面談
「フレデリカさん、大丈夫ですか?」
イサベルさんが今日何度目になるか分からない、同じ言葉を私にかけてくれた。イサベルさんの声も息が少し上がっているように聞こえる。だが私に比べたら遥かにましだ。私はと言うと、膝に手をついて床を見ながら思いっきり肩で荒い息をしている。
「だ、大丈夫です」
「多分」と心の中で付け加える。明日は本当に授業に出れるだろうか? いや、その前に帰りにこの階段を降りることは可能なのだろうか? もしかしたら今日が私の命日になってしまうかもしれない。
「ゼェ、ゼェ」
そんな不吉なことを考えていた私の前方からも、私に負けないぐらいの荒い息遣いが聞こえてきた。メルヴィ先生だ。メルヴィ先生は杖を手に、まるで老婆のように腰を折って、階段の先にある黒い扉の前に立っている。
階段の頂上、メルヴィ先生の前にある扉は、まるでその先に暗闇が待ち受けているかのような黒さだった。周りが白一色の壁の中で、その両開きの扉だけが明らかに異質な存在に見える。両開きなのだから真ん中で扉が合わさっているはずなのだが、そのつなぎ目すらも何処か分からない。
「スー、ハー」
メルヴィ先生は大きく深呼吸をして息を整えると、手にした杖を扉の前へと掲げた。そして掲げた杖で扉をノックしようとする。
「トン、トン」
私は杖が扉の闇に吸い込まれるのではないかと思ったが、それは私の杞憂だったらしい。メルヴィ先生の杖は扉に当たって硬い石を叩く様な低い音を立てた。扉の向こうで侍従さんでも待機していたのだろうか、ノックの音に続いて、扉は何の音も立てずに向こう側へと大きく開いた。
「ここからは失礼のないように十分に気をつけてください」
メルヴィ先生は私達にそう告げると、扉の奥へと進んでいく。一体誰が私達を待っているのだろう。私はイサベルさんと顔を見合わせると、メルヴィ先生の後に続いて扉の中へと入った。
「パタン」
私達が中へと進むと同時に、背後で扉が閉まる微かな音がした。振り返って見たが、そこには真っ暗な闇の様な黒い扉があるだけで、侍従さんの姿はどこにもない。一体どう言う仕掛けで開いて閉じたのだろう。得体がしれなくて気味が悪い。
気味が悪いと言えば部屋の中もそうだ。天井の明かり窓から差し込む光があるので真っ暗という訳ではないが、それでも先ほど登ってきた塔の中よりはかなり薄暗い。そして両側にはよく分からない道具やら、箱やらが雑多に置かれている。
箱の中も何に使うのかよく分からないガラスの道具やら、衣装などが入っていた。もしかしたらここは倉庫として使われている場所なのだろうか? でもわざわざこんなにも登るのが大変な場所を、倉庫として使うだろうか?
メルヴィ先生はこの子供の玩具箱、いや巨人の子供の玩具箱をひっくり返したような場所を、やはりスタスタと迷うことなく歩いていく。私は身体中の痛みに耐えながら、その後ろ姿を必死に追いかけた。
「ひっ!」
私の前を進むイサベルさんの口から小さな悲鳴が上がった。
「えっ!」
私の口からも驚きの声が漏れる。
『人?』
私達の進む先の両側に、大勢の女性達がみじろぎもせずに立ちすくんでいるのが見えた。薄暗くてよくは見えないが、それは様々な衣裳に身を包んだ姿でお互いをじっと見つめ合っている。その中には私達と同じ学園の衣裳に身を包んだ姿もあった。この状況にもメルヴィ先生に動じる素振りは全くない。もしかしたら、旧宿舎の時の様に他の人には見えていないだろうか?
