依頼
「あ、あのですね。ある方にお礼のお手紙を渡していただきたいのです」
「お礼のお手紙?」
そうです、オリヴィアさんの恋愛のお手伝いをしたいだけなのです。
「はい。オリヴィアさんが怪我をしそうな時に助けて頂いたので、そのお礼のお手紙です」
「それなら、宿舎の方に頼めばいいでは無いですか?」
アメリアさんが少し不機嫌そうな顔をしてこちらを見る。なんで私が怒られないといけないのでしょうか?
「アメリアさん、そんな単純な話でしょうか? 私にはそうしたくない事情があるように思います。そうですよね、フレデリカさん?」
ううっ、流石はソフィア様です。
「おそらく、オリヴィアさんがその殿方とお会いしたのは、本来は殿方がいてはいけない場所と時間だったのではないでしょうか?」
流石はソフィア様と再度言いたいところですが、ロゼッタさん並みに鋭すぎます。全て見透かされています。
「もしかして、婚約者がいる方へのお手紙ですか!?」
アメリアさんが口に手を当ててこちらを見ている。あのですね、誰がそんなドロドロした危険な話をこんなところに持ち込むんですか!?
「アメリアさん、飛躍しすぎですよ」
その通りです!
「別にやましい事がある訳ではありません」
「いやらしい? 男女の睦言ですか?」
あの、ソフィア様も聞き間違えている上に十分飛躍しています!
「いやらしいではなくて、やましいです!」
二人が顔を見合わせる。あまり喋りたくはありませんが、その手前から話さないと埒が明かない様です。
「実は私が男子授業棟に行った時にお弁当箱を忘れてしまいまして、それを宿舎の方までわざわざ持ってきてくれたのです。丁度その途中でオリヴィアさんが居合わせまして、足を滑らしたところを助けて頂きました。それのお礼の手紙です」
愛情たっぷりの弁当の件は、話がややこしくなるだけなので割愛させて頂きます。
「そうですよね、オリヴィアさん?」
「は、はい。その通りです」
「どうしてそれを、わざわざイアンさんに頼む必要があるのですか?」
「えっとですね、私達は3人とも婚約者の様なものもいなくて、頼める先がありません。私がこの学園で知っている殿方はイアン様だけです。それと宿舎を経由して、侍従達辺りからよからぬ噂を立てられるのが嫌だったからです」
ここは特に隠すところではないので、正直に話すことにします。
「その殿方も随分と危ない橋を渡られたのですね」
アメリアさんが呆れた様に呟いた。
「危ない橋?」
「ええ、この女子宿舎の周りには男性は生徒はもちろん、職員も許可を得たものでなければ近寄る事は許されていません。良くて退学処分、悪いと懲戒退学処分です」
「ええ!そんなに厳しいんですか?」
「もちろんです。間違いがあったりすると困りますからね。それでもたまに起きたりします」
「ちなみに、女子が男子宿舎に近づいても同じでしょうか?」
「えっ?」
私の発言にアメリアさんが驚いた顔をする。
「さあ、その様な事態が起きたことがあるとは聞いたことはないので、懲罰自体があるかはよく分かりません。おそらくは想定すらしていないのではないでしょうか?」
やはり作戦を間違えた様です。私が男子宿舎に突撃すれば良かったのです。世の中、単純な手段が一番です。
「状況は分かりました。相手の殿方の名前は聞かないでおくことにします。それを聞くと、立場上は学園にそれを報告しないといけないことになります。聞いていない限り、そこには問題は存在しません。アメリアさん、それでいいですね?」
「は、はい。ソフィア様」
いきなり返答を求められたアメリアさんが慌てて答える。だがその答えを聞いたソフィア様が、アメリアさんに向かって小さく首を傾けて見せた。
「ソ、ソフィアさん」
アメリアさんが慌てて言い直した。怖いです。やはりこの方は敵に回してはいけない人です。前世で向かいの肉屋の娘が貸してくれた乙女本に出てくる王女様とは大違いです。いや、意地悪王妃様の方に近いのか?
「フレデリカさん」
「は、はい」
私はソフィア女王様が大広間で王の座に座りながら、口に手を当てて「おーほほほ」と笑い声をあげている妄想を振り払うと答えた。
「イアンさんがあなたにまだ謝っていない点については、姉の私から謝ります。大変申し訳ありませんでした」
ソフィア様が私に向かって頭を下げている。あ、あの、一国の王女様ですよね? そんなに簡単に頭を下げたりしてもいいのでしょうか? イサベルさんも、オリヴィアさんも驚いた顔というか、この場に居合わせたことを心から後悔した顔をして私達を見ている。
「あ、あの、別に謝られるようなことは特に何も思い当たらないのですが?」
「新人戦であなたが戦うことになったのは、イアンさんが病気でそれを回避したことによるものです。普通に考えれば、間違いなく大怪我をしているところでした」
「ですが、ご病気では仕方がないと思いますが?」
誰だって急にお腹が痛くなるとか、頭が痛くなるとかありますよね?
