7話 復讐の果て
敵の総大将をに向かってラグナは叫んだ。
「ブレイディアさんに何をしたんですかッ……!」
『安心してくれ。まだ殺してはいないさ。ブレイディアは君を誘い込むための貴重な餌の一人だからね。しかし彼女がこうも簡単に罠に飛び込んでくるとは思わなかった。普段のブレイディアならばまず引っかからないだろうが……クク……。やはりあの男を君たちのアジトに送り込んで正解だったようだ。たった一つの希望が打ち砕かれれば、どんな賢人も無謀な賭けに出ざるを得ないということか。ククク』
「あの男……? 希望が打ち砕かれる……? 何のことですかッ!?」
『この国の現状はブレイディアから聞いたのだろう? ならば私の所までたどり着ければ今の言葉の意味もわかるだろう。さて、それでは本題に入ろう。早速で悪いがこれから第二訓練場に向かって欲しい。もう一度君の性能を確かめたくてね。うってつけの相手を用意してある。これはいわば試練。だが君にとっても悪い話じゃないはずだ。なにせ――合格すれば君の大切な者を取り戻すことができるかもしれないからね。ちなみにこの要求を断った場合――君は大切な人を三人失うことになる。まあ断らないとは思うが、念のため言っておくよ。では頑張ってくれたまえ。期待しているよ』
「な、ちょっと待っ――」
言葉を言い終える前に通信は終わり、ラグナはただ取り残される。そして通話が終わった途端、前方のドアの電子ロックが解除され扉が開いた。ここから入ってこいということらしい。
(……どういうことだ……さっぱりわからない……それに大切な人を失うって……くそ……考えていても埒が明かない。もうどのみち進むしかないんだ。ここで逃げればブレイディアさんの命が危ない)
前方の扉をくぐり本部の中に入ると、デバイスに表示された地図を見てラグナは進む。それしかもはや選択肢はなかったのだ。そしてとうとう第二訓練場の入口の前にやってくる。扉をゆっくりと開くと中には暗く巨大な空間が広がっていた。マップによると今立っている位置からちょうど百メートルほど真っ直ぐに進んだ場所に出口があるようだ。ゆっくりと明かりの消えた訓練場に足を踏み入れたその瞬間――突然訓練場の照明が点灯した。驚き照明を見上げた時――。
「おやおやぁぁぁ〜。こんにちわぁぁぁ〜」
――聞き覚えのあるねっとりとした嫌な声が広い空間に響き渡る。その声を聞き、ラグナはようやく空間の中央にいる三人の敵に気づいた。黒いローブを着てフードを目深く被った三人のうち、大きな銀色のアタッシュケースを持った真ん中の一人が、フードを取り去り顔を見せる。見えた顔、それは仇敵のものだった。
「ゲイズッ……!」
「昨日ぶりですねぇぇぇ〜。アヒャヒャヒャ! 僕が貴方の性能テストの対戦相手だそうですよぉぉぉ~。しっかしこんな見え見えの罠に引っかかるなんてねぇぇぇ~」
待ち伏せされている可能性も十分視野に入れていたのだが憎い仇を前にラグナの表情は憎しみで歪んでいた。
「……やっぱり、俺達をここに誘い込むことが目的だったんだな。だから騎士たちにEポイントの脱出経路を襲わせなかった。そして警備をわざと手薄にして俺達が侵入しやすいようにした」
「ご明察ぅぅぅ〜。しぃぃぃかぁぁぁしぃぃぃ〜、罠だとわかっていたとしてもぉぉぉ〜、あなたちは必ず引っかかるとぉぉぉ〜、思ってましたよぉぉぉ〜。ディルムンドさんも言ってましたねぇぇぇ〜、そうせざるを得ないほどにあなたちは追い詰められているからってねぇぇぇ〜。くひひひひぃぃぃ〜」
気色の悪い笑い声に顔をしかめながらもラグナはゲイズを睨んだ。
「……確かに俺達は追い詰められてるのかもしれない。だけどきっとアルフレッド様たちが応援を連れてここに戻ってくる! その時がお前たちの最後だ!」
「ぷ、くくくぅぅぅ〜。アヒャヒャヒャヒャヒャぁぁぁ〜!!!」
「な、何が可笑しいッ!」
突然笑い出したゲイズにラグナはうろたえる。
「いやぁぁぁ〜、無知とは幸せなものだなぁぁぁ〜と感じましてねぇぇぇ〜。ま、僕がネタ晴らしする必要はないんですがねぇぇぇ〜」
「何の話をしているんだッ……!」
「いえいえぇぇぇ〜。こちらの話ですよぉぉぉ〜。それよりぃぃぃ〜、あなたの相棒についてのお話をしませんかぁぁぁ〜。心配でしょぉぉぉ〜?」
「ブレイディアさんのことかッ!? 彼女に何をした!」
「さあ、なにをしたんでしょうかねぇぇぇ〜。教えてあげられることといえばぁぁぁ、あの女は今第三訓練場にいるってことくらいですかねぇぇぇ〜。ヒヒヒィィィ〜」
(こ、こいつッ……!)
ゲイズの下卑た笑みを見て頭に血が昇るも、怒りに任せて飛びかかるのだけは抑えられた。それが奴の狙いの一つであることだけはわかったからである。だがラグナの怒りは限界寸前まで高められていた。
「おやおやぁぁぁ〜、意外に冷静ですねぇぇぇ〜。別にいいですけどねぇぇぇ〜。しかしこの建物は実に歪な造りをしていますよねぇぇぇ〜。第二訓練場を通らなければ第三訓練場まではいけないしぃぃぃ〜。本部を増設した結果こうなったとディルムンドさんは言っていましたけどぉぉぉ〜。不便ですよねぇぇぇ〜、こうして急いでいるのに僕をなんとかしなければ先には進めないぃぃぃ〜。ああー、大変だなぁぁぁ〜、きっとこうしている間にもあの女は酷い目に遭っているかもぉぉぉ〜、いやぁぁぁ〜、もしかしたら死なない程度に痛めつけられているかもぉぉぉ〜、いやいやぁぁぁ〜、というかもうドラゴンに手足を食いちぎられてるかもしれないですねぇぇぇ〜。クヒャヒャヒャァァァ! でも貴方は先には進めませんねぇぇぇ~、だって僕が邪魔するからぁぁぁ~! アヒャヒャヒャヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャヒャ~!!!」
その下卑た笑い声は十年前の孤児院での悲劇を思い出させた。
親代わりだった優しいシスターがナイフでめった刺しにされて殺された記憶。
兄妹のように育った孤児院の子供達が暴行を受け、抵抗する者は血の泡を吹くまで殴られた記憶。
狭いながらも思い出の詰まった教会が悪漢達の手で破壊される記憶。
貧しくも幸せだった日々は狂人の手によってあっけなく破壊された――それを再び鮮明に思い出した結果、ラグナの頭の中で何かが音を立ててキレた。
(……十年前だけじゃなく、今も俺から大切なものを奪う気なのかッ……こいつのせいで……全部、滅茶苦茶になった……全部、全部、全部、全部、全部、全部ッ!!!!!!!!!)
