欠席
イアンは学生会の打ち合わせに使われている部屋のドアを開けると辺りを見渡した。中には既に人がいる。どうやら自分とヘルベルト以外は既に部屋に入っているらしかった。
思わず心の中で舌打ちをもらす。王子という立場上、遅れてくると、まるでそれを意図的にやっているように思われかねない。イアンは授業終了間際でハッセ先生の話が脱線したのを残念な気持ちで思い出した。メルヴィ助教が止めてくれなかったら、もう一時限分ぐらいは話し続けていたかもしれない。
部屋に入ると中にいた生徒達がこちらを見て、一斉に立ちあがろうとする。イアンは慌ててそれを手で制した。
「遅れて申し訳ありません。紫組のイアンです」
そして隣に立つヘルベルトの方を見上げる。だがヘルベルトは部屋にいる女の子の顔でも眺めているのか、イアンの視線に全く気がつく様子がない。ヘルベルトは乳兄弟で裏表のないいい男だが、このような配慮に欠ける。イアンはヘルベルトの右足を左足で思いっきり踏んだ。
「痛い!イアン、何を……」
ヘルベルトがそこでやっとイアンの視線に気がついた。
「同じく、紫組のヘルベルトです」
だがイアンの意図に反して、部屋の中の向かい合わせに置いてある長机の両側に座る男女が一斉に立ち上がった。ソフィア姉さんなら何としてもみんなを座らせようとするところだろうが、自分はそこまでやる気はない。
「青組のヘクターです」
手前で立っている男子生徒が胸に手を当ててそう答えると、頭を軽く下げた。真っ直ぐな灰色の髪を斜めに下ろしている、とても整った顔をした男子生徒だ。どこかで見た記憶があるが、どこだっただろうか? イアンが考えるより早く、長机の反対側に立つ女子生徒が、制服のスカートの裾を持ち上げてイアンの方に向かって挨拶をした。
「橙組のイサベルです」
「同じく橙組のオリヴィアです」
「お二人とも、お久しぶりです。お昼休みの件ではお世話になりました」
「イアン、もしかしてこの二人の美人とも知り合いなのか?」
ヘルベルトが本人としては声を潜めているつもりでこちらに聞いてくる。だがおそらくこの部屋の中の全員に丸聞こえだ。イアンは小さく咳払いをすると、ヘルベルトの足を再度踏みつけた。だがすぐに首を傾げて見せる。
「キース兄さん、どうしてここにいるんですか?」
「イアン君。この場で兄さんは余計だよ。キースさんと呼ぶべきだな。それはさておき、今日は私は君たちの助言者としてここにいる。基本的に何か聞かれない限りは口を挟むつもりはない。それとソフィアから言われて、お前のお目つけ役としてもきた」
そう言うと、キースはイアンに向かって片目を瞑って見せた。
「本来は私から何かを発言するべきではないけど、皆さんが立ったままだと話が進まない。ともかく皆で着席した方がいいと思うね」
キースの言葉にイアンを含む全員が着席した。そして全員がイアンの方を向く。
『立場上、そうなるよな』
イアンは心の中で嘆息すると、視線の背後に座ってニヤニヤと笑っているキースの方を意識しながら口を開いた。
「来たる運動祭では男子、女子のそれぞれ2クラスを男子、女子混合の3つの組に分けることになります。その分け方に関する相談と、一年生での自由競技の種目に関する相談です」
イアンの言葉に机の前に座った面々が頷く。イアンはそこまで言ってから、自分にとっては大事な要件に関して、参加者が足りていないことに気がついた。
「女子の代表は三人とお聞きしていたのですが?」
「はい。もう一名、フレデリカさんが代表なのですが、本日は補講のため欠席となりました」
「補講? 学生会から一年生の打ち合わせについては遅れているので、極力協力していただけるように学園に申し入れをしているはずですが?」
少なくともソフィア姉さんから聞いた限りではそうなっているはずだ。それに今日欠席されると、謝る機会をまたも逸してしまう。今度こそソフィア姉さんから殺されかねない。イアンはそれを想像すると、心の中で冷や汗をかいた。
「キース兄さん、もといキースさん。ソフィアさんからそう聞いているのですが、間違いはないですよね」
「ああ、その通りだ。それでも補講を受けさせられるなんて、一体何をやらかしたんだろうね?」
「はい、フレデリカさんがイラーリオ先生の宿題を忘れてしまいまして、それで一人で補講を受けることになってしまいました」
イサベルがイアンに向かって、とても残念そうな顔をして告げた。
「宿題を忘れた?」
イアンは思わず目の前の金髪の少女に聞き直してしまった。その子がまるで自分の事のように申し訳なさそうに頷いて見せる。
「フレデリカ? イアン、例の赤毛の娘か?」
ヘルベルトの不用意な言葉に、イアンは心の中で再度舌打ちをした。そして右足を踏む。どうしてこの男は配慮という物が出来ないんだ? 今の発言は聞いたほぼ全員に誤解を与えかねない発言だ。実際、隣に座るヘクターという男子生徒がこちらを見て首を僅かに傾げている。
「イラーリオ先生の補講を一人で? それはちょっと、まずいかもしれないな」
何か補足をせねばと思っていたイアンに対して、部屋の隅の椅子に腰をかけていたキースが声を上げた。
「何がまずいんです?」
イアンの問いかけに、キースが少ししまったと言うような顔をする。
「つい口を滑らせたな。今から話す話はここだけの話として聞いてほしい。以前にやはりイラーリオ先生の補講を一人で受けた女子生徒が、自主退学をしているんだ。どうも噂によれば、それはその一人だけではないらしい。だがその子は頑なに何も理由を言わなかったそうだ。理由を言わなかった事自体がとても問題なのだよ」
「キース兄さん!それは……」
「これ以上は言わないでおく」
「今すぐ私がその補講室まで迎えに行きます」
「イアン、行ってどうする。拒否されるだけだぞ」
「何か、拒否できないような理由は……」
「イサベルさん」
オリヴィアが不意にイサベルに向かって口を開いた。
「はい。何でしょう」
「イラーリオ先生は『代表がフレデリカさん一人ならいざ知らず』とおっしゃいました」
「あ、そうですね」
イサベルがオリヴィアの言葉に頷いた。
「皆さん、大変申し訳ありません。急に気分が悪くなりまして、本日の会合はこれにて欠席させていただけませんでしょうか?」
イサベルが皆に向かって頭を下げる。
「あ、あの。私も急にお腹が痛くなってきたように思います。申し訳ありませんが、やはりこれにて退席させていただきたく思います」
オリヴィアも、イサベル同様に皆に向かって頭を下げた。
「え、いきなり。そんなのどうやって学園側に説明するんだ?」
ヘルベルトが大声を上げた。だがイアンはその右足をもう一度、思いっきり踏みつけた。
「女性ですからね。そのような事もあるかと思います。お大事にしてください。ですが、運動祭は待ってはくれません。皆様の代わりに、フレデリカさんに出席を求めることにしたいと思います」
「はい、よろしくお願い致します」
「では、補講室まで私の方で迎えに行かせていただきます」
イアンはそう言うや否や、廊下へと飛び出した。ヘルベルトはその後ろ姿を見ながら、まだ良く分からんと言う顔をすると、長机に座る面々を、不思議そうな顔をして見回した。