謝罪
「皆様、誠に申し訳ございませんでした!」
私は赤組の前で皆さんに土下座して謝っている。理由は明白だ。一走者分という圧倒的な優位にあった二人三脚で、最終走者たる自分で最下位になったのだ。これで頭を下げねばどこで頭を下げるというのだろう。
ちなみに私の右側には、応急修理された校内案内看板の後ろに隠れているのを発見されたハッシーが、私の右手で無理くり頭を下げさせられている。
ハッシーの逃亡があっても、ローナさんがイアン王子を代替走者として連れてきてくれた時点では、まだ先頭でスタート出来ていた。だがそこからと言うのがともかく酷すぎた。数歩進んでは地面に倒れ込むのを繰り返し、世の人々に乙女としてあってはならない姿を晒し続けた。
走るのを諦めて歩くのに集中しても中々前へ進まない状態だ。もちろん他の組などは先にゴールしている。そこで競技をやめてくれれば、順位はさておきまだ救いようがあった。
だがどこかのアホが、最終走者がゴールしないとその組は失格とするという謎ルールを入れてくれたおかげで、他の組がゴールした後も、ひたすらにあの嫌味男と共に醜態を晒すハメになった。これはほとんど拷問のようなものだ。
おそらくあの嫌味男が王子でなかったら相当な嘲笑を受けたと思う。だが個人的には嘲笑をもらった方がまだボケられる。まばらな拍手の中、案内係の「赤組頑張ってください」とか言う単なる義務感から出ている声を受けながら歩むのはあまりに刹那すぎた。
ただこれではっきりしたことがある。あの嫌味男と私の相性は最悪です!
「まあ、得手不得手は人それぞれですし、大人の世界を垣間見せていただいた様な気もしますから、それはそれでありの様な気もします」
ローナさんが少し呆れた様な声を上げる。大人の世界とは一体なんでしょうか? それはもしかして私があの男と地面を転がりまくっていたことでしょうか?
「なのでフレデリカさんが頭を下げる必要はないと思います。ですがそちらの殿方に関して言えば話は別です」
そう言うと、ローナさんが頭を下げて震えているハッシーの方をジロリと睨んだ。
「あなたについては許す気にはなりません」
「皆さん、どうか私達を許してください」
私は声を上げた。
「私達?」
ローナさんがよく分からないという表情で私に問いかけた。やはりここは正直に話さないといけない。そうでなければ頭を一緒に下げてもらった意味がない。
「私も逃げ出しました。だから私は彼が逃げ出したくなったのがよく分かるんです」
「フレデリカさんがですか?」
ローナさんが驚いた顔をして私を見つめた。
「私はお披露目の時に壁際でずっと息を潜めていました。彼と同じです」
そうです。それが私です。変なものが混じっても私はフレデリカ・カスティオールです。私の心は14歳、もうすぐ15歳のフレデリカ・カスティオールであり、そして18歳まで生きた前世の記憶をもつフレデリカ・カスティオールでもある。だからお披露目の時に壁際で誰の目にも止まらぬ様に、じっと息を潜めていた自分の気持ちもよく分かっている。
人は誰もが目の前の何かに打ち勝とう、挑戦しようと思う訳ではない。それから逃げようとしても当たり前だ。むしろそれが普通だ。だが人はそれをいつかは乗り越えていく。それは誰かに対する期待に応えるためだったり、自分自身を信じる心だったりと色々だ。人の成長がそれぞれの様に、それがいつどの様に乗り越えられるかもそれぞれだ。
私はアンジェリカのお披露目に出る時まで、自分が一体何から逃げていたのか、それが一体誰の心を傷つけていたのかを知らなかった。もしカミラお母様が付き添い人としてアンのお披露目に出るように言わなかったら、私は永遠にそれを知ることはなかっただろう。そして一歩前へと進むことも無かった。
彼が私の横で震えている時に、私は彼にもっと注意を払うべきだった。何が彼を恐れさせているのかを理解すべきだった。そしてそれに一人で立ち向かう訳ではないことを私は彼に告げるべきだったのだ。
分かっていながらそれが出来なかった私と、それを乗り越える術を知らなかった彼とのどちらに罪があるだろう。もちろん私だ。
私は彼に自分を頼るべきだと、そして困難には一人で立ち向かう必要がないのだと伝えるべきだったのだ。だから私はそれをみんなに言わなければならない。
「だから彼の気持ちが分かるのです。それを分かっていながら何もできなかった私も悪いのです。それでもどうか私達を許してほしいのです」
ハッシーの背中が震えている。彼にも何かに挑戦して失敗してもそれは普通の事で、それを許してくれる誰かがいる事も分かって欲しいのだ。私もその人達に支えられている。そしてそれはお互い様でもあるのだ。
「綺麗事ね」
ローナさんの背後から声が響いた。
「メラミーさん?」
「その通りでしょう。一緒に頭を下げて、そちらの殿方を庇って、それでいい気になっているだけじゃないの? あなた達のせいで負けた。ただそれだけのことよ」
「その通りだ」
その通りだ。だけど私にはこうする以外には……えっ!
