助け
「イベェタ、大丈夫かい?」
全く光のない暗闇の中でジャネットは声をかけた。
「どうしてこんな事になっちまったんだよ」
闇の中でイベェタや他の女達の啜り泣く声が響く。
「ジャネット!あんたのせいだよ。あんたが外で食事をしようなんて言うからだ!」
女の一人がジャネットに向かって金切り声を上げた。
「そうだね。うまく嵌められちまったようだね」
「嵌められた?」
イベェタの口から当惑の声が漏れた。
「そうさ。あの女にうまく乗せられたんだよ」
「どういう事だい?」
「どのみち私たちがこの金を使うと分かっていたのさ。そしてご丁寧にわざとそれを使うように仕向けてみせた」
「ジャネット、私にはさっぱりだよ」
「あの女が私達に渡した金はお手当なんかじゃない、やばい金だったんだよ。あの女はそれを私達に掴ませたのさ。きっと私達のことが相当に気に入らなかったんだね」
「どうしてそれがやばい金だなんて分かるんだい?」
「金貨は特別なんだよ。他の金と違って、金貨には番号が振ってある。だからそれがどこから出たものか分かるやつには分かるのさ。うちは本物の貴族ではなくて、商家だからね。金貨の出どころの話を旦那や店の者がしているのをよく耳にしたよ」
「それじゃ、私達はどうなるの?」
「それの出所について聞くつもりなんだろう。そんなものはすぐに教えてやるさ。だけどあの女の台詞を聞く限り、それで終わりじゃない」
「私達はもうお終いという事なの?」
「殺してくれるぐらいなら楽でいいんだけどね。生きていることを後悔する様な何かだよ」
今更この女達に見栄を張っても仕方がない。ジャネットは自分達に何が待っているかについて、正直に女達に告げた。
「ああーーん!」
「いやよ!いや、いや!」
女達の口から泣き叫ぶ声が響く。ジャネットはそれを白けた気分で聞いていた。今更泣き叫んだところでどうにもなりはしない。
「ギーーー」
ジャネット達の耳に鉄の扉が開く音が響いた。
「キャーーー!」
女達の叫び声が辺りに響き渡る。ジャネットも口では強がってみたものの、体を硬らせて、これから自分の身に起きる何かを待ち受けた。濡れた下半身がとても冷たく感じられる。
「コツ、コツ、コツ」
革靴が敷石を叩く音が小さく響いてくる。ジャネットの予想に反して、その足音は一人だけのもので、しかもそれは軽い音だった。とても男の足音とは思えない。まさかあの女が一人で戻ってきたのだろうか? 女達もすすり泣くのを止めて息を飲んでいる。
「カチッ!」
暗闇の中に小さな火打ちの音がしたかと思ったら、黄色い灯りが辺りを照らした。その明かりはジャネットの闇に慣れた目には、まるで日中の太陽の様に眩しく見える。ジャネットは思わず腕を前に上げてその明かりを遮った。
「あ、あんた!」
ジャネットの耳にイベェタの叫ぶ声が響く。その声にジャネットは慌てて腕を下げた。手にした油灯のぼんやりとした灯の先に、鳶色の髪と鳶色の目を持つ、まだ若い少女が立っている。
「あんた、何でここに!?」
ジャネットはマリアンに向かって問いかけた。
「それはこちらの台詞です。あれほど卒業までは使わないように、それにこの王都の外で使えと言ったはずです。言うことを聞かないからこんな目に遭うんです」
そうジャネット達に告げると、肩をすくめて見せた。
「あんた一体何者なんだい!」
ジャネットは思わず叫んだ。だがマリアンの態度は学園で見た時と同様に涼し気だ。
「みなさんと同じ、学園のお付きの侍従です。それより時間がありません。助かりたかったら、口を閉じて私の後について来てください」
マリアンはそうジャネット達に告げると、油灯を手に扉の方へと向かっていく。ジャネットは肌着姿に裸足のままでその後を追いかけた。
「ちょっと待ちな!」
ジャネットは階段を駆け上がりながらマリアンに声をかけた。この屋敷には屈強な男達が山程いる。だがマリアンはその問いかけを無視して、無言で階段を登っていく。その階段の先には明かりが見えた。
『何でこの女はここを普通に歩いて行けるんだい!?』
もしかしたらこの女もこの家の一味? ジャネットの頭の中に色々な考えが渦巻くが、どれ一つとして話が繋がらない。
「えっ!」
ジャネットは階段を登ったところにある、小部屋の中を見渡して声を失った。エラディオを始め、自分達を押さえつけていたあの店の男達が、なすすべもなく床に転がっている。
「先ほど言った通りです。声は一切出さないようにお願いします。声を上げた場合、皆さんをここに置いていく事になります。もし残りたいのでしたら、この方達が気がつくまでここに居て下さい」
マリアンの言葉に、イベェタを含めた女達が首を横に振る。マリアンは小さく頷いて見せると、部屋の外へと続く扉を開けた。その先には赤い絨毯が引かれた屋敷の廊下がある。壁のところどころに設置された、油灯りだけの暗がりの中を、マリアンは足音も立てずに進んでいく。