「仕方がない? 違いますよ」
ソフィア様はそう告げると、アメリアさんの方を向いて口元に手を当てて見せた。
「アメリアさん」
「大丈夫です」
アメリアさんはそう答えたが、その顔には当惑の表情が浮かんでいる。
「ソフィア様、まさか!?」
「皆さんも四英雄につながる方々ですよ。知る権利はあると思いますが?」
「ですが!」
ソフィア様はアメリアさんの呼びかけを無視すると、私達の方を振り向いた。
「イアンさんへの依頼の件については、間違いなく私がやらせることにします。誠意を欠いたのです。そのぐらいは当然でしょう。しかしながら、私があなた達のお手伝いをする件に関しては、特に義理はありません。ですので、私からも皆さんにお願いをする事にします」
「お願いですか?」
私達3人はお互いに顔を見合わせた。ソフィア様のお願いです。ただのお願いとは到底思えません。イサベルさんとオリヴィアさんが息を飲む音が聞こえた。
「皆さんは、先日の歓迎会については覚えていますか?」
そう言うと、ソフィア様は私達を見回す。
「は、はい」
私達はソフィア様に頷いた。
「やはりそうでしたか。あなた達にはあの程度の術が効く訳がありませんよね」
そう告げると、小さく含み笑いを漏らす。
「術ですか?」
思わず私は聞き直してしまった。
「ソフィア様!」
ソフィア様の隣に座っていたアメリアさんが、耐えきれないという顔で声を上げた。
「アメリアさん、しばらくは口を挟まないでいて下さい」
そう言うと、ソフィア様は私達に向き直った。その表情は先ほどまでと何も変わってはいないが、その目はより鋭く私達を見据えているように見える。
「本来、あの歓迎会は一年生の皆さんの素の姿を確認して、この宿舎の一年生の代表を選ぶための、ささやかな儀式の様なものなのです」
「儀式!? あれがですか?」
素を確認するのに、あんな者はいらないと思いますけど!
「そうです。ですが今年はとんでもないものが乱入してしまった様です」
「あの目玉お化けの事でしょうか?」
「覚えているのですね?」
「はい、忘れろと言われても、忘れることなど出来ません!」
「フレデリカさん、目玉お化けって?」
「イサベルさん、私やオリヴィアさんが肝試しの途中で出遭った奴です」
「やはり本当だったのですね」
イサベルさん、もしかして本当は信じていなかったとかないですよね?
「もちろんです。そうですよね、オリヴィアさん?」
「はい。白い繭の様な体に、赤い目がいっぱいついていました」
「それはフレデリカさん、あなたが戦った新人戦についても言えます」
「え、あの試合ですか? あれにはお化けは出ていなかったと思いますが?」
「どうしてイアンさんは急に病気になってしまったのでしょうか? それにどうして試合相手はあなたをあれほど憎み、殺気に逸っていたのでしょうか?」
「そ、それはイアン王子様相手に剣技を披露するはずが、私が相手に変わったからだと……」
「そうですか? それならフレデリカさんの事は軽くいなして、次の対戦相手に対してそれを披露すればいいだけの話ではないですか?」
「そうですね」
確かにそうだ。女だろうが自分の試合相手に本気になること自体は悪いことではない。だけど殺気立つ必要など何もない。普通にやれば勝てるのだから。
「歓迎会についても、あれだけの事があったのです。普通なら大騒ぎになるはずではないでしょうか?」
そのとおりだ。親達にバレたりしたら、みんなどうなっているんだと殴り込んでくる。
「術で記憶を操作したのですよ」
「え、そんなことが出来るのですか?」
もしかしてそれを使えるようになれば、私がやらかした全てのことは無かったことに出来るではありませんか!?
「正しくは印象の操作です。起こった事自体は無くせませんから、それに対する印象を操作したのです。今回の件については少数の人達を除くと、悪夢を見たことになっているはずです」
前言撤回です。人の思いを変えるなどと言うのは、それがいい事であろうが悪いことであろうが、絶対に許される事ではありません!それが許されるのなら、恋愛すら操作できてしまいます。
「皆さんは、それが効かない少数の人達です。おそらく、お付きの方々から他言無用と言われていませんか?」
イサベルさんと、オリヴィアさんが頷いてみせる。えっ、そんなのロゼッタさんからも、マリからも聞いてないんですけど!? そういえば大事件ですよね。最近は大事件慣れしすぎて、当家ではこの程度の事は問題の内に入っていないことになっていませんか!?
