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借り物

「素敵ですね」


 私の横にいるローナさんが小さくため息をつくのが聞こえた。


「本当ですね」


 私達の前ではちょうど踊り終わった三年生の男女が、向かい合ってお互いに紳士淑女の礼をしているのが見える。その何人かは婚約者同士らしく、とても息があった踊りを披露していた。


 だがこの踊りの中心に居たのは間違いなくキース王子だった。キース王子は私と似たような赤髪の女性とそれは見事な踊りを披露した。ソフィア王女もとても踊りが上手だったけど、キース王子のそれはまさに圧巻だった。まるで熟練の人形使いが人形を操るかのように、女性の体がその手と足の動きに合わせて艶やかに舞った。


 血を分けた兄弟だと言うのに、どうしてあの嫌味男(イアン)は下手くそなんだ? キース王子みたいにちゃんとリードしてくれれば、私だって少しはまともに踊れると言うものだ。


 会場からは盛大な拍手が上がった。もちろん私も手が痛くなるのを無視して大きな拍手を送っている。天幕の黒犬達も流石に酒盃をおろして一応は手を鳴らしていた。それはそうだろう。何せ相手は王子様だ。


 これで上級生の競技は全て終わった。そもそも上級生の競技は加点の対象ではない。これは私達一年生の戦いなのだ。私はマリが持たせてくれたお弁当袋から蒸した米を丸めたものを取り出すと、それにガブリついた。


 食事の時間というのは特に設けられていないので、競技の合間や上級生の競技時間に取るべきだったのだが、応援とその演技に見惚れていて食べるのを忘れていた。


 それにどうしてかは分からないが、運動祭というものに参加する以上、私としてはお昼ご飯はこれしか考えられない。マリに米を蒸したものを丸めてほしいとお願いしたのだけど、よく分からない様だったので自分で丸めた。だけど途中からマリが引き継いでくれた。


 やり方を理解したのと、私が丸めようとするたびにうまくいかずに巨大になっていくそれを見て、何らかの危険を察知したのだろう。塩味が上手に効いていてとっても美味しい。


「それは何ですか?」


「えっ? お米です。お米を丸めたものです。お、おに……何とかという奴です」


 確か名前があったと思うのだけどよく思い出せない。


「へぇ。もしかしたら南の大陸の料理ですか?」


「そうですね。多分そうだと思います」


 私の答えにローナさんが不思議そうな顔をする。きっとロゼッタさんとの学習の際にでも見たのだろう。


「作り過ぎてしまったので、良かったら一ついかがですか?」


 私が丸い米を差し出すとローナさんが驚いた顔をした。だけどそれを受け取ると、小さく口を開けて一口食べる。


「白パンとは違いますが、塩味だけなのにとっても美味しいです」


 そう言うと今度は大きく口を開けてかぶりつく。そうです。これはそう言う風に食べるものです。私も彼女に負けないぐらいに大きな口を開けるとかぶりついた。それに何故かこれを食べていると戦っていると言う気がしてくる。


 ローナさんは大人びた人だが、こうして食べている仕草を見ると年相応の少女に見える。彼女は私に負けないぐらいあっという間にそれを食べると私の方を見た。


「前半戦はリードしたみたいですが、やはりほとんど差はないですね」


「はい」


 前哨戦とでも言える徒競走はほぼ横並びだ。私はと言うとイサベルさんに完敗だった。ひたすら彼女の見事な背中からお尻の線を眺めている内に終わってしまった。背中の痛みが取れてもイサベルさんには敵わない。完璧美少女恐るべしです。


 横に視線を巡らせると、白組女子の先頭ではイサベルさんが腕組みをして立っている。もはや何かを率いる女神のような出立ちだ。その横では杖を胸に抱いたオリヴィアさんがじっと運動場を見つめている。かなりの数の男子生徒達が、その可憐な姿をガン見しているのが良く分かった。


 黒組は女子の成績はイマイチだったが、男子の成績は明らかに飛び抜けている。これは間違いなく男子生徒達のオリヴィアさんを守ってあげたい効果です。彼女に頑張ってくださいと言われたら、死ぬ気で頑張るだろう。


 それに比べると我らが赤組男子は最低です。彼らにやる気はあるのだろうか? 思わずその不甲斐ない姿を睨みつける。私はその先頭にいる男子生徒の姿を見て嘆息した。そこに立っているのはあの嫌味男です。


 まあ、イラーリオ先生の件では助けてもらいましたから、その点では感謝していますけどね。明らかにやる気なさすぎです!


