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第三王妃

 イアンは襟元のボタンを止め直すと、目の前の扉の前に手をかざした。両脇にはまっすぐに前を向く衛兵の姿がある。


 それに首筋が少しピリピリするこの感覚は王宮魔法庁の魔法職達も詰めている証拠だ。イアンはそんな堅苦しさに内心でため息をつくと、その手で扉をノックした。


「お入りなさい」


 扉の向こうから自分の母親であるセシリー第三王妃の声が響いた。だがイアンが自分で扉を開けようとする前に中から扉が開かれる。


 そこには王家付き侍従長であるマイルズが、イアンに対して一部の隙もなく頭を下げている姿があった。イアンはその招きに従って部屋の中へと進む。


 見ると部屋の真ん中の卓にはお茶が置かれており、それを挟んでセシリーだけでなく、父親のエドモンドも腰をおろしている。いつもなら会うのは母親のセシリーだけのはずだ。


 その姿に、イアンは内心で自分はエドモンドから何か叱責される様なことをしたのだろうかと考えた。


「失礼致します」


 背後でマイルズがそう告げると、扉が閉まる音がした。ここからは親と子の談話の時間の始まりということだ。


「イアンさん、そんなところに立っていないで、こちらの方へ腰をかけなさい。それに今日のお茶はなかなかのものよ」


 セシリーはそう言うと、卓の前にある空いている椅子を指し示した。


「失礼します」


 イアンは再びそう告げると、示された椅子に座る。セシリーは自らポットを手にすると、前に置かれたティーカップへと茶を注いだ。辺りに花の香りの様な甘い匂いが漂う。


「学園はどう? 楽しんでいる?」


 茶を注ぎ終わったセシリーはイアンにそう尋ねた。その顔は母親らしい優しさに満ち溢れている。


「はい。ですが私の学園での生活については先にキース兄さんやソフィア姉さんからお聞きではないのでしょうか?」


 未だに父親のエドモンドがここに同席している意図を図りかねたイアンは、そうセシリーに問いかけた。


「あら、私がそんな勿体無いことをすると思うの? イアンさん、あなたのことはあなたの口から聞きます。最もそれでもマイルズみたいに告げ口に来る人はいますけどね」


 そう言うと、セシリーはちらりと夫のエドモンドの方を見た。その視線にエドモンドが肩をすくめて見せる。


 セシリーは第三王妃ではあったが、南大陸で最も大きなスオメラ王家の出身だ。スオメラは国の大きさや経済的な基盤から言えば、ロストガルを優に上回る。


 そのため第三王妃であっても、実質的には宮廷内の序列の外にいる存在と言えた。それに自分の叔父に当たるスオメラ王はこの妹の事を溺愛している。いや国王だけでなく、臣民からも溺愛されていたと聞く。


 実際のところ、セシリーはその立場を最大限に利用して、王妃でありながらかなり自由にやっている。噂では国内で嫁ぐと色々と面倒なので、ロストガルに嫁いだという噂があるぐらいだ。


 子供達が年齢的にも立場的にも、実質的に継承権がないのもあって、セシリーは子供についても従来の王家のしきたりをほぼ無視している。キースをはじめセシリーの王子、王妃に婚約者を決めていないのもそうだ。


 学園に他の家の子弟達と同様に通わせているのも、その一環と言えた。ただし、こうして一月に一度程度は宮廷に戻って学園での内容を報告させられている。それがエドモンドとセシリーとの妥協点らしい。


 これまで報告する相手は母親のセシリーだけだったが、今日は父親のエドモンドもいる。イアンは慎重に口を開いた。


「特にこれと言って変わりはありません。ああ、この間の運動祭については赤組だったのですが、残念ながらソフィア姉さんの黒組とキース兄さんの白組には負けてしまいました。これについては少しばかり残念に思っています」