この世で最も憎いゲイズの挑発やブレイディアが危機に直面しているかもという焦りが重なり、それらはラグナの冷静さを失わせた。憎しみで思考は塗りつぶされ、殺意のみが頭を支配する。そしてゲイズはトドメの一言を言い放った。
「安心してください。貴方を殺したら、次はあの女をズタズタに刻んであげますからぁぁぁ~」
その瞬間、ラグナのドス黒い感情が爆発した。
「しッ――死ねぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!! 『アル・グロウ』!!!!!」
激昂したラグナは弱弱しいながらも銀色の『月光』を纏う。そして腰のホルダーに収納されていた『月錬機』を取り出し、玩具のような短剣へと変化させると続けざまに『月光術』を発動させる。すると拳大の銀色の光球が剣の切っ先から怨敵目がけて放たれる。怒りによって威力とスピードの上がった光弾はゲイズ目がけて飛んで行った。
「アヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜! 怒ってる割りにしょぼい術ですねぇぇぇ〜!」
ゲイズが持っていたアタッシュケースを置き、機械の手のひらを見せるように左腕を突き出す。すると次の瞬間、光球と手がぶつかると同時に銀色の玉は吸収され、跳ね返されるとラグナに直撃した。
「ぐはぁッ!?」
光の玉をもろに食らったラグナは後方に大きく吹き飛ばされると、弾みで武器を床に落としてしまう。それを見たゲイズは鼻で笑うと首をかしげた。
「てっきり『黒い月光』を使ってくると思ったんですがねぇぇぇ〜。もしかして余力を残そうとか考えてますぅぅぅ〜? だとしたら舐められたものですねぇぇぇ〜。ま、そっちがその気なら別にいいですけどねぇぇぇ〜。でもこれじゃあ保険が無駄になっちゃいますよぉぉぉ〜。だって今のあなたならこの腕一本で十分すぎるんですものぉぉぉ〜」
「……やっぱり……ハロルドの発明品か……」
「ほぉぉぉ〜。ご存じでしたかぁぁぁ〜。ということはもう色々と知っちゃってるみたいですねぇぇぇ〜。あなたの言う通り、この腕はハロルド・エヴァンスの発明品ですぅぅぅ〜。通常の状態でも『月光術』を分解、吸収、再構成して跳ね返すぅぅぅ〜。さらに自らの『月光』を吸収させることで『月錬機』のように武器化させることも可能な優れものですよぉぉぉ〜。しかしわかっていてなお『月光術』を撃ってくるなんてあなたもお馬鹿さんですねぇぇぇ〜。頭に血が昇って冷静な判断が出来ないなんてぇぇぇ~」
(……く……なんて馬鹿なんだ俺は……挑発に乗って『月光術』を撃つなんて……いきなり出鼻をくじかれた挙句、自分の術でダメージを受けてしまった……)
ゲイズの話を聞きながら痛みによって冷静さを取り戻したラグナは高速で頭を回転させていた。議題は一つ――どうやってこの状況を切り抜けるか。
(どうする、どうする……どうすればいい!? 怒りで我を忘れていたけど、今の俺の『銀月の月光』では奴は倒せない。かといって『黒い月光』は――やっぱり駄目だ、ピクリとも反応しない。いつもなら勝手に疼いて暴走しようとするくせに、肝心な時に役に立たないなんて……せっかく先生から黒い月光を制御する腕輪をもらったのに……ブレイディアさんの言う通り時間の経過が足りてないのか、クソッ! 右手の『月痕』もいつもと同じで役に立たない……一度逃げて態勢を立て直すか? いやだけどそれじゃブレイディアさんが――)
ラグナがどうするか決めあぐねているとゲイズが先に動いた。
「ちょっと待ってくださいねぇぇぇ〜。あなたが何を考えているかは知りませんがぁぁぁ〜。戦うのもぉぉぉ〜、逃げるのもぉぉぉ〜。駄目ですよぉぉぉ〜。あなたは何もしてはいけないのですよぉぉぉ〜。なぜならぁぁぁ〜――」
ゲイズがローブの中からリモコンのようなものを取り出しボタンを押すと、横にいたフードを被った人物たちが動き始める。二人が目深く被ったフードを脱ぎ去ると、そこには見知った顔があった。
「ジュリアッ……! リリッ……! よかった、無事だったんだねッ……!」
先日友人となり、そしてさらわれた二人の少女たちの無事な姿を見て安心した。しかし呼びかけに対して答えないどころか眉一つ動かさないジュリアとリリスに対してラグナは違和感を覚える。
「……ジュリア? リリ? どうし――まさか……」
「その通りですよぉぉぉ〜。彼女たちもめでたくお人形の仲間入り、というわけですねぇぇぇ〜。アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜!」
「そ……そんな……」
「これがさっき言った保険ですよぉぉぉ〜。今さっきは黒い月光を使わなかったみたいですけどぉぉぉ〜、通常の『月光』が通用しないとわかった今は使ってくるかもしれませんからねぇぇぇ〜。その前に手を打たせてもらいますよぉぉぉ〜。もし貴方が黒い月光を使ったら彼女たちに自決するよう命令しておきましたからねぇぇぇ~」
「じ、自決……!? ど……どこまで汚いんだお前はッ……!」
「汚いぃぃぃ〜? 面白いことを言いますねぇぇぇ〜。勝負に汚いもクソもないんですよぉぉぉ〜? ありとあらゆるものを利用して勝利する、それが僕のポリシーなんですよぉぉぉ〜。さあ、二人とも行きなさいぃぃぃ〜!」
ゲイズが再びリモコンを操作すると、ジュリアとリリスは『月光』を纏いラグナに向かって突進してきた。
「ジュリアッ! リリッ! 頼む、正気に戻ってくれッ!」
「…………」
「…………」
必死の呼びかけも虚しく、二人の蹴りがラグナの腹部にめり込み、そのまま弾き飛ばされると壁に激突し倒れた。
「がはッ……ごほッ、ごほッ……」
吐き気を堪えながらなんとか立ち上がると、ジュリアとリリスは所持していた『月錬機』に『月光』を吸わせて武器に変化させた。そして勢いよく切りかかって来たが、ラグナは腰に下げていたスタンロッドで二人の斬撃をなんとか受け止める。だが『月光』を纏った者の斬撃を生身で受け止めた反動で膝立ちの状態になってしまう。だがこの状態は奇しくも反撃の出来る絶好のチャンスとなった。
(ぐぅぅッ!!! き、キツイ……けど……これはチャンスだ……高圧電量を流してジュリアたちを無力化できるかもしれないッ……!)