「ここからが勝負ですね」


 ローナさんが私に声をかけてくれた。


「はい。借り物競争は借り物を他の人間が探すことが許されています。だからまさに団体競技です。ここからが私達赤組の団結の見せ所です」


 ローナさんが私に頷いて見せる。それにこれは私の友達の恋のためでもあります。


* * *


「では位置について、よーい!はじめ!」


 私の合図に3人の競技者が一斉に走り出した。借り物競争は今回初めて行うので、私やイサベルさん、オリヴィアさんの三人は競技の進行役もやらないといけない。もちろん競技にも参加する必要がある。なので交代しながら一人が開始役をして、もう一人がゴールと借り物についての判定役だ。


「走れ!」


 背後から男子生徒の応援する声が響く。最初は何が何だか分からなかったのか、とっても静かな競技になり、背筋に冷たいものが流れた。しかし三人目ぐらいから生徒達が競技の内容を把握すると、そこからはひたすらに盛り上がっている。今では一年生だけでなく上級生達までもが借り物の調達に奔走していた。


「何!?」「なんだ!」


 競技者が借り物の紙を取った時点で各組から声が飛ぶ。


「女子の先生です!」


 最初に紙を開いた赤組の生徒が叫んだ。


「おい、エロイーザ女史はどこだ!」「研究棟に居るはずだが、今は封鎖中だから分からん」「保険の先生でもいいはずだ。さっきその辺で見たぞ!」


「校長先生の帽子です!」


「シモン校長はどこだ!」


「杖です!」「黒組の女子生徒が持っていたぞ!どこに行った!」「「渡すな、逃げろ!」


「見つけました!」


 私の横をメルヴィ先生が文字通りに引きずられるように連れてこられた。そこで競技者の赤組の女子生徒に引き渡される。


「先生、全力で走ってください!」


 メルヴィ先生を引きずってきたローナさんが先生の背中を押す。その向こうでは白組の借り物である杖を、黒組の背の高い男子生徒が体を張って妨害している。あ、あのですね。借り物を借りるのを妨害するとか言うのは想定に入っていないのですけど。


 ちょっと待てお前たち!乱闘をするなどと言うのは全くの想定外です!


 前を見ると校長から帽子を受け取ったらしい黒組の生徒が、メルヴィ先生の手を引っ張って走る赤組の生徒に肉薄している。それに気がついた赤組の生徒がメルヴィ先生の腕を掴むと、やはり引きずるようにゴール目掛けて走っていった。


「借り物は女子の先生。確認しました。赤組一着です!校長先生の帽子、確認しました。黒組、2着です!」


 イサベルさんの美しい声が響く。赤組のすぐ後でゴールに飛び込んだ黒組の子が悔しそうな顔をした。


「ちょっと待て、生徒に先生のふりをさせても認めるのか!?」


 上級生の一部から疑義の声が上がった。その声に引きずられたまま芝生の上に倒れていたメルヴィ先生がむくりと起き上がる。いけません!これも想定外です。


「いや、生徒じゃなくて見学の子供だろう」


 別の生徒の無自覚な声も響いた。起き上がったメルヴィ先生がその声の出どころを探っている。


「次の競技が始まります。皆さん、お静かにお願いいたします!」


「いや、さっきの判定の確認の方が……」


 だまれ。静かにしろと言っているだろうが!その発言が生死に関わると分かって言っているのか?


