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5話 狂った科学者

 驚きも冷めやらぬうちに、ラグナはほとんど反射的に車椅子に座り、首にマフラーを巻き、白衣を着た少女のような外見の女性と黒いフルフェイスのヘルメットをかぶったメイドの元に駆け出していた。そしてたどり着くとゆっくりと口を開く。


「せ、先生。お、俺です! ラグナです! メイドロボットさんにも久しぶりに会ったけど壊れたりしてなくてよかった! そうだ、それより、い、今までどこに行ってたんですかッ!? 三年前に何も言わず手紙だけ残して突然いなくなって、納得できずに俺ずっと先生のことを探したんですよ! というかどうしてここにッ!?」


 車椅子の少女と顔が見えない黒塗りのヘルメットをかぶりメイド服を着たアンドロイド、それはいなくなった日から変わらぬ姿だった、だが――。


「…………」


 もともと喋らないアンドロイドはともかくラグナの呼びかけに車椅子の女性は何の反応も見せず、黙して何も語らない。


「あ、あの……先生……? ランスロー先生、ですよね……?」


「……いや、すまなイ。君の登場は少々予想外だったのでネ。少々面食らってしまっター―言葉を返すのが遅れたネ。久しぶりだラグナ」


「は、はい――――また会えて……本当によかった」


 涙ぐんだ声でラグナが言うと、ランスロ―は当然の疑問を口にする。


「……だガ……どうしてラグナがここにいるんだイ……? 説明してくれブレイディア」


「えーっとね、実は色々あってさ――」


 ブレイディアはラグナと出会った経緯や『黒い月』や『黒い月光』の事も含めてこれまでの出来事を簡潔に説明した。ランスローはそれを聞き終わると盛大にため息をつく。


「――なるほどネ。神のイタズラとでも言うべき偶然だナ……よりにもよってこんな時にこの街に来てしまうとはネ……しかも事件の渦中に入り込んでしまうとハ……」


「す、すみません先生……」


「いヤ……君が謝ることではないサ。これも運命なのかもしれないしネ」


「え……? 運命ってどういう――」


 なぜ運命などという言葉が出て来るのか聞き返そうとしたラグナをの声を遮りブレイディアが喋り始める。


「にしても私もビックリしたよ! いやーでもまさか二人が知り合いだったなんて思わなかったな。それにラグナ君が探していた育ての親がランだったなんて。凄い偶然。後でちゃんと紹介しようと思ってたけどその必要はなさそうだね」


「紹介、ですか? ……そういえばなんで先生がブレイディアさんのアジトに……」


「それはね、ラン――ランスロ―がさっき話した私の仲間だからだよ」


「……え? ……えええええええええええええええええええええええッ!?」


 ラグナの驚愕の声が部屋中に響き渡った。


「せ、先生がブレイディアさんたちの仲間って……ど、どういうことなんですか……?」


「そっか、ラグナ君はずっとランの行方を追ってたんだもんね。それじゃあ彼女がここいいる経緯を説明するよ。ランはね、三年前にこの街に突然やって来たんだけど、やってきてすぐに騎士団の技術部に自分の発明や技術を売り込んだんだって。それでその腕を見込まれて採用されたんだけど、採用した人ですら驚くほど優秀だったみたいでね。今では騎士団の技術部門の最高責任者を任されてるんだ」


「先生が最高責任者……」


「うん。で、私を除けばここの騎士団でディルムンドに洗脳されていない最後の一人。ってそうだ! ラン、大発見だよ! ディルムンドの力を強化してる物の正体がわかったかもしれない! なんか『ルナシステム』って言うらしいよ! ゲイズがラグナ君相手に口を滑らせたみたい! 名前からして機械みたいだけど、この情報で何かわからないかな?」


「…………」


 ブレイディアが『ルナシステム』という単語を出した途端、ランスロ―の動きがなぜか止まる。


「ちょっとラン、聞いてる?」


「……ああ、すまないネ。ずっと探していた情報があっさり手に入ったことに驚いてしまったんダ。しかしラグナ相手に気を緩めていたのだろうが、そんな重要な情報を漏らすとは愚かだネ。確か『ルナシステム』だったかナ? 今調べるよ」


