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依頼書

 イサベルは図書館の閲覧室の席の一つに座ると、手にした本をそこに置いた。他に生徒らしき人はいない。夕刻の光が閲覧室の机を黄色く照らしているだけだ。


 それは放課後の遅い時間というせいだけではなかった。この部屋は資料室であり、学園の記録などを置いてある部屋で、ここにくる生徒はほとんどいない。


 そのせいか密会に使われるという話を侍女のシルヴィアがしていたが、単なる噂だろう。入室する際にチェックされるので、男女の密会に使うのは無理だ。


「ふう」


 小さくため息をつくと、イサベルは学園での生活規則に関する説明資料をいくつか机の上に広げた。もっとも広げてはみたものの、イサベルとしてはここに自分が欲しいと思っている回答があるとは思えない。


『私も手がないか考えてみます……』


 イサベルは頭を振った。あてがあるわけではないのに、なんて無責任な発言をしたのだろう。ましてはおじい様へ助力を請うなんて言うのはまさに言葉だけのことだ。そんなことは出来るわけがないし、しても意味がない。


 人は「コーンウェル」という家名を聞くと、あたかもそれをあがめるような態度を取るが、少なくとも自分にとってはただただ重荷として存在するだけだ。


 イサベルはフレデリカのくったくのない笑顔と、オリヴィアの信念を感じさせるまなざしを思い出した。何の打算も無しに己が正しいと思うべき事をやろうとするその行動力と、思いに対する一途な態度がとてもうらやましく思える。


 どちらも自分にはないものだ。自分にあるのは一体何だろう。何もない。ただただ当たり障りがないように、まるで人形のように振る舞っているだけだ。


「ふう」


 イサベルの口から再びため息がでる。その時だった。人気がなかったはずのこの部屋に誰かの気配を感じて、イサベルは慌てて顔を上げた。


「すいません、驚かすつもりはなかったのですが、真剣に資料を見られていたようなので、つい声を掛けそびれてしまいました」


 その姿にイサベルは慌てて立ち上がると、紳士に対する淑女の礼をした。


「イアン王子様、こちらこそ大変失礼致しました」


 イアンもイサベルに頭を下げて返礼したが、すぐに首を横に振ってみせた。


「前にも言いましたがここは学園ですので、そのような気遣いは不要で願います」


 イサベルはイアンの言葉に小さく頷いた。イサベルの態度にイアンがほっとした表情をする。その態度はとても自然だ。イサベルはフレデリカがイアン王子の事を何で「嫌み男」と呼ぶのか、全くもって理解不能だと思った。


「何か調べ物でしょうか? お邪魔でしたら私の方は……」


「いえ、今日はイサベルさん。あなたに用事があってこちらにお邪魔させていただきました」


「私にですか?」


 その言葉にイサベルは当惑した。一体自分に何の用事があるというのだろう。それにこのような場で男子が女子に接触すること自体が禁忌の様なものだ。


「はい。実は私の母が孤児院への訪問と、そこでの手伝いをするというのを定期的にしていまして、そこの手助けをしないかと誘われております。さらに学園での知り合いで手伝いが出来る人が居れば、一緒に誘うようにと言付かりました」


「お母様ということは、セシリー王妃様ですか?」


「はい。私の母はともかく王宮にいるのが嫌な人なのです」


 その言葉にイサベルはソフィア王女の事を思い出した。セシリー王妃はソフィア王女の母親でもあるから、おそらくその言葉通りなのだろう。


「それで運動祭の準備でお会いしたことがある皆さんにも、声を掛けさせていただこうかと思った次第です」


 イサベルはイアンの言葉に首をひねった。それならこのようなところで自分に声を掛ける必要は無い様に思える。普通に申請を出して学生会室か何かに呼べばいいだけだ。


「もしかしたら、こうして声を掛けさせていただいたことについて、不思議に思われていますでしょうか?」


「はい」


 イサベルは素直に頷いた。


「実は運動祭で色々と噂になっているようです。六男で末席も末席ですが、これでも一応は王子なので、私がある人物に直接声をかけたということになると、色々と差し障りがあるのです」


 そこまで告げると、一度言葉を切ってイサベルの様子を伺うかの様にちらりと見た。


「それで私がイサベルさんに声を掛けさせて頂いて、イサベルさんが他の方に声を掛けて頂いた、という形式にさせて頂きたいのです」


 イアンの言葉にフレデリカは苦笑した。差し障りがあると言うことは、それを大事に思っていると言うことの裏返しにすぎない。それに自分に声を最初にかけることについては、全く差し障りがないと言っているのと同じだ。


