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面子

「着いたぞ」


 ずっと無言だった男がジャネット達にそう告げると、御者の短い掛け声と共に、馬車の制動板が立てる耳障りな音が響いた。不意をつかれたジャネットは足をつっぱって、必死に体を支える。男は慌てているジャネット達を後目に、馬車の扉を開けた。


「ジャネット、塔だよ。白亜の塔が見える!」


 扉の先から顔を出したイベェタの口から興奮した声が響いた。ジャネットの視線の先でも、木立の間から学園の白亜の塔の灯りが見える。どうやら自分達は学園まで無事に戻って来れたらしい。


 男が自分達に向かって、馬車を降りるようにあごをしゃくってみせた。ジャネットもイベェタも、男から渡された簡素な侍従服を移動中に着ており、サンダルも履いている。学園の中に戻る分には何の問題もない。


「あ、あの」


 ジャネットは馬車の扉を閉めようとした男に向かって問いかけた。


「何だ」


「何で助けてもらえたのでしょうか?」


「助ける?」


「あの屋敷から連れ出してくれたじゃないですか?」


「何のことか分からないな。今日のことは全て忘れることだ。そしてしばらくは学園から出るな」


「バタン」


 ジャネットの目の前で馬車の扉が閉まった。その馬車には何の紋もなければ、これと言って特徴的な装飾も何もない。ともかく目立たない馬車だ。


「ハイホ!」


 御者の小さな掛け声と共に、二台の馬車が闇の中を進んでいく。その馬車の道を照らすランタンの黄色い灯りは、すぐにジャネット達の視界から消えていった。後には、自分とイベェタ、そしてもう一台の馬車に乗っていた女二人が残された。


「ジャネット、もしかして私は悪い夢でも見ているのかい?」


 イベェタが馬車が消えた暗闇をじっと見ながら、ボソリと呟いた。


「夢? こんなのが夢なんかな訳ないさ。あんた達、ぼっとしている時間はないよ。さっさと宿舎へと戻るよ」


 ジャネットはそうイベェタと女達に声をかけると、馬車が消えたのと反対側を振り向いた。そこにはポツリと裏口の守衛所の灯が見える。そして右手には黄色い光に照らし出された白亜の塔も見えた。だがジャネットにはそのどちらも見えてはいない。


 ジャネットの脳裏には、鳶色の目をした少女の姿だけが映っている。そのこちらを見下した目が、今でも自分をじっと見つめているような気がしてならない。


「ジャネット」


 不意にイベェタがジャネットに声をかけた。


「なんだい」


「あんた、もしかしてあの娘の事を考えていないかい?」


「だとしたらどうだと言うんだい」


「分かっているのかい? あの子は私たちの恩人だよ」


「恩人? イベェタ、気は確かかい? あの娘のせいで私達はこんな目に遭ったんだ!」


 だがイベェタはジャネットに対して、大きく首を横に振ってみせた。


「違うよ。私達が間違ったんだ。あの子は私達を嵌めたんじゃない。試したのさ。だからあの子に何かしたら、私があんたを許さないよ」


 そう告げると、イベェタはジャネットをじっと見つめた。その視線はジャネットが知っているいつもの投げやりな視線とは全く違う、真剣な眼差しだった。


* * *


「こんなにも簡単に面子を潰されるとは、私もやきが回ったもんだね」


 アルマは縛られて床に転がされた男達を見ながら、そう呟いた。男達は気つけのためか、水をかけられてずぶ濡れだ。


「杖持ち達は何をしていたんだい?」


 アルマが背後に控える侍従姿の男に声をかけた。


「どうやらそちらが先にやられた様です」


 アルマの問いに、メガネをかけた侍従服姿の男が答えた。


「何だって? うたた寝でもしていたのかい?」


「いえ、そういう訳ではありません。いきなり気絶させられた様です。自分が放っていた使い魔によって、穴の向こうに連れて行かれかけていました」


「と言うことは?」


「はい、相手はこちらの魔法職が網を張っていたにも関わらず侵入出来た事になります」


「用意周到と言う事だね。今日私がここに来ることを事前に知っていたのは?」


「はい、私ともう一人です」


「ロイスかい?」


 侍従服の男がアルマに頷いて見せた。


「こちらの護衛役を軒並み倒せたんだよ。それも殺すんじゃなくて、ご丁寧にも気絶させてだ。私の玉だって取れたじゃないか。それがどうして、あのスベタ達だけを連れて帰るんだい?」


