4話 事の顛末
数十分ほど歩いた場所でブレイディアは立ち止まる。そこは森を抜けた先で岩石地帯になっていた。
「さてアジトの入口に着いたよ」
「……え?」
ブレイディアに言われてからもう一度周囲に目を配ったが、やはり周囲には岩石しかない。入口などどこにあるのだろう。
「えっと……アジトなんてどこにあるんですか?」
「ふふふ。まあ見てなさい」
不敵な笑みを浮かべたブレイディアは周りにある岩の中でも一際大きいものに近づいて行くと、左手でその岩の下段に触れた。
「起動コード『13487932458』」
ブレイディアがそうつぶやいた瞬間、地面が盛大に揺れ始めた。
「うわ、じ、地震ッ!?」
ラグナは地震が起きたのかと思い慌てふためいたが、すぐに違うことに気がつく。砂で出来た地面が隆起を始め、やがて巨大な箱のような形の人工物が姿を現したのだ。
「ぶ、ブレイディアさん、これは……?」
「秘密のアジトへの入口だよ。さあ行こう」
地面から出現した箱に近づいたブレイディアは箱の正面に手をかざした、その途端自動ドアのように箱の入口は開く。
「ほらほら、ラグナ君も早く」
「は、はい」
箱の中に入ったブレイディアは手招きし、ラグナもその中に入った。二人が中に入ったと同時に扉が閉まると、箱は再び地面に潜り始める。
「これって……もしかしてエレベーターですか?」
「うん。地下にあるアジトへ通じる道の一つなんだ」
一つということは他にも道があるのだろうかと思考を巡らせているうちに下に降りていたエレベーターの振動が収まる。どうやら目的地に着いたらしい。入ってから大して時間が経っていないにもかかわらず到着したことから、それほど深くは潜っていないのかと推測していると外への扉が開いた。外には一本の通路が伸びており、その先には重厚な扉が一枚存在していた。
「あの扉の先がアジトですか?」
「そうだよ。二十メートルくらい歩くけど、もうちょっとだけ我慢してね」
ブレイディアの後に続いて灯りに照らされた地下道を進むと、ほどなくして扉の前にたどり着く。だが扉の前に立っても勝手にドアが開くことは無かった。どうも先ほどのエレベーターの自動ドアとは勝手が違うらしい。目の前には電子パネルがあるのを見るに、どうもアレを使ってドアの開閉を行うらしい。
「もしかして指紋認証で扉が開くんですか?」
「そだよ。しかも最新式なんだ」
ブレイディアがパネルに指を置くとドアが開きラグナ達は扉の中に入った。
「うわぁ、広いんですね」
思わず声に出してしまうほどに扉の中にあった部屋は広かった。入ってきた場所から反対側にある別の扉まで五十メートルほどはあるだろう。しかし部屋の内部が少々おかしかった。正方形の部屋の真ん中を区切るように内装が異なっていたのである。右側は木目のタイルの上に赤いカーペットが敷かれ、大きめのテーブルが一つ、テーブルを挟むように置かれたソファーが二つ置かれていた。他にもキッチンや冷蔵庫、エアコン、トイレなど生活に必要なものが全て用意されている。それと、この地下空間の外で活動するためか、赤い大型のバイクもとまっていた。
一方で、左側のスペースは壁に取り付けられた巨大なモニターに始まり、パソコンやらケーブル、見たこともないような機械がギッシリと詰め込まれており、まるでどこかの研究所の一区画をそのまま切り取ってきたかのようであった。
「変な部屋でしょ?」
「い、いえ、そんなことは……」
「いいよ、気を使わなくて。今は慣れちゃっったけど、最初見た時は私も変な部屋だと思ったしね。この部屋はね、さっき話したもう一人の仲間が作ったんだ。今はちょっと偵察に出てるっぽいけどそのうち帰ってくると思うから。まあ、部屋のことはひとまず置いておいて、あっちのソファーにでも座って話をしよう。今お茶でも入れるから先に座っててよ」
「俺も何か手伝いましょうか?」
「いいからいいから。ラグナ君はお客様なんだからくつろいでて」