 ブレイディアの呼びかけにようやく反応したランスロ―はメイドロボットに車椅子を押させて、左側の研究スペースに向かった。ラグナ達もそれを追うように後に続く。


 巨大なモニターに電源が入ると同時に、凄まじい速度でキーボードを指で叩きだしたランスロ―によって一人の女性の写真が画面に映し出される。ダークグレーのスーツの上から白衣を着たその女性は研究者のような格好をしていたが、顔だけ見れば着ている服に反してまだ年若い女性であった。淡いオレンジ色の長髪に、色白の肌、四角い縁なし眼鏡をかけたその少女にラグナとブレイディアが注目していると。車椅子から声が響く。


「ヒットしたヨ。騎士団のデータベースに残っていたファイルによると『ルナシステム』という機械を作り出したのはこの女だ。名前はハロルド・エヴァンス」


「ハロルド・エヴァンス……確か十七年前に死んだ科学者だよね」


「俺も知ってます。色んな意味で凄い有名な人ですよね。ニ十歳という若さで『月詠』や『セカンドムーン』に関連する論文を数多く発表して『月光科学』の第一人者になったとてつもない天才って本に書いてありました。多くの『月詠』が使用している『月錬機』も彼女の発明品なんですよね。でも……」


 ラグナが口を濁すとブレイディアが代わりに口を開く。


「そう――十七年前に『月光石』を人為的に作り出す実験をした結果、アルロンという町一つを巻き込む大爆発を引き起こして自分もろとも大勢の人を殺してしまった大罪人でもある」


「『アルロンの悲劇』って言われて今も語り継がれてますよね……けど確かその実験自体は失敗ではなかったんですよね……?」


「うん。ハロルドの実験は確かに大勢の人を殺した。けどラグナ君の言う通り、その実験自体は失敗だったわけじゃないの。事実、消し飛ばされた町の残骸からおびただしいほどの『月光石』が発見されたらしいよ。そしてその『月光石』は私たちが当たり前のように使ってる機械の動力として組み込まれている。売られてる本とかには書かれてないけど、この国が急速に発展したのは十七年前の実験以降なんだよ。つまり現在の私たちの繁栄は彼女のおかげでもあると言えるわけだね。皮肉としか言いようがないけど」


「ああ、まったくダ。そしてその『月光石』を作り出すために使われたのが『ルナシステム』という機械らしいヨ」


「えッ!? マジでッ!? そこまでは知らなかったよ……」


「いや、知らないのも無理はなイ。最高機密の情報のようダ。ハッキングしなければアクセス出来なかったヨ」


 ランスロ―が再びキーボードを素早く叩く。するとモニターに映し出された映像がハロルドの写真から何かの設計図に切り替わる。巨大な黒い台座の上に乗ったこれまた巨大な黒い球体が映しだされた。


「この設計図の機械が『ルナシステム』ダ。大きさは全長二十メートルほどらしイ」


 モニターの画像を見てラグナは思わず呟いてしまう。


「二十メートル……結構大きいんですね。これが『ルナシステム』……でもこれは『月光石』を人為的に作り出すための機械なんですよね? それがどうしてディルムンド様の能力を増大させているんですか?」


「君も知っているとは思うが『月光術』というものは使用する『月光』の量によって性能が大きく変わル。多ければ多いほど能力が向上するわけダ。だが通常『月詠』が呼び出せる『月光』の量には限界があル。だから『月光術』の威力にも限度があるわけサ。しかしこの設計図に描かれている記述によるとこの『ルナシステム』というものは『月光』を無限に呼び出すことが出来るらしいんダ」


 ラグナはその説明を聞き思わず顔を引きつらせた。


「『月光』を無限に呼び出せる……そんな馬鹿げた代物が……」


「千年の時間をかけて自然に作られる『月光石』なんていうエネルギーの塊を短時間で作り出すためにはそれくらい馬鹿げた機械が必要だったんだろうネ。つまりディルムンドは『ルナシステム』によって呼び出した大量の『月光』を何らかの方法で使用して能力を底上げさせているのではないかとボクは考えていル。まあ仮設に過ぎないがネ」


