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罪なき咎人  作者:
3/5

一章 赤雨

 三


 押し切られるまま食事の支度をして、卓袱台に並べたのがつい今し方。簡素な献立に不平も礼もなく手を合わせ、自称神様は朝食とも夕食ともつかない膳に箸をつけていた。

 彼女の姿勢も箸の持ち方も、人間であれば育ちの良さを窺わせるようなものだった。一口二口と食べた後、満足そうに頷く。

「うむ、なかなか美味い。褒めてやろう」

「偉そうに……」

 上機嫌な彼女とは反対に実に不満げな様子で、秋水は溜息と一緒にぼやく。久々に食事の支度をさせられた上に気疲れも加わり、だらしなく卓袱台に頬杖をついたまま煙管を吹かしていた。食事当番の竈神がいなかったのが運の尽きと言えよう。彼女を拾った時点で尽きていたのかも知れないが。

「余は神だと言うのが分からんのか。偉いに決まっている」

「はいはい……そうですね」

 もう言い返す気力もなく、秋水は適当に流した。まともに付き合っていたら莫迦になりそうだ。

 よほど腹が減っていたのか、彼女は黙々と飯を平らげてゆく。紫煙を吐きながらぼんやりとそれを眺めていた秋水は、漬物をかじる音で我に返った。食事風景を見ている場合ではない。

「おいお前、家は?」

「神に向かってお前とは、不敬な男だな」

 苛立ちを覚えるも、堪えた。神を騙る妖怪は少なくない。彼女がもしその類なら、こちらに対して悪意があるという事だ。付け入る隙を与えない方が賢明だろう。

「じゃあ名前は?」

「黒耀だ。黒耀姫こくようき

 そんな名の神がいるものか。益々疑わしく思え、秋水は鼻白んだようにふうんと呟く。

 親が決める人間の名付けと違い、産まれた時から定まっている神の名には様々な制約があるらしい。細かく聞いた事はないが、女神の名に必ず姫の字が付くのは知っている。同じく、既存のものの名前が神の名には決してならないことも。

「石の名前の神様がいるかよ」

「黒鉄が耀くと書く、余は鍛冶の神だ」

「鍛冶の女神様ねえ……」

 益々胡散臭い。男神ならまだしも、製鉄を司る女神など聞いた事がない。確かに髪の色は火神ほのかみのそれと思われるが、目の色を見る限りどうにも疑わしい。そもそも神が司るのは五行という理の内それぞれ一つのみであり、彼らの体は同じ色で統一されると言う。

 いや。思い直し、秋水は思考を止める。そんなことが知りたかったのではない。名前も何を守護する神なのかもどうでもいい。全て嘘かも知れないし、秋水が知った所で得もないだろう。

「それはいいが神さんよ、食ったら帰ってくれねえか」

「どこへ?」

 頓珍漢な返答に呆れ、長い長い溜息を吐いた。黒耀と名乗った自称神は、わずかに首を傾けて瞬きばかりを繰り返している。手はしっかり箸を動かしているが。

「こっちが聞きてえよ。どっから来たんだ」

 そこでやっと箸を止め、黒耀はきょとんと目を円くした。次いで眉間を狭め、思案するように視線を流す。気のせいだろうか。彼女の表情は妙にぎこちなく、感情表現とするにはあまりに些細なものであるように思われた。

「……どこから? 余はそもそも、何故ここにいる?」

 心底不思議そうに問われ、返す言葉もなかった。また嘘かとも思ったが、困惑したような表情から察するに、分からないのは真実だろう。

 人は頭を強く打つと、記憶をなくすことがあると言う。彼女に何があったか予想もつかないが、あの大怪我を思えば頭を打っていてもおかしくはないと考えられる。昼間に会った婦人も、確か大きな音がしたと言っていた。よもや彼女は、天から落ちたのではあるまいか。

 しかし仮に神だとするなら、そんな下手を踏むことがあるだろうか。一応と前置きした上で神主という立場にある秋水だが、彼らについては人より少し詳しいといった程度。疑問を持ったところで判断できるはずもなかった。

