仲間
「それで私達にどうしろというのですか?」
運動祭の件で集まってもらった赤組の面々の中から、ローナさんが私にそう問いかけた。とっても不審そうな顔をしている。
「来たる運動祭でですね、一年赤組が白組や黒組の皆さんに勝てる様に作戦会議をしたいと思って集まって頂きました」
ローナさんの表情に内心かなりビビりながらも必死に答える。そもそも二十人以上の人間からガン見されること自体に慣れていません。慣れたくもありません。
「メラミーさん、どう思われますか?」
ローナさんが背後にいるメラミーさんの方を振り返った。メラミーさんはと言うと、この打ち合わせの最初からずっと明後日の方を見ている。と言うか、私と目を合わせたくないらしい。
やはり宿舎の部屋の横槍の件で嫌われているのだろうか? それとも歓迎会の件が原因なのだろうか? そちらは箝口令が引かれているのか、全て無かったことになっているらしい。どちらにしても嫌われていることは間違いないようだ。
「どうでもよくなくて?」
メラミーさんがローナさんにぶっきらぼうに答えた。これはいけません。やはり団体競技というのは団結が全てです。これでは先が思いやられます。
「一年生の最初の催しですので、皆さんと一緒に頑張りたいと思うのですが……」
私の発言にメラミーさんが疑わしそうな顔で私の方を見る。あの、ちょっと殺気も入っていませんか? 一応はそう言うのは分かるんですけど……
「みなさん? 貴方の都合じゃないの?」
うう……鋭いです。鋭すぎです。
「メラミーさん、そう頭ごなしに否定するのはどうかと思いますけど? 赤組はどういう訳か、ほとんどが由緒正しき貴族の家以外で構成されている様ですので、お嬢様方の鼻を明かすという点では意味がありそうな気がしますが?」
そう言うとローナさんが私の方をチラリと見た。これはカスティオールはもはや貴族の内には入っていないという意味でしょうか? それとも私もその由緒正しき家の一味という意味でしょうか? どちらにしても個人的にはそのような考え方は好みではないのですけど……
『めんどくさい』
思わず心の中でため息をついた。私達が借りている実験室の窓からは夕刻の気配の黄色い光が差し込んでいる。他の組は早々に打ち合わせが終わった様だけど、この赤組はみんなに集まってもらうだけでも大変だった。
それでもローナさんがテキパキとこの実験室を借りる手配をしてくれて助かりました。そうでなかったら、廊下でやることになりかねませんでした。そこに座り込んでの話し合いなんて事になったら、長いスカートを履いた姐さん達の集会と同じになってしまいます。
あれ、集会って何だろう? やっぱり私には色々と変なものが混じっているような気がする。
「それでフレデリカさんには何か作戦の様なものがおありでしょうか?」
「はい。個人競技を除くと、団体戦としては女子の借り物競走、男子生徒の自由競技、最後のリレーです。この間の体力測定を参考に均等に組を分けましたので、個人競技についてはそれほど差が出ないと思います」
「借り物競争ってなんでしょうか?」
ローナさんが不思議そうな顔をして私に問いかけた。何でだろう? どうやらローナさん達も借り物競争を知らないらしい。
「借り物競争は紙に書かれた借り物を借りて走るという競技で、これはほとんど運任せです。最後のリレーの配点が最も大きいので、これで一位が取れれば私達赤組の勝ちだと思います」
「でも先ほど均等に分けられたと言いましたけど、リレーも同じではないのですか?」
「いえ、リレーはバトンの受け渡しがあるので、これが上手くいくかどうかで大分違いが出ます。それと走る順番を工夫してなるべく最初に先頭を取れれば、受け渡しも楽になりますし、追い抜くのに比べて無駄がありません」
「つまりは?」
「はい。練習あるのみです」
「練習ですか?」「そんなの疲れませんか?」
集まった人たちから口々に文句が漏れる。それはそうだろう。貴族のお嬢様でなくても、高官の家や大商家のお嬢さん達だ。その様な努力をさせられること自体に慣れていないはずだ。
「何を言うのですか?」
その人達に向かってローナさんが声を上げた。
「たかが走るだけですよ。お家でされていたお稽古ごとに比べたら、楽なものではありませんか?」
ローナさんの声に皆が静まり返った。間違いない。黄色組はローナさんが仕切っている。責任者とか言うのも本来ならこの人がやるべきなのだ。
「それもお披露目などに出る訳でもないのに、それに出る人達に負けぬようにお稽古をしたのではないのですか?」
そう言うと辺りを見回した。その言葉を受けた皆の表情に何かを思いだす。そうだ、アンと同じ顔をしている。竪琴以外のお稽古事をサボっていた私とは違う。皆はこの学園に入るためにも色々な努力を重ねてきた人達なんだ。
「ですので私達は勝つことにしましょう。いいえ、勝たねばなりません。そうですよね、メラミーさん?」
「そうね。貴方がそうしたいのなら好きにすればいい。だけど……」
「だけど、なんです?」
「私はその赤毛さんの言うことを聞くのは嫌よ。ローナ、貴方がお願いすると言うのなら考えてあげる」
「しょうがないですね。では私からお願いすることにします。メラミーさん、どうか協力のほどをよろしくお願いします」
ローナさんに向かってメラミーさんが肩をすくめて見せた。これは同意したと言う事ですよね?