 そこまで言って言葉を区切ったランスローは設計図から目を離すと、ラグナ達の方へと視線を移した。


「さて、敵の力の正体がこれでわかったわけだガ、これからどうすル?」


「ラン、この『ルナシステム』を止める方法は?」


「普通に壊せばいイ。ディルムンドに莫大な『月光』を供給している『ルナシステム』を破壊できれば、奴の力は弱体化し、操られている者たちは正気に戻るだろウ」


「そっか……じゃあ壊しに行きますか」


「壊しに行きますかって……え!? ブレイディアさんたちは『ルナシステム』がある場所がわかってるんですかッ!?」


「そんな大きな機械を置ける場所は限られてるからね。場所はおおよそ見当がつくよ。たぶん騎士団本部にあると思う」


「ボクも同意見ダ。あそこならばシステムのメンテナンスも十分に受けられるうえ外部からの攻撃にも備えやすイ。大切な物を隠すならばおあつらえ向きダ。それに洗脳済みの騎士たちが山ほどいるだろうからネ」


(……騎士団本部……もしかして試験が急に筆記から実技に変わったのって、ドラゴンの性能テストをするためだけじゃなくて、受験生たちを『ルナシステム』のある騎士団本部に入れたくなかったからなのかもしれない……)

 

 ラグナが考えているとブレイディアのため息まじりの声が響いて来た。


「そういえば騎士団が乗っ取られる前にディルムンドが本部で新しい設備の建設を極秘で進めてるって噂を聞いたことがあったよ。そんな噂気にもとめてなかったけど……多分それが『ルナシステム』だったんだと思う……さて、これで行動方針は決まったわけだけど……ラグナ君、私たちは騎士団本部に奇襲を仕掛けて『ルナシステム』を破壊する。それで君はどうする……? 最初に言っておくけど、騎士採用試験を受けていたとはいえ、まだ君は民間人。今の話を聞いたからってこの国のために戦う必要なんてない。だからそれを踏まえたうえで決めて。どんな選択でも私たちはそれを尊重するからさ」


 ブレイディアの口調は優しく、たとえここで逃げると言ったとしても彼女は快く承諾してくれるとラグナに思わせた。


(……奇襲作戦……敵の数や能力を考えると成功する確率はほとんど無い。ブレイディアさんたちもその事は重々承知のはず。でもやらざるを得ない状況に追い込まれてるんだ。敵には歴戦の騎士に加えて、ドラゴンまでいる……俺の右手の『銀月の月痕』から呼べる銀色の月光はほとんど戦力にならない。それに黒い月光の力は未だに不安定、今回はなんとか使えたけどまた昔みたいにいつ暴走してもおかしくない……俺の存在がかえってブレイディアさんたちの足を引っ張る可能性がある…………でも…………)


 ラグナはジュリアたちの笑顔やかつて読んで憧れを抱いた『銀月のヴァルファレス』の本の内容を思い出す。誰もが倒せないと思っていた最強の悪魔――クロウツという怪物に立ち向かっていった英雄の姿を思い出したのだ。そして絶望的な状況の中で唇を噛んだ後、決断を下した。


「……俺も連れて行ってください」


「……いいの? ……下手したら死ぬかもしれないよ? 敵の戦力は未知数……それに……君一人だったら黒い月光の力でこの国から逃げられるかもしれない」


「このままさらわれたジュリアたちを放ってはおけません。それに……自分でも何が出来るかわかりませんが、ブレイディアさんや先生の力になりたいんです。もしかしたら俺の力が何かの役に立つかもしれない。だから、お願いします!」