ラグナが柄のボタンに手をかけたその時、それを見たゲイズは薄ら笑いを浮かべながら口を大きく開く。
「ちぃぃぃなぁぁぁみぃぃぃにぃぃぃ〜、たとえ『黒い月光』を使わなかったとしてもぉぉぉ〜、避けたり防御したりするような行為も駄目ですよぉぉぉ〜? あとあとぉぉぉ~そのおかしな棒で何かしようとしてもアウトですからねぇぇぇ~。もしそんなことをするようならぁぁぁ〜――」
ゲイズがリモコンを操作するとジュリアとリリスが自らの得物をスタンロッドから離し、自身の喉元に突きつけた。バルディッシュと双剣の刃が白い喉を薄く切り裂き赤井い雫が床に落ちる。
「げ、ゲイズゥゥゥゥッ……!!!」
「クヒャヒャヒャアヒャヒャヒャァァァ〜!」
ゲイズが下種な笑い声を響かせた瞬間、ジュリアとリリスはラグナに飛びかかる。そこから先は、戦闘というよりも一方的な虐待だった。殴る蹴るはもちろん、『月錬機』によって死なない程度に切り刻まれる。ボロ雑巾のようになるまで攻撃は続いた。スタンロッドもいつの間にか手を離れ、砕かれていた。
「……う……う……」
「クヒャヒャァァァ〜。もううめくのが精一杯ですかねぇぇぇ〜。いやぁぁぁ〜、僕としても早くとどめを刺したいところなんですけどねぇぇぇ〜。このリモコンのテストをしなくちゃいけないんですよぉぉぉ〜。ちなみにこれ、どんな機械と繋がってるかわかりますぅぅぅ〜?」
「……ルナ……シス、テム……」
「その通りぃぃぃ〜。やはりそこまで突き止めていましたかぁぁぁ〜。そうなんですよぉぉぉ〜、このリモコンは『ルナシステム』を遠隔で使用できるという優れものでしてねぇぇぇ〜。このボタンをポチポチすることで現在『ルナシステム』と繋がっているディルムンドさんの能力の一部を使うことが出来るんですよぉぉぉ〜。つまりこれを使うことでぇぇぇ〜、一定範囲内の操り人形たちの指示を私が出せちゃうわけですねぇぇぇ〜。こんな風にねぇぇえ〜、ポチっとなぁぁぁ〜」
ゲイズがボタンを押すと倒れているラグナに向かってジュリアとリリスが胴体を蹴り上げ吹き飛ばす。
「アヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜! ロボットを操縦してるみたいで楽しいですねこれぇぇぇ〜! いやぁぁぁ~、しかしディルムンドさんも鬼畜ですよねぇぇぇ~? 君の性能テストをするとか言っておいてこれですもんねぇぇぇ~。人質をとってもオッケー、貴方ををどれだけ痛めつけてもオッケー、仮にこれで死んでしまってもオッケー、ときてますもんねぇぇぇ~。貴方の事が欲しいとか言っといて、何考えてんだかぁぁぁ~。ま、僕は楽しいからオッケー、なんですけどねぇぇぇ~。アヒャヒャヒャヒャヒャ~!」
「く、う……!」
肩で息をしながらも立ち上がったラグナはゲラゲラと笑うゲイズを軽蔑するように力強く睨み付ける。それが気に入らなかったのか突然狂人は真顔になった。
「……気に入らないですねぇぇぇ〜、その目つきぃぃぃ〜。というか、あなた私とやはりどこかであったことありますぅぅぅ〜? なぜかはわからないんですがぁぁぁ〜――『黒い月光』や『黒い月』――加えてあなたの顔を見ていると心の奥の方からドス黒い感情が湧き上がってくるんですよねぇぇぇ〜。無性にブチ殺してやりたくなるというかぁぁぁ〜」
「ふざ、けるなッ……! それは俺のセリフだッ……! 十年前、お前のせいで孤児院のみんなは死んだんだッ……! 俺は、絶対にお前を許さないッ……!」
「孤児院……十年前……『黒い月』……『黒い月光』…………………………あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
ゲイズはラグナの発した言葉を呟いた後、黙りこくる。だがすぐに目を大きく開き発狂したかのように雄叫びをあげた。そして咆哮を終えると今まで見たことも無いような憎悪を込めた目でこちらをジッと見つめて始める。
「お、思い出しましたよぉぉぉ〜……! あなたは、あなたはぁぁぁ~、十年前に襲ったあの孤児院にいたクソガキィィィ〜……!!!!!」
「……ようやく……思い出したか……」
「ええ、ええ、思い出しましたともぉぉぉ〜! ですが忘れていたのは僕のせいじゃない、あなたのせいなんですよぉぉぉ……! そう、僕には自分の名前を除いて十年以上前の記憶がほとんどない、なぜならぁぁぁ〜――」
ゲイズはローブを勢いよく脱ぎ捨てると、裸の上半身をラグナに見せつけた。
「ッ……!?」
ラグナは思わず息を飲んだ。なぜなら思考が一瞬止まるほどの、無数の痛々しい傷がその上半身に刻まれていたからである。加えて両腕は肩から指先まで機械の義手になっており、それらは肉体の損傷の酷さを物語っていた。
「酷いものでしょぉぉぉ〜? ズボンを履いているので見えないでしょうが、両足も義足なんですよぉぉぉ〜? さらに重傷だったのが頭部でしてねぇぇぇ〜、脳みその方も障害を負いましたぁぁぁ〜。その結果、僕は記憶と両腕、両足を失い、イモムシのような生活を送らざるを得なかったぁぁぁ〜――それもこれも全てあなたが『黒い月』の力を使ったせいだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ〜……!!!!!」
ゲイズは体中の酸素を全て吐きだすように、唾をまき散らしながらラグナに怒声を浴びせた。しかし肩で息をした後、すぐにいつもの気味の悪い笑顔に戻る。
