肩書
「はあ? イアン王子ですか?」
「あ、そうですね。イアン王子様なら信用できると思います」
オリヴィアさんもイサベルさんに同意する。
『何で?』
どうして二人はあの嫌味男を、そんなにも信用できるんですかね? もしかして、王子とかという肩書きに騙されていませんか? そんな肩書なんてものに騙されると、将来碌な事になりませんよ。
「フレデリカさんから、イアン王子様に頼んでいただけませんでしょうか?」
「あのですね、あの方とは単なる顔見知りでして、特に連絡を取るような手段もありません。それにどちらかと言えば、会いたくない方の様な気がします」
「そうなのですか? もっと親しそうに見えましたが?」
そうだ。何かよく分からないが、前回別れ際に用事があるとか言っていたような気がする。
「まあ、何だか用事があるとか言っていましたので、連絡さえつけば頼むことは出来ると思います」
用事と言っても、碌なものじゃないと思いますけどね。きっと足を踏んだ詫びをしろとか、そういう類のものだと思います。ですが、オリヴィアさんの恋の為というのなら話は別です。あの嫌味たらしい態度に耐えて見せます!
「そうなのですか? それなら、宿舎でソフィア王女様にお願いして……」
そこまで言ってから、イサベルさんが頭を横に振った。
「ダメですね。私達の様なものがいきなりソフィア王女様にご挨拶するなど、とても無理でした」
「ソフィア王女様ですか? それならご挨拶ぐらいは出来るかと思います」
「えっ!フレデリカさんは、ソフィア王女様とお知り合いなんですか?」
なぜかイサベルさんがとても驚いた顔をしている。王子様に王女様だって同じ人間ですからね、挨拶ぐらいはできて当たり前じゃないでしょうか?
「流石、侯爵家の方は違います」
オリヴィアさんも尊敬の眼差しでこちらを見ている。
「あの方に関しては家柄の問題ではないと思います。あのソフィア様ですよ。家に引きこもっていた私でも、ソフィア様のお噂については色々とお聞きしています」
もしかしてソフィア王女様も、私と同様にやらかす人なんでしょうか? 今更ながら、王女様に急に親近感が湧いて来た。
「でも、どうしてフレデリカさんは、ソフィア王女様とお知り合いなんですか? やはりイアン王子様と関係があるのでしょうか?」
イサベルさんが私の方ににじり寄って来る。あの、今はオリヴィアさんの話だったのではないでしょうか?
「関係があると言えばあるような気もしますが、関係がないと言えばないような気もします」
「はっきりしてください!」
イサベルさんが私に気合をかける。あのイサベルさん、ちょっと怖いんですけど……。それにそれはですね、出来ればあまり思い出したくない記憶なのです。でも答えないと、もっと怖い目に会いそうな気がする。
「今年のお披露目でですね、妹のアンがサイモン王子様と一緒に踊りまして、その際にイアン王子様、ソフィア王女様と一緒に踊らせて頂いたのです」
イサベルさんとオリヴィアさんが、不思議そうな顔をしてお互いに顔を見合わせている。
「あの、フレデリカさん。よく分からないのですが、なぜ今年のお披露目に、フレデリカさんが出ていらっしゃるのでしょうか?」
「えっ、あのですね、妹の付き添い人として参加させていただきました」
イサベルさんとオリヴィアさんが、もっと不思議そうな顔をする。
「あの、それはフレデリカさんが、妹さんの付き添い人として参加されたという事でしょうか?」
「あ、はい」
何で聞き直して来るんですか? さっき、そう言いましたよね? どこの家でもあるある種のゴタゴタだと思いますので、どうか察して聞き流してください。
「なるほど。でもどうしてソフィア王女様とフレデリカさんがお披露目で一緒に踊られるのでしょうか? それも女性同士ですよね?」
まあ、その前に妹のアンと一緒に踊ってしまったのは私ですけどね。そこは割愛させて頂きます。
「私もよく分からないのですが、付き添い人だったイアン王子も参加者だとソフィア王女様が言われてですね、とある事情により、私もイアン王子と踊ることになりました。ですが、お互いにどうも相性が良くないといいますか、全く合っていなかったと言いますか……」
「はっきりしてください!」
「はい。私達二人の踊りが酷いのを見かねたソフィア王女様が、私を踊りに誘っていただきまして、一緒に踊らせて頂きました」
イサベルさんとオリヴィアさんがびっくりした顔で私を見ている。
「お披露目で、ソフィア王女様から踊りに誘われたのですか?」
そう言いましたよね?