「おや、フレデリカさんにとっては大した事がなかった様ですね?」
「いえ、大変な目に遭いました」
忘れていました。目の前にいる方はロゼッタさん並みの人でした。直ぐに見透かされてしまいます。
「誰かがこの学園での生活を、色々と邪魔しようとしている様です。おかげで体育祭の準備も滞ってしまっています。一年生の女子の代表が決まっていないのですから」
そうなんですね。上級生の皆さんは仕事が増えて大変そうですね。
「なので、その代表のお仕事を皆さん3人にお願いする事にします」
「へっ!」
「それが私がこの件をお引き受けしてかつ、今回のオリヴィアさんのお相手についてもお聞きしない条件です」
やはり王家の人は別格です。こちらが絶対に断ることができない条件をちゃんと入れてきます。私達は三人で顔を見合わせて、再び目で押し付け合いをした。今回は勝ちました。二人でイサベルさんをガン見です。
「至らぬ身ではありますが、状況が状況ですので、謹んでお受けさせていただきます」
イサベルさんが何かを諦めたように、ソフィア様に向かって答えた。
「イアンさんには明日にでも教室の方へ……。そうですね。その手配は不要でしたね。イアンさんも一年生の代表でした」
そう言うと、ソフィア様はアメリアさんの方を向き直った。アメリアさんは話の途中からずっと額に手を当てている。その姿は私を前にしたロゼッタさんに少し似ている気もした。
「アメリアさん、喜んでください。一つ問題が片ついた様です。後は私達の邪魔をした者達に、相応の報いをどう与えるかを考えるだけですね」
そう告げると、ソフィア様は朗らかに微笑んでみせた。だが私達は既にその微笑みが額面通りのものでないことを知っている。そして私達がそれを知ったのは、少し遅すぎた様だった。
* * *
晩秋の夜風が、木立の中のだいぶ色づいてきた葉を揺らしていた。そこからは何かの終わりを感じさせる「カサカサ」という乾いた音が響いてくる。
ロゼッタは頭の後ろで髪をまとめている黒いキャップからはみ出た髪を、その風に舞わせながら、女子宿舎の建物を見上げていた。その建物の3階の角の部屋には明るい光がついているのが見える。
「トカスさん、今日も眠れないで散歩でしょうか?」
ロゼッタは姿勢を変える事なく口を開いた。その言葉にトカスは木の影から、ロゼッタの背後へと歩み出た。
「今晩は貴方と同様に仕事ですよ。これでも一応は護衛役として、さる家に雇われていましてね」
「そうでしょうか?」
「そうです。働かざるものなんとかですよ。それに私は男ですので、貴方の様に堂々と宿舎に近づく訳には行きません」
トカスは少しおどけた声でロゼッタに答えた。相手はそのかつての自分の食い扶持の全てを吹き飛ばしてくれた女だ。
「そこではありません。貴方を雇っているのは本当にさる家でしょうか?」
「先ほども言った通り貴方と同じです。自分が守るべき娘が得体が知れない部屋に行くので、それを寒さに震えながら見張っているところです」
ロゼッタの声には何かを揶揄るような響きがあったが、トカスは何も動揺することなくそれに答えた。
「あの部屋はソフィア第3王女の部屋です。得体が知れないと言うことはないと思うのですが?」
「そうかも知れませんが、違うかも知れません。いずれにせよ、こちらで安全だと確認できていないところは、全て得体が知れないところですよ」
「ならば、貴方にとっては私も、得体の知れない部屋を見ている、得体が知れない女ということですね」
「ざっくばらんに言えばそうですね。ですが貴方が私の存在に気がついている以上、それを監視と呼べるかは甚だ疑問です。どちらかと言えば、私が貴方に監視されていると言った方が正しくはないですか?」
「監視? 私の仕事はカスティオール家の私的な教師です。私が見守るべきはあの子が学生の本分を守って、必要な知識と経験をきちんと出来る様に手助けする事です」
「私には同じことの様な気がしますが、貴方にとっては違うのでしょうね」
二人の前で部屋の明かりが少し暗くなった。
「どうやら先輩方との秘密のお茶会は終わった様です。ですが、やっぱり宿題は忘れていますね。困ったものです」
ロゼッタはそう言葉を漏らすと、足元に描いていた何かを消して、トカスの方を振り向いた。
「今晩はここで失礼します。トカスさん、お休みなさい」
ロゼッタはそうトカスに告げると、付き人宿舎の方へ向かって暗闇の中を歩んでいく。トカスはその後ろ姿をちらりと眺めると、ロゼッタが立っていた地面をじっと見つめた。
『二重に紛れを掛けた上で「昏き者の御使い」か? 暗殺ギルドの魔法職でもそうそう呼び出したりはしないぞ』
トカスは口から小さくため息をついた。
「何者なのか? まあ、それはいい。だけどあんたも得体が知れないと思っている点では、俺と同じじゃないか?」
トカスはロゼッタが消えた暗がりの方を眺めながら、そう独り言を漏らした。そして地面に描いていた何かを消すと、ロゼッタが去った方とは反対側の、木立の方へと姿を消した。