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隠密

「着いたぞ」


 ロイスは向かい側に座っているはずの少女に小さく声を掛けた。その姿はそこに居ると分かっていても朧げだ。案内役と称した向こうが付けた御者は、盛場からほど遠くない通り、ただし裏手側になる通りに馬車を向けたらしい。


 この辺りは大店や貴族がこっそりと盛場の女達を連れて遊ぶための別宅があるような場所で、普段はあまり人気はない。ロイスは辺りの気配を伺った。馬車の扉のところに誰かが立つ気配がある。


「失礼致します」


 声と共に馬車の扉が開いた。扉の先では眼鏡を掛けた侍従服姿の男が昇降台を手に立っている。


「ロイス様。お手間をおかけ致しまして、申し訳ございません」


 男はそう言って頭を下げると、昇降台を下に置いた。ロイスはわざとゆっくりとそれを降りる。何か風の様なものが自分の背中を走り抜けるのを感じた。


『慣れないな』


 ロイスは心の中で言葉を漏らした。今の風の様なものも、自分がそこに居ると認識しているから感じているだけで、それが無ければ全く気がつかないはずだ。


 それを初めて見たのはモーガンと灰の街に行った時だが、それ以来マリアンがこの力を使うのを感じる度に、己の無力に苛まされる。自分が守るべき相手に守ってもらう様なものだ。だが今回は自分にもすべき役割がある。


「アルマの姐さんは?」


「はい。お待ちしております」


「アルマの姐さんと話をするのも久しぶりだよ。そう言えばあんたと話をするのも久しぶりだな」


 ロイスは男に向かってわざとらしく勿体ぶってみせた。ついこの間まで自分もモーガンに顎で使われる身だった。この男にしてみれば、こうして自分に頭を下げるなんて言うのは面白い訳がない。頭を上げた男が無意識に眼鏡に手をやるのが見えた。


 どうやらこの男の意識を自分に向けさせることには成功したらしい。ロイスは目の前にある、黒を基調とした貴族の別宅の様な建物を見上げた。自分を迎入れるために玄関の扉は開いている。あの子は既に中に入っただろうか?


「今日はアルマの姐さんと、ゆっくり()()が出来そうだ。楽しみだよ」


 ロイスは男に向かって、さも嬉しげに声を掛けた。

 

* * *


 建物の中に入ったマリアンはじっと辺りを窺っていた。そして馬車の中でのロイスとの会話を思い返す。


『アルマは恐怖で人を支配する。権力欲の権化みたいな奴だ。噂ではそれを叩き込むための教育部屋というのがあるらしい。女達がいるならそこだ』


 ロイスの言う教育部屋の入り口を探さないといけない。この屋敷の貴族の別宅風の構造からして、それは間違いなく地下室だろう。それと脱出路の確保もだ。今回は派手にやるのだから、薬も遠慮なく使わせてもらう事にする。


 マリアンは体を包む目には見えない靄の様なもの、マナが自分の体を全て覆っているのを確認した。それと同時に首筋の辺りにする何やらピリピリとした感じと共に、何かが潜んでいるような気配がした。


 前世の自分が、そして今も自分が使っている「マナ」とは異なる、この世界を裏で支配する力だ。間違いなくこの屋敷は魔法職によって監視されている。


 本来なら隠されたその力の存在は、魔法職で無ければ感じることは出来ないものらしい。前世の記憶を持つからだろうか? それともマナを使えるからだろうか? フレアと自分はどうやらそれを感じる事が出来た。たとえ隠されていても、それはまるで油紙にぼんやりと映った影絵の様に自分の視界と重なって見える。


「今日はアルマの姐さんと、ゆっくり昔話が出来そうだ。楽しみだよ」


 玄関の方からロイスの声がした。マリアンはそちらの方をじっと眺める。自分がこの屋敷の魔法職なら何らかの手段でロイスを監視する。いや、監視するだけではなく、何かあった時にはすぐにその命を奪える準備もするはずだ。


 玄関から眼鏡を掛けた侍従服姿の男に続いて、ロイスが建物の中に入って来た。玄関の内側に待機していた黒服の男達が頭を下げるのが見える。侍従服姿の男はロイスから上着を受け取ると、玄関ホールの階段の方へロイスを案内しようとしていた。


 マリアンはその背後に何かの影がいるのを感じた。それは鳥の様な形をしたぼんやりとした影だ。だが鳥にしては形が変だ。その頭はまるで何かの獣の様な形をしており、尾がとても長い。それは侍従の背後に隠れながら、ロイスと一緒に階段を上の方へと上がっていく。


『何処から……』


 そこまで考えた時に、マリアンはその影の尾の先がとても細くなりながらも、何処かに繋がっているのに気がついた。誰かがその先でこれを操っている。マリアンは立ち上がると、その細く黒い線の先を追った。それは玄関ホールの裏、一階の奥へと繋がっている。だがこれを追うのは後だ。先に鍵を手に入れる必要がある。


 マリアンは迷う事なく、玄関ホールの裏手側から配膳室の方へと向かった。この手の屋敷の作りは大体決まっている。それに魔法職でも、それが人である以上は腹が減る。そしてそこに食事を運ぶ者も居るはずだ。


 夕飯の時間が終わったのか、片付けに入っている調理場の音に耳を澄ませながら、マリアンは配膳室の中を伺った。そこには一人の年配の侍従服姿の女性が、うたた寝をしながら呼び鈴の下の椅子に座っている。


 マリアンは壁際にあった据付の棚を開けようとした。だが鍵がかかっている。マリアンは女性に近づくと、その胸元にかけてある小さな鍵をそっと外した。女性が一瞬目を覚まして、辺りをキョロキョロと見渡すが、再び眠りへと落ちる。マリアンはその鍵を使って扉を開けると、中にある鍵束を見回した。


