翌朝
「おはようございます!」
私は前を行く、登校中のイサベルさんとオリヴィアさんに声をかけた。二人が青と赤のリボンを揺らしてこちらを振り向く。イサベルさんは私を見て口に手を当て、オリヴィアさんの手からは杖が地面へと転がった。そして二人とも私の方へと駆けてくる。
「フレデリカさん!」「フレデリカさん!」
二人の声が重なった。そして私に抱きつく。二人の髪が私の頬に触れ、それがくすぐったく、そして同時にとても心地よいものに感じられる。
「ご迷惑をおかけしました。申し訳……」
「何を言っているんです!」「何を言っているんですか!」
またも二人の声が重なった。何人かの上級生が私達を不思議そうに見ているが、二人ともそんな事を気にしている様子は全くない。
「本当にご無事でよかったです」
オリヴィアさんの声は震えていた。そして私の方を見上げた瞳からは、涙が溢れて頬に伝わっている。
「ご無事だったんですよね? 大丈夫だったんですよね?」
イサベルさんも心配そうに私の方をじっと見る。
「はい。もちろんです。それに元気です」
それは本当のことだ。空元気な訳では無い。やっぱり疲れていたのだろうか? 色々あったはずなのだが、昨晩は何故かよく眠れてしまった。我ながら自分の神経の太さに恐れ入る。
それにどうやらマリとも仲直りができたらしい。今朝は普通に会話ができた。でも帰ったらきちんと謝っておこう。たとえ仲直りが出来ていようが、私に非があろうがなかろうがだ。親しき中にも礼儀ありです。あれ、違うかな?
「それで、懲罰とかは無くて済んだのでしょうか?」
「えっ、懲罰?」
そうだ。相手が悪いとはいえ、教師相手に椅子を振り下ろしてしまった。あれ、それ以外にも何かしたような気がするけど、何だっただろう?
「そうです。もし今回の件でフレデリカさんに懲罰が与えられることになるとしたら、とても黙ってはいられません」
イサベルさんが珍しく激しい口調で答えた。イサベルさんは美少女なので、私と違って怒っている姿も絵になる。
「イサベルさん、おっしゃる通りです。そんな不合理なことは許されません」
オリヴィアさんもそう答えると、二人で私に向かって頷いてみせた。
「昨晩、叔父様にこの件についてご助力していただくように、お手紙を出させて頂きました」
「オリヴィアさんの叔父様って?」
「ローレンス叔父様です」
その名前はどこかで聞いたことがあるような気がします。えっ、ちょっと待ってください。
「ウォーレス侯ですか?」
我が家と違って、押しも押されぬ大貴族ですよ!
「もしそのような事があれば、私もお祖父様にお手紙を出すつもりです。お祖父様がそれをお認めにならないのであれば、私の方でも考えがあります」
「あ、あの? イサベルさん?」
先程の絵になるは訂正します。美少女だろうが何だろうが、怒っているのはやはり怖いです。
「退学させて頂きます」
「はあ?」
退学って、たかが私の懲罰ですよ。それにイサベルさんのお家って、コーンウェルですよね。そのお祖父様って、コーンウェル侯ですか?
「イサベルさん。その通りです。このようなところにはとても居られません!」
私の懲罰ごときの話に、この国を代表する大貴族二人を担ぎ出しても良いものなのでしょうか? もちろんいけません!
「大丈夫です。色々と根掘り葉掘り聞かれましたが、特に懲罰という話はありませんでした」
私の言葉に二人が顔を見合わせる。そして本当に嬉しそうにホッとした顔をした。目の前の二人は自分の事以上に私の事を思いやってくれていたのだ。今度は私から二人に抱きついた。
「ありがとう!本当にありがとう!この事は一生忘れません!」
私は本当に幸せ者です!
「何を言っているんですか!」
イサベルさんが呆れたような声を出す。
「そうですよ、フレデリカさん。私たちは友達です」
オリヴィアさんも私に向かって微笑んでいる。
「当たり前です!」「当たり前ですよ」
誰かが泣いている声がする。私の声だ。でも私だけではない。二人の泣き声も聞こえる。
ジェシカお姉様。フレデリカはまだ恋は見つけられていませんが、それよりももっと、もっと大切なものを、そしてかけがえのないものをここで見つけることが出来ました。
親友です!