「お静かに……」


「私のことを子供と呼んだのはお前達か?」


 声を上げていた男子の上級生の顔色が変わる。どうやら彼らはやっと自分達がどれだけ不用意な発言をしていたのかを理解したらしい。


「今からそこまで行きますので、そこを動かないでください」


 メルヴィ先生が口の端をニヤリと持ち上げる。先ほどまであれほど盛り上がっていた運動場の中に一瞬の静寂が広がった。


「メルヴィ君。借り物としての君の出番は終わったよ」


 一歩足を踏み出したメルヴィ先生の体を誰かがひょいと持ち上げた。見るとハッセ先生がメルヴィ先生を小脇に抱えるように持ち上げている。持ち上げられたメルヴィ先生はバタバタと両足を動かしているが、ハッセ先生がそれを気にする様子は全くない。


「教授、離してください!見解の相違について確認が必要です!」


「今日は生徒達の自主性に任せる日だからね。見解の相違の確認も含めて我々教師の出番は無しだ。フレデリカ君、続きをお願いする」


 ハッセ先生は後ろ手に片手を上げると、バタバタともがくメルヴィ先生を抱えたまま運動場を去っていく。助かりました。もう少しで運動祭が血を見る何かに変わるところでした。


「では次の走者の方、準備をお願いします」


 運動場の端のスタートラインに三人の女子生徒が並ぶ。その中の一人は黒い髪を僅かに吹く風に靡かせながら、緊張した顔でスタートラインに立っていた。私はゴールで待っているイサベルさんの方をチラリと見る。イサベルさんも私に頷き返した。かなりずるいですけど、この為の借り物競争です。皆さん許してください。


「では位置について、よーい!はじめ!」


 三人が借り物の紙が書かれた台に向かって走っていく。やはりオリヴィアさんは他の組の二人に遅れてしまった。それでも入学した時には車椅子だったのが信じられない足取りで台へ向かって行く。最も今回はオリヴィアさんがどの紙を選んでも、借り物の内容は決まっている。それを確認するイサベルさんは確認するふりをするだけだ。


「やかん、やかんです!」


「黄色い帽子です!」


「救護室、救護室にやかんがあったはずだ!」


 誰かが救護室へと駆け込むのが見える。


「エミルおばさん、すぐにその帽子をお貸しください!」


 来賓に親戚でも来ているのだろうか、女子の上級生が天幕に向かって声を上げている。明らかに上級生の方が盛り上がっているような気がするのですけど、気のせいでしょうか? 他の組が借り物に走っているところ、オリヴィアさんがやっと借り物の台に辿り着いた。相当に頑張っているのだろう。肩で息をしているのが見える。


「なんですか!?」「何だ!?」


 黒組の生徒達からオリヴィアさんに声がかかる。


「背が高くて剣が上手な一年生です!」


 オリヴィアさんが声を上げた。ちょっとあからさまですけどね。ですが間違いがあってはいけません。このぐらいでいいと思います。オリヴィアさんが周りを見渡すふりをしつつ、エルヴィンさんの方を見る。そしてそちらに向かって走り始めた。


 とても自然で素晴らしい動きです。私が同じことをやったら、大根役者で間違いなくバレバレです。


「あの、借り物に……」


 オリヴィアさんがエルヴィンさんに向かって精一杯の声を張り上げた。きっと内心は心臓が爆発するような思いなのだろう。思わず私の手にも力が入る。だけど息が続かないのか、そこでオリヴィアさんが一息入れた。


 そうです。焦りは禁物です。これに関して言えば順位などどうでもいい話です。いざとなればイサベルさんが判定に時間をかけて、競技時間を引っ張ります!


「お、お願い……」


 その視線の先にいるエルヴィンさんが少し驚いた顔をしたが、オリヴィアさんの差し出した手を取ろうと、前に足を踏み出した。あとちょっとです。思わずこちらも息をするのを忘れそうになる。


「もちろんです!謹んでお受け致します」


 その時だった。不意に二人の間に正体不明の影が割り込んだ。

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