ジャネットは前を行くマリアンの後ろ姿を見つめた。マリアンが着ている服は学園で見慣れた侍従服ではなく、どこかの商家の事務服の様なものを着ている。しかしその廊下を歩く姿は訓練された侍従の姿そのものだ。年齢的には仕事を始めたばかりの駆け出しのはずだが、昨日今日に侍従になったものの後ろ姿では決してない。
『何者なんだい?』
ジャネットの心の中に、マリアンに対する得体の知れない恐怖と共に、仄暗い何かが心の奥で小さく蠢くのを感じた。
「ヒッ!」
ジャネットの先をいくイヴェタが小さな声を上げる。マリアンは振り返ると、イベェタに向かって小さく口元に指を当てて見せた。ジャネットの視線の先、非常用の出口と思しき扉の前に、黒い服を着た、ガタイのいい男が一人倒れているのが見える。マリアンはそれを見向きもせずに飛び越えると、ゆっくりと鉄で出来た非常用の出口の扉を開けた。
その隙間から夜のひんやりとした空気が廊下へと流れ込んで来る。ジャネットはぬれた下半身に寒気を覚えながらも、女達に続いて扉の外へと出た。暗い何かが足元にぶつかり、前のめりに倒れそうになる。誰かがジャネットの手を支えてくれた。
「気をつけてください」
月明かりしかない暗闇の中で、小さく声が響いた。その声の先には、長い髪を頭の後ろでまとめた人影が見える。
『なんだい、この女は。何でこんなにかっこよくできるんだい!』
ジャネットは心の中でそう毒吐くと、慌てて手を引っ込めた。
『あんたとは全部が、何もかもが違うのさ』
心の奥の仄暗い何かがジャネットに囁く。ジャネットは今まで自分は運がなかっただけだと思っていた。自分が仕えてきた家の者達を見て、単に自分は生まれてくるところを間違っただけだと思っていたのだ。
だけどこの女は自分と同じ侍従だ。それも落ち目で、王都の貴族達から存在が無視されているようなカスティオールの侍従だ。自分と何も違いはないはずだ。なのにどうして、この女はこんなにも自分達と違うのだろうか?
マリアンは手にした油灯の覆いをわずかだけ開けた。そこから漏れた明かりが足元を小さく照らす。ジャネットの足元には黒い服を着た屈強な男がまたも倒れている。
『まさかこの小娘が、この男もあの男達も、全員倒したというのかい?』
ジャネットは再び前を歩き始めたマリアンの後ろ姿を、何かの化け物でも見たかのように見つめた。マリアンは屋敷の出口の方ではなく、屋敷を囲む木立の先にある、普通よりかなり高く見える塀の方へと向かっていった。
塀の手前で、マリアンが手にした灯りを小さく掲げて見せる。すると塀の上から梯子の様なものがするりと下ろされた。
「焦る必要はありません。ともかく音を立てない様に登ってください」
マリアンが小声でジャネット達に告げる。その言葉に、イベェタが自分が最初だとばかりに梯子に取り付くと、慌てて上へと登っていく。塀の上では誰かが待ち構えていたらしく、梯子の一番上に手をかけたイベェタの姿は、引っ張り上げられると塀の向こう側へと姿を消した。
他の女も無言で次々と梯子を必死に登っていく。ジャネットも女達に続いて梯子を登った。梯子には滑り止めを兼ねた布が貼ってあって、音が立たないようになっている。間違いなくこの手に慣れた者達だ。
ジャネットが梯子の一番上に手をかけると、そこには黒い服を着た男がいて、ジャネットの体を引っ張り上げた。そしてその体を塀の下へと放り投げる。ジャネットは悲鳴をあげそうになるのを必死に堪えた。
しかしすぐに自分の体が誰かの腕の中に収まったのが分かった。その隣で何かが落ちてくる様な音がする。見ると、マリアンがまるで木から飛び降りた猫の様に、塀の上からフワリと舞い降りて来た。そして自分を抱えていた男の方へ向かって、指をくるくると回して見せる。
自分を担ぎ上げていた男はそれに頷くと、ジャネットの体を抱いたまま、その先に停まっていた黒い馬車の座席へとジャネットの体を押し込んだ。そこには先に載せられていたらしいイヴェタと、大きな男らしい影がある。カスティオール家の使用人? いや、そんな堅気の男には絶対に見えない。
「奥へ座れ」
男の声に、慌ててイベェタの隣にいく。
「服は?」
ジャネットの背後でマリアンの声が響いた。
「とりあえず、その辺りから侍従服を4人分揃えてあります。大きさについては合わせてもらうしかないですね」
自分の向かい側に座っている黒い男の影が答える。ジャネットは男の態度に違和感を覚えた。どういう訳か少し年嵩がいってそうな男の声の、マリアンに対する言葉はとても丁寧だ。
「肌着の替えは?」
「流石に肌着まで揃えるのは無理でした」
「それは我慢してもらうしかないわね。あとはよろしくお願いします」
「はい」
「あ、あの」
ジャネットの隣に座っているイベェタが声を上げた。
「口を閉じていろ」
自分達の前に座る男のドスが効いた声が響く。
「待って。何?」
「た、助けて、くれてありがとう」
イベェタが震える声でマリアンに声をかけた。予想外の言葉だったのか、一瞬の間を置いたのちにマリアンの声が響いた。
「感謝するのなら彼らに感謝して。私一人ではあなた達を助けられなかった。それと二度と同じことはしないで」
「バン!」
ジャネット達の返事を待たずに、馬車の扉が閉まった。