「では皆さん、時間がありません。お昼と放課後にそれぞれ四半刻ほど練習を行います。お昼は中庭の方でリレーのバトンの渡し方の練習です。放課後は実際に走りますので、運動着の用意をお願いします。練習場所については私の方で確保してお昼には連絡します。以上です。お疲れ様でした」
皆がローナさんに頷いた。そしてそれぞれ仲が良い友達同士でおしゃべりをしながら実験室を出ていく。私はローナさんの前に行くと頭を下げた。
「ローナさん、ありがとうございました。本当に助かりました」
「そうですね。とても面倒なことを押し付けられた気分です。ですが……」
そこでローナさんは口を閉じると、私の方をじっと見た。
「何ででしょうかね? フレデリカさん、貴方には借りを返さないといけない気がするのです」
そう言うと私に向かって首を傾げて見せた。そして鞄を持つと戸口の方へと向かう。だがそこで足を止めると私の方を振り返った。
「私はいいですが、メラミーさんには少し気を付けた方がいいですね。根が純情な分だけ意固地になりやすい方ですから」
どう言う意味だろう。私はローナさんに問いかけようとしたが、彼女の姿はすでに廊下へと消えている。だけど私は戸口に向かってもう一度頭を下げた。
私は運動祭のことをどうして面倒だなんて考えていたんだろう。これは皆でやるとっても大事なことなのに。なぜなら私たちはこの学園で一緒に学ぶ仲間達なのだから。
* * *
「なんだかワクワクしますね」
学生会室に向かって歩きながら、オリヴィアは隣を歩くイサベルに声をかけた。
「そうですね」
だがイサベルはオリヴィアの方をチラリと見て答えただけだ。オリヴィアはその態度に違和感を覚えた。今日の授業から何かおかしい。ずっと何かを考えている様だ。ロゼッタ先生のせいなのだろうか?
オリヴィアとしてもロゼッタ先生については、フレデリカにもっと色々と聞いてみたいと思っていたのだが、赤組は作戦会議が続いているらしく、フレデリカはまだ戻ってきていない。
オリヴィアからすればフレデリカは本当に羨ましいとしか言えない存在だ。自分がこうありたいと思っている理想の姿だと言ってもいい。
フレデリカは「地獄」とか言っていたが、オリヴィアから見る限り、ロゼッタ先生の矢継ぎ早に見える質問も、フレデリカの理解を助けて自分で気がつくように巧みに誘導しようとしているのが分かった。
自分は母親からの歪んだ愛情しか知らずに育っただけだ。だけどフレデリカの周りにはいつも笑顔とその笑顔を愛する人達がいる。自分もそうだし、あの人だってそうだ。
「あっ!」
オリヴィアの口から声が漏れた。
「どうかしました?」
前をいくイサベルが急に声を上げたオリヴィアに驚いて振り返った。
「いえ、なんでもありません。イエルチェにお願いしておくべきことを忘れていたのを思い出しただけです」
「そうですか?」
イサベルは少し不思議そうな顔をしたが、納得したように小さく頷くと、前を向いて歩き始めた。私と同じだ。オリヴィアはその背中を見ながら確信した。
オリヴィアは昼間にイサベルの何かを決意したらしい顔を見たときに、どこかで見たことがあると思ったことを思い出した。自分がイエルチェに手紙を書くと宣言した時と同じだ。
あの人がフレデリカさんに好意を抱いていることが分かっていても、そしてフレデリカさんが自分の大切な友達であることを分かっていても、私が手紙を書くことを決心した時と同じだ。
その時に鏡を見た訳ではないが、自分はイサベルさんと同じ表情をしていたに違いない。イサベルさんも同じなんだ。二人が自分に言った台詞を借りれば、「恋」をしている。そしてそれを諦めきれずにいる。その先にいるのは……
目の前を歩くイサベルの足が不意に止まった。オリヴィアは思わずその背中にぶつかりそうになる。気がつくといつの間にか学生会が倉庫兼打ち合わせ室に使っている部屋の前まで来ていた。
「もうすぐこれも終わりかと思うと少し寂しいですね」
部屋の扉の前でイサベルが声を漏らした。
「そうですね。運動祭が終わればここに来ることもないですからね」
「オリヴィアさん」
「はい」
「私は意地悪で心の狭い人間です」
「えっ?」
「お二人とお友達になれて本当によかったです。そうでなければ私はコーンウェルの家の娘というだけの、何の中身もない存在でした。でも初日にお二人に声をかけたのは親切心でも何でもなく、ある理由があってのことです」
「その理由って……」
「はい。オリヴィアさんの想像通りです」
そう告げたイサベルがオリヴィアの方を振り返った。オリヴィアはその少し寂しげな顔に向かって頷いて見せる。
「イサベルさんでも私と同じことを考えるのですね。私も同じです。私は母の虚栄心を満たすだけの存在でした」
そう言うとオリヴィアはイサベルに小さく笑みを漏らした。
「それに私もフレデリカさんには隠している、いや正直に話せなかったことがあります。それでも私はお二人のお友達でいたいと思います。それは私のわがままでしょうか?」
「違うと思います。私達の心の本質なのだと思います」
「おっしゃる通りです。私達はお互いに助け合う大切な友達です。でも同時に競い合える相手でもありたいと思うのです。実際のところ、ある件ではフレデリカさんに負けたくないと思っています」
オリヴィアの言葉に、今度はイサベルが苦笑いをしてみせた。
「どうやら私の侍従の懸念は当たっていたようですね。あっ、そうです。オリヴィアさん、その件についてはフレデリカさんには注意が必要です」
「何でしょうか?」
「どうしてかは分かりませんが、フレデリカさんは自分の事を女性としては魅力に欠けていて、殿方が興味を持たない存在だと信じている様です」
「えっ!?」
「最初は私も冗談だと思っていたのですが、間違いなくそう思っています」
「そっ、それは本当に迷惑ですね」
「その通りです。本当に迷惑です」
二人はお互いに頷き合うと、口元に手を当てて含み笑いを漏らした。