謎々
教室に残っている生徒達の喧騒を背に、メルヴィ先生に続いて宿舎側とは反対の、学園の中心へと向かう扉から授業棟の外へ出た。出口の両側には授業棟よりさらに重々しい煉瓦作りの建物が並んでいる。
初日の午後に受けた説明では様々な専門教室がある棟のはずだ。メルヴィ先生はその脇を抜けて建物に囲まれた中庭へと出た。初めてくる場所だ。人の気配はなくシーンと静まり返っている。
中庭は二階建てぐらいの低い建物で囲まれており、各建物の一階は中庭と各建物をつなぐ回廊になっていた。いくつかの建物の上からは、秋ばらが白い壁へと垂れ下がり、白や淡いピンクの可憐な花を咲かせている。
中庭の真ん中は小さな丸い池になっており、その中央には雨風にさらされて少しくすんでしまっているが、大理石で組み上げられた小さな噴水から、池に向かって水が滴り落ちていく。池へと落ちていく水の雫は、秋の暮れゆくオレンジ色の日差しを受けて、黄金色に輝いて見えた。
その池を囲むように作られたアーチにも、秋ばらが可憐な花を咲かせている。その花の間をナミアゲハが蜜を求めて、白い妖精が黒いドレスを纏ったかのような姿で舞い踊っていた。そこはまるでおとぎ話の中に出てくる秘密の花園の様な場所だった。
「きれい……」
私の隣を歩くイサベルさんの口から言葉が漏れた。そのセリフは私が心の中で感じていたものと全く同じだ。お弁当を持って、ここでみんなでお昼を食べられたらどんなに素晴らしい時間が過ごせるだろう。
「何をボケっとしているのですか? 迷子になりますよ」
中庭をうっとりと眺めていた私達にメルヴィ先生から声がかかった。慌てて振り向くと、メルヴィ先生は回廊を囲む建物の入り口の一つで私達を待っている。イサベルさんと二人で慌ててその入り口まで向かった。
メルヴィ先生に続いて建物の中に入ったが、外の明るさに慣れた目には中は真っ暗に感じられる。暗がりの中で僅かに分かったのは、天井がとても高くやはり回廊の様になっていると言うことだ。メルヴィ先生の進む先には出口と思しき明るい光があった。
少しだけ暗がりに慣れてきた目で辺りを見ると、壁には地味な色使いの、大小様々な肖像画やら風景画らしきものが飾られている。天井には木で作られた大きめのシャンデリアもぶら下がっていた。だがそこについている煤を見る限り、長い間そこに明かりは灯されていないように思える。
ここにも人の気配はない。先をいく見かけはアンと同じぐらいの少女にしか見えないメルヴィ先生の後ろ姿と、私達の靴音が響いているだけだ。もしかしたらここは美術品の倉庫がわりにでも使われている場所なのだろうか? そんなことを考えている間に、私達はこの回廊の出口らしい扉から外へと出た。
「なんだろう?」
私達の前には野原のように背が低い草が生えている、ただの広場の様な場所が広がっている。その広場の先には白い壁らしきものがあった。いや違った。ただの広場ではない。建物に囲まれた広場の様な場所の真ん中に、学園に居る者達がいつも目にしているものがあった。
『白亜の塔』
学園のほぼ全ての場所から見える白く高い塔。誰かがとても大きなチョークと冗談を言っていたが、そんな単純な円柱の様なものではない。下が少し太く、そして下から6〜7分目ぐらいが最も細く、そこから上になるに従ってまた少しだけ太くなっていく。先はまるで白い石で作られた土筆の先の様な感じだった。
だがその形状は自然にある植物を想像させる姿とは違う。塔には線を描いた様な角があった。その幾つかある角は螺旋を描きながら、塔の周りをぐるりと回りつつ上へと登っていく。それは女性の姿の様な優美さと、自然の何かを感じさせる造形と、決してその両者ではない幾何学的な形状を持つ、独特としか言えない形をしていた。
その巨大な姿が私達の目の前にあった。私は勝手に何かの建物と一緒に建っているのだと思っていたが、そうではなかった。建物に囲まれた大きな広場のような空間の中に、地面から直接立ち上っているかの様に存在している。まるでこの塔は他の建物とは全く違うもので、別の世界から持って来てここに置かれた、そんな印象すら感じさせた。
メルヴィ先生は、その野原の中を何も告げずにスタスタと歩いていく。彼女の先には白い壁の様にしか見えない塔の外壁があるだけだ。私とイサベルさんもメルヴィさんの後ろをただ無言でついていく。
外壁の少し手前でメルヴィ先生の足が急に止まった。どこからともなく建物の間から流れ込んで来た風が、メルヴィ先生の長い髪をわずかに揺らしている。先生にどうすべきか問いかけて見るべきだろうか? だがその背中を見る限り、こちらが何かを問いかけて良さそうな感じは全くない。
「5人の女の子が居ました」
メルヴィ先生の口から不意に言葉が漏れた。私とイサベルさんが互いに顔を見合わせる。先生が何を言っているのか、私達には全く意味不明だった。
「一人目は乾きを嫌って川へと嫁ぎ、二人目は闇を嫌って日のもとへ嫁ぎ、三人目は束縛を嫌って風に嫁ぎ、四人目は騒音を嫌って地の底へ嫁ぎました。五人目は何を嫌ってどこに嫁いだでしょう?」
『えっ?』
これってハッセ先生の問題と同じく謎々ですか? 違う、いつの間にかメルヴィ先生の手には杖が握られていた。そして地面には何やら複雑な形状が描かれている。これは呪文なんだ。そしてメルヴィ先生は魔法職だ。
「答えなさい。さあ、時間はありません。答えないとビーカン・エリモスがあなた達を食べてしまいます」
ビーカン・エリモス? 何の話だかさっぱり分からない。私が知らないお伽噺に出てくるお化けか何かだろうか?
