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来賓

 冬の気配もする空は本当に青く、そして高く晴れている。少し肌寒く感じられるこの季節に運動祭をするのは、一年でこの時期が一番晴れるからだと誰かが言っていたが、本当にその通りだ。


 一年生から四年生までが揃う学園ではあるが、運動祭に参加するのは一年から三年までだ。それに個人競技があるのはこの一年生だけになる。後の学年は団体競技だけだ。つまりこの運動祭は新しく入ってきた一年生の為にあると言ってもいい。


 赤組が始めたリレーの練習は白組や黒組、特に白組を率いるイサベルさんの競争心に火をつけたらしく、各組が真剣に練習をするという、当初とはかなり違う展開になっていた。


 それだけではない。女子が練習をしているという噂を聞きつけたらしい男子生徒もかなり真面目に練習をしていたようだ。ハッセ先生はそれを教室でとても嬉しそうに話していた。ローナさんの卓越した手続き能力がなければ、練習場所の確保すらままならなかったかもしれない。


「…皆さんの日々の健やかな健康と成長を願っております」


 白亜の塔で会った長く白い顎髭を持つ校長先生の訓示がやっと終わった。もごもごと喋っているので何を話していたのかもよく聞こえていない。


 それよりも気分が悪いのは運動場の奥には色とりどりの天幕が建てられていて、そこでは来賓と称した貴族のおっさん達が飲み物を片手に歓談している事だ。明らかに運動着姿のこちらの方を遠慮なくジロジロと見ている。とても来賓だとは思えない。


「何ですか、あのおっさん達は?」


 思わず私の口から声が漏れた。


「どうかしましたか?」


 私の独り言に、白い運動着姿に赤いリボンをつけたローナさんが私の方を振り返った。


「何をジロジロとこちらを見ているんですかね」


 ローナさんが私の視線の先をチラリと見る。そこでは酒らしきものを片手に既に顔を赤くしたおっさん達が、遠慮なくこちらの方を指差しながら話し込んでいる。


「その通りですよ。私達を見にきたのです」


 ローナさんが特に表情を変える事なく答えた。


「それは分かります。ですが私達の運動着姿を見にきたとしか思えないんですけど!」


 ローナさんが不思議そうな顔をして私を見た。あのですね、私が言いたいのは競技ではなくて私達を……


「だからその通りですよ。運動着姿の私達を見て品定めに来たのです」


「品定め?」


「ええ。きっとどの子の体つきがいいとか話をしているんでしょうね」


 ローナさんがやはり表情を変える事なく答えた。


「何ですかそれ!? まるで怪しげな酒場にくる客みたいじゃないですか?」


「フレデリカさんのような由緒正しいお家の方は関係ないかもしれませんが、私達のような家の、特に次女や三女とかはほとんどその為に学園に来ている様なものです。もしかして知らなかったんですか?」


「えっ?」


「あの方達はこの王都で一番に力を持っている人達です。何番目かの奥さん候補の品定めに来ているのでしょうね。その人達と繋がれるのであれば、どの家でも喜んで娘を差し出します。家のものが直接に紹介する方が多いと聞きますが、この様な場所で自分で選ぶのが楽しいのでしょう」


「ちょっと待ってください。もしローナさんにそのような話がきたら受けられるのですか?」


「私がですか?」


 ローナさんが私に向かって口に手を当てて笑った。


「私に選択権などありません。そういうものではないですか?」


「私は……」


 私のお母様、アンナお母様は私が小さい時から生涯の伴侶は自分の目で選びなさいと言っていた。アンナお母様も学園に通っていた時にお父様に出会って、それで結婚を決めたのだ。お父様が私に幼い時に婚約者を決める様なことをしなかったのも、きっとそれが理由だったに違いない。


 私はそれはカスティオールが落ち目で、誰にも相手にされていないからだと勝手に思い込んでいた。もしかしたらそれは私の大きな勘違いだったのかもしれない。


 普通に考えれば、落ち目になったらもっと力のあるところと婚姻関係を結ぼうとするはずだ。貴族の家にとっては私達女はその為の道具の様なものだ。


 私は長女だ。お姉さんはいるがカスティオールの家の娘としては長女だ。だからあのニヤニヤと笑っている男達のところに差し出されたりすることはないだろう。だけどアンは、アンジェリカはどうなんだろう。


 カスティーオールがもっと困ったことになったら? どこかの家がカスティオールに手を差し伸べる代わりに娘を差し出せと言ったら?