 防犯の為か、どれがどこの鍵なのかは何処にも書いていない。鍵棚がきちんと施条されていたことといい、この屋敷を管轄しているものはそれなりの者らしい。マリアンは入り口でロイスを案内していた、目鏡を掛けた侍従の姿を思い浮かべた。どうやら相手は一筋縄ではいかない様だ。


 護衛がいる部屋の鍵はそうそう必要がない。そして潜んでいるのであるから、目立つ護衛をその部屋の前に置いたりはしないはずだ。


 マリアンは鍵棚の中で一番取り出されていてかつ、頑丈そうな鍵がついた束を取り出した。それと配膳室にあったデザートフォークに串を拝借すると、マリアンは玄関ホール側へ戻って、そこにある黒い霞の様な線を追った。


 それは一階の奥の小部屋の方へと繋がっている。物置のように見えるその部屋の鍵穴は少し大きめで頑丈そうに見えた。マリアンがそこに手にした鍵を差し込むと、それはカチリという音を立てて回った。耳を当ててじっと中の様子を伺う。誰かがこの音に反応したらしき様子はない。思い切って扉を開くと、マリアンは部屋の中へと飛び込んだ。


 部屋の中は思ったより広く、手前には物置らしく椅子や机といったものが雑多に積んである。その奥に油灯りの黄色い光が灯っているのが見えた。そこには油灯りが置かれた小さな机が一つあるだけで、他には何もない。


 見るとその横で一人の男が杖を手に、小さな声で何やら歌の様なものを歌っている。その足元には白いチョークで描かれたらしい複雑な紋様があるのも見えた。間違いない。魔法職だ。


 マリアンは事務服の下に忍ばせている短剣に手を伸ばした。だがそこで手を止める。この屋敷を管理している者は相当に用心深い。それがたった一人の魔法職の監視だけで十分だと思うだろうか? それに卵を同じ籠に盛る様なことをするとも思えない。


 マリアンは精神を集中すると辺りをじっと伺った。何処かにこの部屋を監視しているのぞき窓の様なものはあるだろうか? この部屋は一番右の端だ。構造上あるとすれば下か上になる。だがどちらにもその様なものは見えない。


 そこでマリアンは部屋の暗がりに、何か影の様なものがじっとしているのに気がついた。それは先ほどの鳥のような影に比較すると、油紙をもう一枚翳した先を見ているかのようにとてもぼんやりと見える。それは人の子供、いや猿のような影だった。やはりその猿の様な影にも細い線の様なものが繋がっているのが見える。


『つまり監視役という事ね』


 マリアンは唇の端を小さく上げた。やはり物事には段取りというものがある。マリアンは扉の外へと抜けると廊下の先、その細く黒い線が繋がっている先を目指した。だがすぐに階段の影へとその身を隠す。大勢の人間がこちらに歩いてくる足音がする。


「ロイスは?」


 女の声が響いた。見るとその集団の先頭には紅いドレスに身を包んだ厚化粧の女がいる。そしてその横には先ほどの眼鏡をした侍従もいた。


「はい、アルマお嬢様。既に居間には通してあります」


 侍従が女に答えた。女が満足気に頷いて見せる。


『アルマ? あれが?』


 マリアンは先頭をいく女の姿をじっと眺めた。金髪に深く蒼い目をした女だ。その胸元が深く切れ込んだドレスからは豊かな胸がこぼれ落ちるかの様に見え、細く締められた腰に掛けて、いかにも女性らしい曲線を描いている。そして横のスリットから覗く、白い肌の脚が妙に艶かしく見えた。本当に自分の母親の年齢の女なんだろうか?


 この姿だけを見れば、この女が王都の顔役の一人にはとても見えない。この屋敷の主人に呼ばれた娼婦としか思えない姿だ。だがその黒い線で縁取られた蒼い目は獲物を狙う猛禽の目だ。決して只者ではない。


 今、ここで決着をつけるべきだろうか? マリアンは太ももにある短刀に手を伸ばした。だがすぐに頭を振った。この女をここで殺すことはできるが、それではロイスに直接疑いがかかってしまう。


「おや?」


「何でしょうか?」


「誰かに見られているような気がしたけど、私の気のせいかね?」


 アルマの言葉に、背後にいた男達が一斉にアルマの周りを囲む。マリアンは短刀から手を離すと、全身から力を抜いた。やはりこの女は只者ではない。


「ふふふ、久しぶりにこちらから男の方に行くから、血がたぎったのかね。お前達、ここからは男女の秘め事だ。お前達のような無粋者は下に控えていな」


「はい、アルマお嬢様」


 アルマは紅く塗られた唇の端を持ち上げると、怪しい笑みを浮かべてみせた。その時だった。マリアンの視線の先で、何やら瘴気の様な物がアルマの体から一瞬だけ噴き出すのが見えた。それはアルマが歩き始めた途端にその体の中へと舞い戻る。


『何!?』


 マリアンは体の奥、いや心の奥で何かとてもおぞましい物に触れたかのような震えを感じた。だがマリアンはこの言葉に出来ない震えを、前にも感じたことがあったのを思い出した。カスティオールの家であの蛇もどきと戦った時だ。あれが潜んでいたジェシカ様から這い出て来た時に感じた物と同じだ。


 玄関ホールの長い階段を登って行くアルマの足音を聞きながら、マリアンはアルマが尋常ならざる相手であることを理解した。


『只者なんかじゃない。あれは人ですら無い何かだ!』

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