「……でもねぇぇぇ〜、今はそれほどあなたを恨んではいないんですよぉぉぉ〜。当時は記憶がなかったのでわけもわからずどうして自分がこんな目に遭わなければいけないのかと全てを呪いましたがねぇぇぇ〜。でも今は違うぅぅぅ〜。こんな便利な体を手に入れることが出来たのはある意味あなたのおかげだぁぁぁ〜。そういう意味では感謝さえしていますよぉぉぉ〜」
「その割には……取り乱していたように見える、けどな……」
「ですから『それほど』と言ったでしょぉぉぉ〜? あくまでキレて飛びかかっていかない程度には自制できるという話ですよぉぉぉ〜。それに感謝しているということもまぎれもない事実なんですよぉぉぉ〜。なにせ今の僕は昔より確実に強いですからねぇぇぇ〜。そして体が壊れたおかげで『あのお方』に出会い生まれ変わることが出来たのだからぁぁぁ〜」
「『あのお方』……?」
「僕の命の恩人ですよぉぉぉ〜。あなたには関係の無い話ですがねぇぇぇ〜。さあ、それでは再開といきましょうかぁぁぁ〜。仕事ついでに僕の恨みも少しは晴らさせていただきましょうかねぇぇぇ〜」
「さっきから……恨み、恨みと……ふざけたことを言うなッ……! 元はと言えばお前のせいじゃないかッ……! お前が孤児院を襲ったせいでみんなは死んだんだッ!」
「確かに孤児院を襲ってシスターを殺したのは僕ですがぁぁぁ〜、クソガキさんたちが死んだのはぁぁぁ〜、本当に僕のせいですかねぇぇぇ〜?」
「ッ……!」
ニタニタと笑いながらゲイズが言い放った言葉はラグナを凍り付かせた。それは必死に目を逸らし続けた事実。だが狂人は容赦なく残酷な真実を突きつける。
「あの子供たちを殺したのはぁぁぁ〜、確実にぃぃぃ〜、間違いなくぅぅぅ〜――」
「やめろ……違う……そうじゃない……俺は……違……」
「――あなたじゃないですかぁぁぁ〜」
「……ッ!」
ゲイズの言葉と共にかつての記憶が蘇る。『黒い月光』を用いた『月光術』が教会や子供たちを飲み込み、全てを消したあの忌まわしい日の出来事。黒い闇に呑まれる直前に聞こえて来た子供たちの泣き叫ぶ声がラグナの思考を塗りつぶした。
「……違う……違うんだ……俺は……みんなを、助けようと……だけど……」
「キヒ、キャハハ、ヒャハハハハハハハハハァァァ〜! なんだ認めてるじゃないですかぁぁぁ〜、助けようとして殺してしまったってねぇぇぇ〜。これってなんて言うんでしたっけぇぇぇ〜、本末転倒、でしたっけぇぇぇ〜? でもこれじゃあ孤児院の子供たちも報われないですねぇぇぇ〜。なにせ共に育った家族に間違えてブチ殺されちゃったんですからねぇぇぇ〜。可哀想ですねぇぇぇ〜、ぶ、ぶふッ、アヒャヒャヒャヒャヒャ!」
「だ、黙れッ!!! だから俺はお前を倒すことで償いを――」
「償う事が出来ると本当に思っているのですかぁぁぁ〜? 僕を殺すことで贖う事が出来るとぉぉぉ〜?」
「ッ……!」
「ほぉら、答えはもう出ているじゃあないですかぁぁぁ〜。そうたとえどんなことをしようともあなたは許されないぃぃぃ〜。さあ、思い出しなさい、あなたが放った一撃で子供たちがどうなったのかをねぇぇぇ〜」
ゲイズの言葉によって記憶の奥底に封じていた最も残酷な映像が甦る。それは子供たちの肉体が黒い闇に呑まれ崩れていくという最悪の過去。必死に封じていたそれを思い出した瞬間――血にまみれた子供たちの幻影がラグナに囁きかけてきた。
『人殺し』
『どうして殺したの? 家族だったのに』
『痛い、痛いよ』
ラグナはそれを振り払うように頭を振る。
「……違う……違う……違うんだ……」
『何も違わない、お前のせいで死んだんだ』
「あ、あ……あ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!!」
それが見えた瞬間、ラグナは叫び、その心は均衡を失い、視界が遠のいていった。
「……………」
ラグナは力無く膝から崩れ落ちた。それを見たゲイズはさらに追撃を加える。
「ブフフゥゥゥ〜、ああ、そうだぁぁぁ〜。良いことを思いつきましたよぉぉぉ〜。ボクが子供たちの仇を討って差し上げますよぉぉぉ〜。彼らを殺した罪人を痛めつけることでねぇぇぇ〜。今度は僕がやってあげますよぉぉぉ〜」
そう言い放ったゲイズは座り込むラグナに近づくと、腹部を蹴り上げた。そしてそのまま休まず虫を踏み潰すように攻撃は続けられる。
「ほらほらぁぁぁ〜、しっかり苦しんでくださいよぉぉぉ〜! あなたに殺された子供たちの分までねぇぇぇ〜! キャハハハハハハハハハハハハハハハァァァ〜!」
決して急所は狙わず、ジワジワと嬲るように攻められる中、ラグナの胸にあったのは殺されるという恐怖ではなく虚無的な感情だけだった。
(……もう……いいか……悔しいけど、こいつの言う通りだ……俺がみんなを殺した……俺のせいでみんなが苦しんだ……これは事実だ……このまま俺だけのうのうと生きて行くなんて、やっぱり虫のいい話だったんだ……俺がどんなに頑張っても罪を償う事なんてできないのに……それならいっそここで……)
もはやラグナに抵抗の意思などなかった。それがわかったゲイズは攻撃をやめると数歩下がりリモコンに手をかける。
「さて、そろそろ終わりにしましょうかねぇぇぇ〜。僕の気も少しは晴れましたしぃぃぃ〜、遠隔装置の実験も十分できたことですしねぇぇぇ〜。それでは、最後はお友達にとどめを刺していただきましょうかぁぁぁ〜。その方が色々と面白そうですしねぇぇぇ〜。ディルムンドさんには試練が不合格だったと伝えておきましょうかねぇぇぇ~。ジュリアさん、リリスさん、可哀想な咎人のお友達に慈悲をくれてやってくださいぃぃぃ〜」