『そういう事だったんだ』


 私はカミラお母様が私を家から追い出そうとしている本当の理由を初めて理解した。カミラお母様はアンを守ろうとしているだけなんだ。


「どうしたのですか? 毎年行われる当たり前の事ですよ。それにここにいる何人かはそれを望んで学園に来ている者もいると思います。それにそれは私達だけではありません」


 ローナさんはそう言うと端に立つ天幕の方を指差した。


「男子生徒の一部もそうです。あの薄紅色の天幕にいるご婦人達は若い侍従候補を探しにきているのでしょうね」


 そこでは大きな帽子を被った、どこかの家の貴婦人と思しき恰幅の良い女性達が、男子生徒の方を見ながらケラケラと笑っている姿がある。


「フレデリカさん」


「はい」


「今は余計な事は考えないで、私達赤組の事に集中してください。そして白組や黒組に勝ちましょう。そうでなければこれは単なる見せものになってしまいます」


「はい、ローナさん。そうですね。勝ちましょう。あの者達にはいつか私が報いを与えてやります」


「えっ?」


 ローナさんが驚いた顔をして私を見る。


「報いですよ。間違っていることを間違っているとも分からない獣以下の者達です。二本足で立てなくしてやるぐらいは当たり前です」


「フフフフ」


 私の言葉にローナさんが含み笑いを漏らした。何かおかしな事を言いましたかね?


「フレデリカさんは面白い方ですね。でも何ででしょう? フレデリカさんを見ていると、本当にそれが出来そうな気がしてくるから不思議です」


 立てなくしてやるぐらいでは足りないでしょうか? ならば逆さ磔にしてですね……。


「最初の競技です。一年生の徒競走に出場の方は西口にお集まりください」


 呼び出し係が大きな声を上げながら運動場の間を移動していく。そうだ。まずは自分達が勝つことに集中すべきだ。チラリと横を見ると、イサベルさんが白組の人達に何やら訓示らしきものを述べている。その向こうではオリヴィアさんが皆に向かって杖を振り上げている姿も見えた。


「ふふふふ」


 思わず口から笑みが漏れる。こちらだって負けてはいられません。こんなところで負けていては世間などには到底勝てません。


「皆さん、私達赤組は最強です。何にも決して負けません。負けてはいけないのです。あそこにいる黒犬や牛蛙どもに目にもの見せてやりましょう!」


 そう言うと私は天幕にいる酔っぱらい達を指さした。私の言葉に皆が驚いた顔をして私を見ている。


「いいですか皆さん。皆で一斉に『エイ・エイ・オー』の掛け声です。では皆さんご一緒に!」


「エイ・エイ・オー!」


 あれ? 私一人だ? 間が悪かったかな? もう一度です。


「エイ・エイ・オー!」


 ローナさんが私の声に合わせた。その顔が朗らかに笑っている。もう一度です。


「エイ・エイ・オー!」「エイ・エイ・オー!」「エイ・エイ・オーー!」


 私達赤組の掛け声が晩秋の空に響き渡った。全ての生徒達が私達を注目している。そうだ!私達はあんな奴らの見せ物なんかじゃない!


* * *


「何だ何だ!?」


 ヘルベルトは運動場の反対側にいる、聞いたことがない掛け声を上げている一団を見て目を丸くした。


「うるさいぞ、ヘルベルト」


 声を上げたヘルベルトに対して、イアンが鬱陶しそうな声を上げる。


「いや、うるさいのは俺じゃなくてあの連中だろう。あれは……一年女子赤組か? お前の組む相手は随分と気合が入っているな。それよりもイアン、どうしてお前は赤組何だ? 普通は王族は白組になるんじゃなかったのか?」