「赤組? 王族がか?」


 エドモンドが少し驚いた様な顔をした。


「はい。赤組の代表を務めさせていただきました」


「では一年の白組の代表は誰がやったのだ」


「はい。平民出身の男子生徒の一人が務めました」


「なるほど。学園というところは未来永劫変わり映えしないところかと思っていたら、近年はそうでもないのだな」


 エドモンドはそう言うと、卓の上の紅茶を手にしてそれを口に含んだ。


「それはいいことね。そういう変化は私は大好きよ。それでイアンさんは何の競技をしたの?」


「私ですか?」


「ええ。詳しく教えてもらえないかしら」


 セシリーはそう言うと、さも興味満々とでも言うように、手を組んでその上に顎を乗せてイアンの方をじっと見ている。どうやらマイルズからの告げ口というのはこのことだったらしい。


「はい。全員参加の徒競走の他に、一年女子の自由競技の借り物競争。一年男子の二人三脚、それにリレーに参加しました」


「随分と参加したんだな」


 エドモンドが感心したように呟いた。


「はい。そのうち一つは巻き込まれたのと、もう一つは病欠の代理走者での参加です。結果としてはかなり参加することになりました」


「その借り物競争に、二人三脚というのはどういう競技なのかしら?」


 セシリーがよく分からないという顔でイアンを見た。


「どちらもこれまでにない新しい競技で、一年女子の代表が考えついたものです。借り物競争は競技者が借り物が書かれた紙の内容の物をどこからか調達して、それと一緒に先にゴールしたものが勝ちです」


「あら、それはとっても面白そうね」


「借り物については他の者が探したり調達したりするのが認められています。なので上級生も含めてかなり真剣に行われました」


「陛下、今年それを見にいけなかったのは本当に残念ですね」


 セシリーの視線に、エドモンドが慌てて「そうだな」と相槌を打って見せた。学園に国王陛下や王妃が来たりしたら大変なことになる。イアンは心の中で肩をすくめた。


「それで、借り物にはどんな物があったの?」


「はい。校長先生の帽子であったり、杖であったりです。それに女性の先生とかもありました」


「物だけではないのね。その場合は一緒に走るの」


「はい。そうなります」


「それで二人三脚は?」


「はい。女子生徒と男子生徒が、それぞれ片側の足首を紐で結んだ状態で肩を組んで走ります」


「な、なんだって?」


 エドモンドが驚いた顔をする。


「それで走れるの?」


 セシリーは驚きはしなかったが、当惑した表情でイアンに問いかけた。


「はい。ほとんどの生徒は問題なく走れます。ダンスのステップを踏むのに比べたら相当に楽ですから」


「あらそうね。確かにほとんどの生徒はそう見たいね」


 セシリーの目が何かを揶揄る様な色を帯びた。この目をした時の母は危険だ。


「母上、何か?」


 イアンは思わずセシリーに問いかけた。そして心の中でなんて余計な事をしたんだと臍を噛む。


「イアンさん、率直にお聞きします。とても親しくしているお嬢さんが、学園にいるのではないのですか?」


「私がですか!?」


「イアンさん。イアンさんも子供を作ろうと思えば作れる年です。異性に興味を持つ年頃であるのも分かります。それ故に母親としては、その方がどのような方で、どの様なお付き合いをしているのか、あなたから直接にお聞きしたいのです」


「セシリー、それは本当なのか?」


 エドモンドが慌てた表情でセシリーに問いかける。


「陛下は口を閉じていてください。これは母親としてイアンさんに聞いていることです」


「ちょ、ちょっと待ってください。そんな女性はいませんし、私としては一体何の話をしているのかさっぱりです」


「イアンさん、母親の私にまでとぼけるのですね。ではフレデリカ・カスティオールというお嬢さんに覚えはありませんか?」


「はあ!?」


「ちょっと待て、イアンがカスティオールの娘と付き合っていると言うのか!?」


「そうです。その方ととても親しくしていると聞きました」


「イアン、分かっているのか? 相手はカスティオールとはいえ侯爵家だぞ!」


「私は先ほど陛下には口を閉じているようにお願いしませんでしたか? これはどこの家とかは全く関係はありません。当人の問題です。それとどこかの家がどうのこうのという発言は、私の前では一切慎んでください」


