虎の尾
「皆さん、何でこんな夕飯後の遅い時間に、ソフィアさんの部屋まで?」
私達の前に座ったアメリアさんが、少し険しい顔をして私達に問いただした。思わず、「御免なさい!」と言って扉の外へと逃げ出したくなるが、せっかくここまで来たのだ、今更逃げる訳にもいかない。
「アメリアさん、それではまるで尋問ですよ。可愛い一年生の皆さんが、わざわざ尋ねてきたのです。まずはお茶を入れて、それからです」
そう言うと、ソフィア様は私達の前に置かれたティーカップへ、ポットからお茶を注いだ。そこからは爽やかな甘い、それでいて少し青臭さも感じられる匂いが漂ってくる。紅茶ではなく、何かのハーブティーらしい。
だけど本当にここは王女様の部屋なんだろうか? 私達の前に置かれたティーカップと皿には、どれ一つとして同じものはない。それにカップにも皿にも家紋の様なものはどこにも見当たらなかった。
本来ならロストガル王家の家紋である、獅子が描かれているはずだ。かなり落ちぶれている我がカスティオール家でさえも、私達が使う食器類には全て薔薇の紋章が入っている。
「ふふふ。大きさが違いますからね、均等に淹れるのはそれなりに難しいのですが……。どうやら人数分均等に淹れられた様です。私の手製のお茶です。どうか召し上がって下さい」
そう言うと、ソフィア様は私達の前にティーカップと皿をそれぞれ置いた。私の前に置かれたティーカップには、明るい黄色でひまわりが描かれている。王女様にどうぞと言われれば飲むしかない。
カップを持ち上げて、湯気を立てている茶色い液体を一口飲む。それは甘く、それでいて薬草の様な苦味も感じられる味だった。同じくそれを飲んだイサベルさんも、オリヴィアさんも少し不思議そうな顔をする。その味に前世での記憶が呼び覚まされた。
「カモミールでしょうか?」
「フレデリカさん、流石ですね。カモミールの花から作ったハーブティーです。この学園の校庭の横に一杯咲いているのを積んだものですよ」
「えっ、ソフィア様自ら摘んだのですか?」
「フレデリカさん、『様』は余計ですが、その通りです。去年の秋は天気が良かったので、うまく乾燥できた様です」
王女様ですよね。間違い無いですよね。もしかして身の安全のために誰かと入れ替わっているとかありませんか? 前世で八百屋をやっていた自分から見ても、校庭の横で雑草のように生えている花からお茶を作るなんてのは、逞しすぎです!
「このお茶って、花から作られたものなんですか?」
隣に座っているイサベルさんが驚いた様な声を上げた。まあ、イサベルさんの様な深窓の御令嬢を絵に描いたような方は飲んだことは無いでしょうね?
「はい。気分を落ち着かせてくれます」
私はイサベルさんに答えた。
「そうなんですね」
オリヴィアさんも感嘆の声を上げた。二人共、本当に気に入ったのだろうか? もっとも、たとえ気に入らなくても、流石に不味いと言う顔は出来ない。
「では皆さん落ち着いた所で、私へのお願いとは何かお聞きしましょうか?」
ソフィア様はそう告げると、まるでお菓子をもらう前の小さな子供の様な期待感に溢れる目で私達を見た。いや、そんな大した事では無いので、そんなに期待しないでください!
私達3人は誰が話すかについて、お互いに目で押し付け合いをしたが、最後は二人にじっと見つめられた。どうやら私の負けらしい。私は小さく息を吐くと、ソフィア様に向かって口を開いた。
「ソフィアさんへのお願いというより、イアン様へお願いがありまして、その伝言をお願いしたいのです」
「イアンさんへですか?」
どうやら私の言葉はソフィア様にとっても意外だったらしい。ソフィア様が驚いた顔をする。そしてアメリアさんとしばし顔を見合わせた。
「フレデリカさん、それはイアンさんの貴方への謝罪に関する件でしょうか?」
「謝罪ですか?」
えっ、ソフィア様は一体何の事を言っているのだろう?
