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恋文

「フレアさん、今日の日中はお屋敷まで戻ろうと思いますけど、よろしいでしょうか?」


 髪を整えてくれていたマリが私に声をかけてきた。


「もちろんですよ。何か用事が?」


「はい。大分涼しくなってきたので、厚手の肌着だけでも先に持って来ようと思います」


 それは大事です!この間は部屋着で外に出たので寒くてたまりませんでした。


「それと運動着の追加が来たそうなので、それを持ってきます」


 そう口にしながら髪を整え終えたマリが、仕上げに薄い肌色のリボンを結ぶと、手鏡を私の背後に差し出した。私は鏡の中を覗き込んだ。いつも通りの惚れ惚れする仕上がりです。だが鏡に写っているのはそれだけではない。マリが私をジロリと睨んでいる。運動着は不可抗力ですよ。不可抗力!


「でも荷物が多いようでしたら、誰かに持ってきてもらった方がよく有りませんか?」


「体育祭も近いようですので、運動着だけでも早めに持ってこないといけません。なので直接取りに行くことにします」


「えっ、なんですかその体育祭というのは?」


「授業でも説明があったのでは無いのですか?」


「はあ、あったような、なかったような……」


 ここ数日は痛みに耐えるのに必死で、ほとんど何も耳には入っておりません。それに昨日は昨日でとんでもない段数の階段を登らされましたし……。


「私達の方へは回覧で回ってきました。来週に教室対抗で行われるとの事です。とんでも無いことですが、一部の競技は男女混合との事です。婚約者の有無、相手の如何に関わらず、間違いが無いようにとの注意が有りました」


『間違い?』


 間違いって何ですか? まあ、婚約者など影も形もない私には関係のない話ですけどね。いや、問題ありまくりです。あの運動着姿を男子生徒に晒すということですか!


「あり得ません!」


「はい。もちろんです」


 マリが私に同意する。同意しているところが微妙に違うような気もするが、確認すると何かと面倒なのでそのままにした。


「それと、一応は商会の方にも月に一度は顔を出さないといけませんし」


 そうですね。義理は大事です。


「マリさんの着替えとかもあるでしょうから、荷物が多くなると思います。それに商会まで顔を出すのであれば、戻りは遅くなりますよね。私の方で一筆書きますので、帰りはハンスさんに馬車で送ってもらってください。遅くなっても大丈夫な手続きはロゼッタさんにお願いしておきます」


 きっとロゼッタさんなら全てを完璧に申告してくれるはずです。


「よろしいのでしょうか?」


「もちろんです」


 私はマリが持っていてくれる制服の上着に袖を通しながら答えた。正直なところまだ体のあちらこちらが痛い身としては、マリに手伝ってもらわないと着替えだけで悲鳴をあげそうになる。


『あれ?』


 だが上着に袖を通しながら、私は昨日に比べて痛みが大分良くなっているのに気がついた。もしかしたら、昨日あの塔に登って体を動かしたのがよかったのだろうか?


「では行ってきます」


「はい。お嬢様、行ってらっしゃいませ」


 あの、なんど聞いても自分のこととは思えません。それ、やっぱりやめませんか?


* * *


「おはようございます!」


 私は玄関を抜けると、授業棟へ向かうオリヴィアさんとイサベルさんを見つけて声を掛けた。オリヴィアさんはいつもの様に真紅のリボンを、イサベルさんは青色のリボンをつけていて、その後ろ姿はとても可愛らしく見える。二人がとても羨ましい。


 私は髪が赤毛で派手なせいか、どうもリボンというものが似合わない。特に二人がしている赤や青といった鮮やかな色はむしろ下品に見えてしまう。こんな薄い肌色なんていう地味な色のリボンをつけているのは教室で私だけだ。


「おはようございます」


 二人とも私の方を振りかえると挨拶を返してくれた。


「お身体の方は大丈夫ですか?」


「はい。まだ少し痛みはありますが、大分良くなりました」


 イサベルさんが少し心配そうに聞いてきたのに答えた。強がりではない。背中にはまだ痛みはあるが、肩や腰は大分良くなった気がする。


 昨日の「白亜の塔」の昇り降りはやっぱり効いたようだ。だがもう一度登る気には決してならないし、出来ればご先祖様の嫌味(魔道具)が詰まったあそこには二度と近づきたくはない。


「昨日は宿舎への戻りが大分遅かったみたいですが、お二人とも何かご用事でもあったのでしょうか?」


 オリヴィアさんが遠慮がちに私達二人に問いかけた。私とイサベルさんが互いに顔を見合わせる。もしかしたら聞いてはいけないとでも思っているのだろうか? 何て水臭い。


「はい。でも大した用事ではありません。昨日は二人でメルヴィ先生に声を掛けられて、校長先生のところまでお伺いさせていただきました」


「こ、校長先生ですか?」


 オリヴィアさんが驚いた顔をして私の方を見る。もしかして、また私が何かやらかしたとか思っていません?