ゲイズがリモコンで指示を出すとジュリアとリリスが動き出す。バルディッシュと双剣を振りかぶった彼女たちを横目に、ラグナはブレイディアたちに心の中で謝罪した。
(すみませんブレイディアさん……俺は結局なんの役にも立ちませんでした……ジュリア、リリ……せっかく友達って言ってくれたのに……君たちを救うことができなかった……本当にごめん……)
目をつむり、断罪の刃が振り下ろされるのを静かに待つ。しかし攻撃は来なかった。その後、状況を知らせるように不愉快な奇声が耳に届く。
「……あれぇぇぇ〜、おかしいですねぇぇぇ〜」
不思議そうなゲイズの声を聞いてラグナは思わず目を開いた。そして驚きのあまり何度も目を瞬かせてしまう。
「ッ! ど、どうして……ジュリア、リリ」
なんとジュリアとリリスは剣を上空に構えたまま止まっていたのだ。いや、厳密には言えばそれは止まっているのとは違った。静止していたというよりは、必死に振り下ろすのを堪えていたという方が適切だろう。その証拠に二人の手はプルプルと震え、今にもラグナに剣を振り下ろしそうに見える。そんな状況の中、操作ミスでも疑ったのか、ゲイズは再びリモコンを操作するも、やはり二人は攻撃をしてこない。
「……どうなってるんですかねぇぇぇ〜。外部端末で操作できるように調整したせいでバグでも起こったんですかぁぁぁ〜?」
(……違う。バグなんかじゃない)
ラグナにはそう思う確信がなぜかあった。それは能面のように見えるジュリアとリリスの顔に浮かんだ脂汗と目の奥に宿った強い光が教えてくれたのかもしれない。
(ジュリアとリリは……戦ってるんだ。制御の効かない自分自身と……必死に……)
さらに二人の少女たちの目から流れた雫がラグナの心を打った。
(……涙……ッ!? ……くそッ、俺は、バカだ……二人は自分自身を操られるっていう絶望的な状況の中でも諦めず必死に抗っていたんだ。その強い意思がこうして『ルナシステム』の呪縛を打ち破った。それなのに、俺はどうだ……手も足も自由に動かせるって言うのに……敵の言葉に惑わされて、自分から戦うことを放棄した……楽な方に逃げようとした……なんて情けない……こんなことで終わるのか……終わっていいのか……)
かつて救えなかったシスターや子供たちの幻影がジュリアとリリスに重なった時、ラグナの眼に闘志が再び蘇る。
(……まだだ……まだ終われない……確かにあの時は守れなかった。俺のせいでみんなが死んだ。でも……だからこそ――今度は、今度こそは……助けるんだ!!! 友達をッ!!!)
ラグナは己の弱さを恥じると、過去の幻影を振り払い傷だらけの足に力を入れゆっくりと立ち上がった。そして混乱して頭を傾げるゲイズを見た。だがその瞳は今までの激情に駆られたものなどでは無く、とても静かで力強い光を放っていた。それに気づき、その眼を見た狂人は気に入らないといった様子で鼻を鳴らす。
「……なんですかぁぁぁ〜、その眼はぁぁぁ〜。違うでしょぉぉぉ〜、身内を殺した人でなしの目はもっと卑屈で歪んでなきゃいけないでしょうがぁぁぁ〜!!!」
「……認めたくないけどお前の言う通りだよ、ゲイズ。俺が、みんなを殺した。でもそれを認めるのが怖くて仕方が無かった。認めてしまえば、その罪からもう逃げられないと思った。だから憎しみの矛先をお前やこの左手の『月痕』に向けた。目を逸らすために。でも違ったんだ。たとえどれだけ苦しくても、この罪は俺のモノ。俺が背負っていかなければいけない。そして罪を認めたうえで俺が真っ先に向き合わなければいけなかったのは、お前でも、ましてやこの『黒い月痕』でもない――それは――自分自身だった」
「な、何を言って――」
うろたえるゲイズとは対照的に冷静になったラグナの右手の『銀月の月痕』から銀色の光が漏れ始める。それはまるで少年の変化に応えるかのようだった。
「……俺は人殺しだ。どう言いつくろってもこの事実は変わらない。どんなに否定しても過去は変えられない。けど――未来は変えられるはずだ。俺は変わらなきゃいけない。過去に囚われたただの人殺しじゃなく、せめて……誰かの役に立てる人殺しに」
静かに語り始めてからそのボロボロの体に淡い銀色の光が集まり始める。それは先ほど纏っていたものよりも強く、濃い光だった。それを自分で確認したラグナは自嘲するように薄く笑う。
「……先生の言う通りだったよ。俺の恐れが、覚悟の無さが『月光』の力を抑制していたんだな。そしてお前のような奴に付け入る隙を与えた。でも、もう迷わない――全て受け入れる」
ラグナが言った瞬間、身に纏った銀色の光は爆発的に増幅し銀色の大火となった。ゲイズは先ほどまでと違う少年の様子に気圧されながらも強がりながら挑発を続ける。
「……くく、アヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜! そうやって開き直って自分の中だけで解決して、それで終わりですかぁぁぁ〜? それで正義の味方気取りで戦うとぉぉぉ〜? いやはやとんだ偽善者だぁぁぁ〜! そんなことであなたの罪が全て無かったことに――」
「罪なら償うさ。全て終わらせた後でな」
「――な、んなぁぁぁッ!? ど、どうせ口だけでしょぉぉぉ〜!」
「……最初からそうしてればよかったんだ。でも勇気が無かった。捕まることもそうだけど、大切な人たちを殺した罪を受け入れて一生苦しみ続けることを思うと足が引けた。だけどそれじゃあいつまでたっても先に進めないってようやく気づけた。ある意味お前のおかげだよ、ゲイズ」
「ぐぐぐ、ぐぅぅぅッ……〜! ……そうですかぁぁぁ〜、こうなったらぁぁぁ〜!」