 イサベルはこれに全く気がついていないフレデリカに対して、心の中でため息をついた。そして少しばかりこの二人に意地悪をしたくなるような気分にもなる。


「イアン王子様」


「どうかイアンでお願いします」


「では、イアンさん。それは私にフレデリカさんを誘えと言うことでしょうか?」


「は、はい。それと出来ればオリヴィアさんも誘っては頂けませんでしょうか?」


「つまり、三人で参加して欲しいと言うことでしょうか? それと一緒に私達が学園の外へ行くという理解で合ってますでしょうか?」


「はい」


 イサベルの質問に少しタジタジになりながらイアンが答えた。


「ご依頼の内容は分かりました。場所はどちらになりますでしょうか?」


「はい。メナド川を超えた南地区になります」


「では私からも、それをお受けする条件を述べさせて頂いてもよろしいでしょうか?」


「条件ですか? はい。私の方で対処可能な物ならお受け致します」


「行きか帰りにある場所に寄らせて頂きたいのと、ある方の参加も認めて頂きたいのです」


「それぐらいならお安いご用……、もしかしてそれは男性でしょうか?」


「はい」


「それは新人戦に出場された方でしょうか?」


「はい」


「分かりました。その件については私の方で対処します。ですが……」


 イアンがイサベルの答えに頷きながらも、僅かに首を捻った見せたのをイサベルは見逃さなかった。


「何でしょうか?」


「いえ、何でもありません。それとこの件で急な連絡が必要になった場合の為に、これをお渡ししておきます」


 そう告げると、イアンは書類ばさみをイサベルに差し出した。イサベルはそれを開くと何気なく書類に目を通す。


「えっ!」


 その中の文章が告げている内容とその署名を見て思わず声が漏れた。イサベルの書類を持つ手が震えている。


「イアン王子様、これは一体?」


 イサベルの中では先ほど言われた呼び方に関する依頼も、何処かに消し飛んでしまっている。


「はい。この件に関する内務大臣の直筆署名による依頼書です。原則、この学園の中にはこれを拒否できる人間はいません」


「ですが!」


「はい。ある赤毛の人物になどに渡すと危険極まりない物ですが、イサベルさん。あなたならお渡ししても大丈夫だと思っています。色々と手続きに時間をとってしまうと母に嫌みを言われますので、有効にご活用ください」


 そう告げると、イアンはイサベルに対して、紳士の淑女に対する礼をして見せた。


* * *


「おい、イアン。それはどういうことだ」


「とりあえずあの娘を、オリヴィア嬢を誘えたのだからいいだろう」


「お前は俺に普段のお礼をすると言っていたよな。俺がどれだけその日を心待ちにしていたのか、分かっているのか? 分かっていてその発言をしているんだよな」


 ヘルベルトはイアンに対して、心底がっかりという表情をして見せた。


「それを言い出したのは俺ではないぞ!」


「いやどうだか。交渉事にすればこうなるに決まっている。最初から学園からの推薦とかで、一本釣りにすればよかったんだ」


「そうしたら母上の言う、自然にかつ当たり障りがないという手が使えないだろう。俺が誘ったのはイザベル嬢であって赤毛ではない。それが一番大事だ」


「お前、自分の都合を最大限に優先したな」


「別にお前に参加を強制してはいないぞ」


 その言葉にヘルベルトはため息をついた。


「これだから王子様ってやつは自己中で困る」


「ちょっと待て、俺のどこが自己中だ。これは俺にとっては天災の様なものだ!」


 だがヘルベルトはイアンの言葉を無視すると、思いっきり肩をすくめて見せた。


「まあ、機会が得られただけでもよしとするしかないか。それに例の道場は一度覗いてみたかったしな」


「そうだ。得られた成果に感謝しろ。それを生かすかどうかはお前次第だ」


「よく言ってくれるよ。その言葉はお前にそっくり返してやる。せいぜい後でお前が赤毛と楽しんでいたと、関係諸方面に最大限に宣伝してやるから覚悟しろ」


 そう言うと、ヘルベルトはイアンに向かって含み笑いをしてみせた。その態度にイアンの顔に明らかに動揺が浮かぶ。


「ちょ、ちょっと待てヘルベルト!それだけは、それだけは勘弁してくれ」


「ふふふ、ふふふ、ははははは!」


 廊下を歩きながら高笑いするヘルベルトと、それを追いかけるイアンの姿を、生徒達は不思議そうに、そして不安そうに眺めた。

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