呼び出し
「フレデリカさん、本当に大丈夫ですか?」
授業終了後にイサベルさんが机にうっぷしている私に声を掛けて来た。見るとその手が私の背中の背後の宙で止まっている。どうやら背中に触れようとして思いとどまったらしい。もし触れられていたらまた悲鳴をあげているところだ。
「昨日の体力測定は休まれればよかったのではないですか?」
「そうなんですけどね。それではやっぱり負けだと思うんです」
「負けですか? フレデリカさんは一体何と戦われているのでしょうか?」
イサベルさんが不思議そうな顔をする。
「ささやかな自尊心でしょうか?」
何と戦っているかと言えば、相手はあの嫌味ったらしいお化けですが、すでに退治されているので、無駄と言えば無駄なんですけどね。でもこれはやっぱり負けられない戦いなのです。そう私の自尊心が言っているのです。
「やっぱりフレデリカさんは大人ですね。私たちよりお姉さんのように思えます」
私の表情を見たイサベルさんが感心したように呟いた。
「え、お姉さんですか?」
普段言われたことがない台詞なので、思わず慌ててしまう。
「はい。言われること全てが私たちより大人の様な気がします」
確かにとある事情で、精神的な年齢は皆さんより上の様な気もします。ですが、お姉さんと呼べるかと言えば、素直に「はい」とはとても言えません。何せ入学式を遅刻してからこの方、ありとあらゆることでやらかしっぱなしです。カミラお母様にばれたらえらい事です。即刻神殿に送られます。
「イサベルさんの方が落ち着いていて、お姉さんの様に思えますけど?」
「そうですか? 私は一人っ子なのでその辺りはよく分かりません」
イサベルさんが私に向かって苦笑いをしてみせる。美少女故にその仕草の一つ一つが絵になります。私などと違って、この方は本当に世の人達が思い描く深窓の令嬢そのものです。きっとこの教室に男子生徒がいたら、私は美少女の周りにいる邪魔な奴以外の何者でもないだろう。それにですね…
「私は上にお姉さんが一人と、下に妹がいますが、私がお姉さんらしく見えるとか言ったら、家にいる人達は腹を抱えて笑うと思います」
特にトマスさんなんかは間違いなく大笑いすることだろう。コリンズ夫人はきっと眉をあげて見せるだけだが、それはそれでその後に続く小言を考えると、とても恐ろしいことです。
「そんな事は無いと思いますけど。それにフレデリカさんは皆さんの注目の的です」
意味が違うと思います。単なる痛い奴です。昨日は何かする度に痛みに地面を転がり回っていたせいか、体の痛み以上に周りの目が冷たかったのにやられました。
せっかくお知り合いになれたと思ったのに、メラニーさんからは思いっきりガン無視されましたし。いやそれ以上に怖い目をしてこちらを見ていた様な気がするけど、気のせいかな? それとも部屋の件をまだ根に持っているのだろうか? 先が思いやられます。
それに部屋に戻るなり、マリからどうしたらこんなに体操着を汚せるのかと詰め寄られてしまった。自分で洗うと言ったらもっと怒られた。そう言ってしまった自分にも腹が立つ。いけません、これは真剣に考えるとやばい奴です。話題を変えないといけません!
「でも、イサベルさんはすごいですね」
「私ですか?」
私の問い掛けにイサベルさんが不思議そうな顔をした。
「ええ、ほとんどの測定で教室で一番だったじゃないですか?」
これには正直驚きました。美少女で運動も出来るなんて、本当に反則です。
「そうでしょうか? 正直なところ、皆さんが本気になっていないだけの様な気がしますが?」
確かにそれはそうかもしれません。皆さん何かするたびにキャーキャー騒ぐは、走るときに腕は横に振るとかですからね。メルヴィ先生が目頭に手を当てているのを見て、こちらとしては戦々恐々でした。それともあれは地面に転がっていた私に対してだろうか?