もはや精神攻撃が通じないことを悟ったゲイズは、悔しそうに歯を鳴らすとリモコンに付けられていた一際赤いボタンを押した。その途端、電流でも流されているかのようにジュリアとリリスの体が大きく痙攣し始める。その痙攣の後、二人はラグナから大きく距離を取るように後ろに跳んだ。
「クヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜! 遠隔起動装置の出力を最大にしましたよぉぉぉ〜! 正直壊れるかもしれないと思い使いませんでしたけどもう容赦はしないぃぃぃ~! これでもう抵抗は出来ないはずだぁぁぁ〜!!! さあ、ジュリアさん、リリスさん、武器を己の喉元に突きつけなさいぃぃぃ〜!!!!」
まだわずかに抵抗しているが、それも虚しくゲイズの指示に従うようにジュリアとリリスは『月錬機』を己の喉に向けてゆっくりと動かし始めた。
「アヒャヒャヒャヒャヒャァァァ〜! まだちょっと抵抗してるみたいですがどうしますぅぅぅ〜? この隙に『黒い月光』を呼び出しますかぁぁぁ〜? いや出来ないですよねぇぇぇ〜? 動画で見ましたけどあれは呼び出す余波が凄まじい、ここで呼べば彼女たちもろとも消し飛ばしちゃいますよねぇぇぇ〜? かといって普通の『月光』では到底間に合わない。さあ、それがわかったらさっきみたいに大人しくサンドバックに――」
ゲイズが言い終わる前にラグナは一瞬でジュリアとリリスの前に現れた。そして彼女たちの両腕を掴み自決を阻止したのだ。それは時間にして0・1秒あるかないかの刹那の瞬間だった。
「……は……?」
瞬間移動染みたそのスピードに面食らったのか、いつもの間延びした口調さえ忘れたゲイズはポカンと口を開けたまま固まったいた。それを無視するようにラグナは手に力を入れてジュリアとリリスの手から『月錬機』を落とさせた。そして感謝するように優しく語り掛ける。
「ジュリア、リリ、ありがとう。君たちの『戦い』を見せられて喝が入ったよ。もう大丈夫、俺も戦うから――自分自身と」
ラグナはそう言うとジュリアとリリスの腹部に拳を入れて気絶させた。そのまま倒れる彼女たちを抱きとめると足元に体を横たえた。それを終えると、脂汗をかいてさらに驚愕するゲイズを直視しながら足元に転がっていた自らの矮小な『月錬機』を拾い上げ仇敵に向けて構える。その瞬間、銀色の玩具に強烈な銀の光が吸い込まれていき形状が大きく変貌していった。そして、まるで羽化するかのように銀光のさなぎから出て来たのは細長い銀色の長剣。羽の意匠が刻まれた両刃の剣を携えながら少年は言う。
「ゲイズ、ここで全て終わらせる。お前との因縁もここで断ち切る」
「……クク、調子に乗らないでくださいよぉぉぉ〜。さっきは急にスピードが上がったからちょっと面食らいましたがねぇぇぇ〜、今はもう平気ですからぁぁぁ〜。確かに先ほどよりは速くなったみたいですがぁぁぁ〜、所詮通常の『月詠』レベルぅぅぅ〜。僕にとって脅威なのは『黒い月光』だけぇぇぇ〜。それにぃぃぃ〜――」
ゲイズは薄ら笑いを浮かべながら、寝そべるジュリアたちを指差した。
「人質がいなくなったとはいえそんなに近くにその娘たちがいたのでは『黒い月光』は使えないぃぃぃ〜。しかも動き回ればその娘たちを再び奪い返されるかもしれないぃぃぃ〜。よって貴方はそこから動けないぃぃぃ〜。貴方の劣勢は変わらないぃぃぃ〜。そうでしょぉぉぉ〜? どう考えても詰んでますよねぇぇぇ〜」
「…………」
その問いに対して身をもって応えるべくラグナは無言で地面を蹴ると一瞬でゲイズの間合いを侵略し、片手で剣を軽く振った。瞬間、鋼鉄の腕は宙を舞う。狂人が右腕を失ったという現実を認識したのはそのすぐ後だった、恐怖で顔を歪め無意識からなのか赤い月光を身に纏い大きく後方に跳んだ。
「……ば、ば、バカなぁぁぁ~……き、斬られたぁぁぁ~……ぼ、僕の腕がぁぁぁ~……」
恐れおののくゲイズに対しラグナは静かに告げる。
「黒い月光は使わない。使う必要が無い。ジュリアたちにも手は出させない。もう二度と」
「ぐ、ぐぐぐぅぅぅ~!!! な、なめるなぁぁぁ~!!! わざと腕だけ狙ってボクをビビらせようとしたんでしょうがねぇぇぇ~、今ので僕を殺さなかったことを後悔――」
「違う」
「……へ……?」
「さっきはお前の首を狙った。けどうまくいかなかった。腕を斬ったのは偶然だ。銀色の月光の力にまだ体が慣れていないんだ。黒い月光とは勝手がずいぶん違う。これが通常の『月光』なんだな。ジュリアたちを気絶させた時は奇跡的にうまくいったけど――次は自分の意思でうまくやる」
「…………ッ!!??」
サンドバック程度にしか思っていなかった相手から発せられる静かな殺意にゲイズの顔が恐怖に歪む。人殺しを認めた咎人は再び地面を蹴るとそのままの勢いで間合いを詰め、仇の顔面に痛烈な蹴りを見舞った。のけ反りながら吹き飛ぶ狂人に対してラグナは間を空けず怒涛の攻撃を浴びせる。
拳による殴打、肘打ち、回し蹴り、掌底打ち、膝蹴りをゲイズが吹き飛ぶたびに反対側に一瞬で回り込み行い続け、最後はその体を両断するべく両手で剣を振り上げると勢いよく振り下ろした。しかし狙いが逸れたのか、斬られたのは残った左腕の手首だけ。剣はそのまま地面に大きな裂傷を刻み、ズタボロになった新しいサンドバックはその衝撃で壁に激突する。腕を失ったことにより『月光』を呼びだせなくなったのか、赤い光も完全に消失した。その様子を見てラグナはため息をつく。
「……やっぱり難しいな。憎い奴が相手だとどうしても力んでしまう。冷静ではいられない」
