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代替走者

 私の目の前では二人三脚の競技がつつがなく進んでいる。そしてよく分からない厳正な抽選の結果、私は赤組の最終走者として列の一番最後に並んでいた。


 私の隣にはとても内気らしい無口な男子生徒が、寒いのか肌を震わせながら立っている。こちらが挨拶で出した右手にすら触れようとしない純真な少年だ。確か名前は「ハッシー」か、「ハッシーモト」だったと思うけど、もごもごと喋るのでよく分からない。


 どこかで見たことがある様な気もするのだけど、どこだっただろうか? どうも思い出せない。


「次、お願いします!」


 赤組の二つ前の組が次の組に解いた紐を渡した。次の組がそれを素早く足に結ぶと、二人で軽く目を合わせて前へと駆けていく。これは私が知っている二人三脚からすれば爆走に近い速さだ。そしてほとんど躓いたり転んだりする組はいない。


 最初はいきなり男子生徒と肩を組んで走ることにワーキャー言っていた女子生徒達や、顔を赤らめて緊張した顔をしていた男子生徒達も、今では怖いぐらいに競技に集中している。


「何でだ?」


 思わず口から声が漏れた。私が知っている定番の二人三脚とは全く異なる展開だ。普通に考えれば転んで、男子生徒の体が女子生徒の体の上に覆いかぶさったりして、とてもじゃないが口にはできないような、くんずほぐれつな展開になるのではないだろうか?


 そして来年には絶対に禁止になる。あるいは男子生徒、女子生徒同士の組み合わせに限定される。そうなるべきものだ。それがほぼ全員がまるでダンスのステップを刻むかのように安定した走りを見せている。


『ダンス!そうか?』


 そうだった。私の頭の中に妹のアンの姿が浮かんだ。この人達を舐めていた。ここに来ている皆さんはお披露目や、それに出れなくてもそれに準じる厳しいお稽古事に耐えてきた人達だ。


 あれだけ複雑怪奇なステップを足を踏まずに踊れるのだ。二人三脚程度で躓いたりするはずがない。楽勝だ。私は思わず深く頷いた。だが頷いた視線の横で、私のパートナーのハッシーがフラフラと列を離れていくのが見える。


「ちょ、ちょっと、もうすぐ出番ですよ!」


 風邪でも引いているのだろうか、私の掛け声にハッシーがびくりと体を震わせた。それにどういう訳だか彼は私が声をかける度に、とてつもなく恐ろしい何かに触れたように私の方を見る。なんでだ?


「て、手洗い!」


 そう言うと彼は校舎の方へとかけて行った。もうしょうがないですね。そう言うのは始まる前にちゃんと行っておいてください。まあ、前世の事を考えれば私はあまり人の事は言えませんけど!


「お願いします!」


 そんなことを考えているうちに、先ほど走った二人がもう戻ってきた。いや、ちょっと待ってください。皆さん下手したら徒競走より早くないですか? これはもしかしたらお互いを意識した事による相乗効果とか言うやつでしょうか?


 紐を次の走者に渡した二人が、少し上気した顔でお互いを見つめ合いながら小さく言葉を交わしている。こ、これは……


『羨ましい!』


 思わず心の中で羨望の声をあげてしまう。男子生徒の誰が企画したのかは知りませんが、褒めてあげます!


「行きます!」「はい!」


 紐を結び終わった男子生徒が女子生徒に声をかけた。私の前の走者はローナさんだ。男子生徒が少し遠慮がちにローナさんの肩に手を回し、ローナさんが男子生徒の背中に手を回して走っていく。


 ローナさんと肩を組んで走れるなんて、一生の思い出ですよ。死ぬ時に絶対に走馬灯に出てきます。この競技には人数の関係から全員が出ているわけではない。これは参加できなかった人から見たら、羨ましいどころの騒ぎではないだろう。


 これで赤組は最後の走者、私達だけだ。他の組を見ると、まだその前に一組ほど走者を残している。つまり赤組は走者一つ分ぐらいの大リードを得ていた。次が黒組で最後が白組だ。


「そうか!」


 私は思わず掌を拳で打った。赤組にはやんごとなき家の人達はほとんどいない。それでこの競技に差し障りがある人達が少ないのだ。それに女性が男性に対して積極的な気がする。やはり赤は情熱の赤です!


「フフフフ!」


 口から含み笑いが漏れる。もしかしてオリヴィアさんもこの競技でエルヴィンさんと組ませるべきだったか? いや、流石に二人三脚ではお姫様抱っこは無理だ。


「私にしっかりと掴まっていてください」


「はい。分かりました」


 噂をすればなんとやらだ。隣の列からオリヴィアさんの可愛らしい声が聞こえた。見るとオリヴィアさんがあのヘルベルトとか言う背の高い男子生徒と並んで立っている。厳正な抽選とか言っていたが本当か? まあ、人の事は言えませんけどね。


「失礼致します」


 隣からやたらに丁寧な声が聞こえた。


「えっ、何ですか!?」


 オリヴィアさんの当惑した声も上がる。


「ちょ、ちょっと待て!」


 思わず口から言葉が漏れた。会場からもざわめきの声が上がる。ヘルベルトとか言う生徒は、オリヴィアさんをくくりつけた脚ごと無理くりお姫様抱っこをすると、なんと片端で跳ねながら前へとものすごい勢いで進んでいく。


『お前は「からかさ小僧」か!?』


 私は心の中で叫び声を上げた。「からかさ小僧」って何だ? いや、今はそんな事はどうでもいいです。これは絶対に二人三脚ではありません!