「はい。なので、ご挨拶ぐらいはできそうな気がします」
「事情が複雑すぎて、私にはよく理解できませんが、今宵、宿舎に戻ったらソフィア様のところにお伺いして、イアン王子様にオリヴィアさんの手紙をお願いすることにしましょう」
「はい、わかりました」
あの嫌味男に何かお願いをするのは少し気が引けますが、オリヴィアさんの恋の行方に比べたら、何の問題もありません。そのぐらいお安いご用です。
「ではご飯を食べながら、エルヴィンさんとの出会いについて、オリヴィアさんにお聞きする事にしましょう」
「はい、そうしましょう!」
ここからが本番ですよ、本番!
「カイ、私が本当に頼りにしているのはあなただけよ」
突然に、中庭の向こう側から何やら話声が聞こえてきた。誰かがこの中庭に入って来たらしい。
「分かっている。俺はあんたのためなら何でもするよ」
私達は三人で顔を見合わせた。ま、まさか密会!?
「本当? 本当に何でもしてくれる?」
「え、これって……」
オリヴィアさんが小さく声を上げた。私とイサベルさんがオリヴィアさんに向かって、慌てて口に手を当てて見せる。間違いない、男女で誰かがここで密会をしている。ジェシカお姉様が私にたくさんしろと告げた、恋の現場にいきなりの遭遇です!
「ああ、もちろんだ。あんたは俺をゴミ溜めから救ってくれた」
「そうよ。あなたは私のもの」
『あれ?』
この声はどこかで聞いた気がする。
「俺はメラミーの……」
「メ、メラミーさん!?」
私の口から思わず声が漏れてしまった。
「待って、誰かいる!」
茂みの向こう側、回廊の方から声が上がった。まずい!
「逃げましょう!」
イサベルさんが声を上げた。私も頷く。
「お弁当と杖をお願いします!オリヴィアさん、私に乗ってください!」
「え、ええ!」
オリヴィアさんが驚いた声を上げるが、そんなのを構っている暇はない。誰かがこちらに向かって駆けてくる音がする。
「早く!」
私はオリヴィアさんをおぶった。私の前では弁当と杖を持って走り始めたイサベルさんの姿が見える。前世の元冒険者の私から見ても、その素早さと身のこなしは流石です。黒犬の二、三匹は十分に狩れます!
こちらは体力勝負です。私もオリヴィアさんを背負って走り出した。彼女は私と違ってとても軽い。だが驚いた彼女が私の首にしがみついた。彼女の腕で私の喉が締まる。
「オリヴィアさん、首を、首を絞めないで……」
「あっ、すいません!」
私達は専門棟の間を抜けて、授業棟までかけ戻った。どうやら背後からこちらを追いかけてくるような足音はしない。
「ぜえ、ぜえ……」
「フレデリカさん、大丈夫でしょうか?」
「は……はい、大丈夫です」
入学以来、イサベルさんとはこのやりとりばかりの様な気がする。
「フ、フレデリカさん!?」
私から降りたオリヴィアさんが声を上げた。もしかして見つかってしまいました?
「か、髪が……」
「えっ!」
私は慌てて自分の髪に手をやった。そこにあるはずのリボンがない。オリヴィアさんが手鏡を私に手渡してくれた。その中に映る私の赤毛は、まるでたんぽぽの綿毛の様に広がっている。
オリヴィアさんが申し訳なさそうにポケットから櫛を取り出して見せたが、私は彼女に向かって首を振った。一度こうなってしまったら、櫛で撫でたぐらいではなんともならない。まあ、多少は変わるかな?変わって欲しい。
どうやら私は午後の授業を、この残念な髪で受けないといけないらしい。だけどメラミーさんは一体誰と会って居たのだろう。私は彼女と教室が一緒では無いことに感謝した。
もし一緒だったら、とてもその顔をまともに見れそうな気がしない。
* * *
「相手は二人か三人だ。だが顔の確認はできなかった」
「まずいよカイ。私達がここで会っていた事がばれたらお終いよ」
「どうだろうか? バレるとは限らないじゃないか」
若いが少し彫りが深い男が答えた。
「そんな事はないわ。ここにいる鼻持ちならない連中は、みんな他人の不幸が大好きなのよ。特に私の様な平民で力がある家なんてのは目の敵なんだから」
メラミーが男の胸に顔を埋めながら答えた。
「しばらくは会わない方がいいな」
「本当に腹が立つ。あの娘が宿舎の部屋を横取りしなければ、こんな苦労なんてしなくて済んだのに……待って!」
メラミーは茂みのところに引っかかっていた何かを取り上げた。
「カイ。誰か分かったわ」
メラミーの手には薄い肌色のリボンが握られている。
「リボンだけで誰か分かるのか?」
「ええ、こんな地味なリボンをしている子なんて、この学園に一人しかいないわよ。間違いない。あの赤毛ね」
メラミーはリボンを片手に、彼女がカイと呼んだ男に抱きついた。そしてその耳元でそっと呟く。
「何があろうとも、絶対にここから追い出してやる!」