「我々のせいで負けた。申し訳ない。この件については私の方から皆さんに謝罪させていただく」
「え、あ、あの……」
私の背後から声が響いた。そしてメラミーさんの口からは少し狼狽えた様な声が漏れる。振り返ると鳶色の髪の男がこちらに向かって頭を下げていた。
「いくら彼女が足の出し方を全くもって理解していないとしても、私の方でなんとかすべき問題だった。これは私の力不足だ」
そう言うと、イアン王子はハッシーの手を取った。
「これはある種の災難だからな。君がそこから逃げ出したくなるのも理解できる」
そこでイアン王子は私の方をちらりと見る。災難? もしかして全て私のせいだと言っています? まあ、彼を救えるのならどうでもいいです。
「だが我々の落ち度であることには変わりはない。故に次の男子リレーにおいては、全力を尽くすことをハッシー君と共にお約束する」
そう言うと私に手を差し出した。
「フレデリカ嬢。君もいつまでもそこにしゃがんでいると全体の進行の迷惑だ」
あのですね。そんな台詞を受けてその手を取ると思います? ですがこの件は私の借りですね。私は諦めて彼の手を取った。彼が私の体を引っ張り上げる時に、少しだけ唇の端を歪めて見せたのは気のせいだろうか?
「では赤組の諸君。あと二競技だ。赤組の勝利を目指して頑張ろう」
そう言うと、ハッシーの肩を抱いて赤組男子の席の方へと去っていく。
「イアン王子の言う通りです。皆さん、勝利を目指して頑張りましょう」
ローナさんが赤組女子に向かって声をかけた。
「はい!」
そしてほぼ全員から声が返る。だが私の視線の先ではメラミーさんがそれに唱和することなく、私の方をじっと睨みつけていた。
* * *
「イアン、何を好感度の爆上げをしているんだ?」
赤組の席の方へ戻ろうとしたイアンの横から声がかかった。
「好感度?」
「そうだ。赤組の女子生徒達のお前の背中を見る目が全部ハートマークだったぞ。まあ、少数の例外はいるがな」
そう言うとヘルベルトは今でも頭をぺこぺこと下げている赤毛の少女をチラリと見た。
「それは俺のセリフだヘルベルト。だがお前のやり方はあまりにあからさますぎないか?」
そう告げるとイアンはヘルベルトに向かってさも呆れたような顔をした。
「何を言う。既にライバルがいるのだ。あれは名刺代わりの様なものだよ。これで誰も俺が彼女に好意を抱いていることを疑うものはいないだろう?」
「はあ。お前の父親が見たら剣を抜いて切り捨てにくるぞ」
イアンの言葉にヘルベルトがニヤリと笑う。
「そうだろうな。だがここは学園だ。月下美人の様に美しいあの方もいるし、俺にとっては天国の様なものだ。いやもう言葉でなど表すことはできない……見ているだけで……」
「なんとかにつける薬はなしだな」
イアンはそう言うとヘルベルトに向かって肩をすくめて見せた。
「それよりもキース殿がお前を睨んでいたぞ」
真顔に戻ったヘルベルトが、肩越しに上級生の席をチラリと見ながらイアンに告げた。
「言いたいことは分かっているさ。王族はそう簡単に頭を下げるなだろう」
「後から相当に小言を言われるのを覚悟しておいた方がいいな。俺を巻き込むなよ」
「そうだな。頭を下げてもキース兄さんからは小言で済むが、下げなかったらソフィア姉さんから張り倒される。どっちがおそろしいかは……」
「ああ、そうだ。そうだった。間違いない。よくやった」
「俺がソフィア姉さんから張り倒される時は、絶対にお前も巻き込んでやるから覚悟しておけよ」