「わかりました。すみません、お先に失礼します」
促されて右側の区画にあるソファーに荷物と腰を下ろす。ブレイディアはキッチンでお茶を入れる準備をしているようで、手持ち無沙汰になったラグナはあらためて部屋を見渡した。そしてふと、研究スペースの方に目が留まる。先ほどは気づかなかったがそこには大量のメモが貼りつけられていた。
(メモか……昔を思い出すな。そういえばあの人もよくああやってどこでもメモをくっつけてたっけ……会いたいな……もうあれからずいぶん経つもんな……先生……)
「お待たせー。特製紅茶セットだよー」
育ての親である大切な人との思い出に浸っていると、ティーポッドとティーカップ、皿に盛られたクッキーをトレイに乗せたブレイディアがやってきた。そしてトレイをテーブルに置くとラグナの対面に座り、紅茶をカップに注ぎ始める。
「さあどうぞ」
「ありがとうございます」
カップを受け取ったラグナはゆっくりと紅茶を飲み始める。熱すぎず、ぬるすぎない紅茶を口に入れるとわずかな渋みと程よい甘さが口いっぱいに広がり、飲み込むと同時にハーブのようなのいい香りが鼻から抜けていった。おいしい紅茶を飲んだことで思わずため息がこぼれる。今までの疲れが癒されるようだ。
「どうかな? 一息つけたかな?」
「はい。こんなにおいしい紅茶初めて飲みました」
その後、ブレイディアが紅茶を一口飲み、表情を真剣なものに変える。どうやら話はいよいよ本題に入るらしい。
「さて、じゃあ話を始めようか。まずは私から話すね。って言ってもどこから話せばいいやら……うーん……じゃあとりあえず敵について話そうかな」
「敵……ディルムンド様たちのことですよね……? でもどうしてブレイディアさんたちとディルムンド様たち、この国の騎士同士が争うような事になってるんですか?」
「それはディルムンドがたった一人でやろうとしていることに関係してるの。アイツはこの国で、あることをやろうとしているんだ。私と仲間たちはそれを止めようとしていたの」
「……どんなことをやろうとしているんですか……?」
ブレイディアは残っていた紅茶を一気に飲み干すと、口を開く。
「革命、ってディルムンドは言ってるね」
「かく、めい……?」
あまりにも現実離れした言葉を聞き、思わず目を瞬かせてしまう。ラグナの反応を見越していたようにブレイディアは苦笑する。
「ふふ、まあいきなりこんなこと言われればそういう反応になるよね。現代の政治や司法が王侯貴族を中心としたものであることはラグナ君も知ってるよね?」
「ええ、それは知ってますけど……」
レギン国の歴史は古く、百年以上前は王侯貴族が絶対的な存在であった。だが内乱や外敵との戦争を繰り返す中で次第に国民の権利拡大が叫ばれ平等とは言えないものの平民の地位は上がっていった。しかし科学技術や人権論などが発達した現代においても政治や司法といったものはいまだに王侯貴族が中心にいたのである。そのことを念頭においてブレイディアは語り始める。
「平民はどんなに努力しても、どんなに成果を上げてもある程度の出世しかできない。重要なポストは必ず王族か貴族が座ることになってる。たとえなんの成果もあげてなくても、どんなに能無しであっても家柄さえよければあっという間に出世できる。そんな世襲制にまみれた現代社会を壊すこと、それがディルムンドの目的なんだってさ」
「それが、革命……でもたった一人で革命なんて、そんなのどうやって……」
「……ラグナ君、試験を監督していた騎士たちを見て何かおかしいと思わなかった?」
「おかしい、ですか……? ……そういえば、なんというか生気が感じられなかったというか、まるで意思の無い人形みたいだな、と思いました」
試験監督員たちは同じように様子がおかしかった。あの不気味で虚ろな、人とは思えない目を思い出す。ブレイディアはラグナの感想を聞くと悲しそうに目を伏せる。
「意思のない人形か……その表現は正しいよ。現在この街の騎士、そして貴族はほぼ全員ディルムンドの操り人形だからね」