「昨日、俺が大怪我してたお前を拾って帰って来たんだよ」

「余は怪我をしていたか。通りで痛いと思った」

 これは駄目だ。秋水は煙草盆に火の消えた煙管を放り投げ、頭を抱える。

 お手上げだ。全て信じた訳ではないにせよ、記憶がないのは確かなのだと確信した。職業柄、人の感情の機微には聡く、またそれを自覚している。彼女の不安げに歪んだ表情は、とても嘘を吐いているようには見えなかった。

「おぬしが助けてくれたか」

「拾って来ただけだ」

「そうか……世話をかけたな」

 すまなそうに眉尻を下げ、黒耀は小声で謝った。謝るぐらいなら、散々せっついて作らせた飯を食っているこの状況に対して礼の一つも欲しいところだ。

 底に麦飯の残った茶碗を持ったまま、黒耀は目を伏せていた。何か思い出そうとしているのかも知れない。彼女の表情は真顔とそう大差ないが、迷子の子供のようにどこか不安げで、悲愴感さえ漂っている。

「ならば、どこへ……」

 どこへ。

 ここを追い出したら、彼女はどこへ行くのだろう。すぐ治ってしまったとはいえあんな大怪我をしていたのだから、訳ありと見て間違いない。人の同情を買って騙しにかかるこすい妖怪だとしても、血の臭いまでは再現できないものだ。つまり、怪我は真実であろう。

 名前も神である事も全て嘘であったとして、だから何だと言うのか。心細そうに眉を曇らせる女をそれでも叩き出せるほど、秋水は人間を捨ててはいない。

「分かった」

 何のあても光もない。どこへ続くかも分からない道を、よすがもないまま歩き続ける。果ての見えない暗闇の中で泥濘に囚われながら、重たい足を引き摺って。身体中が冷えて、五感も心も麻痺しても。

 そんな感覚を知っている。独りというのは、そういう事だと。だから、彼は腹を決めた。

「行かなくていい。何か思い出すまでここにいな」

「……良いのか?」

「行くアテはねえんだろ」

 躊躇いがちに頷き、黒耀はおずおずと正面の秋水を見上げる。犬が主人の様子を窺う様によく似ていた。

 本業だけでは食うに困るとはいえ幸い生活に困窮している訳でもなく、副業の収入があれば女一人養う程度のことはできる。むろん穀潰しを飼う気は更々ない。記憶があろうがなかろうが、社務の手伝いぐらいはさせるつもりだった。

「なら居ていい。思い出したら出てってもらうからな」

 黒耀は暫し弛緩して秋水を見つめた後、大きくうなずいた。その顔には先ほどまでの不安げな色どころか、笑みもない。けれど嬉しいのだという事は、首を振った勢いで分かった。

「うむ、世話になる」

「おう。片付かねえから食っちまえ」

 わかったと言って、黒耀はまた箸を動かし始める。先もそうだったが、存外素直なたちらしい。扱いやすくて助かる。

 黒耀は卓袱台の上のものを小鉢まで空にして、御馳走様と手を合わせた。その仕草が可笑しくて、秋水は馬鹿にするでもなく鼻で笑う。

「神様が御馳走様ってか」

べて日々の糧は即ち命だ。敬意を表するのは当然のことよ」

 記憶がないのに、そんな事は覚えているのか。呆れつつも、口に出してまた不敬だのなんだのと喚かれる事を危惧して何も言わないまま、食器を重ねて立ち上がる。

 黒耀は不思議そうに秋水を眺めていたが、土間へ下りようとするとやおら立ち上がってついてきた。居候だという自覚はあるらしい。下駄が一足しかなく、彼女は下りられなかったが。

「それはどうする?」

 黒耀は台所の隅に置かれた桶に食器を入れるのを、興味深げに眺めるばかりだった。手伝う気があるわけではないらしく、また呆れる。とはいえ、普段は秋水も任せきりだから構いはしない。

