勉強会
「勉強会?」
ロゼッタさんが私に向かって首を捻って見せた。
「はい。教室でお知り合いになったお二人と、お勉強を教え合うことになりました」
他にも目的はありますが、一応は勉強会もやります。そうでないと、あのイラーリオ先生の補講を受けるというとても嫌な時間を過ごすことになります。それは絶対に避けねばなりません。
「教える? 誰が誰に教えるのですか?」
ロゼッタさんが驚いた顔をする。
「あ、あの、私が皆さんに教えることになりました」
ロゼッタさんの顔がより険しくなった。
「フレア、もう一度聞くけど、あなたが皆さんにお勉強を教えるのですか?」
「え、はい。授業初日に受けた試験では、一応私の成績が一番良かったみたいなので……」
信じられないかもしれませんが、これは事実です。あのハッセ先生の試験に限って言えば、3人の中では私が一番まともでした。というか、他の二人の回答はほぼ白紙です。
「フレア、あなたが試験を受けたことは初耳です。その試験の結果はありますか?」
「あ、すいません。色々あってお見せするのを忘れていました」
やばい、本当に忘れていた。私は慌てて自分のカバンから試験結果を取り出すと、それをロゼッタさんに渡した。数学、国語、理科社会の3つだ。ロゼッタさんは私から解答用紙を兼ねている問題を受け取ると、それを一瞥した。そして再び首を捻って見せる。
「フレア、これは授業初日に受けた試験ということで間違いはないのですね?」
「はい」
「教育方針に何か変更でもあったのかしら?」
ロゼッタさんが珍しく独り言を漏らした。そして少し考えるような表情をする。
「この問題は私の方で預かってもいいでしょうか?」
「はい。特に再提出しろとは言われていませんので、問題はないと思います」
「ではフレア、本題に戻すことにしましょう」
「はい?」
「貴方の勉強会についてです。その勉強会には別の目的があるのではないのですか?」
「えっ!」
うぅ、流石はロゼッタさんです。こちらの浅はかな偽装など完全に見抜かれています。
「既に約束してしまっているのであれば、今夜は仕方がありません。その勉強会への参加を認めることにします。ですが、今後は事前に私に確認をお願いします」
「はい。分かりました」
「フレア」
「はい、ロゼッタさん」
「ジェシカの言うことも一理あるけど、ここは学園です。勉学に励むところですよ」
「は、はい」
間違いありません。何の為の勉強会か、ロゼッタさんには完全にバレています。やはり魔法職には人の心も読む力があるに違いありません!
* * *
「お待たせいたしました!」
先に廊下で待っていたイサベルさんとオリヴィアさんを見て、少し大きな声をあげてしまった私に向かって、イサベルさんが口元に手を当てて見せた。そうでした。廊下で私語は厳禁でした。しかも既に夕飯を過ぎた時刻です。
やはり緊張するのだろうか、オリヴィアさんはとても硬い表情をしている。いや、手紙を渡すのを嫌味男に頼むお願いだけですからね、そんなに緊張する必要はないのではないでしょうか? こちらまで緊張してしまいます!
「ソフィア様の部屋がどちらにあるかは分かったのでしょうか?」
「はい、それについては私の侍従に調べさせました。それと、この時間には談話室ではなく、部屋にいらっしゃるとのことです」
それは行幸です。談話室のような先輩方の巣窟に行って、こんな話なんて出来るわけはありません!黒犬の前に丸腰で行って、おいでおいでするようなものです。すぐに貪り食われてしまいます。
それよりも、イサベルさんの侍従さんって一体何者なんですか? この短時間で部屋だけじゃなくて、部屋にいるかどうかまで調べてくるとは。マリとは別の意味で絶対に只者ではありません!
「フレデリカさんに、一つだけお願いが」
イサヴェルさんが私に向かって手を合わせる。はて、一体何のお願いだろう。
「今回は侍従に少し無理をさせまして、その代わり」
「その代わり?」
「シルヴィア、私付きの侍従ですが、彼女にそちらのマリアンさんを紹介していただけませんでしょうか?」
「へっ?」
「お願いします」
「は、はい。そのくらいお安い御用です」
イサベルさんがホットした顔をする。イサベルさんにここまで圧をかけるとは、やはり只者ではないようです。もしかしたらマリと同類なのだろうか?
間違って、イサベルさんと誰かを巡って争いになったら、暗殺されかねないのかもしれません。まさかそんなことはないか。最近は色々とあり過ぎて、疑り深くなっているようです。いけません。乙女の在り方として間違っています!
「でも、お礼のお手紙を渡すだけですから、やはり折を見てで大丈夫ではないでしょうか?」
オリヴィアさんが恐縮した表情で私達に呟いた。はあ? 何を言っているんですか? この為に私はロゼッタさんとすら戦ったのですよ。
「ダメです!」「駄目です」
私とイサベルさんの声が廊下に響いた。思わず3人で顔を見合わせる。
「ともかく部屋に伺うことにしましょう」
私の言葉に二人も頷く。私達は人気がないのを確認しつつ、イサベルさんの指示に従って上の階へと上がった。オリヴィアさんは手に杖こそ持っているが、階段を私達にそれほど遅れることなく登っていく。やはり恋の力は偉大です!
この建物は基本的には3階建てで、上級生は上の階の部屋を使っている人が多い。おかげで下の階の私達はあまり普段は気を使わずに済んでいるのだが、今日は敵(?)の本拠地に乗り込むのだ。
夕飯後の時間で、談話室にいる人達が多いせいだろうか、3階の廊下はひっそりとしている。だが時折扉の向こうから物音が聞こえるので、誰もいないという訳ではなさそうだ。
イサベルさんが手で右手の奥の方を指し示した。私達はイサベルさんの後に続いて、両側に扉が並ぶ中廊下を歩いていく。イサベルさんは一番奥の右側の扉の前で立ち止まると、私達に頷いて見せた。ここからは私の番だ。
「トン、トン」
私は躊躇することなく、その濃い茶色の扉を叩いた。やはり人様のものでも恋の力は偉大です。これが私だけの用事なら、この時点で間違いなく逃げ帰っています!