「それについては……」


 侍従服姿の男が口籠った。


「パン!」


 男の頬がアルマによって張り倒される。


「いつも周りの者達を馬鹿にしている割には、お前も役に立たない男だね。で、こいつらは何も見なかったのかい?」


「はい。どうやら薬を使われたと言うこと以外は何も分かっておりません」


「揃いも揃って役立たずかい」


 アルマは大きくため息をついて見せた。


「ですが、こちらの機密保持に特に問題があった様には思えません」


「つまりロイスだと?」


「はい。そうとしか思えません」


「ロイスにしても、ここを教えたのは直前だろう?」


「はい。店に寄ってもらってからこちらを案内しました」


「私の玉を取るつもりならさっさと取っている。だがバレバレだ。間違いなく叔父さんにお仕置きされる。そんな橋を渡るかい?」


「いえ」


「それに、ロイスが何で学園のスベタ達を連れ出すんだい? それこそ危ない橋を渡るのに見合わないじゃないか? 誰かがそう思わせようとしていると考えた方が、まだ筋が通っているよ」


「はい、お嬢様。ですがそう思わせるのが目的かもしれません」


 侍従服姿の男がキッパリと言い放った。


『おやおや、この眼鏡はあの坊やに焼き餅を焼いているのかい? 切れ者ぶっても、中身はその辺の色ガキと同じだね。あの鼻垂れ小僧だった男の方が、よほど肝が据わっていたじゃないか』


 アルマは先程まで褥を共にしていた男の事を思い出すと、周りの男達に対して心の中で鼻白んで見せた。


「いずれにせよ、警備体制は見直しが必要です。この役立たず達は『沈める』でよろしいでしょうか?」


 そう言うと、侍従服の男は床に転がる男達を冷たい目で見つめた。男達の顔が蒼白になる。


「沈める? リコ、ならお前が最初にメナド川の泥に頭を突っ込みな。これはあんたの手落だよ」


 リコと呼ばれた侍従服姿の男が、慌てた様子でアルマの方を振り返った。


「申し訳ございません」


「お前達」


 アルマは頭を深々と下げた男を無視すると、腰に手を当てながら床に転がっている男達に声をかけた。猿わぐつをされている男達からくぐもった声が上がる。


「私は優しい女だからね。今回だけは見逃してやる。だけど気合いぐらいは入れ直さないといけない。じゃないとまた同じ失敗をするだろう?」


 再び男達の口からくぐもった声が上がる。アルマはそれを満足そうに眺めた。


「でもリコ、楽しくなってきたじゃないか?」


「楽しいですか?」


「そうさ。何処の誰かは分からないが、私と遊びたがっている奴がいるんだよ」


「身の程知らずだと言うのを、直ぐに分からせてやります」


「そうさね。先ずはロイスを洗うことにしよう。お前の言う通り、偶然にしてはあまりに出来すぎている。それとロイスが引き取った娘もだ」


「ミランダの娘ですか?」


「バン!」


 侍従服の男の頬からにぶい音が響いた。男の顔からメガネが吹き飛び、その鼻からは赤いものが床へと滴り落ちる。男は胸元の白い布を取り出すと、それで鼻を抑えた。


「リコ、『姐さん』を忘れているよ。お前のような下っ端じゃない。元顔役だ。敬意というものを払いな。ヴォルテ叔父さんだったら、あんたはもうこの世の人間じゃないよ」


「申し訳ございません」


「確か堅気にさせると言っていたね」


「はい。ライサに勤めさせたとこまでは確認しました」


「いずれにせよ、あの男の弱点はそこさ。それにロイスが絡んで居たとしても、あの男一人でこんな大胆な真似ができるとは思えないね。裏に誰か居るかもしれない。それと学園の方もだ。スベタ達が何者なのかも洗わないといけないね。ただのアバズレにしか見えなかったけど、わざわざ危ない橋を渡ってここから連れ出すんだ。こちらは間違いなく裏があるとしか思えない」


「はい」


「ただし相手は学園だ。うちとの繋がりが分からないような犬を使いな」


「承知いたしました」


 あの男は私を満足させた。ただ殺すのは勿体無い。私の言う事だけを聞く犬にして飼ってやるのがいい。アルマは先ほどの情事を思い出すと、紅く染めた唇の橋を僅かに上げてみせた。だけどあの冷めた顔だ。


 間違いなく誰か決めた女がいる。まさか死んだミランダじゃないだろうし、何処の誰だろう。何処の誰でもいいが、それをあの男の前で壊してやろう。


「ああ、楽しみだね。そうだろ、お前達!」


「はい、アルマお嬢様」


* * *


「マリアンはまだなのか?」


 窓からじっと外を見つめていたモニカの背後で、エイブラムの苛立たしげな声が上がった。


「エイブラム代表、1分30秒前に同じセリフを言ったばかりですよ」


 モニカは振り返りもせずに、このライサ商会の代表であるエイブラムに答えた。


「1分30秒? いくら何でも5分は経っているだろう?」


「いえ、1分30秒、今だと1分45秒です」


「モニカ君、君は時計を見ていないはずだが?」


 モニカはやはり振り返りもせずに、窓に映っている柱時計を指差して見せた。


「ふむ」


 背後からエイブラムのため息が聞こえる。このため息も一体何回聞いた事だろう。モニカもエイブラムに聞こえないように小さくため息をついた。そのため息は窓を僅かに曇らせるとやがて消えていく。その窓から見える空は、ここに着いた時にあった紺色の部分はとうに消えて、今は真っ暗だ。


