相関
「マリアンさん、お昼はまだではないですか? 私もまだなので、奥の休憩室でお茶にしませんか? オーブンを借りて、私が自分で焼いたクッキーもあるんです。ぜひ食べてみてください」
「あ、はい」
モニカはマリアンの腕を引くと、かつては資料の保管室の一つだった小さな部屋へと誘った。そして扉に耳を当てて、向こう側に人がいないか探っている。
「モニカさん?」
「大丈夫みたいですね」
「あの、地図ですが……」
「さすがはマリアンさんですね。記号と色で誤魔化していますが、間違いなくこれには中心があって、そこから周囲に広がっています。そしてその規模も徐々に悪化しているんです」
「やはりそうなのですね」
「はい。私たちは被害が少ないところで、カスティオールの復興のための産業が起こせないか考えていました。ですが、どうもそれが自然発生的なものとは思えないことに気がついたんです。そしてカスティオール領側からも資料を取り寄せて分析しました。その結果があの地図です」
モニカは部屋の壁に飾られているカスティオール領の地図の一点を指し示した。そこには一つの山がある。
「ここに何かがある様な気がします。それが何なのかは、まだよく分かっていません。それに完全な円という訳でもないんです。どちらかと言うと、一部が欠けた三日月の様な感じです。欠けている円の中心を一応補完してみると……」
モニカはその地図の一番端、そこに書いてある城を指差した。
「王都、ここですね。もしかしたら単なる偶然の一致かもしれません」
「それにしては、少し出来過ぎな様な気もします」
マリアンの言葉にモニカも頷いて見せる。
「それと、これは地図には起していませんが、あの災害の広がりと関連がありそうなものが一つ見つかりました」
モニカはそう小さくマリアンの耳元で告げると、再び辺りをじっと伺った。マリアンも探ってみたが、誰かがいるような気配はない。
「大丈夫です」
「実は災害の広がりと、神殿からみた霧の後退の間には関連があるとしか思えないのです」
「どういう事でしょうか?」
「少し金を使って、裏で神殿から霧の記録を取り寄せました。元々は海運での新航路についての研究のためです。その記録を見る限り、明らかに霧は後退していて、それは加速しています。それに呼応した天候の不順により、海路が不安定になっている様にしか思えません」
「そうなのですか?」
「はい。ただ周期があるのも見つけました。うちの社秘の一つです。単純な周期ではなくて、互いに素な2つの周期の重なり合いの様な感じです。今はそれを使っています」
モニカはそこで一度口を閉じると、緊張した面持ちでマリアンの方をじっと見つめる。
「霧の後退と、カスティオール領内での災害の広がりは間違いなく連動しているのです。その規模もです!」
「つまり、魔族の出現も含めたカスティオールで起きている災害の原因は、神殿の先にある霧の後退にあるという事でしょうか?」
「はい。記録を見る限りではそうです。それと神殿の別の記録にも興味深い記述がありました。カスティオールの血を引く巫女の不在です」
「巫女?」
「はい。本当かどうかは定かではありませんが、神殿はその先にあったクリュオネル時代の大穴を監視するために、カスティオール家の初代、フレア様が開いたと言われています。それからずっとカスティオールの血を引くものが巫女として神殿にいたそうです。300年前にその大穴を、当時のカスティオール家の血を引く者が霧で封じたという伝承があります」
モニカの言葉にマリアンも頷いて見せた。神殿とカスティオールの関係が深いことは、この国の者なら良く知っている伝承だ。それ故に、かつてはこのカスティオールが国王すら凌ぐ権勢を誇っていたのだ。
「どうもその血筋が何十年か前に途絶えた様なのです。その後、明らかにカスティオールでの災害や魔族の目撃、それによる被害の頻度が上がっています」
「どうして途絶えたのでしょうか?」
「神殿にはカスティオールの分家の様な存在があったみたいなのですが、それが全員事故で死んだことになっています。ですが私が手に入れた、霧の観察結果を日記につけていた当時の観測官の日記がその日だけなく、そして欄外に何かを書いて破った跡がありました。その次の頁に残っていた筆跡の跡には、『みんな殺された』そう書いてあったんです」
