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お邪魔虫

「パン!」


 校舎の裏手から短く何かを叩く音が響いた。そこではローナが左の頬を押さえて立っている。


「貴方は向こう側に行ったと言う事ね。ローナ、自分の立場を分かっているの?」


「向こう側? こちら側も向こう側もないでしょう。私達はここでは学園の一生徒のはずよ」


「何を血迷った事を言っているの? それともすぐにでもあの天幕にいた誰かに婢女扱いされたいとでも思っているの? まあ、それでも何とか夫人と言う肩書きだけは得られるでしょうけどね」


「分かったのよ」


 ローナは臆することなく自分の頬を張った相手に対して肩をすくめて見せた。


「何が分かったというの?」


「それを気にしていたのはむしろ自分の方だったと分かったの。世の中がどうあろうが、自分が自分である限り私自身が失われる事などない。そして私が変われば周りも変わるんだと言うことに」


「はあ?」


 メラミーが怪訝そうな顔をしてローナを見た。その表情は怒りを通り越して呆れ返ったかの様に見える。


「だってそうじゃない? 私も貴方も運動祭なんて本気でやる気なんてなかった。だけどあの赤毛さんに巻き込まれてみたらいつの間にかみんな真剣になっていた。そうでしょう?」


 ローナはそこで一度言葉を区切ると、遠くに見える片付けをする生徒達の方をちらりと見た。


「私達赤組だけじゃない。黒組や白組のやんごとなきお嬢様達だって本気だった。だけどあの赤毛さんは、何かの権威をひけらかしたり、何かを扇動したり、誰かの利益を説いたりした訳じゃない。いつものちょっとお馬鹿な赤毛さんのままよ。それこそが大事だと分かったの」


「あんたはあの女から何か変なものでもうつされたんじゃないの?」


「そうかもね。きっとそうよ。でもメラミー、貴方もそうじゃないの。最後に前を走った時は貴方は赤毛さんの風除けになるつもりだったんでしょう? そうでなかったらもっと突き放してゴールの前でただ待っていれば良かった」


「な、何を言っているの!? あの女に屈辱感を……」


 メラミーの頬が赤く染まる。


「他の人は誤魔化せても私は誤魔化せないわよ」


「メラミー、宿舎の件で貴方があの赤毛さんを恨むのは理解できる。でも貴方が今、もがき苦しんでいることについては赤毛さんのせいでは……」


「パン!」


 もう一度、短く頬を叩く音がした。ローナは左頬に手を添えながら駆け去っていく背中を見つめる。


「本当に意地っ張りなんだから」


 そしてそう小さく独り言を漏らした。


* * *


「お疲れ様でした」


 後片付けを終わってぼんやりと運動場を眺めていた私の背後から声がかかった。


「お疲れ様でした」


 背後を振り返ってその声に答える。そこには鉢巻を既に解いたイサベルさんとオリヴィアさんの姿があった。


「黒組優勝おめでとうございます」


 私はオリヴィアさんに頭を下げた。頭を下げられたオリヴィアさんが少しあたふたとした表情をする。


「は、はい。ありがとうございます」


 慌てた様に私に向かって頭を下げた。そして少し考え込む様な表情をする。


「それよりも最後は残念でしたね」


「はい。とっても残念でした」


「それに白組の準優勝おめでとうございます」


 私はイサベルさんにも頭を下げた。白組はまさにやんごとなきお嬢様の集団の様な組だ。それを率いて赤組や黒組と争ったと言う時点でイサベルさんの統率力は桁違いと言える。私なんかでは誰も聞く耳すら持ってくれないだろう。


 最もあの腕を組んで前を見ている姿は女神そのものなので、どこかの家のお嬢様でもそれに逆らう気など起きないと思う。私なら絶対に逆らわない。いや正面からとても見れないので地面に平伏する事だろう。


「はい。ありがとうございます。でもフレデリカさん、勝負は勝負ですからね。約束通りお願いは聞いて頂きます」


「はい。覚悟しております」


 間違いなくマリは相当に嫌そうな顔をするだろう。これは何か作戦を考える必要がある。いやそれ以前に最近はどうもしっくりきていないので、色々と機嫌を取るところから始めるべきだ。


 今度一緒にお茶会に持っていくクッキーでも焼いて見ようか? 作った事はないが、あのトマスさんでも作れるのだ。マリに手伝って貰えれば何とかなるだろう。ロゼッタさんについては……今それを考えると、間違いなく泥沼になるので先送りです。


「そうでしたね。私もお二人に何をお願いするか考えておくことにします」


 オリヴィアさんが私達二人に告げた。フフフフ、そちらは大体何をお願いされるかは分かりそうな気がしますので、とっても楽しみにしています。むしろ手伝わせて下さい。お願いします!


 もう乙女の一途な恋は……ちょっと待ってください。もしかしてオリヴィアさんって、この運動祭で殿方二人にお姫様抱っこされていませんか?


