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最終競技

 エドガーは星見の塔に入ると、控えの間の一番端にある自分の星見の者専用の大外套に手を伸ばした。そしてそれに無言で袖を通してフードを下ろす。交代の星見官が何人かそこに居たが、誰もエドガーに声をかけるものはいない。


 大外套を着たエドガーからは全てを拒絶する何かが纏わりついているかの様だった。星振の暴走から生還してからすぐ、エドガーは自分から希望してこの星見の塔へと戻ってきている。そして寝食を惜しんで可能な限り星辰の間に張り付いていた。


 それは単なる仕事熱心という言葉で方つけられるような詰め方では無い。以前は少年らしい面影を残していた顔はやつれ、急に一回り以上も歳をとったかの様だ。しかしその目だけは精悍さと言うより何かの刃物の様な光を湛えている。それは正に人が変わったとしか言えない姿だった。


 エドガーは他の星見官を一瞥する事なく控の間の階段を降りると、自分の専用となっている星辰の方へ滑るように動いていく。その姿はほんの少し前に同じ渡り通路をおっかなびっくり歩んでいた時の姿とはまるで違う。


 そのまま素早く「懺悔の間」まで歩み寄ると、両腕の肘をついて、何かに祈りを捧げるような姿勢になった。エドガーの目の前では星振が前後に大きく揺れている。


 エドガーが祈りの姿勢になると、それは振り幅をむしろ小さくしながらも、触れる周期が遅くなるという物理的にはあり得ない動きを始めた。それはエドガーの内なる力が星振を完全に掌握した証拠でもある。


 エドガーの意識の中には星振もそれが床に振りまく白い砂の線もない。いや床も天井も星見の塔自体も無かった。何も存在しない漆黒の深淵の中にいる。だが足元で何かが光った。その瞬間に暗幕が上がったかのようにどこか別の場所が見える。そこでは少年や少女達が何らかの競技の様なものを行なっていた。


 目の前を紺色の襟なしの服に紺色のズボンを着た少年が走り抜ける。その額には赤い鉢巻が巻かれていた。そしてエドガーの体に向かって黒い鉢巻きをした背の高い少年も駆けて来る。


 それはエドガーの体に激突するかと思ったが、少年はエドガーの体をすり抜けると、赤い鉢巻きをした少年を追いかけて走り去って行った。そしてさらに白い鉢巻きをした少年が目の前を過ぎて行く。


 ゆっくりと辺りを見回すと、芝生の広場の周りには大勢の少年少女達がいた。その多くは走っている生徒達に向かって立ち上がって声援を送っている。だがエドガーの耳には何も聞こえはしない。


 この位置では全てがはっきりと見えるが役目を果たすことは難しい。エドガーは手にした杖で地面をトンと叩いた。体がふんわりと持ち上がり上へ上へと登っていく。足元では走ってきた少年から短い棒を受け取った少年が走り始めたのが見えた。


 エドガーはさらに上へと登っていく。それと共に周りには白くぼやけた境界と、そこから先の真っ暗な闇も見えてきた。星辰が自分に見せているこの景色の限界線だ。


 足元に自分が監視すべき対象を探す。そしてそれはすぐに見つかった。。少しだけ霞がかかったような星振が意識の中に見せる景色の中で、その髪は秋の午後の日差しを受けて黄金の様に輝いている。そしてその背後にいくつかある天幕との間に、同じ黄金の髪をもつ男性がさりげなく立っている姿も見えた。


 その動きには一部の隙もない。エドガーはその姿を満足げに、そして畏敬の念を持って眺めた。その周囲に精神を集中し始める。己の中にある力と星振の同期がより強まっていき、それはもはや視界とは呼べないものへと変わった。エドガーの意識の中では全体が見えていると同時に、その地面の上の砂つぶの一つの動きすらも感じられるようになる。


『何だ?』


 エドガーの拡張された視界の中に何かがぼんやりと浮かび上がるのを感じた。それは何重もの紛れの結界に隠された何かだ。エドガーはその一つ一つを剥ぎ取り、その存在を明らかにしていった。エドガーの意識は透明なゼリーの体を持つトカゲの様な姿をした何かが、この広場を監視するかの様に徘徊しているのを捉えた。


 その何体かは黄金色の髪の少女の周りにも、そしてアルベールも監視するかのように張り付いている。


『あの人の邪魔はさせない』


 意識の中でそう告げると、エドガーはおもむろに腕を前と差し出す。そしてそれを足元の盆の様に見える視界の中へと差し込んだ。


* * *


 既に夕刻の気配を感じる午後の日差しの中、男子生徒のリレーが終わった。あの嫌味男の全力を尽くす発言にどれだけ意味があったのかは分からないが、我らが赤組男子は一年男子リレーで勝利を飾った。


 その中にはあのハッシーの姿もある。もちろん私は彼に対しては全力で、嫌味男に対しては同じ赤組としての義務感に基づき声援を送った。そして私の声援と願いが叶って赤組が勝利したのだ。


