駆け引き
「ダリエル代表、ご無沙汰しております」
エイブラムは組合の代表を務める、ダリエルに向かって深々と頭を下げて見せた。執務机に座っていたダリエルは立ち上がると、その横に備え付けている応接用の長椅子へとエイブラムを招いた。
「エイブラム君、本当に久しぶりだな。いつも忙しくしている君が……。そうか、君はイーゴリを辞めたんだったね。就職活動かい? 紹介なんか頼まなくていい。私のところに来ないか? 君には支店、いや部門を一つまるごとまかせてもいい」
ダリエルはエイブラムにそう告げると、エイブラムの顔を興味深そうに見る。そうですね、俺自身もまさか、あっさりと辞められるとは思っていませんでしたからね。エイブラムは心の中でそう告げると、イーゴリに居た時の、一番の競争相手の商会の代表に向かって口を開いた。
「いえ、ありがたいことに就職先は決まっています」
「そうだろうね。君のような人材を他が指をくわえて見ているはずがない。あたらしい就職先の立場としての挨拶かい」
ダリエルとしてはまだ若造ではあるが、油断できない相手が、どこでどのような事を始めるのか気になるのだろうか? いや単なる社交辞令だろうな。俺ぐらいの奴は世の中に山ほどいる。
「それもありますが、二つほどお願いがあってまいりました」
「お願い? 君との腹の探り合いは意味がない。単刀直入に頼むよ」
ダリエルがわざとらしく首を傾げて見せた。だが興味は持ったらしい。後日などと言われなくてよかった。
「はい、ダリエル代表」
鞄から二つの帳簿を出して、彼に向けて応接机の上に置く。
「こちらはライサ商会の再建計画書です。この中にはこちらの組合に属している皆様に、色々とお願いしないといけないこともあります」
「ライサ商会? 君がか?」
ダリエルの顔に演技ではない、素の驚いた表情が浮かんだ。
「はい。代表をさせて頂くことになりました。コリーも一緒です」
「イーゴリは一体どうしたんだ? 君とコリー君を手放して、それもライサだって?」
ダリエルが訳が分からないという顔をしている。この王都の商会組合を仕切っている男にしてはめったにないことだ。あのコリーをしてみて二度、「青天の霹靂」と言わしめたのだからそれも当然か。だがそれは今はどうでもいい話だ。この面談はここからが本題だ。
「もう一つはこちらです。ライサ商会を中心とした。いやこの王都での循環取引や裏取引に関する帳簿です。ライサの再建計画もありますが、こちらの取り扱いこそが、ある意味では再建計画の本命です」
声を静めて薄手の帳簿を彼に差し出す。ダリエルはあまり興味がない感じでそれを片手にとって、一枚、一枚と書類をめくっていく。一枚めくるたびに、彼の表情は険しくなっていき、最後の一枚をめくり終わった時には、客向けではない、本来の冷徹な商売人としての顔に戻っていた。
「これは本当なんだろうね?」
「はい。ライサの裏帳簿を全部確認しました。みんなうちをいいように使っていたようです。もっともライサ自体も腐っているどころの話ではありませんが……」
「それにここにあるのは、うちがかかわっている部分だけという事かね?」
「はい。それの一部です。残りは再建計画の承認と一緒でお願いしたいと思っています。それとこの件については、私の口ごとふさがれるのは困るので、保険まではかけてあります」
最後の保険は時間が無くてほとんどはったりだが、これはそうされてもおかしくはないぐらいの事案だ。
「その通りだ。これを持って来たのが君以外なら、ここを立ち去る前にその保険とやらも含めて、一緒にメナド川に沈めるところだよ。君とコリー君以外では、ここまで短時間かつ完璧にまとめる事は出来なかっただろうしね」
ダリエルが再度、今度はゆっくりと書類の数字に目を落としながら答えた。この人は単なる商人じゃない。半ば政治家のようなものだ。
「買い被りすぎですよ。それにメナド川の底より遠いところに送るつもりですよね。隣の部屋にいる魔法職か何かは、どこかにやってください。緊張して話がうまくできません」
ダリエルは唇の端をかすかに上げると、応接机の上にあった呼び鈴を小さく二度ほどならした。さっきからどこかからしていた、薄気味悪い気配がなくなったような気がする。
「我々もうすうすは分かっていたが、これほど根が深いとは思っていなかった。イーゴリだけが気が付いていて、君達を送り込んだという事かい?」
ダリエルは書類を机の上に戻すと、エイブラムに問い掛けた。
「それもあるかもしれませんが、カスティオールを救ってくれと言うお願いがありましてね。その手始めがライサ商会です」
「カスティオール?」
ダリエルが怪訝そうな顔をする。きっと頭の中ではライサ商会の件も含めて、裏に何があるのかを色々と考えているのだろう。
「はい。どうにかなるかは分かりませんが、自分の力試しとしては面白いと思ったまでです」
その通りなのだが、きっとこの人は真に受けてくれたりはしないだろうな。だがあまりに現実味がない話だから、こちらの邪魔を今すぐしようと何んては思わないだろう。いやそうあってくれないと本当に困る
「カスティオールなんか……。そうか、思い当たる物がないわけではない」
ダリエルはしばし考えるようなそぶりを見せた後にそう告げた。何だ? このおっさんは何を勝手に思いついたんだ?