 だがモニカが居たカスティオールの地のように暗闇ではない。このライサの本店を含む事務街の建物の窓には灯りがついているし、下の通りでは街灯の元、仕事帰りの者達を待つ辻馬車が行き来しているのが見える。


 しかしモニカの心は頭上の夜空のように暗く沈んでいた。理由はただ一つ。繁華街の所で別れたマリアンが来る気配が一向にない。


『彼女は大丈夫なんだろうか?』


 モニカの中で不安が頭をもたげる。色々な理由をつけてそれを必死に押さえていたが、それはまるで沸騰し始めた湯のように抑えることができなくなってきていた。あの時あの人はあの雑踏の中に何を見つけたのだろう。思えば自分は彼女の事を何も知らない。


「エイブラム代表?」


「何だねモニカ君」


「エイブラム代表は、マリアンさんの事を何処までご存知なんですか?」


「はあ?」


「何かを知りたい訳ではないのです。エイブラム代表がマリアンさんの事をよく知っていることさえ分かれば、それで十分なんです」


「ふむ」


 エイブラムが今日何度目になるか分からない深いため息をついた。


「エイブラム代表、すいません。変なことを口にしました。全て忘れてください」


「モニカ君、二人でいるときはエイブラムでいい。いまだに代表とか呼ばれても、誰の事かピンと来ないんだ」


 エイブラムがおどけた顔をすると、モニカに向かって肩をすくめて見せた。


「コリーにはもっと堂々としろと言われるのだが、そんなものは持ち合わせていないらしい。マリアンの爪の垢でも煎じて飲むべきだろうな」


「ふふふ、そうですね」


「先ほどの君の質問について言えば、私も君とさほどの違いはない。むしろ会話をする機会を考えれば、君の方がよく知っている可能性があるぐらいだ」


「そうなんですか?」


「そうだよ。商人としては失格かな? 失格という点で言えば、カスティオールに投資する件については、コリーに相当に本気かと聞かれたよ」


「コリー経理長は反対なんですか?」


「まさか。ここからは仕事抜きの話だ。俺よりもコリーの方が博打打ちだよ。カスティオールの件はいかにもあいつ好みの案件だ。いつもは俺が危険な点を指摘して抑える役さ。疑い深いのはあいつの方が上だがな。信じられないか?」


「はい。意外でした」


 モニカは素直に頷いて見せた。モニカの頷きにエイブラムが苦笑いをして見せる。


「コリー経理長は何を危険視したのでしょうか? やはり投資額が大きく、回収するまでの期間の問題でしょうか?」


「資金上の問題ではない。人的な問題だよ」


「人的? 私がライサを辞めるとかでしょうか? 首にされるならいざ知らず、いくら何でもそんな無責任な事はしません!」


「怒らないでくれ。いくらコリーでもそれを疑ったりはしないよ。でも当たらずとも遠からずだな。コリーが指摘したのは、俺と君だ」


「はあ? どうして代表、エイブラムさんが懸念事項なんですか?」


「俺もコリーに同じことを言った。だが奴の答えを聞いて納得した」


「どういう事でしょうか?」


「俺も君も、ライサの利益とあの子の利益が相反した時に、間違いなくあの子の利益を取る。そうだろう? だから俺と君がライサにとっては最大の懸念事項だそうだ」


 そう言うと、エイブラムはまるでいたずらがバレた子供の様な顔をした。モニカはエイブラムの言葉にあっけに取られたが、エイブラムのいたずらっ子のような表情に頷いて見せた。


「だがそれは間違いなどではない。コリーも分かっている。俺達は金の為だけに仕事をする訳ではない。そうであってはならない。あの子は俺にそれを思い出させてくれた」


「はい、エイブラムさん!」


 モニカは今度は深く、そしてしっかりと頷いた。エイブラムもモニカに向かって頷いて見せる。窓の外に視線を戻したモニカは、自分の心にあった重い何かが、いつの間にか消え去っているのに気がついた。


 モニカの視線の先で一台の馬車が、この建物の近くに止まるのが見えた。御者台と侍従台に乗っていた男が注意深く辺りに視線を走らせている。そして男の一人が馬車の扉を開けると、ライサの事務服を着た少女が一人ひらりと通りへと降り立つのが見えた。


『一体彼女は何者なんだろう?』


 颯爽と建物の通用口に向かうマリアンの姿を見ながらモニカは考えた。だがすぐに頭を振る。問題など何処にもない。彼女が何者なのかは良くわかっている。彼女はマリアン。私の親友だ。


「エイブラム代表、マリアンさんが到着しました」


「モニカ主任、了解した。では彼女を出迎えるとしよう」

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