 私の視線に折り返し地点を回ってローナさん達がこちらに向かってくる姿が見える。そうだ。ハッシーはどこに行った!私は辺りを見回すがその姿はどこにも見えない。


「あの、ハッシーを、ハッシー・モトさんを探してください。次の走者、私の相方なんです!」


 私の声に競技を終えた赤組の走者達が顔を見合わせた。ローナさん達はもうすぐ戻ってくる。


「何処に!」


「お手洗いに行くとか言っていました」


 私の声に男子生徒の何人かが校舎の方へと走っていく。赤組男子生徒の席の方へ彼を探しに走っていく人の姿も見えた。


「フレデリカさん、お待たせしました!」


 ローナさんがその相方の男子生徒、イケメンかと言われれば微妙だが、笑顔がとっても素敵な男性とスタート地点に戻ってきた。そしてすぐに自分達の足の紐を解きにかかる。


「折り返し地点は芝生が擦れて滑り易くなっているので、十分に気をつけてください」


 そう言うとローナさんが私に紐を差し出した。ただそれを受け取ってぼーっとしているだけの私を見て怪訝そうな顔をする。そしてハッとした顔で辺りを見回した。


「男子生徒の方は?」


「お手洗いに言って戻ってきません。今、皆さんに探してもらっています」


 私の言葉にローナさんの顔が険しくなる。そして横を見た。他の組が最後から二組目の走者が出ていくのが見える。


「あのクソガキ、どこに行った!」


 ローナさん、素が、地が出ていますよ。隣の男子生徒がちょっと引いています。


「フレデリカさんは準備をお願いします。係員に病気欠場につき代替の走者を認めるように交渉してきます」


 そう言うとローナさんは男子の審判員の方へと駆けていく。流石はローナさんです。やはり世の男性達はローナさんの様な女性こそ伴侶に求めるべきです。私が男性なら速攻で婚約します。あんなエロ親父達などの目に触れさせてはいけません!


「ハッシーはどこだ!」「おい、赤組が止まっているぞ!」


 どうやら赤組に何か問題が起こったことは他の組にも知れ渡ったらしい。だいぶ遅れていた白組にも気合が入るのが分かった。


「お疲れではありませんか? 降ろしますので足元に気をつけてください」


 私達の横ではからかさ小僧が本当に片足だけで走り切ったらしく、まるで王女様の様な扱いでオリヴィアさんを丁寧に下ろしていた。当のオリヴィアさんも次の走者もその姿をあっけに取られて見ている。


「さっさと紐をよこせ。結ぶぞ」


 私の耳にデリカシーの欠片もない声が響いてきた。振り返った私の目の前に鳶色の髪と鳶色の目をした男が不機嫌そうな顔をして立っている。


「はあ?」


 どうしてあんたがと言う前にローナさんの声が響いた。


「代替走者を認めてもらいました!」


 代替? これですか? もっと他にいいのはいなかったんですかね? いや、今はそんなことより赤組の勝利こそが大事です。横目で他の組を見ると、あの腰巾着のオリヴィアさんへの扱いが丁寧過ぎて、黒組はまだ出発できていない。白組はやっと走者が戻ってきたところだ。


「いくぞ!」


 私達の足に紐を結び終わった嫌味男が私に向かって声をかけた。そしてやつが私の肩に腕を回してくる。仕方がありません。ここは私が我慢すれば良いだけです。私も彼の背中に腕を回した。


「一斉のせ!」


 私の掛け声に合わせて、二人で前に足を出す。


『あれ?』


 お前、結んだ足から出すに決まっているだろう!出したはずの足が全く動かない。気がつけば少し枯れかかった芝生が私の目の前に迫っている。それに激突する前に体の前に腕が回された。そして「ドン!」と言う鈍い振動が地面から響いてくる。


「重い。さっさとどけ」


 地面の方からはデリカシーの全く無い不機嫌そうな声が聞こえてきた。気がつくとまるで褥を共にするかの様に、嫌味男の胸に手を添えてその体の上に倒れている。


『いけません!』


 二人三脚ではない別の何かをしているかの様な醜態です。私はさっさと立ち上がると嫌味男に手を貸した。


「外からに決まっているだろう?」


「いえ、普通は内からです!」


「分かった。内からだな」


「一斉のせ!」


 何をしている? 一歩は私の一歩に合わせるに決まっているだろう!私の体がやつの体に引きづられる。再び私達の周りで世界が一回転しようとしていた。

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