「……最後に一つだけ聞かせて。ラグナ君、君はこの選択に後悔しない……?」


「……正直わかりません。でも――やらないで後悔するより、やって後悔したい――俺も貴方と同じなんです、ブレイディアさん」


 ラグナの意思のこもった眼差しを受けたブレイディアは表情を柔らかくした。


「……そっか、うん。そうだったね。ま、正直私たちだけじゃ厳しかったし。君の申し出はとってもありがたいよ。ランもいいよね?」


「まったク……元保護者としては反対したいところだガ……こういう時のラグナはてこでも動かないからネ。仕方なイ」


「ありがとうございます! 足手まといにならないように精一杯頑張ります!」


 ラグナの言葉を聞いた後、ブレイディアとランスロ―は向かい合う。


「じゃあ決まりだね。作戦の決行は明日にしよう。ディルムンドがこれ以上戦力を増やす前に早めに決めた方がいいと思うからさ。さて、それまではどうしよっか?」


「君たちは体を休めた方がいイ。今日一日戦いっぱなしだったろウ? ボクは明日までにもう少し『ルナシステム』について調べてみるヨ」


「そう? じゃあそうさせてもらおっかな。行こうラグナ君。あっちの部屋に寝室があるんだ。ゆっくり寝られるよ」


 ブレイディアが指差した場所はランスロ―が入ってきた扉だった。どうやらあの先に寝室があるらしい。だがすぐに向かう気にはなれなかった。


「……すみませんブレイディアさん。先に行っててもらえますか? 先生ともうちょっと話がしたくて……」


「あ、そっか。久しぶりに会ったんだもんね。積もる話も色々あるか。じゃあ私は先に行ってるよ。ラグナ君の寝室は廊下を出て右側にある右から三番目の扉だから」


「はい、ありがとうございます」


 そう言うとブレイディアは扉の奥に消えた。そして残されたのは二人と一体のメイドロボット。しばらくはキーボードを打つ音のみが場に響いていたが、ラグナが沈黙を破るべく口を開く。


「……あの、先生……教えてください。どうして俺の前から突然いなくなったんですか? なにも言わずメモだけ残して……」


「……自分の研究成果を世間に披露したくなったのサ。だから生活に必要な資金と書置きだけを残し君の前から姿を消したわけダ。無責任にもほどがあると自分でも思っているヨ。……ラグナ、逆に聞きたいのだが君はボクのことを恨んではいないのかイ? 子供だった君を放り出して自分を優先したボクは保護者失格ダ。再会した時には罵倒されることも覚悟していたのだがネ」


「そんな、恨むなんてありえません! こんな得体の知れない俺の事を拾って育ててくれた先生にはとても感謝してます。ただ、突然貴方が姿を消したことに対しては、書置きの内容だけではどうしても納得できなくて……」


「本当に申し訳ないことをしたと思っているヨ。しかし君が納得しようがしまいがボクは自分のために君を捨てタ。それだけだヨ」


「…………」


 ラグナは悲しそうに目を伏せた。十秒ほどキーボードを叩く音だけが再び響くも、不意にその音が止まる。そのことに気づき、ランスロ―の方を向くと琥珀色の瞳と目が合う。


「……それより今さっきブレイディアから聞いた話だと『黒い月光』の力が抑えられなくなってきているらしいじゃないカ。だがそれに関してはそれほど悩むことでもないヨ。そもそも『月光』を呼び出したいその衝動自体は『月詠』なら誰しもが持っているものダ」


「え、そうなんですかッ!?」


「ああ、『月詠』特有の生理現象みたいなものサ。人や動物が酸素を欲するように『月詠』の肉体は『月光』を常に必要としているんダ。だから『月詠』は『月光』を纏わずにはいられなイ。それは君の肉体も例外ではないのだヨ。まあ君の場合は持っている『月痕』が他の者とは比べ物にならないほど強力だから、衝動も類を見ないほど強烈なのだろうガ」


 ランスロ―の視線はラグナの左手の甲に向けられていた。


「……なんとかする方法はないんでしょうか? このままだとまた……」


 幼き日の惨劇がラグナの脳にフラッシュバックし、体を震わせた。


「一番いいのは君がその力を受け入れて己のモノとすることだガ……」


「俺もそうしたいのは山々なんですが……強力すぎてとても俺の手には負えません……」


「まあそうだろうネ。おとぎ話に出てくる伝説の黒い光――数多の軍勢を薙ぎ払い世界を崩壊寸前まで追いやった呪われし力。言い方はいろいろあるがとにかく君の持つその力は普通の『月光』とは別格のものダ。そう易々と使いこなせる代物ではないのだろウ。しかし、君が『黒い月光』を使いこなせない理由は強力な力うんぬん以前に別の要因があるとボクは見ていル」


「別の要因、ですか?」


「そうダ。ところで話は変わるが、君、右手の『銀月の月痕』からまともな『月光』を呼び出せるようにはなったのかイ? 昔は出来ていなかったガ」


「いえ、今日まで練習はしたんですが……」


「……これはあくまで仮説なのだガ……君が『黒い月光』を使いこなせないということや右手の『月痕』からまともな『月光』を呼び出せない理由、これらは相互に関係しているとボクは考えていル。簡単に言えば君の精神的な問題だよラグナ」


「精神的な……問題……ですか?」


「あア。君は心の奥底で『月光』そのものを嫌い、恐れているんじゃないカ?」


「そんなことは……」


「無いと言い切れるかイ?」


「…………」


 ラグナは断言できなかった、なぜならば『月光』を嫌い、恐れる理由があったからだ。ランスローはそのことを見越していたかのように話し続ける。


「『月詠』の力は精神面に大きく依存すル。喜怒哀楽が呼び出す『月光』の量にそのまま影響するんダ。怒りや憎しみなどによって通常よりも多くの『月光』を呼び出せることもあれば、悲しみや恐れによって呼び出す『月光』の量が減ったりもすル。他にも感情によって『月光術』の威力が上がったり、力の制御に失敗して暴発してしまったなどという話も聞いたことがあル。つまりは心のありようによって『月詠』は力を制御しているんダ」


