はそれを覚えていますが、大多数の方々は夢かなにかでなかったことになっています」


「覚えていたら、トイレに行けなくなるからじゃないのかな?」


「ふふふ、流石はフレアさんですね。やはり私の永遠の師匠です」


 その台詞は正直なところ馬鹿にされているようにしか聞こえないのですが? それにマリは今すぐでも独立できます。独立してください。


「これはからかっている訳ではありません。人質ならそんな危険な目に遭わせること自体、黙認など出来ません。それこそ監獄の様な厳格な運用をするはずです。フレアさんの言うとおり変なところだけ厳密です」


「マリ、これってもしかしたら……」


「そうです」


「誰かが私達を試している!」


 辺りにはマリが流す水の音だけが響いている。私達を眺めて居るのは、運動祭で来た名ばかりの来賓のあの親父達だけではないと言うことだ。


 イサベルさんは私達は籠の鳥だといった。でも私達は閉じ込められているだけなんじゃない。誰かに試されてもいる。


「かごめ、かごめ、かごの中の鳥は……」


「フレアさん?」


「なに?」


「今口ずさんだ歌です。それがいつもの鼻歌の歌詞なんですか?」


「えっ? 私は歌を歌っていた?」


「はい。確か『かごめ、かごめ』と歌っていました」


 かごめ? 一体何のことだろう。私にも分からない。もしかしたら私に混じっている私の知らない何かが歌わせた? 私は、私は一体なんだんだろう?


 世界がぐるりと回る。なんで天井が、天井が見えているのだろう。おかしい。私の…私の体はどこにあるの?


「フ、フレアさん!」


 遠くなる意識の中で、マリの叫び声が聞こえたような気がした。


* * *


 誰かが私を覗き込んでいる。誰だろう。黒い髪に紺色の服だ。


「気がつきましたか?」


「ロゼッタさん!」


 私のあげた声にロゼッタさんが両の手を耳へと持って行った。


「それだけ大きな声が上げられるのなら大丈夫でしょう」


 そう言いながらも、ロゼッタさんの手が私の額へと伸びてきた。ひんやりとした手の平が私の額に触れる。そしてバラのような香りも漂ってきた。それは私にとってはとても懐かしく安心する香りでもある。


「熱もないようですね。貧血でしょうか? でもあなたの普段の食事から考えるとそうとも思えませんが……」


「いえ、大丈夫です。もしかしたら普段使わない頭を使っただけかもしれません」


「フレアさん、何に頭を使ったかは分かりませんが、それは授業の時と宿舎での予習復習にとっておくべきですね」


 そう告げたロゼッタさんが私に小さくため息をついてみせた。


「今日の補習はなしにします。今日は早く寝ることです。ゆっくりお休みなさい。それと明日一日は宿舎で様子を見た方がいいでしょう」


「は、はい。すいません。でも明日は大丈夫です」


 ロゼッタさんが私に向かって口の端を僅かに上げてみせる。


「無理は禁物です。授業の遅れは私の補講でなんとかなると思います。ともかく明日一日は体を休めることです」


 そう言うとロゼッタさんは背後で心配そうな顔をして立っていたマリの方を振り向いた。


「マリアンさん。どうやら大丈夫なようです。運動祭の疲れが遅れて出たのかもしれません。だいぶ冷えてきました。何か暖かい飲み物でも作ってあげてください」


「はい。ロゼッタさん」


 ロゼッタさんはマリの答えに頷いてみせると、寝台の横の椅子から立ち上がって部屋を出て行った。


「フレアさん!」


 扉が閉まるなり、マリが私の前へと顔を突き出す。


「は、はい!」


「急に倒れられたので心配しました。一体どうしたんですか?」


「いや、普段使わない頭を使いすぎたぐらいしか思いつきません」


 その通りだ。特に思い当たるようなことはなにもない。普段からもう少し頭を使うように努力するべきだろうか?


「もう、本当に気をつけてください。意識をなくして床に倒れたりすると、本当に危険です」


「はい。申し訳ありません。でもマリが居て本当に助かりました。明日はロゼッタさんの補講もなくて一日お休みだなんていったいいつぶりだろう?」


「どうかしました?」


 途中で言葉を止めた私の方をマリが怪訝そうな顔をしてみる。流石はマリだ。私が何かを思いついたことに気がついたらしい。


「やっぱり疲れがあったのかな?」


「そうですね。そうだと思います」


「寝ている間に汗もかいたみたい。その間に着替えをして待っているね」


「そちらもお手伝いしますから……」


「子供じゃないからそのぐらいは大丈夫よ。それよりも喉がカラカラ」


「はい。すぐに温めたミルクをお持ちします!」


 私は思いついてしまったのだ。明日は一日お休みだ。それもマリが家に帰る予定の日でもある。私がマリと入れ替われば外に、学園の外に出られるのではないだろうか? 受付は一体何でマリをマリと認識しているのだろう。


 動きこそ比べようもないが、私とマリは背格好は意外と似ている。目の色はごまかせないが、髪の色ならなんとかならないだろうか? 炭か何かで黒く染めれば、栗毛にはなれそうな気がする。


 うまくいくなら、オリヴィアさんとイサベルさんと仮病を使って、それぞれの侍従さんに入れ替わって外に出るという手が使える。


 これはエルヴィンさんの妹さんの命が関わっている問題だ。手遅れになってしまったら何にもならない。先ずは私が実践して、エルヴィンさんの自宅近くを偵察すべきだろう。このような時の為にトマスさんにいろいろな事を聞きまくったのだ。


 エルヴィンさんの家は南区にある道場の近く。その道場の名前は分かっている。そこで妹さんの名前を聞くか、このエルヴィンさんからもらった手紙を見せれば教えてくれるはずだ。


 一番の問題はマリだ。だけど一度出てしまえば、マリはこちらの意図を察して戻るのを助けてくれる。小言は言われると思うが、ハンスさんだってきっと協力してくれるだろう。


 そして一度これがうまくいくことを証明できれば、次に入れ替わりをする際にはマリを説得出来はしないだろうか?


 マリが午前中にする仕事は何だろう。洗濯だ。すぐに洗濯しなければいけない、そしてそれを干す用事があればマリはこの部屋を離れる。その隙を狙うしかない。


「フレアさん、着替えはされましたでしょうか?」


 洗い場の奥にある小さなキッチンの方から声がした。


「あ、はい。やっぱりマリに手伝ってもらいたいので、先にミルクをいただいてから着替えたいと思います」


「はい。了解です」


 マリが温めたミルクを持って来てくれた。そのカップを手にするが、私は熱いのが苦手なので、ほんのりと暖かい程度だ。せっかく用意してもらったものだけど、人の命には代えられません。


「あっ!」


 私は持ち上げたカップを自分の手から滑り落とした。それは中に入った真っ白な液体を私の寝間着にふりかけつつ、股を滑って足下へと落ちていく。


「あ、熱い、マリ、熱いです!」


 これはマジです。ミルクの温度を少し舐めていました。


「フレアさん!」


 マリが洗い場にあった水を私にぶちまけた。全身が濡れ鼠になって、今度は体の芯から震えるような冷たさが襲ってくる。


 間違いなくやり過ぎました。でもこれには私の意地と尊厳が掛かっているのです。


「ハッ、ハックション!」


 やっぱりやり過ぎでした。

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