相談事
エドモンドは蒸留酒を入れた紅茶を受け取ると革張りの背もたれにその身を深く委ねた。
「お疲れではありませんか?」
マイルズがエドモンドに声を掛ける。
「セシリーの相手をすれば疲れもする」
エドモンドの言葉にマイルズが思わず苦笑いをした。二人がこのような素の表情を見せるのは、ここエドモンドの私室の中だけだ。
「セシリー様の件は本当によろしいのでしょうか? セシリー様のわがままと捉える者も多いのではないでしょうか?」
「あれは全てセシリーの計算の内だな。セシリーを愚かだと思う者にとってはそれを肯定させるだろうし、この国の中枢に一国の使者の派遣の采配を全て決められる者が居ることの意味が分かる者にとっては、決して触れてはいけない者だと理解させる」
「はい」
「なのでスオメラ王はセシリーの私信を間違いなくそのまま飲む。それを侮辱だなどと決してとったりはしない。おそらく一番残念に思うのは使節団でセシリーに会うのを楽しみにしていた者達だろう。だがその者達はセシリーの最大の理解者達でもある」
「それは大変残念に思っていることでしょうね。随行員でセシリー様を迎えに行ったときの事を思い出します」
「本来、王になるべきはお前やセシリーの様なものだよ。一つの事で多くの者をその手の上で扱えるのだからな。スオメラ王が未だに王太子をたてていないのは、セシリーの子供の誰かを王太子として迎え入れたいと思っているとの噂があるぐらいだ」
「流石にそれは噂の類いではないでしょうか?」
「そうだろうか? だが正式な后妃を立てないのは異母兄弟のセシリーのせいだとのもっぱらな噂だ。あれが国を逃げ出してきた理由がよく分かる。愛情というのも過ぎたるはなんとかの一つらしい。私はスオメラの民から見ればとんでもない嫉妬の対象だよ」
「セシリー様は婚姻の申し出に二つ返事で答えたそうですから、エドモンド様の徳の一部かと思います。先程のセシリー様の件は私ごときが口にする話ではありませんでした。申し訳ございません」
そう言うとマイルズはエドモンドに対して頭を下げてみせる。今度はその姿を見たエドモンドがマイルズに苦笑した。
「ですが、イアン様の件はそのままにしておくことは出来ないのではないでしょうか? 今からでも遅くはありません。両者の接点を無くす措置を…」
頭を上げたマイルズが少し真剣な表情をしつつ口を開いた。
「マイルズ、これは私のようなものが何をしても無駄な事の様に思えるのだ」
「無駄でしょうか?」
「私は凡庸な男だよ。およそ王などには向かない男だ。マイルズ、お前が王なら生まれたときからそれを排除するぐらいは普通にやるだろう。だけど私はセシリーやその子供達の笑顔、アンナの願いの方が大事に思えてしまうような男だ」
「その様な事は決してありません。他の者の前ならいざ知らず、このマイルズの前でそのような振る舞いをされる必要はございません」
「これは私の本心だよ。だが信念でもある。おそらくこれは人がどうのこうの出来るものではない。間違いなく宿命というものだ。それを何とかしようとした結果が300年前の事件だ。アンナの件もそれと同じだな」
そう告げるとエドモンドは手にしたカップから紅茶を一口含んだ。そして物思いに耽る様な表情をすると言葉を続ける。
「祖父の代から時間をかけてカスティオールが衰退する様に仕向けたのも何の役にも立っていない。むしろ事態を悪化させただけだな。結局は同じ事であると同時に、さらに多くのものを失ってしまっている」
マイルズが空になったエドモンドのカップに蒸留酒を注いだ。エドモンドは口の端に笑みを浮かべると、それを一口含む。
「それにこの地に住まう者全ては多くの犠牲の上にいるのだ。それを思えばいつかはその罪は問われる。それが今日、この時だとしても、それはそれで仕方がないとも思うのだ」
エドモンドは手にした蒸留酒を再び口に含んだ。マイルズが蒸留酒を先程の三分の一だけカップに注ぐ。
「エドモンド様は昔から歴史が大好きでございましたね」
「そうだな。禁書庫を開けさせようとしてお前の父をよく困らせた」
「はい。お陰様でこの私も常識程度の教養を学ばせていただきました」
そう告げたマイルズが小さく笑みを漏らす。そして言葉を続けた。