「ええ。イアンさんが貴方のところまで出向いて、頭を下げて謝罪したと思うのですが?」
「へっ?」
「もしかして、フレデリカさんのところまで出向いて居ないのですか?」
ソフィア様の顔が険しくなる。
「イアン様とは男子生徒の授業棟ではお会いしました」
「まさか、イアンさんはフレデリカさんの事を授業棟まで呼びつけたのですか?」
ソフィア様の顔がますます険しくなる。やばいです。何か話がこちらの意図とは違う危険な方向へと流れています。
「いえ、私が女子の男子授業棟への立ち入りが禁止だと知りませんで、お昼休みに男子授業棟に入ってしまった際にお会いしました」
あのですね、オリヴィアさんの手紙をあの嫌味男に頼みたいだけなのですが、何で自分の記憶から抹消したい件について、それもソフィア様に話をしないといけないのでしょうか? それもこれも、あの嫌味男が試合をサボったからです。そうです。全てはあの嫌味男の責任です!
「感謝しろとは言われましたが、謝られた記憶は特にありません!」
私は心の中で、奴が廊下で私に偉ぶって見せた態度を思い出しながら毒付いた。あれ、何だろう? イサベルさんとオリヴィアさんが必死に私に向かって首を横に振っている。
私は二人の視線の先にある、ソフィア様の顔を見た瞬間に背筋が凍りついた。やばいです!どうやら私の心の声は口から漏れてしまっていた様です。ソフィア様はその唇に微笑みらしきものを浮かべてはいたが、その表情は全く笑ってなどいない。むしろ彫像の様に冷ややかな表情だ。
いや、これは決して冷ややかなのではありません。私が屋敷でよく目にした表情です。コリンズ夫人が私に山のような小言を言う前の、心の中の燃えたぎる何かを隠している時の表情と同じものです。
「イアンさんは、どうやら私の言いつけを守らなかった様ですね」
顔を下に向けたソフィア様がボソリと呟いた。そして顔を上げた時には、私達が部屋に来た時と同様の顔に戻っている。間違いありません。この方は、ソフィア様はロゼッタさんやコリンズ夫人と同様に、人の範疇に収まるような方ではありません!まるで黒犬、いやそんな小物ではありません。会ったことは無いが、竜にでも睨まれたかのような気分になってくる。
『怖いです!』
怖すぎです。どうして私の周りは、決して敵に回してはいけない人達ばかりなのでしょうか? それとも私には、その様な人を引き寄せる何かがあるとでも言うのでしょうか?
「そもそもフレデリカさんは、どうして男子授業棟に行かれたのですか?」
そ、そこを聞いて来ますか?
「あ、あのですね、新入生の試合の相手の方と仲直りといいいますか、遺恨は無しということで話をつけたいと思いまして……」
今回の依頼の件とは全く無関係な訳ではないのですが、話がややこしくなるので、出来れば伏せて置きたい所だったのですが……
「なるほど、あれはとても不自然でしたからね。アメリアさん、もしかしてこの件は知っていました?」
不意打ちを食らったアメリアさんの顔が硬直する。
「その表情はどうやら知っていた様ですね」
ソフィア様の声はどこまでも冷静だ。だがそれを前にしているアメリアさんの顔は蒼白に見える。
「も、申し訳ありません。すぐにお耳に入れて置くべきでした」
アメリアさんが慌てて頭を下げた。
「その件は誰から聞きましたか?」
「寮長からお聞きしました」
アメリアさんが小さく答えた。寮長? 私の恥を言いふらすとは一体何者なんだろう? 一度話し合いにいかないといけません!
「あの方の噂好きにも困ったものですね。この件については、後ほど私の方から正式な苦情を言うことにしましょう」
ソフィア様がにっこりと微笑む。いや、これは微笑みなのだろうか? お前はもう死んでいるとか言われているような気分になってきます。あれ、これは誰のセリフだったっけ? やっぱり私には前世の記憶だけでなく、色々と変なものが混じっている様な気がする。
「話が横道にそれましたね」
そう告げると、ソフィア様は私の方へ向き直った。そしてその銀色の目で私をじっと見つめる。間違いました。思いっきり間違いました。私は絶対に頼み事などしてはいけない相手に頼みにきてしまった様です。それだけではありません。間違いなく、私は踏んではいけない何かを踏んでしまった様です。
「それで、フレデリカさんはイアンさんにどんなお願いがあるのでしょうか?」
今からでも遅くはありません。男子授業棟が目立ち過ぎるのなら、男子宿舎に突撃するという作戦変更では駄目でしょうか?