「あ、あの、メルヴィ先生。これは一体何の質問でしょうか?」
隣にいたイサベルさんが耐えきれなくなったのか、メルヴィ先生に声をかけた。
「答えなさい。ビーカン・エリモスが来てますよ」
一陣の風が塔の周りをぐるりと回って吹いた。その風は私達の制服の裾と、メルヴィさんの髪を塔の方へ噴き上げる。何だろう。この風はなんか嫌な感じがする。秋も深まっていると言うのに、妙に生暖かい感じだ。見えない生き物に吐息を吹きかけられでもした気がする。
『まずい!』
私の心の奥の何かが、答えないと危険だと叫ぶ。こうなったらロゼッタさんの難問相手の時と同様に、出たとこ勝負しかない。
「嫌ったのはお腹が空くこと、空腹です!」
私の嫌いなことです!
「嫁いだのは?」
メルヴィ先生の問いかけの声が響く。私の頭の中に旧宿舎で見た炊事場が浮かんだ。
「火、竈門の火です」
私の答えにメルヴィ先生の体が淡く光ったように見えた。先生が手にした杖を空へと掲げる。
「我は汝の試練を越えし者なり。我は汝の同胞にて汝の知恵を受け継ぐ者なり。道祖の始祖にて全ての道を束ねし者よ。我の進むべき道を照らせ」
メルヴィ先生がゆっくりと杖を地面へ下ろすと、私達の方を振り返った。
「少し遅れてしまっている様です。急ぐとしましょう」
そう言うと、壁に向かってスタスタと歩き始めた。先生の進む先には先ほどまでは存在しなかった、白銀に輝く門が私達を待ち受けている。銀色に輝く門は私が見たことがない不思議な素材だった。金属の光沢はあるのだけど、鏡のように何かを写している訳ではない。
あえて似ているものを挙げるとすれば、少しくすんでしまった真鍮の杯の様な感じだろうか? こちらの顔ははっきりとは映らないのだけど、知っている金属なんかよりも輝きがある様に感じられる。その輝きもピカピカという下品なものではない。ぼんやりと光る、そんな感じだった。
メルヴィ先生に続いて塔の中に入ると、門から先は広いホールになっていた。そして吹き抜けになっているらしく、天井が何処にあるのか分からないくらい高い。外からは見えなかったが、先ほどの門のように隠されている明かり窓があるらしく、そこから差し込んでくる西日かかった日差しが、塔の中に何本もの黄色い線を描いていた。
明かりはそれだけでは無い。所々に壁から紐で吊るされた質素な木のシャンデリアもあり、そこには明かりが灯されている。白い壁と相まって、塔の中は想像よりも遥かに明るく、華やかに感じられた。一体誰がどのように灯をつけたり消したりしているのだろう。まるでとても不思議な夢の中に迷い込んでしまったような気さえする。
「上まで登ります。足元に気をつけてください」
メルヴィ先生が私達にそう告げた。その声は塔の中で大きく反響して、まるで百人のメルヴィ先生が告げたかのように響く。メルヴィ先生はスタスタと、ほとんど靴音を響かせないで壁際の階段の方へと向かっている。私はその階段とそれが登っていく先を見つめた。
『もしかして、これを登らされます?』
その階段は螺旋状に壁際をぐるぐると回りながら、はるか先まで続いている。いつの間にか忘れていた体の痛みがズキズキと舞い戻ってくるのを感じた。もし昨日の体力測定の時のように痛みに転がり回ろうものなら、私の体はこの広間の床まで真っ逆さまだ。いや、それ以前に登れるのだろうか?
「フレデリカさん、大丈夫ですか? もし、辛いようでしたら今度にしてもらったほうが……」
イサベルさんが私の方を見て、心配そうに小声で聞いてきた。
「いえ、さっきの謎々をもう一度解ける自信はありません。さっさと終わらせてしまいましょう」
「あれはメルヴィ先生の変わった冗談ではなくて、謎々なのですか?」
冗談? そうだろうか、私にはとてもそう信じることは出来ない。イサベルさんには感じられなかったのだろうか? あの首筋に感じた妙に生暖かい風は、とても偶然とは思えない。
「これは試練です」
「試練ですか?」
「はい、きっとどこかの誰かが私に意地悪をしているだけです。なので見返してやります」
「フレデリカさんはやっぱり大人ですね」
いや、その顔は絶対にそう思っていないですよね。単におかしなやつとだけ思っていますよね?
「フフフ」
イサベルさんの口から含み笑いが漏れる。なんだかな。
「何をしているのですか? 時間がありません。急いでください」
頭の上から私達に声がかかった。その声には苛立ちが感じられる。そうだ、メルヴィ先生は決して怒らせてはいけない人だった。