「エドモンド様はそこから得た知識を演繹的に活用できるお方です。何かを判断するのに、過去の事例と比較してその共通性だけでなく、その違いも認識できるお方です。私共はこの時代にエドモンド様を王と出来たことを神に感謝すべきだと思います」
「マイルズ、その様な発言はある種の毒の様なものだ。多くの為政者がそれで足元を救われている」
「はい。エドモンド様はそれを分かっておいでです」
「過去との比較とそこから得られたことと得られなかったことを比較すれば、イアンの事はその当人に任せるのがもっともよいという結論しか得られないのだ」
そう告げるとエドモンドはカップから顔を上げてマイルズの方を見る。
「何より人は500年前も300年前も乗り越えて来たのだ。今回だって乗り越えられると私は信じる事にした。イアンはセシリーに似て勇気のある男だ」
「承知いたしました。差し出たことを申して申し訳ありませんでした」
「だがマイルズ、セシリーの要望については最大限の努力が必要だな。この件についてはあれは譲歩するつもりなどは何もないぞ。ともかく全て通すように調整しろ。それと余計な邪魔もだ」
「はい。関係各省には全て最優先での指示をださせていただきます」
* * *
「何だって!」
「ヘルベルト、声が大きい!」
「そういう問題じゃない。イアン、お前はセシリー王妃様からあの赤毛とデートをした上で、偶然を装って会わせろと言われたということか!?」
「まあ、有り体に言えばそういう事になる」
「しかも国王陛下まで同席でか?」
「そ、そうだな」
「そのためにスオメラの使節団を追い返すとまで言ったんだろう」
「まだ出発してはいないから追い返した訳ではないと思う」
「同じだ。大した差はない。国の大事よりお前のデートの方が大事とは流石はセシリー様だ」
「それは褒めているのか? それともけなしているのか?」
「はあ? 俺がセシリー様をけなすなんて事がある訳ないだろう。俺の様な人間には想像も出来ないことをするその大きさに心底感動しているんだ」
「そうだな。人の想像を超えたことをする点については俺も同意する」
「それでどうするんだ。マイルズ侍従長から段取りの説明は受けているんだろう?」
「いや、なしだ」
「無し、どういうことだ?」
「ヘルベルト、声が大きいぞ。全て自分で段取りをつけろとの母上からのお達しだ。その為の要求事項については関係諸方面全てで最優先に処理するとの連絡が、マイルズ侍従長からの知らせもあった」
「すごいな。いくら王子とはいえ、それのデートの誘いに関する何かが国の最優先事項か?」
「ヘルベルト、それは間違いだ。母上の意向の処理についての最優先事項だ。これは間違いなくキース兄さんからの意趣返しの様な気がする」
「同じ事だ。それにお前のキース王子への愚痴はこの際はどうでもいい。それで段取りはどうするんだ」
「ともかく赤毛を誘う必要がある」
イアンの言葉にヘルベルトが頷いた。
「そうだな。それをしないと話が始まらない。でもいいじゃないか。羨ましいぞ」
「羨ましい? 何を寝ぼけた事を言っているんだ?」
イアンの言葉にヘルベルトが首を横に振って見せる。
「お前は知らないと思うが、あの赤毛は一部の男子の間では大人気だぞ。確かに見かけは結構かわいい。だけどそれだけじゃなくて、少しお馬鹿に見えるくせにやるときはやるというのが受けているらしい」
「それは本当か?」
イアンがとんでもなく驚いた顔でヘルベルトを見る。
「俺がお前に嘘を言ってどうする? お前が王子でなければ非難轟々というところだな」
「学園内にしこりを残すのは、それはそれで色々と問題があるな」
「それにお前も一応は王子様だからな、女子の間にも色々と噂をまき散らす事は間違いない。この間の運動祭でも十分に噂になっているから、まさに火に油だ」
イアンはヘルベルトの言葉にさもうんざりした表情を浮かべた。だが何かを思いついたらしく、考え込むような表情に変わった。
「どうした?」
「そうだった。せっかくこちらの要求は全て通すといっているのだ。それを使わない手はないな。ヘルベルト、お前にもつきあってもらうぞ。それにこれはお前への俺の礼だ」
「はあ? イアン、何を言っているんだ?」
「何も二人だけで出かける必要はないだろう?」
イアンはそう言うと、ヘルベルトに向かってニヤリと笑って見せた。