 エドモンドはそれでも何かを口にしようとしたが、セシリーはそれを一切無視する。そしてイアンの方を見つめた。


「一切ありません。それにそんな話を一体誰から聞いたんです!」


「それについては一名や二名ではありません。多くの目撃者並びに証言者がいます。イアンさん、母親を舐めてはいけません。私は政治とか駆け引きなどには全く興味はありませんが、自分の子供について言えば話は全く別です」


「ではこの場ではっきり言わせていただきます。それは全くの誤解です」


 イアンの台詞にセシリーが大きくため息をついた。


「イアンさん、あなたは少し大人ぶっているところがありますが、この手の話を恥ずかしがる辺りは年相応の男の子ですね。周りにいる変な人達の影響を受けていなくて安心しました」


 そう言うとさも安心したような表情をした。


「な、何を言っているのですか?」


「照れなくてもいいのですよ。あなたぐらいの年では当たり前の事です。ですが母親としてはそれをただ放っておくことはできません。あなたも一応は王子ですからね。陛下、当面の私の予定については少し変更をお願いしたいと思います」


 セシリーの言葉にエドモンドが当惑の表情を浮かべる。


「お前の祖国からの使節団が来るのだぞ?」


「はい。優先すべきことができました。この件については母親として誰にも邪魔はさせません」


「使節団はどうするのだ?」


「どうせ要件は分かっています。陛下の御意に沿う様に兄にお願いしておきます。そもそもこんな大事な時に使節団など論外です」


 そう言うとセシリーはイアンの方を振り向いた。


「それで、イアンさんには私にそのお嬢さんを紹介していただくことにしましょう」


「ですから!」


「イアンさん、母親の立っての願いを断るおつもりですか? 私としてはその様な息子に育てたつもりはないのですが?」


 セシリーが少し怒った様な表情をする。イアンはここで全てを理解した。これは間違いない。キースの策略だ。この前の運動祭の件では大した小言は言われなかったが、それはこう言う意味だったのだ。


 これは断れば断るほど大事に、そして抜き差しならぬ状態に陥ることは間違いない。せいぜいあの赤毛と会わせてやって、お茶でもしながら取り止めのない話をすればいいだけだ。この間の貸を取り立てさせてもらう。それしかない。


「分かりました。お母様がそこまでおっしゃるのなら努力することにします」


 セシリーの顔がパッと輝いた。


「それでこそ私の息子です!」


「ならば、マイルズに謁見の手配を……」


「陛下、何を言っているのです。これは家族の、いえ母親としての問題です。マイルズに手配をさせるなど絶対に止めてください。それにこんな堅苦しいところで会う気もありません」


「ではどこで会うのだ?」


「そうですね。やはり街中で二人がデートをしている途中に、偶然を装って会うというのが一番ですね。いえ、それ以外にはあり得ません」


「な、何ですって!?」


 イアンの顔から血の気が引いた。


「そうすればイアンさんが女性をちゃんと扱える男性になったかどうかも分かります。イアンさん、予定が決まり次第、連絡をお願いします。これに否はありません。陛下もです。必要な支援をよろしくお願い致します」


「警備は、警備はどうするのだ? それに学園から連れ出す必要もあるのだぞ」


「陛下、細かいことは全てお任せします。ですが邪魔だけはしないようにお願いします。これは息子を産んだ母親の楽しみですよ。それを奪うようなことがあれば……そうですね。それなりの覚悟はしておいてください」


 セシリーの視線に、エドモンドが諦めたように頷く。


「ああ、服はどうしましょう。こんな見かけだけの服ではとても行けません。今の街ではどんな服が流行っているのかを誰かに聞かねばなりませんね。今からとっても楽しみです」


 そう言うと、セシリーはエドモンドとイアンに向かってにっこりと微笑んで見せた。

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