 一途も何も向こうから寄って来ていますよね。今回の運動祭はオリヴィアさんのためにあったというか、全校生徒がオリヴィアさんに注目した運動祭だったのではないでしょうか?


「モテモテですね……」


 思わず口から言葉が漏れた。


「モテモテ?」


「何でもありません。心の言葉が漏れただけです。忘れてください」


「は、はい」


 オリヴィアさんとイサベルさんが顔を見合わせる。皆さんはお嬢様だから分かっていない様ですが、これは相当に男が寄ってきます。間違いありません。ジェシカお姉様の言うところの「モテモテ」です。ロゼッタさんの生徒時代の再現です!


「でも赤組も残念でしたね」


 イサベルさんが私に声を掛けてくれた。


「はい。残念でした」


 赤組が勝ったらイサベルさんに王子様役をしてもらって、オリヴィアさんにお姫様役で愛を囁くというのをやってもらおうと思っていたのに、本当に、本当に残念です。やってもらえればご飯が10杯ぐらいはいけそうなおかずになったはずです。一生の心残りが一つ出来てしまいました。


「あの前を走った方は確か?」


 イサベルさんが私に向かって首を捻って見せた。


「はい。歓迎会の時に私と一緒の組だった方です」


「そのせいなのですか?」


 そう問いかけてきたイサベルさんに向かって私は首を横に振って見せた。


「違います。これは本当に私のせいなんです」


「フレデリカさんの?」


 イサベルさんとオリヴィアさんが訳が分からないという顔をしてお互いを見ている。


「はい。実は私は今年の入学には宿舎の部屋に空きがなくて間に合わないはずでした。ですが、新しく家の会計係になった方が内務省に掛け合って私の部屋を開けさせたんです。それも相当に古い覚書を持ち出しての無理筋です」


「えっ?」


 イサベルさんとオリヴィアさんが驚いた顔をする。


「でもそれが他の人を全て押し退けてしまうことに気がついていませんでした」


「ですが、それはフレデリカさんのせいとは言えないのではないでしょうか?」


「そうかもしれません。でも落ちぶれているとはいえカスティオールも侯爵家です。その侯爵家の特権とやらを振りかざした事に変わりはありません。そして私はその家の一員であり当事者です。その意味ではあそこにいる人達と何も変わらないのだと思います」


 イサベルさんが天幕の方を見つめていた私の肩に手をおいた。


「そうですね。それは確かに特権を使ったということになると思います。ですが……」


「ですが?」


「その方に私は感謝したいと思います」


「えぇ!?」


「そうしてくれなかったら私はフレデリカさんとお友達にもなれなかったですし、こうして一緒に運動祭も出来ませんでした。そんな学園生活は私には想像もできません。いや想像できなかったくらいに楽しいのです」


 イサベルさんはそう言うと、私に向かってにっこりと微笑んでくれた。その姿は正に天から遣わされた女神の姿そのものに見える。


「そうですね。その通りです」


 そう告げると、オリヴィアさんも両手で私の手をそっと握ってくれた。何て健気さと可愛さを備えた笑顔なんでしょう。確かにこの上目遣いの視線を見たら、世の男子生徒などイチコロです。間違いなく一生夢に見ます。


「そうですね。そうでした!」


 私も二人に向かって笑い掛けた。私達三人の笑顔が弾ける。


「ハハハハ、子爵殿もお目が高い。あのような子こそ……」「いや、それほどでも。年の功と言いますか、見れば寝台の上では変わると分かるのですよ」


「あの坊やはもっと歳をとると渋みが出そうな感じですね」「あら、御家のあの背の高い侍従の様になるとおっしゃっているのでしょうか?」


 天幕の方から余計な声が響いてきた。この私達の幸せな気分をぶち壊してくれるお前達は何者だ?


「邪魔ですね」


 イサベルさんがはっきりと告げた。


「はい。私もずっとそう思っていました」


 オリヴィアさんも珍しくはっきりと告げる。


「本当にその通りです。私も吹き飛ばしてやりたいと思っていました」


「吹き飛ばす? なるほど」


 イサベルさんが私に微笑む。


「いいですね。そうしましょう」


 オリヴィアさんも私に深く頷いた。


「では、みなさんご一緒に!」


 私達は三人で天幕の方へと手を持ち上げた。


「吹き飛べ!」


 私達の願いが通じたのか、一陣の風が背後から私達の方へと吹き抜けてきた。それは冬の到来を告げる木枯らしのように小さな渦を巻くと、天幕とその天幕の中でふんぞり返っていた人々の帽子やら何やらを全て空高く舞あげていく。


 趣味の悪い服をきた男女が、慌てふためいて倒れる天幕の下から必死に這い出そうとしているのが見えた。


「フフフフ」「ハハハハ」「ふふふ」


 私達は腹を抱えて笑うと、片手を上げてお互いの手を叩き合う。お邪魔虫ども、二度とここには来るな!

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