「モニカさん。あなたは他の人からは数字の羅列にしか見えないものから、色々な事実を引き出す特別な才能を持っている人です。ですがそれは必ずしもモニカさんのためになるとは限りません。これ以上、この件に関わるのはやめた方がいいと思います」
「そうはいきません!」
モニカがきっぱりとマリアンに告げた。
「モニカさん?」
「私の母は魔族との争いの中で私を庇って死にました」
そう言うと、モニカは事務服の袖を上げて見せた。だいぶ薄くはなっているがそこには火傷の跡がある。
「それで故郷を離れました。そして同郷の人達が苦しむ姿を、時には命を落とす様を見て来ました。それが単なる偶然でないとしたら、決して見逃すことなどできません。たとえそれで私の命が失われたとしてもです!」
モニカの目にはうっすらと涙が光っている。マリアンは彼女をそっと抱きしめると、胸の中で彼女が嗚咽を漏らすのをじっと聞いた。
「私はマリアンさん達に救ってもらって、こうして自分で出来る何かを見つけることができました。それには本当に感謝しかありません」
「モニカさん。それは間違いです。私は何も救ってなどいません」
「マリアンさん?」
「あなたが自分で切り開いたのです。さっきの私の言葉は間違いでした。謝ります。私も自分の命よりも大切に思うものが、そして守りたいと思うものがあります。それを誰かに止められても、決して退いたりはしません。私とモニカさんは似たもの同士ですね」
「えっ、私がマリアンさんに似ているんですか?」
「はい。私はそう思います。ですが十分に気をつけてください」
「はい。気をつけます。先ほどの部屋には一人、内務省からの連絡担当官という方がいます。ライサのものではありません。マリアンさんも気をつけてください」
「連絡担当官?」
「はい。本来、四公爵家には全て配置されるはずの役職だそうですが、このカスティオールに関しては長く空席だったそうです。何かを隠すと逆に疑われるので、この家とライサが共同で復興計画を考えていることに関しては、わざと情報を流すようにしています」
「大丈夫なのですか?」
「むしろ内務省側がそれで難色を示すような場合、その案はうまくいかない可能性が高いので、それの探りも兼ねています」
「もしかして、さっき窓から私に手を振った時にモニカさんの体を支えていた人ですか?」
「あ、はい」
モニカの顔が少し赤くなる。
「私がフレデリカお嬢様の件で内務省に行った時に、受付を担当したセルヒオという方なのですが、どういう訳か連絡担当官としてこちらに赴任してきました。それにちょっと気になることがありまして……」
「何でしょうか?」
「神殿の資料を手に入れた件ですが、最初はうまく金で解決できただけかと思ったのですが、どうも都合が良すぎるような気がするのです」
「どういうことでしょうか?」
「無関係な資料もあったのですが、こちらが欲しいと思う資料の割合というか、手に入れられた資料が、あまりにこちらの要望に合い過ぎているような気もするのです」
「なるほど」
モニカの発言に、マリアンは少し考えるそぶりを見せたが、すぐにモニカに向かって頷いて見せた。この件についてはこれ以上話しても全て憶測になる。それにあまり長い時間静かにしているのも不自然だ。
「そう言えば、クッキーがあると言っていましたけど、それはこちらに置いてあるのでしょうか? ぜひいただきたいと思うのですが?」
「はい、もちろんです!」
「それと、モニカさんのセルヒオさんに関する人物評についても、もう少し詳しくお聞きしたいと思います」
「な、な、なんで……」
マリアンがモニカの耳元に口を寄せる。
「モニカさん、そのような話を窓の外に聞こえる様にしないと、どうしてここに長時間で二人で居るのか気にする人がいたりしませんか?」
そう言うと、マリアンはモニカに向かってにっこりと微笑んで見せた。
「そうですね。それなら私もマリアンさんに一つお知らせがあります」
「何でしょうか?」
「知っていますか? エイブラム代表は3日を置かずにここに来るんですよ」
「この件について、エイブラム代表も随分と熱心なんですね」
「ええ、もちろんです。そして毎回、コリー経理長にマリアンさんは戻ってきたかと聞いているんですよ」
「はあ?」
「絶対に狙っています。マリアンさんも十分に気をつけてくださいね!」