「フ、フレデリカさん、この方達は人形です」
イサベルさんが私の方を振り返ると小声で告げた。イサベルさんの言葉によく辺りを見渡すと、その目はじっと見開かれているだけで瞬き一つしない。その口元も息をしている様には見えなかった。手近にあった指先の関節には、何かを組み合わせて作ったらしい加工の跡もある。
「本物みたいですね」
その精工さは、本当に今にも一斉に動き出しそうなくらいだ。
「ええ、最初は本当の人じゃないかと私も驚きました」
イサベルさんも驚いたような、そして少し不安そうな顔をして辺りを見回している。暗闇に慣れてきた目にはそれが様々な衣装を着た、色々な髪や肌の色の人形だというのがハッキリと分かってきた。
丁度アンぐらいの年の少女を模しているのだろうか、背丈は私達より低い。気味が悪いことに人形の部品らしい足や手が、人形の周りに置かれた箱から顔を出している。それは決して人のものではないと分かっていても、思わず目を背けたくなる不気味さだった。
「急いでください」
前を進むメルヴィ先生が、立ち止まっている私達の方を振り返って声をかけた。人形達が自分をじっと見つめているという妄想を振り払いつつ、前をいくメルヴィ先生の後を追いかける。人形達の間を抜けると、その先には木で作られた簡素な扉が目の前に現れた。
「ゴホン」
メルヴィ先生は小さく咳払いをすると、そのドアを手で小さくノックした。
「メルヴィ助教です」
メルヴィ先生の声にはハッセ先生の前と違って緊張の色がある。もしかしたら私達の面談相手というのはとっても偉い人なのではないだろうか? 私は色々とやらかしているので、面談に呼び出される心当たりはありまくりだが、イサベルさんは特にないはずだ。一体何で呼び出されたのだろう?
「お入りなさい」
扉の向こうからメルヴィ先生の呼びかけに答える、低い男性のものらしい声が聞こえた。メルヴィ先生は顔を傾けて、私達に自分に続くように合図をすると、ゆっくりと木の扉を開けた。
「失礼します」「失礼させて頂きます」
メルヴィ先生に続いて私達も中へと入った。何だろう、部屋の中からはとてもいい香りがする。
「シモン校長、イサベル・コーンウェル嬢とフレデリカ・カスティオール嬢をお連れしました」
「ご苦労様。二人とも顔を上げて奥の椅子にかけておくれ」
『シモン校長?』
私はその名前に少し、いやかなりビビりながらも頭を上げて相手を見た。私の視線の先にはゆったりとした灰色のローブを着た白く長い顎髭の老人が、少しくたびれた感じがする革張りの椅子に座っている。そして片手を上げて、私達にその反対側にある革張りの長椅子を指差していた。
「はい」
イサベルさんが老人の言葉に答えると、長椅子の方へと向かった。私も慌てて彼女の後を追う。追いかけながら辺りを見回すと、色々な道具や図面が雑多に置かれてはいるが、こじんまりとした居心地が良さそうな部屋だった。
いくつかの鳥籠が天井から吊るされていて、その中でとても派手な色をした鳥達がじっと翼を休めている。それに部屋の片隅にある暖炉には小さく火がくべられていて、その上には銅製の薬缶が置かれていた。老人の横のサイドテーブルにはティーカップとポットが置かれており、先程のとても好い香りはそこから漂ってきている。
「メルヴィ先生、少し時間がかかりましたね。もしかして道にでも迷われましたか?」
「いえ、そのような事はありません。入口の門を開けるのに少々手間取りました」
「入口? はて、私は通用門を開けて待っていたのだが?」
「えっ?」
メルヴィ先生の顔に驚きの表情が浮かぶ。
「メルヴィ先生、もしかして君たちは正門を通って来たのでしょうかな?」
「教授が渡してくれた塔への行き方には、入り口で呪文を唱える様にと……」
メルヴィ先生の言葉に、老人は少し困惑した様な表情を浮かべた。
「ハッセ先生にも困ったものだね。この間は成績確認用の試験を差し替えるし、色々と自由にやられているようだ。まさか正門から入ってくるとは思いませんでした。なるほど小鳥達が興奮する訳ですね。ですが、皆さんは正門からこの『白亜の塔』に入ってきた久方ぶりのお客さんという事になります」
「あ、あの……」
メルヴィ先生が少し躊躇するような素振りをしながら、シモン校長に問い掛けた。
「何かね?」
「やはり首でしょうか?」
