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お節介

「女と言うのは、何でこうも荷物が多いんだ!?」


 前が見えないくらいに荷物を抱えたトマスは、そう愚痴を漏らした。ちょっと前に、馬車の屋根いっぱいに荷物を積んで出かけたはずなのに、どうしてまだまだ荷物があると言うのだろう。コリンズ夫人から馬車に積むように言われた荷物はまさに山だ。


 一体あの娘の寝室から馬車まで、何往復する必要があるのか考えるのも嫌になる。自分の部屋にはわずかな衣類しかないトマスから見れば、何かがおかしいとしか思えない。


「おい、ちょっ、ちょっと頼むよ!」


 トマスは頭の上の方を見ながら声を上げた。ともかく往復回数を減らしてやろうと、持てるだけもった箱の上の方がずれて来ているのが見える。トマスは慌てて壁際の方へ移動した。これを廊下に全部ぶちまけたら大変な事になる。ましてや壊れ物など入っていた日には、コリンズ夫人からどれだけ小言を言われることになるか想像もつかない。


「ちょっ……ふう」


 壁際にたどり着けたおかげで、上のずれた箱は滑り落ちることなく、何とか留まってくれた。だが一度荷物を下ろして揃えないと、このまま持っていくのは無理だ。


 トマスは腰に力を込めると、一度しゃがんで荷物を下ろそうとした。だが一番上の箱がやっぱり滑り落ちてしまった。トマスは盛大にため息をつくと、落ちた箱を拾いに廊下の先へと回った。中廊下で薄暗い中、箱から何やら紺色の布が飛び出している。


「面倒だな」


 小さいが下着のようには見えない。帽子か何かだろうか? トマスは廊下の先に回り込むと、それを拾い上げた。


「うん?」


 やっぱり下着なのだろうか? その紺色の布はパンツのような気もするが、生地はもっと厚手だ。


「何だこりゃ?」


「運動着です」


 誰かの声がして、横からその布が取り上げられた。その先では侍従服姿の少女が、自分をとても冷ややかな目で見つめている。


「な、な……」


 少女は動じるトマスを一顧だにせず、その布を手にすると小さくため息を漏らした。


「貴方の手が触れてしまったからには、このままフレデリカ様にお渡しするわけにはいきません。一度洗って消毒が必要です」


「マ、マリアンさん!?」


「これはフレデリカ様の大切な荷物です。気をつけてください」


「ほ、本物ですか?」


「はい。それとも偽物の私がどこかに居るのでしょうか?」


「そ、それは言葉のあやと言うもので……」


「分かっております。それより急がないと遅くなります。半分は私が持ちます。後をついて来てください」


 トマスは前を行く、紺色に白いエプロンの後ろ姿を見ながら、料理を習えるようになっても、何故あまり心が浮かないのか理由が良く分かった。それはガラムさんが真面目に料理を作るようになって、ライサ商会の人たちから絶賛されても、心の底からそれを喜んでいるように見えないのと同じだ。


「トマスさん。お昼は貴方が作られたそうですね」


「えっ、は、はい」


「大変美味しかったです。特に卵の硬さは丁度良かったです」


「ほ、本当ですか?」


「ですが、フレデリカお嬢様には少し塩味が濃すぎます。お嬢様が戻ってきた時には、少し塩を抑えめに、そして砂糖をもう少し多めにお願いします。それから油の量ももう少し抑えてください」


「はっ、はい!」


 そうだ。自分達にはこれが、超えるべき壁が必要なのだ。そして自分もガラムさんも誰に助けてもらったのか、そして誰に一番認めて欲しいのかを知っている。いつか彼女と一緒に昼食を食べられるような日が、そしてその味を心底褒めてもらえるような日は来るだろうか?


「それから、」


「それから?」


「フレデリカ様の衣類に直接に触れるなどあり得ません。穢れます」


 そう言うと、マリアンはトマスの方を振り向いた。


「穢れ!?」


「二度目の警告はありません。今度触れたら本当に犬の餌です」


 トマスには、マリアンの目が間違いなく本気としか思えなかった。


* * *


「では、出発します」


「行ってまいります」


 御者台の方からハンスの声が響いた。マリアンは見送りにきたコリンズ夫人と、荷物を積むのを手伝ったトマスに向かって頭を下げた。


 頭を下げられたトマスは居心地が悪いのか、何やら体をよじるようにして頭を下げる怪しげな動きをしている。そしてなぜかコリンズ夫人の横にはアンジェリカの姿もあった。


「フレデリカお嬢様のことをよろしくお願いします。それとエイブラム代表へのご挨拶も、失礼なきようにお願いします」


「はい、承知いたしました」


「モニカさんからも、エイブラム代表にはよろしくお伝えください」


「はい、コリンズ夫人」


「マリアンさん、フレデリカお姉様に、アンジェリカが学園でのお話をお聞きするのを楽しみにしているとお伝えください」


「はい、アンジェリカ様。フレデリカ様も、アンジェリカ様にお話をするのをとても楽しみにしていると思います」


 マリアンとモニカの二人で、馬車の折りたたみ式の梯子を引き出して中に乗り込んだ。家のものではないので、昇降台などは使わない。本来なら家人無しの所用で馬車を、それも座席を使うと言うことはないのだが、今回はフレデリカの荷物があるのと、ライサ商会の従業員の立場としてライサに行くので、座席を使わせてもらっている。