「竈神が後でまとめて洗ってくる」

「竈神?……ああ、そこの九十九神か。まだ若いな」

 驚いて振り返るも、竈神の姿はない。訝しく思って見やった黒耀は、秋水でなく竈を見ていた。

「大事にされているな、何よりだ。その……」

 言い淀んで、黒耀は秋水を見る。困ったように首を傾げる仕草で、何を言わんとしているのか理解した。

「秋水」

「秋水! 久々におぬしに使って貰えて嬉しいそうだ」

 竈の言葉が分かるのか、姿は見えねどそこにいるということか。竈に向かって満足そうに頷く黒耀を見ていると、どうでもいいかとも思う。

「よく分かんねえが、行くぞ」

「む? 分かった」

 分かっていなさそうだったが、わざわざ指摘はしない。茶の間に戻ると何を思ったか、黒耀はむうと唸った。振り向いてはみたものの、彼女の表情からは何も読み取ることができない。

「腹がくちくなったら動きたくなってきたぞ」

「動くって……怪我はどうしたよ」

「もう治った」

 出鱈目な体だ。呆れ半分感心半分ではあと呟き、玄関へ向かう。黒耀はやっぱり、素直についてきた。

「境内の掃除が終わってないんでな、そのぐらいなら丁度いいんじゃねえか」

「境内?」

 やはり母の遺品の下駄を出してやってから、外へ出る。思いのほか時間が経っていたらしく、庭は夕陽の色に染まっていた。

 覗いた社務所に箒男の姿はなく、本体の箒だけがぽつんと立て掛けてあった。見る限り参拝者もいない。顔見知りに出会して黒耀のことを問われても答えづらく、内心胸を撫で下ろした。

「ここは神社なのか」

 辺りを見回しながら、黒耀は呟いた。神社は分かるのだろうか。覚えている事といないことの基準がよく分からない。

「まあな。とりあえず掃除してくれや、居候なんだからそのぐらい……」

 ああと大声がして、そちらを見る。へっぴり腰で駆けてくる箒男の姿を目にして、秋水は舌打ちした。彼は世話好きが過ぎて何かと口うるさい。

「旦那ァ、アンタこんな時間まで何してたんですかい! 掃除が終わって……な……」

 喚く箒男の視線が、秋水の横に向く。少し離れた所で立ち止まった彼は、ぽかんと口を開けて黒耀を見詰めていた。

 無理もない。家から出てくる者は秋水以外誰もいないはずが、人間か妖怪かすら分からない見知らぬ女が立っているのだから。事情を知っていれば、彼でなくとも驚いただろう。

「神社に妖怪がいるのか」

 ただなんとなく呟いただけのような、平淡な声だった。嫌悪の色がないことに安堵する。神はそもそも、鬼以外のものに対して差別的な態度を取ることはないようだが。

「箒の九十九神だ。最近は人手不足で、どこもこんなもんだわな」

「人手不足?」

 見上げる目は、何故かと言いたげだった。黒耀に釘付けになったまま黙り込む箒男を無視して、秋水は応と返す。

「火の雨が降って人口が激減したからな。ここは平気だったがね」

「火の雨?」

「五年前、そういう災害が起きた。赤雨の災とか言われてる。空から火の玉が降ってきてな、そこいらじゅう大火事だ」

 思い出すだに嫌な光景だ。鉛色の空から落ちてくる火の玉は地に落ちれば地面を焦がし、森に落ちればたちどころに燃え広がった。大規模な山火事になり、町にまで灰が積もった場所もあるという。

 災厄の雨は森へ町へ容赦なく降り注ぎ、その全てを焼いた。民家に落ちては中の住人ごと蒸し焼きにし、人の上へ落ちては火達磨にして消し炭へと変えた。町はあらゆるものが燃える臭いに満ちた阿鼻叫喚の地獄絵図と化し、人々は天の怒りに震え上がった。

 そんな中で不思議と、秋水は無事だった。この周辺と同じく神社の加護があったのか、単に運が良かっただけか定かではない。命があろうとなかろうと、酸鼻極まる地上の風景は思い出したくもなかった。

