虚勢
「ジャネット、本当に大丈夫かい?」
貸切にした辻馬車の座席で、イヴェタは着なれないドレスにみじろぎしながら、馬車に乗っている女の中で少しばかり背の高い女性に声をかけた。
イベェタから声を掛けられたジャネットはうんざりした顔をすると、普段のやる気のない顔はどこへやら、緊張した面持ちのイヴェタに向かって口を開いた。
「イヴェタ、何をビビっているんだい? 今日は研修の日だけど、私達みたいな出戻り組は免除だし、それに出ていたといえば何の問題もないよ。それにこんな時の為にあんなおっさん達に媚を売って、ベタベタとあちらこちらを触られるのを我慢してきたんじゃないか」
だがイヴェタは、その妙に平べったく見える顔を横に振ってみせた。
「そこじゃないよ。この金を使う事だよ。あの娘は卒業してからの方がいいと言っていたんじゃないのかい? それに使っちまったら、無くなっちまうじゃないか?」
ジャネットはさらにうんざりした顔をすると、イヴェタの額を小さくつついてみせた。
「何をするんだい!」
「中身があるかを確かめたんだよ。あんたは相変わらず頭の巡りがよくないね。それは私達にたかられない為のハッタリだよ」
「ハッタリ?」
ジャネットの答えにイヴェタが不思議そうな顔をする。そして前の座席に座る、自分同様にドレスを着ても地味な感じが抜けない二人を見た。だが二人もよく分からないという顔をして互いの顔を見ているだけだ。
「そうさ。金を使ったら次をたかられる。そう思ったあの子が、私達に卒業するまで使うなと言ったのさ」
前の席に座った茶色い髪の女が手を叩いて見せた。
「なるほど。あの子、頭がいいわね」
イヴェタも思わず相槌を打った。ジャネットは性悪ではあるが、自分より頭がいいのは確かだ。
「そうだよ。落ち目のカスティオールとはいえ、一応は侯爵家の長女のお付きだからね。それなりなんだろう。だから使っちまっていいのさ」
ジャネットの言葉に、イヴェタは残り二人の女と顔を見合わせた。それがどうして使っていいことになるのかさっぱりだ。
「え、どう言うことだい? 今回の分はともかく、私は残りの金で、田舎で雑貨屋でもやろうと思っているんだよ」
「雑貨屋? あんたが? まあ、それはいいとして、たかられたら困ると思っていると言うことは、まだ持っていると言うことさ。それにバレたら困ると言うことは真っ当な金じゃない。お手当だよ。あんただって若い時に少しはもらえた時だってあるだろう?」
「お手当?」
「なんだい。もらったことないのかい。まあ、その方が楽でいいかもしれないけどね」
そう言うと、ジャネットは小さくクククと笑い声を漏らした。
「なくたって、いいじゃないか!」
イベェタはジャネットに向かって口を尖らせて見せた。
「その通りさ、落とし子なんてものを作ったりして、裏で処分なんてされたりしたら、それで人生おしまいだからね。ろくなもんじゃないよ」
イヴェタはそう告げたジャネットの横顔をじっと見た。その表情にはいつもの投げやりな感じとは違って、少し憂いのようなものが見える。子供はいないと言っていたが、前の家の旦那との間で落とし子でも作ったのかもしれない。
ジャネットは自分達よりはまだ若いし、それに美人というわけではないが、男好きするような何かを感じさせるところがある。だがこの世界では別に特別な話というわけではない。それを狙って、この仕事に付くものだって大勢いるぐらいなのだ。
「それより、その店というのは大丈夫なのかい?」
「ああ、家の名前で取ってあるから問題ないよ」
「後からバレたりは?」
「家には使用人の慰労会ということにしてあるから辻褄は合っているさ。どこでやるかは言ってないけどね。うちはそもそも平民の家だから、その辺はそれほどうるさくはない。店はどちらかと言えば、旦那衆がこっそり行って、たわいもない話をするところさ。だから店もあまりうるさいことは言わないはずだ。それに服だって子供達のを借りて着ている」