「ハイホー!」


 ハンスの掛け声と共に、年代物ではあるが、軽やかな車軸の回る音と共に馬車が動き出した。馬車の窓からは大分短くなった秋の日差しが、西の空の雲を赤く染め始めているのが見える。しばらくはマリアンもモニカも無言で流れ行く外の景色を眺めていた。やがてモニカがマリアンに向かって口を開いた。


「マリアンさんの事務服姿を見るのは、すごく久しぶりのような気がします」


「そうですね。こちらの来させていただいてからは、ずっと侍従服でしたから」


「事務服もお似合いですけど、マリアンさんは侍従服がとてもお似合いですね。私も一度着てみたいと思うぐらいです」


「はい。私のものでよければお貸しいたします」


「え、本当ですか!絶対ですよ!」


「もちろんです。でもモニカさんには胸の辺りが少しきついかもしれません」


「大丈夫です。抑えます。それより腰回りを何とかしないといけません」


「フフフフ」「フフフフ」


 二人の口から笑い声が漏れた。


「マリアンさん、隣に行ってもいいですか?」


「はい、どうぞ」


 マリアンは席を移動するモニカに手を貸した。馬車が少し揺れて、モニカの体が前のめりになる。マリアンはその体を受け止めると、モニカは座席の上でマリアンに抱きついたような形になった。モニカを椅子に座らせようとしたマリアンは、モニカの体が少し震えているのに気がついた。


「どうかしましたか?」


「はい。怖いんです」


「怖い?」


「やはり、例の件についてはしばらく離れて……」


「違うんです。自分が幸せなのが怖いんです」


 マリアンは腕でその体を抱きしめたまま、そっと自分の横の座席にモニカを座らせた。


「私はあの鉱山から、エイブラム代表やマリアンさんに救ってもらって以来、毎日がまるで夢でもみているような気がします。明日が無事に過ごせるかを心配していた自分が、明日は何をしようかと考えられている。誰かの役に立てている。こうしてマリアンさんとお話が出来てる事も全て夢で、目が覚めたらあの排煙で黒く汚れた天井を見ているんじゃないか、そんな気がするんです」


 マリアンはモニカの手をしっかりと握った。


「モニカさん、それは私も同じです」


「同じ?」


「はい。私も灰の街で生まれて、酒を飲むしか能がない父親から、やくざ者のところに、もう少しで愛人に売られるところでした」


「愛人って!」


「灰の街では普通の事です。フレデリカ様と会わなかったら、そこでそれが自分の運命だと思って諦めていたと思います。こうしてフレデリカ様のお側に仕えることが出来て、モニカさんともお話が出来ている。その全てが夢なのではないかとも思いますし、自分はその幸福の分だけ、いつか何かを払うことになるのではないかと不安に思います」


「マリアンさん……」


「だからモニカさんだけではありません。私も同じです。それにモニカさん、私達は友達です。友達がいるから私達は頑張れるのです。だからモニカさんに悩みや不安があれば私に相談してください」


 そう告げると、マリアンはモニカに向かってにっこりと微笑んでみせた。


「それにさっきの台詞は私のものではありません。とてもとても遠いところで、ある人が私に言ってくれた言葉なんです」


「友達、そうですね、友達ですよね」


「はい、そうです」


 マリアンは目元に涙を浮かべたモニカに、ポケットから水色のハンカチを取り出して渡した。モニカはそれを目元に当てると、小さく嗚咽を漏らす。マリアンはモニカをそっと抱きしめながら外を眺めた。いつしか馬車の外では夜の帷が落ち始めていて、西の空には真っ赤に染まった鱗雲が陽の名残を留めている。


 馬車もライサ商会がある事務所街の手前、盛り場の近くまで来ており、辻に置かれた街灯の油灯と、少し高級な店の入り口から漏れてくる灯が、通りの敷石を黄色く染めている。昼でもメナド川の堤防の陰で薄暗く、日が落ちたら真っ暗になる灰の街とは大違いだ。


 マリアンはその歩道を行き交う、すこしおしゃれな格好をした人々を眺めた。多くの人が会食か何かで、どこかの店へと吸い込まれて行く。あるいは仕事が終わった後に早めに食事を取った人達が、そこから出てくる姿が見えた。そのような人々を連れてきた、あるいは待っている辻馬車で通りも混んでいる。そのためにハンスが御す馬車も、止まっては進むを繰り返していた。


「あれは?」


 マリアンの口から声が漏れた。


「何か?」


 手渡されたハンカチで涙を拭いていたモニカが、窓から外をじっと観ているマリアンを不思議そうに見た。


「ハンスさん!」


 中腰になったマリアンが馬車の屋根を叩いた。


「どうかしました?」


 御者台から客室を覗く小窓が開いて、ハンスが顔を覗かせた。


「すいません。ここで降ろしてもらってもいいですか? もう距離はないですし、後でライサ商会まで歩いて行きますので、そちらで待っていてください」


「マ、マリアンさん?」


 モニカが驚いたような顔をしてマリアンを見た。だがマリアンは席を立ち上がると既に馬車のドアを開けている。


「知り合いでもいましたか?」


 ハンスが通りの反対側、マリアンの視線の先をチラリとみた。その先には大きめの辻馬車のようなものと、そこに乗ろうとしている何人かの姿が見える。


「どうやら、複雑な事情のようですね」


「はい。挨拶をして来た方がいいような気がします。ではモニカさんをよろしくお願いします」


 そう告げるや否や、マリアンは停まっている馬車を避けながら足早に通りを渡っていく。残されたハンスは小さくため息をつくと。


「お嬢様と同じく、お節介な人ですな」


 と小さくつぶやいた。

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