「まさか、これは私の私的なご招待だから、その様な事にはなりません。ですがせっかく入れた薔薇の紅茶の香りが飛んでしまったので淹れ直しましたよ。それに用意したお菓子も鳥達に食べられてしまいました」
そう言うと、シモン校長は辺りにぶら下がっている鳥籠を指さした。なるほど、皆じっとしているのはお腹一杯だからなのですね。
「申し訳ないが、部屋を出て右手の方からお菓子を持ってきてもらえないでしょうか? 確か緑の缶の中にジンジャークッキーが入っているはずです」
「はい、承知致しました」
メルヴィ先生はそう言って、頭を下げると扉から外へと出ていった。
「そう言えばご挨拶がまだでしたな。私はシモン・グリアーノと言うもので、この王立学園の校長を拝命しているものです。そう言うと軽く手を胸の方へ当てて、私達に淑女に対する礼をしてみせた。年はとっているが、その目には悪戯好きの少年の様な光がある。
「イサベル・コーンウェルです」
「フレデリカ・カスティオールです」
私達は椅子から立ち上がると、それぞれ制服の裾を持ち上げて、紳士に対する淑女の礼を返した。
「先ほども言いましたが、これは私のごく私的なご招待です。なのでそう形式ばらないでお座りください。ここまで登ってくるのに喉が渇かれたでしょう。紅茶を差し上げます。あの階段は私の健康の秘訣ではあるのですが、やはり厄介であることには変わりはありませんからな」
そう言うと、シモン校長は私の顔をチラリと見た。もしかしたら、黒い扉の外で私が荒い息をしていたのが聞こえてしまったのだろうか? 校長先生は立ち上がると、長椅子の前に置かれた二組のティーカップに、ポットから紅茶を注いだ。
白いティーカップの中に深いオレンジ色の液体が満たされると、部屋の中に入った時に感じた薔薇の香りが一層濃厚に漂う。カップの中には液体と共に、小さなピンク色の薔薇の花びらも一緒に入り込むと、駆け回る子供達の様に、カップの中をくるくると回った。
「この学園には薔薇が多く植えられていましてね。それを乾燥させたものを香り付けに一つまみ入れたものです。どうか香りが飛ばないうちに味わってみてください」
そう告げると、私達に向かって軽く手を上げた。
「いただきます」
私達はシモン校長に誘われるままに、ティーカップを持ち上げるとそれを口にした。微かな苦味を感じる味わいの中に、薔薇の香りと一緒に甘い味がする紅茶だった。少し冷まされたそれは、あの長い長い階段を登ってきた身にはとても美味しく感じられる。思わずカップの中身を全部飲み干してしまった。
「フレデリカさんにはとてもお気に召してもらった様ですな」
私の空のカップを見たシモン校長はそう言うと、小さく含み笑いを漏らした。慌てて隣を見ると、イサベルさんは淑女らしく軽く口をつけただけだ。やはりこの辺りが完璧美少女のイサベルさんと私の違いだ。きっと同じ容姿になれたとしても、私が美少女に分類される事は未来永劫ない。
「はい、とてもいい香りがして美味しかったです」
「お代わりはいかがですかな?」
「はい、頂きます」
淑女としては遠慮すべき場面なのだろうが、私の喉はさっさともう一杯もらえと訴えている。なので私は遠慮なくお代わりを頂くことにした。
「そう言えば、薔薇はフレデリカさんのお家の紋章でもありましたな」
一気によこせと訴えている喉に逆らって、今度はゆっくりと紅茶を飲もうと思っていた私に声がかかった。
「はっ、ごほごほごほほ……」
だが慌てて返事をしようとした私の肺に紅茶が紛れ込んで、盛大に咳が出てしまった。
「フレデリカさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です」
今日はイサベルさんからこのセリフを何回聞いたことだろう。
「ほほほ。慌てなくてよろしい。ゆっくり飲んでください。これは私の私的なお茶会なのですからな」
目の前のシモン校長も口に手を当てて小さく笑っている。なんだかな!
「本日はお茶会にご招待いただきまして、ありがとうございます。ですがどのようなお話があって、ご招待頂けたのでしょうか?」
イサベルさんがシモン校長に向かって口を開いた。私も聞きたかったことだ。この辺りをちゃんと尋ねるところ、私と違ってイサベルさんはとてもしっかりしている。
「私は小さい時から運動が苦手でね。そのせいでしょうか、英雄譚にとても憧れて育ったのです」
そう言うと、彼は私達が入ってきた入り口の方を指し示した。