 けれど。

 されど天から炎の玉が降り注ぐ光景を、彼は時折思い返す。

 重たい鉛色の雲が仄かに光り、朝露が滴るように焔が垂れ下がって落ちてくる。所々で雲が光るその光景は、確かに美しかったのだ。人には決して言えないけれど。

「ふむ……面妖な」

 呟く黒耀は、ほそい指を顎に当てて何事か考え込んでいるようだった。その声で我に返ったか、箒男が一歩こちらへ近付く。

「だ、誰ですかいなその別嬪さんは」

 声が裏返っていた。全くこの木っ端妖怪は美人に弱い。

「昨日怪我してたのを拾ってきた。行く当てがないらしくてな、暫く置いとくぜ」

「黒耀だ。世話になるぞ」

 ははあと変な声を出して、箒男は拝むように掌を擦り合わせた。不気味なほど顔がにやけている。

「いやァこんな別嬪さんと一つ屋根の下なんて、アタシは……」

手前てめえはいつもここだろうが」

 こつんと社務所の壁を叩くも、箒男は聞いていなかった。黒耀の爪先から頭の天辺までを眺めて、うんうんと頷いている。

 しかし不意に眉を寄せ、首を捻った。

「うん? しかしこの方ァ、妙な気配でらっしゃいますな」

「神に奇妙とは不遜な木っ端だな」

「いやはや神様から見りゃそりゃアタシは木っ端ですがね……エエ、神様ァ?」

 初対面の者に木っ端呼ばわりされて怒るでもなく、箒男は驚愕に目を見開いて身を引いた。そもそも秋水はいつでも木っ端と呼んでいる。拝んでいたから何か分かるのかと期待していたが、そういう訳ではないらしい。

「こりゃまた失礼つかまつりまして」

「うむ、構わん。秋水より物分かりがいいな」

 はいはいとべこの玩具のように首を縦に振り、箒男は萎縮していた。権力にも弱いらしい。あまりにも人間臭くて逆に清々しい反面、誰に似たのかと訝しくも思う。

 九十九神は周囲の人間の気を蓄えて妖怪としての形を成すもので、その性格はある程度持ち主に似る。秋水は美人にも権力にも弱くないから、昔の主人に似たのかも知れない。当然それは秋水の先祖だ。彼のこういう面を見る度に、なかなか複雑な気分にさせられる。

「まあそういう訳だからよ。神さん、掃除頼むぞ」

「ふむ……これも居候の役目か」

「まァたアンタはそうやって自分ばっかり楽しようとして……」

 横目で睨むと、箒男は簡単に黙った。秋水は常々目が怖いと言われている。

 頼んだものの掃除のし方は分かるのかと疑問を抱いたが、黒耀は手早く竹箒で境内を掃いていた。神様だと言う割に慣れた風なのが気にかかる。神も掃除をするのだろうか。

 気にはなったがわざわざ聞く気もなく、縁台に腰を下ろした。いちいち教えなくていいなら、それに越したことはない。

「秋水、これはなんだ?」

 しかし煙草入れを開けたところで声をかけられ、渋い顔をした。嫌々立ち上がって見れば、黒耀は社務所の前で何かを指差している。

「なんだって……」

 手元を覗き込むと、そこには御守りが並んでいた。仕立屋が作った袋に、秋水が書いた木札を入れただけの簡素なものだ。そんなものでも案外よく売れる。

「御守りが珍しいのか?」

「御守り? ああ、安産祈願とかいうあれか」

 知識が偏りすぎている気はしたしここには厄除け札しかないが、否定はしなかった。間違ってはいない。

「まあ、そんなもんだ」

「愛らしいな。効果はなさそうだが」

 さらりと嫌な事を言ってのけ、黒耀は掃除を再開した。秋水も聞かなかったふりをして、縁台へ戻ろうと踵を返す。しかし間髪容れずにまた呼ばれ、思わず舌打ちした。

「何だよ」

「これは?」

 黒耀の細い指が、桃の木を差していた。濃い桃色の花は満開を過ぎて散りかけているものの、まだまだ見頃といったところか。

「……桃の花だよ。神社は分かるのに物の名前は分からねえのか」

「うむ、余は下のことはよく分からん。これも良いものだな」

 あっさりと肯定して、黒耀は桃の枝に手を伸ばす。やさしく摘まんだ枝には、生育が遅かったか綻びかけた蕾があった。彼女はそこに顔を近付け、ふうと息を吹きかける。

 途端、膨らんだ蕾がほどけるように開いて行く。秋水は呆気に取られて立ち尽くしていた。

「……ふむ、良い香りだ」

 すんと鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ、黒耀は満足そうに頷いた。無表情ながら、仄かに赤く染まった頬に彩られた横顔は花がほころぶようだったが、それよりも秋水は突然咲いた桃の花に気を取られていた。