「……先生の言いたいこと、なんとなくわかりました。俺が『月詠』としての力を使いこなせないのは……昔のことが関係してるってことですね」


「そうダ。かつての事件によって君は無意識下で『月光』を嫌い、恐れているわけダ。だが精神的に『月光』を拒否している反面、君の肉体は『月光』を欲していル。そんなアンバランスな状態が右手の『月光』をまともに呼び出せない理由、ひいては左手の『黒い月光』を呼び出したいという強烈な衝動につながっているとボクは見ていル。君がかつてのトラウマを乗り越えない限り『月詠』として生きて行くことは難しいだろウ」


「トラウマを乗り越える……そんなこと、出来るでしょうか?」


「君しだいダ。冷たいことを言うようだが、他人には手助けしようがないヨ。己と、過去の罪と向き合い戦うこと、それが力を制御するための近道ダ」


(過去の罪と向き合う……そんなこと、俺に出来るだろうか……?)


 ラグナは目をつむり過去の事件を思い出そうとした、しかし全てが消え失せた瞬間が脳裏をよぎると呼吸が荒くなり、全身から汗が噴き出した。苦しみに満ちた時間が続いていると、不意に車椅子の車輪の音が響く。


「ラグナ、ついてきなさイ」


「え、先生……?」


 突然メイドロボットに車椅子を押させたランスロ―はブレイディアが入っていった扉に向かい、ラグナも急いで後を追う。扉に入ると、長い廊下に出た。廊下には左右ともに間隔を空けて十枚以上の扉が取り付けられていたが、右から五番目の扉に誘導される。中に入るとたくさんのビーカーと機械に出迎えられ面食らってしまう。


「先生、ここは……?」


「ボクの研究室の一つダ。君に渡したいものがあってネ」


 ランスロ―はそういうと部屋の奥に進み、ラグナも無言でついて行った。少し進むと、ビーカーの中でも一際大きい二つのビーカーの前にたどり着く。十メートル近い二つのビーカーの中は緑色の液体のようなもので満たされており、その中心にはそれぞれ黒と白の二つの腕輪が入れられていた。


「もしかしてこの腕輪が俺に渡したいものなんですか?」


「ああ、そうダ。少し待っていてくレ」


 ランスロ―の指示を受けたらしいメイドロボットがビーカーのそばにあった機械を操作すると、緑色の液体が排出されていった。すべての液体がなくなると、ビーカーの底が抜けて白い腕輪が機械の取り出し口のような場所に移動した。腕輪を取り出したメイドロボットはラグナの元にやってくると、白銀の腕輪を差し出した。


「先生、この腕輪はなんなんですか?」


「私の研究成果の一つだヨ。君に再会した時に渡そうと決めていたものでネ。これは『月詠』が発動する『月光術』を吸収し、抑制する機械ダ。腕輪をつけて使用者が念じることで『月光術』の威力を抑制しコントロールすることが出来る」


「そ、それじゃあ……」


「そうダ。暴走する君の『黒い月光術』の力を抑えることが出来るかもしれなイ」


「ほ、本当ですかッ!? すごい! これがあれば『黒い月光術』の力を抑えることができるんですね! やった、これさえあれば俺は――」


「喜ぶのはまだ早いヨ。それはあくまでまだ実験段階のモノなんダ。理論的には『月光術』を抑えられるようになってはいるが君の『黒い月光』に対して普通の『月光』と同じように効果を発揮できるかはまだわからない。なにせ君の『黒い月光』は呼び出しただけで地面に大穴をあけてしまう代物ダ。仮にうまく作動したとしても気休め程度にしかならないかもしれなイ」