それはさておき、イサベルさんは明らかに頭ひとつ以上抜きん出ていました。私なんかより遥かに上です。比較になりません。ちゃんと鍛えればマリまでは行かなくても、前世のとある超絶美少女さんと同じぐらいには行けそうな気がします。
それになんですか、あの反復横跳びするたびに揺れていた胸は!
出るところが出ていて、引っ込むべきところが引っこんでいて、それでいて着痩せして見えるなんてのは本当に反則です。凶悪です。男子生徒がいたらみんなガン見ですよ。みんなの夢に出てくると思います。夢の中でやりたい放題されてしまいます。
そもそも運動着というのは、どうして足丸出しで体形丸分かりなんですかね? 前世の世界でもなんじゃこれと思いましたが、この世界でも同じとは一体どういうことなのでしょうか? もしかしたらこの運動着を決めた人間は私と同じく、前世の世界からの転生者なのではないでしょうか?
この運動着を見る限り、この学園、いやこの世界は明らかに殿方によって支配されています。私たち女性は陰謀を張り巡らせつつ、裏からしか世界を支配できないのでしょうか?
「何か、考え事ですか?」
「はい、世界の成り立ちと陰謀論について考えていました」
「陰謀論?」
「私の心の声です。忘れてください」
イサベルさんが触れてはいけないようなものに触れてしまったかのような表情をしている。この顔は前にも見た気がする。そうだ、お化けの話をした時と同じだ。
「私が想像も出来ない難しいことに思いを馳せるなんて、やっぱりフレデリカさんは大人ですね。だからですね、あの試験の内容で点数が取れるなんて。本当に尊敬します」
「あれは問題じゃなくて、謎なぞですよね」
「謎々ですか?」
「はい。ともかく辻褄を合わせるだけです。別に何かの知識を要求している訳ではないと思います」
ある方の授業では思いつきで発言すると、本当にコテンパにされますからね。いや命にすら関わります。ともかく何でもいいから、理由をつけて辻褄を合わせないといけないんです。それに詩もまじめに意味を考えながら朗読しないと、冷たい目で精神的に殺されます。
「ともかくすごいです。尊敬できます」
お願いですから、そんなどうでもいいところで尊敬しないでください。個人的には可愛らしいとか、立ち振る舞いとかそういう事でこそ褒められたいと思うのですが、駄目でしょうか? でも大丈夫です。私が駄目でも我が家にはアンが居ます!
「それよりも、オリヴィアさんはどちらに行かれたのでしょうか?」
「オリヴィアさんは少し気分がすぐれないとかで、授業終了後に直ぐ宿舎に戻られました。車椅子ではないですし、イエルチェさんも一緒ではないですから、やはりお疲れになられたのではないでしょうか?」
「オリヴィアさんも昨日から随分と頑張りましたから、その反動ですね。少し休んだ方がいいと思います」
「それはフレデリカさんも同じだと思いますよ」
「私は体が丈夫なのだけが取り柄ですから……」
「フレデリカさん、イサベルさん」
私がイサベルさんに自分は大丈夫だと答えようとした時だった。私達の背後から不意に声がかかった。振り返るとそこにはいつの間にかメルヴィ先生が立っている。
「メルヴィ先生!」
私は痛みに耐えて体を机から起こした。この人は絶対に怒らせてはいけない人だ。
「お二人とも今日はこの後で何か特別な用事とかはありますでしょうか?」
「はい。えっ、特に私はありませんが?」
「私もございません」
イサベルさんも少し戸惑った顔をして答えた。
「ある方がお二人に面談を行いたいそうです」
「面談?」
思わずイサベルさんとお互いに顔を見合わせる。
「では、私の後についてきてください」
私達にそう告げると、メルヴィ先生はスタスタと教室の外へ向かって歩いて行く。私は慌てて鞄と弁当の袋を持つと、背中の痛みに耐えながらメルヴィ先生の後を必死に追いかけた。