そう言うと、ジャネットはドレスの裾をひらひらとめくって見せた。
「大丈夫だよ。それよりもイヴェタ、あんたは私に感謝しな。あんたの体に合うのを探すのは大変だったんだ」
「もうちょっと地味なのはなかったのかい?」
そう言うと、イヴェタは太い足の先にある花柄のフリルを厄介そうに指で弄んだ。
「子供が着るものだよ。地味なやつなんてあるかい。それに家の奥様達のことを考えてごらんよ。これでもまだ地味かもしれないぐらいだ」
「そうね」「そうだね」
他の女達も、ジャネットの言葉に同意して見せる。
「もう店だ。ともかく中に入るまではあんたは口を閉じてな」
「そうさせてもらうよ」
イベェタがそう口にするや否や、辻馬車が急に止まった。御者が外にいる誰かと話をしている。
「いらっしゃいませ」
若い男性の声と共に馬車の扉が開いた。黒の三揃いを完璧に着こなした男が、馬車の扉の横で頭を下げている。その端正な姿に、イヴェタは年甲斐もなく耳の後ろが熱くなるのを感じた。
「メラミー・ウェリントンです。家の名前で予約を取っていると思いますが?」
ジャネットが男に向かって、外向きの声で話しかけた。この四人はどこかの家で学園での侍従を既に経験済みで、色々と訳があって別の家に流れ、そこの次女や三女のお付きや、平民の家に雇われたものだ。それぞれ一応は学園の付き人ができる程度の素養はある。
「はい。ウェリントン様ですね。4名にて予約を承っておりますが、間違いございませんでしょうか?」
「ええ」
「ようこそ、ベルダコスへ。私は受付のエラディオと申します。こちらの者がお部屋までご案内させていただきます。お帰りまでお預かりするものがありましたら、この者達にお渡しください」
エラディオの差し出した手で馬車を降りた四人の前に、やはり三揃いを着こなした若い男性達が並んでいる。
皆が一斉に上着を脱ぐと居並ぶ男達に手渡した。
「エラディオさん」
「はい、メラミー様」
「今日はお忍びですので、払いは家の方ではなく、私の方で現金で払います。その旨、よろしくお願いします」
「はい、お嬢様。承知いたしました」
エラディオはにこやかに微笑みながらジャネットに答えた。ジャネットの言う通り、何の問題もないらしい。イヴェタは小さく安堵のため息を漏らした。
「お待たせしました。ではどうぞこちらへお進みください」
ジャネット達はエラディオに続いて、店の奥へと進んだ。しかし彼女達は着なれないドレスの裾を踏むのを恐れて、全員が俯いて歩いていることには、誰も気がついていなかった。
* * *
「お前、よく気がついたね」
「ありがとうございます。番号がとても古かったので、すぐに気がつきました。ご指示の通りにしたまでです」
部屋の真ん中で跪いているエラディオは、頭を下げたまま、声の主に向かって答えた。
「頭を上げな」
エラディオはその声に従って、ゆっくりと頭を上げた。目の前にはドレスの裾からのぞく、艶かしい白い足が見える。エラディオの視線の先には豪勢な、少し悪趣味なぐらい装飾が施された長椅子に腰をかけた、ドレス姿の女性がいた。
そのドレスは燃えるように紅く、その女性が漂わせている、妖艶としか言えない雰囲気によくあっている。女性は組んだ足の先を椅子の前に置かれた卓の上にかけ、手にしたグラスの中の赤い液体を口に含んだ。そしてエラディオに向かって、それをくるくると回してみせた。
「言ってもその通りにできない、ボンクラなんてのは山ほどいるのさ」
女性は自分の片足の上に肘を乗せて頬杖をつくと、顔をエラディオの方に近づけた。その姿勢のせいで、深く切れ込んだ胸元とその谷間が、エラディオの方からはっきりと見える。
その姿は世の大半の男達なら、そのまま手を伸ばして、椅子に押し倒したくなるような仕草だった。だが見かけに騙されてはいけない。目の前に居るのはこの王都の顔役の一人、「鮮血のアルマ」その人だ。
「そうだろう。お前達!」
アルマが少しドスの効いた声を上げた。
「はい、アルマお嬢様」