「それでも嬉しいです! 本当にありがとうございます!」


「……そんなに喜んでもらえればこちらも嬉しいヨ。しかしもう少し後に渡すつもりだったんだがネ。そう――もう少し後ニ……」


「え? 今でも俺は全然大丈夫ですけど……何か問題があるんですか?」


「……いや、変なことを言ったネ。忘れてくレ」


「え、っと、はい……とにかくありがとうございます」


 最後の言葉の意図はわからなかったが、ランスロ―の贈り物に対してラグナは素直に喜ぶ。機械の性能うんぬん以前にその気持ちがとても嬉しかったのだ。


(さっき先生は俺の事を捨てたって言ってたけど、ちゃんと俺の事を忘れないでいてくれたんだ。だからこの機械を作ってくれていた)


 その事実がなによりもラグナに喜びを与えていた。受け取った白い腕輪をさっそく左手にはめていると、もう一つのビーカーが目に入る。


「先生、この黒い腕輪の方は?」


「……ああ、これは失敗作でネ。白い腕輪のプロトタイプみたいなものサ。気にしないでくレ」


「そうなんですか……?」


 ラグナが黒い腕輪を見つめていると、ランスローはメイドロボットに車椅子を押させて部屋の出口に向かい始めた。


「用は終わっタ。ラグナ、早く出よウ」


「あ、はい。わかりました」


 共に研究部屋を後にし、廊下に出るとラグナとランスロ―は互いに向かい合う。


「……ラグナ、君が一度言い出したら聞かない子だとわかってはいるがあえて確認させてくレ。明日の作戦、本当に参加する気かイ? もしかしたら死ぬかもしれない、それほど危険な作戦ダ。加えて君は右手の『月光』がまともに使えない。そのうえ左手の『黒い月光』の制御も不完全だ。こんな状態でディルムンドたちと戦う気カ? ハッキリ言って自殺行為だヨ。君はブレイディアと違ってまだ騎士じゃないんダ。この国のために命を賭ける必要などなイ。もう一度よく考えてくれ、今ならまだ間に合うんダ」


 ランスロ―の言葉を目を閉じてよく考えた。相手はディルムンドとゲイズに街の騎士全員、加えて最強の魔獣と謳われるドラゴン。対してこちらはたったの三人。どう考えても勝ち目は無い。頼みの綱は騎士団長のアルフレッドが援軍を連れてくることだが、現状音信不通。救援が来なければ今いる戦力、つまりたったの三人で戦いを挑まなければならない。どう考えても無謀な作戦を前にラグナは思案し、そして答えを出した。


「……確かに自殺行為かもしれません。でも――それでも俺はディルムンド様たちと戦います。どうしてもこの戦いだけはやり遂げなきゃいけないって、そう思うから」


「……どうしてそう思うか、理由を聞いてもいいかナ?」


「友達のことやディルムンド様の行いが許せないってこと、敵にゲイズがいるってこともあるんですが……それだけじゃないんです。その、うまく言えないんですけど……この街に来てから少しずつだけど俺の中の何かが変わってきてるような気がするんです。燻っていた何かが……大きく変化しそうなんです。でもここで逃げたら全てを台無しにしてしまう気がする。だから…………すみません……うまく伝えられてないですよね……アハハハ……」


 拙い言葉ながらもラグナは思いのたけを告白し、ランスローの返答を待った。すると車椅子の方から深いため息が聞こえてくる。


「……よくはわからないガ……ボクがいくら説得しようと君の考えを変えることはできないということはよくわかったヨ。やれやれダ」


「……先生?」


 ランスロ―はメイドロボットに車椅子を押させて元来た道を戻り始めた。そして廊下の途中で立ち止まるとラグナの方へ振り向く。


「ボクは明日の朝までにハロルドや『ルナシステム』についてもっと情報を集めておくヨ。少しでもこの無謀な作戦の成功率を上げるためにネ。未来の騎士殿に死なれないようにボクも最善を尽くすことにすル」


「先生……! お、俺にも何か手伝えることはないですかッ? なんでもしますよ!」


「君は明日に備えてもう寝なさイ。今日は戦い詰めでヘトヘトだろウ。本番は明日の戦いのはずダ。体を少しでも休めておくんだヨ。いいネ?」


「……わかりました。おやすみなさい」


「ああ、おやすミ」


 ランスローと別れるとブレイディアが言っていた寝室に向かい、室内に入る。そのままベッドに横になるとすぐに睡魔が襲って来た。どうやら想像以上に疲れていたらしい。目を閉じると意識はすぐに薄れて行った。育ての親との予期せぬ再開はラグナに安心を与え、久しぶりに安らかな気分にさせた。しかしその安堵は底知れない悪意によって翌朝打ち砕かれることをまどろむ少年はまだ知らない。

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