「再建計画の件についてはいかがでしょうか?」
俺達にとっての本命はこっちだ。
「裏取引の件は、こちらとしてもよくやってくれたとしか言いようがない。組合の監査連中は全員首だな。君とコリー君は彼らの十年分以上の仕事をやってくれた。再建計画の件はこちらで一応は目を通すが、心配しなくてもいい。金で済むのであれば御の字だ」
本命は何とかなりそうだな。だがこちらには彼らが額を集めて相談するのを待っている時間はない。
「できれば、最初の鉱山への人材派遣の件についてだけでも、先に承認いただけませんでしょうか?」
「あれが関わっている件だな」
「そうです。そちらの娘婿が絡んでいる件です」
「末娘と思って甘やかせすぎた。うちもイーゴリのことを笑えんな。組合の事をやっている間に足元が腐って来ていたとはね。最初に私のところに持ってきてくれた事のお礼だよ。その件はすぐに私の名前で覚え書きを出す。契約の更新についても、うちの者に間違いなく手配しておく」
「はい、ありがとうございます」
今日のお使いはこれにて終了という事だ。それにどうやら命も助かった。
* * *
「おや、無事に戻って来れたみたいだね」
組合の事務所の前で何やら本を読んでいたコリーが、こちらに向かって手を振って見せた。
「賭けは俺の勝ちだな。今晩の酒はお前のおごりだ」
コリーは俺がダリエルにその場で始末される方に賭けていた。まあ、俺に対する頑張れと言う意味だと思うが……。この男にはまれに俺の常識というやつが通じないときがあるから、もしかしたら本気だったのかもしれない。
「だがお前は運がいい。酒など飲んでいる暇はないぞ」
当分は酒場なんてところに近づく時間さえない。いや、寝る時間すらあるかどうかも怪しい。今日の再建計画をまとめるだけでも、俺もコリーも数日間はほとんど徹夜だった。
「それはそうだね。店の大掃除もまだだからね」
こいつは人の良さそうな、虫の一匹すら殺せないような顔をしているが、見切りが早い上に、必要がないならすぐに首にする男だ。正直、いつか俺もお前のような無能者はいらないとか言われて、切られるんじゃないかと恐れているぐらいだ。
「全部捨てるなよ。それより鉱山だ。ダリエル代表から一筆もらえたよ。鉱山に居るカスティオールからの難民達から、これから一緒にやってもらえそうな人材を探さないといけない」
「俺は面接は苦手だから、お前に頼みたいのだけど」
人の判断を下す時に、この男は決して情に流されたりしない。だから見かけでもてるくせに特定の相手がいたことがないやつだ。
「エイブラム、それは違うと思うな。普通の採用じゃない。むしろ同士を募るようなものだろう。それなら君の方こそが適任だ。海運の扱いも含めてそこは君の仕事だよ。いずれにせよ手が足りなすぎるからね。僕には店の掃除の方を任せてくれないかな」
「分かった。馬車の手配は……。あの辻に停まっている郊外用の馬車はもしかして俺用か?」
おいおい、飯も食う間もなくさっさと行けという事か?
「そうだよ。時間がないだろう。それよりもう一つの手配の方にも感謝してもらいたいな」
そう言うと、コリーがにやりと笑って見せた。こいつがこの笑い方をする時はろくなことはない。
「もう一つ?」
「あの子もつけてある。君と一緒に鉱山迄同行するそうだ」
コリーが俺に向かって片目をつむって見せる。
「マリアンか!?」
おいコリー、お前は俺があんな小娘に色恋で本気になっていると思っているのか!?
「そうだよ。だけど今回は手は出さない方がいいね。ついている御者と護衛はどう見ても筋者だよ」
本気で思っているんだな!?