* * *
「ロゼッタ殿、名前はロゼッタでいいのですな?」
「はい。シモン学園長」
「昨日の件について、カスティオール家としての正式な抗議だとお伺い致しましたが、間違いありませんね」
「はい、その通りです。早速お時間を頂きましてありがとうございます」
ロゼッタはシモンに向かって小さく頭を下げて見せた。
「ふむ。その件については昨晩、教授会にてイラーリオ教授の懲戒免職を決定し、即日発令としました。責任の所在については既に明らかにしております。再発の防止については学内で検討委員会を発足させて、その任に当たらせる予定でおります」
シモンの言葉にロゼッタは小さく頷いて見せる。
「是非に具体的かつ、実効性のある対策がなされることを心から望みます」
「その件については努力することをお約束致します。ですがこちらとしても貴方にはいくつか申しておきたい事があるのです」
「それは、カスティオール家についてでしょうか? それとも私個人についてでしょうか?」
ロゼッタの言葉に、シモンはしばし考える様な表情をすると、長く白い顎髭を片手で弄んだ。
「その両者を明確に分けることは難しいですな。ですがどちらかと言えば貴方に関してです」
「はい。ではどの様なご用件でしょうか?」
「懲戒免職になったイラーリオ元教授に対する私的制裁権の発動ですが、そもそもそれを成す必要はあったのでしょうか?」
「もちろんです。カスティオールの次期当主であるフレデリカ様に狼藉を働いたのです。明らかにその対象になるとは思いますが?」
「それはこの学園内で術を展開してまで行う事でしょうかね? 彼が学園から出てからではいけなかったのでしょうか? カスティオール家が特権を持つように、この学園も自治を行う上での内規、そちらの特権の様なものがあり、それに抵触する様にも思うのですが?」
「それについての正式な見解が必要であれば、法務省にその旨を訴えれば良いかと思いますが?」
「ロゼッタさん。我々は法務省の手から逃れて自治をしている所ですよ。わざわざそんな事をしないのを、分かっていての発言でしょうね」
「それが法というものです。物理法則とは違います」
ロゼッタの言葉にシモンが苦笑して見せた。
「こちらとしても、この件であなたとやりあうつもりはありません。ですがあの研究棟を当面は利用できなくしてしまいました。アルベール警備部長が早めに対策を打ってくれなかったら、永遠に使えなくなるところでしたよ」
シモンはそこで、如何にも厄介そうにため息をついてみせる。
「その件については、そちらのやり方に問題があったとしか思えないのです。学園としてはカスティオール家に対して、請求を起こすことは可能だと思います」
そう言うと、シモンはロゼッタの顔をチラリと見た。だがロゼッタの表情には何の変化もない。
「封鎖期間における研究棟の代替の用意並びに、それへの引っ越しなど色々と諸費用含めると、それなりの額になると思いますが、いかがですかな?」
「まずは金額の算定をお願いします。それを受けてその金額が妥当かどうかについては、こちらで確認させていただきます」
「ロゼッタさん。それをするのであれば、私が貴方とここでお会いする必要はありません。事務方の誰かが書類を作って、カスティオール家に持っていくだけの話です」
「ではどのようなお話なのでしょうか?」
「貴方への提案です。今回の学園内での術の行使については不問とします。最もそれ自体についてはこちらがそれを問いただしたところで、貴方自身がもつ秘守によりなかったことになるでしょう。加えて今回発生した損害についても、特に請求はしないこととします」
「金以外の何かで払えと言うのですね?」
「話が早くていいですな。イラーリオ教授が免職になったことで、新学期が始まって早々に教授に欠員を出す事態になっています。この学園はただの学校ではありません。その教授に相応しい人間を探すのはとても手間と時間がかかるのです。だからと言って、我々の教育の質を落とす訳にもいきません」
「結論を先にお願いします」
「はい、貴方には後任が正式に決まるまでの間、臨時にこの学園で教鞭を取ることをお願いしたいのです。我々は貴方にその資格があることを十分に理解しています」
「何せ貴方は……」
ロゼッタは片手を上げてシモンの言葉を遮ると、口を開いた。
「私の事はどうでもいい事です。私が臨時の教師を引き受ければ、請求はしない」
「はい」
シモンがロゼッタに頷いて見せる。
「こちらにも条件があります。私の職務はフレデリカ・カスティオール様に関する学業の補助です。なので私の職務は授業だけという事でお願いします」
「もちろんです。それ以外の雑務に関しては、こちらで助教をつけてその任にあたらせます」
「承知致しました。ですが、私の臨時としての役割はなるべく速やかに解消していただくようにお願いします。それと、フレデリカ様が卒業後はその役はお引き受け出来ません。それでよろしいですか?」
「ええ、こちらとしてはそれで構いません。急な話ですので、詳細については教務並びに事務から明日説明を差し上げます」
「承知致しました。シモン学園長、本日はこれにて失礼させて頂きます」
「ロゼッタ先生。ではよろしくお願い致します」
* * *
「クーー」
鳥籠の中の鳥が全くみじろぎもせずに小さく鳴いた。その鳴き声にシモンは読んでいた書類から顔を上げると、片眼鏡に手をやって鳥達をじっと見つめる。
「おやおやお前達、随分と不機嫌だね」
シモンの呼びかけにも関わらず、鳥籠の中の鳥はまるで置物の様に全く動こうとはしない。だが背後の壁に映る影が羽を広げて見せるのが見えた。
「あれはお前達の餌ではないよ」
背後の壁に映る影が、苛立たしげに羽をバタバタと羽ばたかせて見せる。
「もっと別の使い道があるのだ。それにこちらの近くに置くのが先決だよ。それよりも私の大事な宝物は大丈夫かい? 決して目を離したりしてはいけない」
「クーー」
シモンの言葉に、鳥籠の中の鳥が小さく鳴き声を上げた。