「はーい」
部屋の中からはっきりとした声が響いた。扉の向こう側で、誰かがこちらに歩いてくる足音が聞こえる。
「一年のフレデリカ・カスティオールです。ソフィア王女様にお願いがあって、お伺いさせていただきました」
一瞬の間をおいて、扉が内側へと開いた。そこには部屋着姿のソフィア様が立っている。部屋の中の灯りを背に、その銀色の髪がキラキラと光り輝いているのが見えた。思わず「お姉さま」と呼びたくなるような出立だ。イサベルさんが正統派の美少女なら、ソフィア様はまるで月の光のような神秘さを備えた女神様です。
「一年のイサベル・コーンウェルです」
「同じく、一年のオリヴィア・フェリエです」
「あら、一年生の皆さんが揃ってこの時間にお願いとは只事ではありませんね」
そう言うとソフィア様が私達に笑みを浮かべてみせた。ああ、思わず膝まついて、その手に口づけをしたくなるようなお姿です!
「ですが、フレデリカさん。貴方は間違っています」
「は、はい。こんな時間にいきなり申し訳ありません」
「そこではありません。ここは学園ですよ」
「あっ、はい。ソフィアさんにお願いがあってお伺いさせていただきました」
ソフィア様がにっこりと微笑む。お披露目でお会いしたときもそうだったが、この方は常にお互いを対等だと考える、そう言う人だった。
「大変よくできました。廊下で立ち話も何ですから、中にお入りください」
私達は頭を下げながら、ソフィア様の部屋の中へと進んだ。
「後輩の皆さんのお願いです。本日の学習はここまでにしましょうか?」
「はい、ソフィアさん」
部屋の奥で誰かが立ち上がるのが見えた。飴色の髪を持つ小柄な人影だ。歓迎会の時に私達の世話役だったアメリアさんだった。
アメリアさんは学習室兼居間に置かれたテーブルの向こう側に居て、そのテーブルの上には大きな本やら図面などが載っている。どうやらソフィア様とアメリアさんの二人で、夕飯後にここで勉強会をしていたらしい。流石です!
食事用のテーブルを兼ねているのか、居室にはその大きなテーブル以外には壁際に置かれた本棚、その隣に置かれた小さな書物机ぐらいしか見当たらない。下手をすると、いや下手をしなくても、私の部屋よりも質素な部屋に見える。
「椅子は足りるかしら?」
「一つ足りませんね」
「では、寝室の化粧台のところから椅子を一つ持ってきましょう。それで足りますね」
「はい、ソフィアさん」
「みなさん、机の所の椅子に座って少しお待ちください。本を片付けて、お茶でも入れましょう」
「アメリアさん、お湯を沸かしてもらってもいいですか?」
「はい」
「あの、すぐに戻りますので……」
私は寝室から丸い背もたれがない椅子を自分で持ってきたソフィア様に声をかけた。
「何を言うのですか? せっかく後輩の方から尋ねて来てくれたのです。少しお話しぐらいさせていただけませんでしょうか?」
イサベルさんもオリヴィアさんも、自分で椅子を持つソフィア様をあっけに取られた顔をして見ている。お披露目でこの方と踊る事になってしまった自分としては、二人が驚く気持ちは良く分かる。
そう言えば、侍従さんはどこにいるのだろう。何せソフィア様は王女様だ。私は辺りをキョロキョロと見回した。
「フレデリカさん。もしかして、侍従をお探しですか?」
「えっ?」
「私には手も足もありますから、自分で出来ることは自分でします」
ソフィア様はそう私に告げると、私達に椅子に座るように促した。私達はお互いに顔を見合わせたが、ここまで言われたら椅子に座らざる負えない。椅子に座った私達の目の前で、アメリアさんが机の上にあるたくさんの本を、せっせと本棚や書き物机の方へと運んでいく。
「きゃ!」
オリヴィアさんの口から小さな悲鳴のようなものが上がった。そして顔を手で隠している。なんだろう。虫でもいたのだろうか? だがオリヴィアさんがなんで悲鳴を上げたのかは直ぐに分かった。
机に開いて置いてある本には男性の裸の図が書いてある。その横には女性の裸の図もあった。別の本には胎児だろうか、だんだん大きく、そして人の形になっていく赤子の姿が描かれてる本もある。ソフィア様は学習会と言っていたけど、一体何の学習会をしていたのだろうか?
もしかしたら、ソフィア様はお医者様にでもなりたいのだろうか? でもソフィア様は王女様だ。医者になどなる必要もないし、なれるとも思えない。
「あら、オリヴィアさんには刺激が強過ぎたかしら? 私達は何れは子を成すのですから、ちゃんと学習しておく必要がありますよ」
本を閉じて抱えたソフィア様がカラカラと笑って見せる。
『子を成す!?』
いや、それって集まって勉強をする様な事ですか!? 思わずこちらも愛想笑いをするが、一体何に笑っているのか自分でもさっぱりだ。
「ソフィアさん、お茶の準備ができました」
「アメリアさん、ありがとうございます。ではお茶を飲みながら、皆さんのお願いとやらをゆっくりとお聞きすることにしましょうか?」
ソフィア様はそう私達に告げると、背もたれのない椅子に腰をかけて、その銀色にも見える明るい灰色の目で私達をじっと見つめた。