「いえ、何かしでかした訳ではありません!」


「はい。私とフレデリカさんのご先祖様がこの学園の創立に関わっているとかで、私的なお茶会へのご招待とのことでした」


「それで遅かったのですね。でも流石は侯爵家です」


 オリヴィアさんが納得した顔をして頷いて見せた。あの、私の言葉は全く信用していなかった様な気がするのですが、気の所為でしょうか?


 それに家柄について言えば、イサベルさんのお家のコーンウェルはそうだと思いますが、うちのカスティオールはどうですかね? 何せ没落しまくっております。


「どうでしょうか? 私は祖父からかつてここは、遊牧の民だったロストガル一族の伝統を受け継ぐ戦士を育てるための場所だったと聞いていたので、シモン校長のお話は色々と知らないことがありました」


「戦士ですか?」


「はい。例の新人戦もその流れを汲むものだと聞いています」


「はあ」


 何で偉い人達は伝統とか無駄に古い事が好きなんですかね。それに新人戦はできる限りなかったことにしたい記憶なので、それ以上の説明は避けていただきたいです。色々と思い出したりすると、頭の中で歌でも歌って追い出さないといけないことになります。


「それよりも、びっくりしたことがあるんです」


 私は話題を変えるべく、オリヴィアさんに声を掛けた。


「シモン校長のお部屋には肖像画が飾ってあってですね、その一枚がイサベルさんのご先祖様らしいのですが、イサベルさんそっくりの美人さんでした」


「そうなんですね」


 オリヴィアさんがイサベルさんを見る。


「え、あの。フレデリカさん、その様な冗談はやめてください」


「冗談?」


「私の事を美人とか揶揄われることです!」


「そうでしょうか?」


 イサベルさん、ちゃんと自覚しないと不用意に生涯の敵を作りますよ。それに男子生徒達相手にとても危険です!


「私なんかより、フレデリカさんの方がご先祖様にそっくりで、とても美しい方の肖像画でした」


『えっ!』


 一体何を言っているんですか? あのとても気の強そうな女性ですよ!


「お二人ともこの学園を創立した方々の血を引かれている方なんですね。やっぱり侯爵家の方々は違います」


「違いません!」「違いません!」


 私とイサベルさんの声が重なった。そして三人で思わず笑い出してしまう。三人の笑い声が木立の間を抜けて、秋風と共に消えていく。何て楽しいのだろう。


 友達になってからそれほど時間は経っていないが、もう何年も前から知っている仲のような気がする。この学園に来る前に、私が欲しくて欲しくてしょうがなかったもの、友達だ。


「あれ?」


 不意に声を上げたイサベルさんが、少し怪訝そうな顔をして辺りを見回した。


「どうしました?」


 オリヴィアさんもそれに気がついたのか、イサベルさんに尋ねた。


「誰かに覗かれている様な気がしました。気にしないでください。単に私の気のせいだと思います」


 イサベルさんが私達に苦笑いをしてみせる。ここは宿舎から授業棟に向かう途中の曲がり角になっていて、どちらからも一番見え難いところだ。そして一番木立が道に近づいている上に、授業棟に向かって左手は窪地になっており、急な坂にもなっていた。一番誰かが潜んでいそうな場所ではある。だがこの朝の登校時に誰かが潜んでいるなんてことはあるのだろうか?


 だがイサベルさんの言葉を受けたオリヴィアさんも、何か気になるのか辺りをキョロキョロと見回している。


「何かいました?」


 私はオリヴィアさんに声を掛けた。私の声にオリヴィアさんがハッとした顔をして私の方を振り向く。そして少し伏せ目がちに私の方を見た。何だろう?


「はい。今日ではありませんが、昨日の帰り道にここである方とお会いしました」


「どなたとお会いされたのでしょうか?」


「はい、ある殿方とお会いいたしました」


 オリヴィアさんが小声で囁いた。


「えっ!」


 イサベルさんも驚いた顔をして口に手を当てている。こんなところで立ち止まっている私達を、何人かの生徒達が不思議そうな顔をして横目で見ながら通り過ぎていく。


「ど、どなたとお会いしたのでしょうか?」


 私も口元に手を当てて、声を潜めてオリヴィアさんに聞いた。


「いえ、私に用事があった訳ではありません」


 オリヴィアさんが小さく答えた。どういうことだろう。意味がわからない。またもイサベルさんと顔を見合わせる。


「フレデリカさん、エルヴィンさんがフレデリカさんをここで待っておられました」


「えっ!」


 今度はイサベルさんの口から驚きの声が上がった。そして私の顔をまじまじと見る。


「ちょ、ちょっと待ってください。な、何で?」


 オリヴィアさんが慌てる私に向かって、手提げ袋から簡素な袋を差し出した。彼女から受け取って中を見ると、そこには薄い黄色のお弁当箱と封筒が一通入っている。


「オリヴィアさん、驚かさないでください。お弁当箱を返しに来ただけですよ」


「そうでしょうか?」


 イサベルさんが私に向かって首を傾げて見せた。


「それならば、宿舎のものに頼むとか別の方法がありませんでしょうか? わざわざここで待つ必要はないと思います」


「いや、それは、きっと頼むのが面倒なだけだったのではないでしょうか?」


 イサベルさんがめざとく見つけた袋の中の封書を指差して見せた。


「それに文まで付けていますよ?」


 その青い目がとても鋭く感じられる。イサベルさん、その目はちょっと怖くありませんか? お礼の手紙ぐらいは誰でも書くのではないでしょうか? だがイサベルさんの顔はとても真剣だ。