「待てお前、今何した」

「咲かせただけの事よ。何を珍妙な顔をしている?」

 指摘されて面食らったように口をつぐみ、秋水は口元を抑えた。苦虫を噛み潰したような表情だ。

「咲かせただけ、じゃねえよ。鍛冶の神がそんなこと出来るもんか」

「人間には出来んのか? 不憫な」

 何が不憫なのか全く分からない。返す言葉もなく黙り込んだ秋水にはそれ以上何も言わず、黒耀は散った花びらを森の方へ掃いた。そしてまた、足を止める。

 そこには、二本の支柱の間に張られた細い縄がある。絵馬を吊るす為の縄だ。先週焚いたばかりで、今は数えられるほどしか吊るされていない。

「情念が濃いな。これは?」

「絵馬だよ。そこに願い事書いて吊るすだけだ」

「叶うのか?」

「本人次第だな」

 ふうむと唸って、黒耀は絵馬を眺める。そこに書いてある願を読んでいるようだった。

 構いはしないが、不躾な神だ。人間の常識が通用しないのは短い時間で充分理解したとはいえ、個人的な願いをこうもまじまじと読むものだろうか。そもそも字は読めるのだろうか。

 疑問に思ったところで、ふと思う。彼女が神だと言うなら、叶えられるのではないだろうか。

「神さんよ。そこのお願い、一つでも叶えてやっちゃくんねえか」

 黒耀は秋水を見上げて、不思議そうに目を瞬かせた。

「余がやるのか?」

「願い事叶えられんのが神様だろ」

「そうなのか。余にはよく分からんがな」

 事もなげに返されて、尚更彼女が神であることを疑った。確かに妙な力は持っているようだが、神とは人の些細な願いぐらいなら叶えられるものではないのだろうか。それとも、ここの祭神が鬼神おにがみだから肩代わりは出来ないと言いたいのだろうか。

 どちらにせよ、確証は持てない。疑ってかかった方が賢明だろう。

「ああ、そうだ神主さん」

 ちらちらとこちらを窺っていた箒男が、不意に歩み寄ってきた。手に絵馬を持っている。

「依頼来てましたよ」

 家から出た時彼が社務所にいなかったのは、絵馬を確認しに行っていたせいなのだろう。絵馬には時々、祈祷の依頼が書かれている。秋水の不在時に伝言板代わりにされているらしい。社務所番に伝えればいいだろうに、妖怪退治の依頼を妖怪伝にするのは気が退けるようだ。

 彼の副業は、仇討ち。標的は妖怪をはじめ人間や狂暴な動物、果ては鬼まで多岐に渡っている。今回は依頼人が神社まで来たが、標的が人間である場合はさすがに神域を指定する訳にはいかないし、正体が露見したら大事である。依頼人と会うのも一手間かけるようにしている。そもそも人間相手の仇討ちは窓口が違い、別の話だ。

 標的が妖怪や鬼の場合は、この絵馬を書いた人物のように依頼人が神社までやってくる。何しろ戦神いくさがみと同一視される鬼神の神社であるからこの手の祈祷依頼は多く、断るのが面倒になって請け始めたらこれがなかなかの収入源となった。無論、神主が斬っていると知られる訳にはゆかない。妖怪や鬼を追い払う祈祷という名目で、今では広く請け負っている。

「神主?」

 受け取った絵馬を読もうとして、黒耀の声に顔を上げる。彼女は箒を両手で持ったまま怪訝に眉をひそめていた。

「おぬしがここの神主なのか?」

「……神主っちゃ神主だな」

 前任の兄が死んだがために、周りの目もあってとりあえず継いだだけで、正式には何の儀式もしていない。神主かと問われれば肯定するが、実際のところそう自称していいのかどうか分からなかった。

 黒耀は顎に手を当て、ふむと呟いた。思案げな面持ちで暫し秋水を眺めた後、首を傾げる。金の目に探られているように思えて、居心地が悪かった。

「その割には、血腥いな」

 どきりとした。けれど顔には出さず、何を言い返すでもなく、秋水は自称神から目を逸らした。

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