 これで私の敗北が帳消しになるわけではないが、ローナさんの手帳の点数によれば、一年女子のリレーに勝利すれば我々赤組の勝利は確定する。


 もちろんローナさんが間違えることなどあり得ない。さらにその手帳はこの競技の順位が本年の運動祭の順位を決めると告げていた。つまり私達はこれに勝つしかない。


 私は運動場をぐるりと見回した。その視線の先には競技を終えた熱気のまま自分達の席に着く一年の男子生徒達の姿がある。いつもは退屈そうにしているらしいが、今年はかなり真剣にその行く末を眺めている上級生達の姿も見えた。


 自分の右では少し強く吹き始めた冷たい風にその黄金の髪をなびかせながら、じっと前を見ている姿がある。そして左側では黒い髪の少女が杖を胸に祈るような面持ちで前を見つめている姿も見えた。私の友人にしてライバル達だ。


「ふふふ」


 思わず口から笑みが漏れそうになる。たとえ借り物競争や二人三脚でどれほど恥を掻こうが、皆に土下座するような目に逢おうが、少し前まで屋敷に引きこもっていた自分から見れば、この場に立って二人と競争できていることが、そして皆で一丸となって勝利を目指していることが、とても楽しくて嬉しくて仕方がない。


「楽しそうですね」


「はい」


 私は横から問いかけてきたローナさんに答えた。


「あれだけの目にあってもまだ楽しいと言えるのですから、フレデリカさんはとてつもなくお強い人ですね」


 ローナさんが私に向かって呆れたように声を上げた。


「強い? 違うと思います。嬉しくて楽しいだけです」


「嬉しい?」


「はい。皆さんと一緒にこうしていられることが、そして私の友人達と競えることがとても嬉しいのです。色々ありましたけど、私がおばあさんになっても、今日の日のことを笑って思い出せると思います」


 そうです。そうでなければあの嫌味男との間の単なる黒歴史になってしまいます。


「本日の最後の競技、一年生女子生徒によるリレーになります。参加者は運動場中央へとお集まりください」


 その声に私は背後を振り返った。


「皆さん最後の競技です。そしてその先に我々の勝利があります。では皆さん、行きますよ!」


「エイ・エイ・オーー!」「エイ・エイ・オーー!」「エイ・エイ・オーー!」


 掛け声をかけ終わった私達は、私とローナさんを先頭に運動場中央へと向かう。右を見ればイサベルさんを先頭に白組が、左を見ればオリヴィアさんを先頭に黒組が運動場中央へと進み出ていく。その先ではバトンを持ったアメリアさんと競技審判役のソフィア王女が私達を待っていた。


「これが運動祭最後の競技です。皆さんの悔いなき走りを期待します」


 ソフィア王女の言葉と共に、アメリアさんから私達にバトンが渡された。もちろん私の手にあるのは赤いバトンだ。そして両隣にいるイサベルさん、オリヴィアさんと互いに顔を見合わせた。


「最後ですね。でも負けません!」


「もちろんです。白組も負けるつもりはありません」


「はい。黒組もです」


 その姿を見たソフィア王女が私達に微笑んでみせた。


「これは私の個人的な見解ですが、今年の運動祭は私が知っている限りにおいて、最も盛り上がってかつ皆さんが集中して競技に臨んだ運動祭だと思います。皆さんが代表を務めてくれたことをとても嬉しく、そして誇りに思います」


 そう言うとソフィア王女は私達三人をそれぞれそっと抱きしめてくれた。その言葉に、そしてその手の暖かさに思わず涙が流れそうになる。だけどそれを流すのは全てが終わり、私達が勝利した後だ。


 私は背後にいる赤組のみんなを振り返った。これで勝っても負けても、それが人生の何かを変えてくれる訳ではないかもしれない。だけど前世で私を叱ってくれた人はこう言った。


『無駄だと思えるようなことをどれだけ真剣にやり続けられるかどうかで、生き残れるかどうかが決まるんだ』


 その通りだ。世の中には何かをなすことに無駄なことなど何もない。そして私は今日この日をこの皆んなと過ごしたことを一生忘れたりはしない。


「第一走者、準備をお願いします」


 アメリアさんの声が響いた。私は赤いバトンを赤組の第一走者へのローナさんへと渡す。


「ローナさん、よろしくお願いします」


「はい」


 ローナさんが私に頷いた。


「フレデリカさん。今度、黄色組にも遊びに来てください。喜んで歓迎します」


「はい。橙組にも来てください。こちらも喜んで歓迎します」


「どうして世の中には家柄とか余計なものが一杯あるんでしょうね」


 ローナさんがポツリとつぶやいた。


「不要なものです。いつか一緒にどこかへ全部吹き飛ばしてやりましょう」


「フフフフ。フレデリカさんが言うと本当に出来そうな気がするのは何ででしょうかね?」


 ローナさんが口に手を当てて含み笑いを漏らした。


「はい。必ず吹き飛ばしてやります」


 そう言うと私は奥の天幕にいる奴らを睨みつけた。


「では行きます!」


「お願いします!」


 各組みの走者が位置につく。赤組は一番内側だ。


「位置について」


 各奏者が走る準備をするのが見えた。


「用意、始め!」


「頑張れ!」「走れ!」


 一年女子だけじゃない。男子生徒からも、そして上級生からも声援が飛ぶ。そしてこれが私達の最後の戦いだ!

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