倒れた状態から四つん這いとはいえ態勢を立て直したゲイズは戦慄していた。
(ま、まるで反応できないぃぃぃ~……く、黒い月光を使っていないというのにぃぃぃ~……ば、化け物ですか、アイツはぁぁぁ~………こ、このままでは間違いなく殺されるぅぅぅ~……どうにかしなければぁぁぁ~)
ゲイズは最初に持って来ていたアタッシュケースをちらりと見て歯を食いしばる。
(……もはや背に腹は代えられないですねぇぇぇ~。仕方ない、『アレ』を使いますかぁぁぁ~)
ゲイズは息を整えながら再びこちらに向かって剣を向け始めたラグナに向かって手首の無くなった左腕を向けた。そして次の瞬間、人工の腕がロケットのように発射される。凄まじい速度で発射された腕だったが銀色の剣によってなんなく切り裂かれる。
だがゲイズの狙いは別にあった――なんと剣で両断された腕から赤い煙のようなものが発生し始めたのだ。煙は急速に訓練場を包み始め、ラグナは顔色を変える。
「……煙幕ッ!? ッ! ジュリア、リリッ!!!」
(よ~し、狙い通りの反応ですねぇぇぇ~)
ゲイズの読み通り、煙幕によるかく乱からのジュリアたちの奪還を警戒したラグナは急いで彼女たちの元に向かった。その隙に煙に紛れてアタッシュケースの元に走る。そしてたどり着くとアタッシュケースを口を使って器用に開け、中にあるモノを取り出した。その時にはもう煙は訓練場を全て包み込んでいた。
ジュリアたちの無事を確認したラグナだったが、気を抜かず彼女たちを背後にかばいながら周囲に全神経を集中させて警戒態勢を取っていた。
(……大丈夫、毒ガスの類じゃない。ただの目くらましだ。第一毒ガスならゲイズだってタダでは済まないだろう。でも何の意味が、こんなものただの時間稼ぎにしかならない。まさか……逃げる気か……)
ディルムンドに助けを求めるのではないかと一瞬思ったラグナだったが、杞憂に終わる。煙を検知した訓練場の警備システムによって警報と共に換気を開始し、瞬く間に煙幕は消え失せると同時にゲイズが姿を現したのだ。しかしそこにいたのは先ほどまでのゲイズではなかった。
(……斬り落とした腕が再生してる…………いや、そうじゃない…………そうか、あのアタッシュケース……腕を付け替えたのか……)
開かれたアタッシュケースとゲイズの両腕をラグナは凝視する。スペアの腕なのか、先ほどまで使っていた義手と大差なかった。そんな中、狂人が話しかけて来た。
「さて、お待たせしましたねぇぇぇ~。これを付け変えるのに時間がかかってしまったんですよぉぉぉ~。それと、謝罪しておきますよぉぉぉ~。貴方を舐め切っていたことをねぇぇぇ~。黒い月光を使わずとも貴方は強いぃぃぃ~。そして、そんな強い貴方に提案があるんですがぁぁぁ~」
「……提案……?」
「ええ、ええ、そうですぅぅぅ~。僕と勝負していただきたいんですよぉぉぉ~。僕は貴方より遥かに弱いんですぅぅぅ~。だから普通に戦ってもきっと勝負になんてならないと思うんですよねぇぇぇ~。貴方だって曲がりなりにも騎士を目指す者、弱い者いじめなんてしたくないでしょぉぉぉ~? そこで、ルールを決めて戦って欲しいなって思うんですぅぅぅ~。強い、強~い貴方の使う『月光術』と僕の腕の反射能力、果たしてどちらが強いのかぁぁぁ~、みたいなやつですよぉぉぉ~。貴方の撃った『月光術』を反射できれば僕の勝ちぃぃぃ、出来なければ貴方の勝ちぃぃぃ~。みたいなやつです、どうですかぁぁぁ~」
「…………」
無言で考え始めたラグナを見てゲイズは内心ほくそ笑んでいた。
(……ククク……僕にとって都合がよすぎるこんな提案受け入れられない事くらい最初からわかってますよぉぉぉ~。おそらく奴は提案を無視して先ほどと同じように接近戦を挑んでくるはずぅぅぅ~。先ほどはまるで勝負になりませんでしたもんねぇぇぇ~。加えて今の提案がダメ押しになったはずですしねぇぇぇ~。今奴はこう思っているはず――『ゲイズは自分の動きにもうついて来れないんだ』ってねぇぇぇ~。ですがぁぁぁ~、それは盛大な勘違いぃぃぃ~)
ゲイズはちらりと自分の腕を見やった。
(一見すると先ほど斬り落とされた腕と大差ないですがぁぁぁ~、それは大きな間違いぃぃぃ~。この腕の出力は先ほどの五倍以上、さらに装着者の身体能力や動体視力、反射神経、肉体強度を大幅に増幅する機能が付いていますからねぇぇぇ~。ハロルドの遺産の中でもまさに最高クラスの一品。ククク、ゆえに僕は先ほどまでとはまるで別人。ただし……その凄まじい能力の代償として使用者は着けているだけで寿命が縮むような負荷を受けるんですけどねぇぇぇ~。使いたくなんてなかったのにぃぃぃ~、保険として一応持って来てたこれを使う羽目になるとはねぇぇぇ~)
心の中で舌打ちしたゲイズはラグナに視線を戻した。
(……まあ、いいですよぉぉぉ~。短期決戦で終わらせればいいだけの話ぃぃぃ~。さあ、提案を断るなり、無視してさっさとかかってきなさいよぉぉぉ~。動きについて来れないと勘違いして慢心しているそのおバカな脳みそを粉々に粉砕して勝負を決めて――)
「わかった」
「……は……?」
「その提案を受ける」
ラグナの答えを聞いたゲイズは数秒固まったが、直後プルプルと震えながら狂気の笑顔を見せる。
「…………あ、ありがとうございますぅぅぅ~…………」
青筋を浮かべながら表面ではお礼を言ったゲイズだったが――。
(ぐ、ぐうううううううううううううううううッ!!!! ガキ、ガキ、ガキガキガキガキガキガキクソガキぃぃぃ~ッ!!!!!! どこまで僕を舐めれば気が済むんですかねぇぇぇ~!!!!)