部屋にいる護衛役の男達が一斉に声を上げる。そのやり取りに、エラディオは背中を冷たい汗が流れるのを感じた。
「で、裏は取ったのかい?」
「はい。紋章屋に人を走らせました」
「紋章屋? どこの紋章屋だい?」
「どう見ても家人のようには見えませんでしたので、ポンシオ爺さんのところに行かせました」
「それで?」
「ウェリントンの家の使用人であることは確かのようです。使用人の一人と特徴が一致しました。ですが……」
「なんか気になることでもあるのかい?」
「その使用人ですが、現在はウェリントン家の長女の侍従として学園に行っているそうです」
「学園ね。子供の世話役ということかい? それにしてはこっそり抜け出してはめを外すなんて、とんだアバズレだね。まあ、あそこは元々は商売人の貴族もどきだからね、他よりは緩いのか。だけどあの爺さんも相変わらずだよ。お前、知っているかい?」
「はい、なんでしょうか?」
「あの爺さんが、どうして貴族の家のものだけじゃなく、その使用人まで調べ上げているか? 普通に考えたら手間暇かかりすぎて、もうけが出ないじゃないか?」
「は、はい」
「あれはあの爺さんの趣味さ。だから男の使用人なんてのは適当。女の、それも若い侍従だけ調べ上げているんだよ。あの爺さんはともかく若い女侍従が大好きなのさ」
「趣味なのですか?」
「そうさ。だから気合が入っている。そして好みの娘を見つけると、うちにこっそり連れてくるように依頼をしてくる。だから早かっただろう?」
「は、はい。確かにすぐに答えをいただけました」
「それはそうさ。あの爺さんに取ってはうちは大事な依頼先だ。だから最優先だよ。この前は誰だか忘れたが、好みのがいると言っていたが、学園にお付きで行ったとかで、やたらに残念がっていたね」
そう言うと、アルマは「フフフ」と含み笑いをもらした。
「まあ、あんな歳になっても、人の本性というものは変わらないということだ。それとも男の本性とでも言った方があっているかね。そうだろう、お前達!」
「はい、アルマお嬢様」
「コン、コン」
小さく扉を叩く音がしたかと思ったら、眼鏡をかけた少し背の低い男が部屋に現れた。エラディオを含めて、この部屋の中にいる男達のように、黒の三揃を着ているわけではない。男の姿は事務服姿だった。
「お嬢様、失礼いたします。確認が取れました」
事務服姿の男が、ビロードが貼ってある小さな盆を持って、アルマの前へと進み出た。
「もったいぶらないで、さっさと言いな」
「す、すいません。間違いありません。昨年、うちからバリーさんのところに、仕事の払いとして出したものです」
「ふーん」
そう言うと、アルマは盆の上の金貨をつまみ上げると、目の前へと持っていった。
「叔父さんに見せることになるかもしれない。こいつは間違っても溶かしたりしないで、大事に取っておきな」
「はい、畏まりました」
事務服の男はそう答えると、そそくさと足早に部屋から去っていった。
「殺されたバリーのおっさんは仕事中毒だったから、ともかく仕事、仕事で、金を使わないつまらない男だったね。だけどその男のところから金貨が、しかもこの王都で出回ったと言うのはびっくりだね。しかもそれを持っていたのが使用人とは!面白いね。裏で誰がどんな絵を描いているのやら」
そう誰に言うでもなく呟くと、アルマはエラディオの方を振り向いた。
「で、そのアバズレ達はどうしているんだい?」
「はい、追加の飲み物などを出して、店に留めています」
「次に何をするかは分かっているだろうね?」
「はい、こちらへと招待させていただきます」
「ふふふ、よく分かっているじゃないか。お前、あんな小箱で働かせるのは少し勿体無いね。これが終わったら、少し身の振り方を考えてやろう」
「はい、アルマお嬢様。勿体無いお言葉です」
「バシャ!」
エラディオの顔に赤い液体が掛かった。
「お前、私の名前を口にするのはまだまだ早いよ。せめて寝台の上で、私を少しぐらいは満足させられる様になってからだ」