 そう言うとヘルベルトは頭の鉢巻きを指差した。ヘルベルトの頭には黒い鉢巻きが、イアンの頭には赤い鉢巻きが巻かれている。二人とも紺色の男子の運動着姿なのは同じだ。


「誰が決めたんだ? そんな規則は聞いたことがないぞ?」


「ほら、伝統とかそう言うやつじゃないのか?」


「規則として明確に書いていないのであれば、それに従わないといけない理由はない」


 イアンがヘルベルトに対してぶっきらぼうに答えた。


「そりゃそうだけど。でも何でわざわざ赤組なんだ?」


「決まっている。キース兄さんが白組でソフィア姉さんが黒組だ。ならば俺は赤組だ」


「えっ!? もしかしてあの二人と競うためか?」


「競い合ってはダメなのか? 勝てれば少なくともキース兄さんにはでかい顔ができるじゃないか」


 そう言い切ったイアンに向かってヘルベルトはため息をついた。内心ではお前は子供かと思う。だがヘルベルトとしては、イアンがあの二人に対してだけは少し子供っぽく振る舞うところは嫌いではない。


 普段のイアンはただでさえその言動や考え方が大人過ぎるのだ。そうでなければ単なる嫌味っぽいだけの男になってしまう。あの赤毛の少女がイアンに面と向かって「嫌味男」と言うのも分からなくはない。もっとも王族に向かってそんな事を言う奴は普通は居ない。


「本当に臍が曲がったやつだな。普通は角が立たないように同じ組にするんじゃないのか? そうか、それで王族は伝統的に白組なのか」


 ヘルベルトが納得したように両手を叩いて見せた。


「そんなことより彼と実際に会ってみたんだろう? どうだった?」


「普通にいい奴だったよ。素直で裏などありそうにもない奴だな。ただ……」


「何だ? はっきり言え」


「素直すぎるな。政治的なあれやこれやに関わると一番に貧乏くじを引きそうな奴だ。この学園にくるやつなんてのは、お前ぐらいに臍が曲がっているくらいで丁度いいんだろうな」


「つまり?」


「必ず何か裏がある。それを持ち込んでいるのはあのヘクター君だな」


 そう言うと、ヘルベルトは白組の先頭で何やら全体の注意事項らしきことを述べているヘクターの方を見た。銀色の髪をしたその少年は、目の前にいる鳶色の髪の男よりよほどに王子様らしく見える。その奥にある来賓の天幕にいる奥様方も、その姿を見て何やらヒソヒソと話をしているのが見えた。


「それに気がつかないで巻き込まれているのだろうな。どうも裏にあるのは相当に面倒な事の様だ。おそらくは裏社会……」


 ヘルベルトは話している相手が自分の言葉を聞いていないことに気がついて、先の言葉を飲み込んだ。イアンの視線は来賓の天幕で声を上げている男達に向けられて居る。男達は酒を片手に女子生徒の方をいやらしい目つきで見ていた。典型的な駄目貴族達だ。それを見るイアンの目は嫌悪感に満ちている。


 どう言う訳かイアンは権力を持つ側に与しているのに、それで女性を何とかすることを心から嫌っている。ヘルベルトの見るところ、それがイアンの女嫌いの噂の元になっているぐらいだ。世の大半は人の表面しか見ていない。相手に肩書がある場合は特にそうらしい。


 いや、イアンだけという訳ではないな。セシリー王妃の子供全員がそうだ。その点で言うとソフィア王女辺りはイアンなんかより徹底している。まるで王女であることを嫌っている様に思えるぐらいだ。


「ヘルベルト」


 イアンの呼びかけに、ヘルベルトは頭に浮かんでいたあれやこれやを振り払った。


「どうしたイアン?」


「俺は王になることは決してない身だが、あいつらを見ていると、王になってこの世から消してやりたいと思うな。世の中には存在自体が邪魔な奴らが多すぎる」


「おい、滅多なことを言うなよ」


 ヘルベルトは思わず辺りを見回した。たとえ王子と言えど言っていいことと悪い事がある。いや、むしろ王子だからこそ問題なのだ。


「そうだな。お前の言う通りだ。気をつけないといけない。だが人間の本質というものは境遇ぐらいで変わる様な物ではないのだな」


「何の話だ」


「単なる独り言だ。気にするな」


「徒競走に参加する人は西口にお集まりください」


 二人の耳に案内の声が響いてくる。


「ヘルベルト、今日は敵同士だ。遠慮なくやらせてもらう」


「そうだな。だが今日はお前なんかよりよほどに負けたくない男がいるんだ」


「まさかと思うが……」


 イアンが驚いた顔をしてヘルベルトを見る。


「そうだ。あのエルヴィン殿だよ」


 そう告げるとヘルベルトは西口に向かって駆け出した。

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