――内心では激しくラグナに毒づき、憎悪を燃やした。しかしすぐに冷静になる。
(……いいですよぉぉぉ~。そっちがその気なら受けて立ちましょぉぉぉ~。この腕は反射能力も強化されていますからねぇぇぇ~。あらゆる『月光術』を吸収し、三倍以上の力を上乗せさせて反射させることが出来るんですからぁぁぁ~)
ゲイズは片手をラグナに向けて言い放つ。
「じゃあ――始めましょうかぁぁぁ~」
そして心の中で再び罵倒する。
(調子に乗って提案に乗ったおバカな自分を恨みながら死になさいぃぃぃ~。まだ接近戦の方が勝ち目がありましたよあな……た……え……?)
だがラグナの異変に気付き、思わず目を見開く。先ほど纏っていた大火のような『月光』さらに膨れ上がったのだ。急速に広がった銀の光は少年を中心にとうとう訓練場の五分の一を覆うほどになった。それを見たゲイズは体を震わせながら取り乱す。
「ば、バカなッ!? こ、こんな、こん……な馬鹿げた『月光』の量……が……」
ゲイズは混乱しながらもラグナの言っていた『まだ慣れていない』という言葉を思い出す。その瞬間納得した。それは手加減していたというよりも、準備運動に近いものだったのだろう。
(……そうか……慣れるまで……全力を出さずにいたということですかぁぁぁ~……ククク……)
ゲイズは不気味に笑いながら大きく口を開ける。
「アヒャヒャヒャヒャ~!!! いいでしょうかかってきなさいぃぃぃ~!!! 完膚なきまでに叩き潰して差し上げますよぉぉぉ~!!!!!」
「――行くぞゲイズ――〈アル・グロウ〉」
銀の剣を振り上げたラグナが術を唱えると、切っ先に『月光』が集中し振り下ろされると同時に銀色の光弾がゲイズ目がけて放たれた。肥大化した銀色の玉は床を破壊しながら高速で迫ってくる。
(……なって巨大な『月光術』……スピードも凄まじい……避けることは不可能でしょうねぇぇぇ~。仮に避けられても爆発の衝撃波でお陀仏でしょぉぉぉ~。ククク~、アヒャヒャヒャヒャヒャ~!!!!)
ゲイズは覚悟を決め叫んだ。
「避けられないなら受け止めるまでですよぉぉぉ~!!!! 過去の清算がしたいのはお前だけじゃないッ!!!! ここでお前を殺してあの惨めったらしい記憶に終止符を打ちますよぉぉぉぉ~!!!!」
高速で放たれたそれを吸収させようと両手を突き出したゲイズは、受け止めると同時に苦悶表情を浮かべる。だがそれも無理は無い。なぜならラグナの放った『月光術』は小型の太陽と呼んでも差し支えない巨大さを誇っていたのだ。それは最初にラグナが撃った術の十倍以上の大きさである。
「ぐぅぅぅ、ぐォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ〜!!!!!」
さすがに直径十メートル近い銀色の光球を吸収することは容易ではないらしく、ゲイズは恥も外聞も無く叫ぶ。赤い月光を呼び出し身に纏いながら両腕をカギ爪状に変化させ銀色の太陽を吸収しようとさえした。だがそれでも抑えきれないらしく義手は煙をあげ、さらに回路のオーバーヒートを示すように義手の周囲に電流が走り始める。
「バ、バカな――こ、こんな――こんなことがぁぁぁぁぁぁぁぁ〜!!?? ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁ〜!!!!!!」
絶叫と共に吸収許容量を超えた義手は破裂し、銀色の光弾はその肉体を飲み込むと爆発した。やがて爆発が収まったが、その威力と衝撃によって瀕死の狂人は数メートル先にあった壁に叩き付けられる。機械の両腕を失い、鋼鉄の足はもげていた。それはまるで十年前に彼自身が負った怪我そのものと言える。そして皮膚は破れ血みどろになりながらもゲイズはうわ言のようにつぶやく。
「……は……話が……違うじゃ……ないです、かぁぁぁ〜……ありと……あらゆる『月光術』を跳ね返せると……貴方は言ったのにぃぃぃ〜……こんな……こんな……こん……な最後……い、や……だ……」
目を見開いたまま絶望と苦悶の表情を浮かべ、ゲイズは絶命した。それを見届けたラグナは目を伏せると『月錬機』を箱状に戻してホルスターにしまう。直後館内放送が響く。
『素晴らしいよラグナ君。期待以上だった。少々時間はかかったようだが左手の力を使わずにゲイズを葬るとはね。人質を取られた程度でやられるとは思っていなかったが、やはり君は特別だったようだ。私の眼に狂いはなかったよ。先に進むといい。私は第三訓練場にいる。ブレイディアも一緒だ。安心してくれ、大勢で待ち構えていたりはしないさ。そもそもこの騎士団本部には君を含めて数人しかいないからね。とにかく第三訓練場で会おうじゃないか――君とはゆっくり話がしたいからね』
放送が切れるとラグナは横たわるジュリアとリリスの呼吸を調べる。
(……二人ともちゃんと呼吸はしてる。見た感じ外傷も無い。気絶してるだけみたいだ。よかった)
安心したラグナは『銀月の月光』を纏いジュリアとリリスを両肩で担ぐと、デバイスの地図を見ながら医療ルームを探し部屋に入った。そして寝台に二人を寝かせた。
(……正直に言ってここに置き去りにするのは相当危険だ。またさらわれて人質になる可能性がある。けどおそらくどこに隠しても見つかってしまうだろう。かといって連れて行くわけにもいかない。たぶんこの先はもっと危険な戦場になる。だから、また二人が洗脳される前に俺が『ルナシステム』を破壊する。これしか方法は無い)
決意を新たにしたラグナは寝息を立てる二人を見つめる。
「ごめん、二人とも。すぐに戻るから、待ってて欲しい」
ラグナは謝ると医療ルームを後にした、向かう先は当然第三訓練場。全てにケリをつけるために全力で駆け抜ける。