 まあ、しょうがないですね。きっと同じ場面だったら私も絶対に読めと思うような気がします。でも期待しているような内容ではないと思いますよ。私はイサベルさんの無言の圧力に負けて、封書を開いて中から便箋を取り出した。中にはとても丁寧できれいな字が書かれているのが見える。


「拝啓、フレデリカ・カスティオール様」


 私はそれから始まる文章に目を通した。そこには丁寧な詫びの言葉と、彼の妹に関する話が書いてある。驚いたことにその方は何らかの病に臥せっているらしい。それに愛情一杯のお弁当に関するお礼も書いてあった。愛情一杯……その文字を見た瞬間に思わずため息が出た。マリは一体何をしてくれているんだろう。


「何が書いてあったんですか?」


 イサベルさんが揉み手で私に迫ってくる。あの、イサベルさん、前世での近所のおばさん達そっくりですよ。


「試合のお詫びと、お弁当のお礼です」


 私は下手に隠すと色々と面倒なので、手紙をイサベルさんに渡した。イサベルさんがひったくるようにそれを受け取ると便箋に目を走らせる。あの、いつもの完璧美少女振りとは少し違いませんか?


「フ、フレデリカさん、この愛情が一杯詰まったお弁当って……」


 イサベルさんが便箋の一箇所を指差しながらそれを私に差し出す。その目は恐ろしいほどに真剣だ。


「これですか? 実はですね、エルヴィンさんのお弁当が少し寂しかったので、私の朝の残りをお分けしようと思ったのですが、間違って侍従が私に作ったお弁当を渡してしまいました。まあ、初日と言うこともあって、そのお弁当が少しばかり気合が入ったお弁当だったようなのです」


「気合ですか?」


「はい。相当に気合が入っていたようです。後で侍従からかなり怒られました」


 実体はどのようなものだったのかは知らない。だけどそれは知らないほうが良いことの一つの様に思える。


「そ、そうなんですね!」


 イサベルさんではなく、オリヴィアさんから声が上がった。それに何故かとても嬉しそうな顔をしている。そして杖を持つ身とは思えない迫力で私の方ににじり寄って来た。あ、あの、そんな勢いで迫られるとですね、せっかく良くなってきた私の体が後ろの坂を転がり落ちることになります!


「フレデリカさんの侍従さんて、マリアンさんですよね」


「えっ!? どうしてイサベルさんが知っているんですか?」


「はい。宿舎の侍従さん達の間ではとても有名だそうです」


「はあ? もしかして私だけでなく、マリも何かやらかしたんでしょうか?」


「そんなことはないと思います。私がフレデリカさんのお友達だと話したら、私の侍従もぜひお知り合いになりたいと言っていました。正直、熱心過ぎてちょっと困っていたぐらいです」


「あ、あの」


 私がイサベルさんに何か答えようとしたときだった。オリヴィアさんが何か思い詰めたような気配を漂わせながら私の方へ声をかけてきた。


「何でしょうか?」


「実は昨日、ここで足を滑らしてしまいまして、そのときにエルヴィンさんに助けていただきました。そのお礼の手紙をお渡ししたいと思っているのですが……」


 私とイサベルさんが顔を見合わせる。そして俯き加減のオリヴィアさんを二人で見た。その首筋から耳元はいつもの色白な感じではなく、まるで桜の花びらのように赤く染まっている。イサベルさんと私はお互いに頷きあった。これは絶対に間違いありません。


恋です!それもきっと初恋です!


「もちろんです。私達で出来ることなら何でも協力させて頂きます」


 イサベルさんが、オリヴィアさんの手をしっかりと握りしめながら答えた。私だって負けてはいられません。


「分かりました。私が今日の昼休みに男子授業棟まで突撃します」


「え、懲罰になりますよ」


 オリヴィアさんが驚いた顔をしてこちらを見た。何を言っているんですか? 事の重大さに比べたら、懲罰なんて何の問題にもなりません。むしろ私にとっては勲章の様なものです。


「フレデリカさん、もう授業の時間ですし、どうやら私達は遅れてしまっているようです。これはお昼休みに三人でよく相談しましょう」


 確かにそうですね。せいてはことを仕損じます。それにここは目立ち過ぎですね。


「あの、お礼の手紙を渡したいだけなので、大したことでは……」


 オリヴィアさんが少し慌てたように私達に告げた。


「何を言っているんです!」


「とんでもありません!」


「これはとても大事なことです!」「これはとても大事なことです!」


 最後のセリフはイサベルさんも私も全く同じだった。

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