「え、ぜ、全員が操り人形……? それはどういう……」
「その名の通りだよ。彼らはディルムンドの『月光術』によって操られている、いわば駒のようなもの。床を舐めろと言えば舐め、死ねと言われれば死ぬ、従順な奴隷。それがディルムンドが操っている騎士と貴族。王族に近い位の貴族もすでにアイツの手中に落ちてる。つまりこの国の軍事や政治、司法なんかはすでにディルムンドの思うがままってこと」
「そんな……ことが……じゃ、じゃあディルムンド様は騎士や王侯貴族を秘密裏に操って水面下で革命を起こそうとしてるってことですか……?」
「そういうこと。権力を持つ王侯貴族と武力を持つ騎士を支配しちゃえばもうやりたい放題できるからね。それこそ革命だってなんだってさ。ホント酷い状況でしょ? ディルムンドは自分の理想の国の為、他人を操り身勝手な革命を起こそうとしているんだよ。でもたとえそれが成し遂げられてもそこには誰の意思も希望もない、その先に待っているのはきっと――全ての人が人形になった最低最悪の独裁国家」
「それって……ディルムンド様が騎士や王侯貴族だけじゃなく国民も操るかもしれないってことですか……?」
「私はそう考えてるよ。ディルムンドは最終的にこの国全てを掌握しようとするはず。国民の意思もこの国の舵を取るうえで重要なものだからね。だからそうなる前に手を打とうと私たちは頑張ってきたんだ。けど現状アイツの方が優勢……っていうかこっちはもはや壊滅寸前。なにせ騎士だけじゃなくドラゴンまで支配下においてるんだもん……反則だよ」
「……もしかしてそのドラゴンって半年前に火山帯から消えたっていう奴ですか……? ネットのニュースで見たんですけど……」
「たぶんね。私たちがアイツの静かなクーデターに気づいた頃にはもう飼いならしてたから時期的にもピッタリだしね。ずいぶん前に火山帯から調達してたみたいだね。おかげで街の外の遙か上空、肉眼では見えない空の上ではたくさんのドラゴンがローテーション組んで常に飛んでるみたい。そいつらに常に見張られててディルムンドに敵対してる私達はアイツのクーデターに気づいてもすぐには街から出られなかったの。交通機関も軒並み全部騎士とか使って見張られてるから使えなかったし。他の町や村の駐屯騎士に協力を仰ごうともしたけど、この国にあるほぼ全ての町や村の駐屯所にはディルムンドの手先が入り込んでるみたいでそれも無理だった。もう最悪だよ……結局すぐには打てる手も無くて洗脳を逃れた王族や騎士と今いる地下施設に逃げ込んで反撃のチャンスを窺ってたんだ」
「そうだったんですか……大変……なんて言葉では片づけられないほどの状況だったんですね」
「うん……」
ブレイディアはため息をついて肩を落とした。今までの話を聞いてラグナはふとジュリアから聞いていたおかしな事件を思い出す。
「そういえばジュリア――さっきさらわれた友達が言っていたことなんですけど、騎士団長や副団長が消えて王族も行方不明って本当なんですか? 本当ならもしかしてそれもディルムンド様と関係が……?」
「あー、その話は本当なんだけど……行方不明とはちょっと違うの。アイツのクーデターに気づいて地下に身を隠した私達は出来るだけ情報を集めた後、計画を練ってある作戦を決行したんだ。それは私と団長、まだ操られていない他の騎士で王族だけでも別の国――いわゆる同盟国まで秘密裏に逃がすって作戦。地下に隠れているとはいえいづれは見つかる危険もあるし、王族まで操られたら完全にお終いだからね。その前に同盟国に助けを求めようとしたってわけ。交通機関は止められたらお終いだし車やバイクは目立つからさ、時間はかなりかかるけどドラゴンに見つからないように徒歩で地下道から街を出て森や崖みたいな道を進んで同盟国を目指したの。正直かなり強引な作戦だったけど、もうこれ以外手がなかったからさ、やるしかなかったんだ……」
「徒歩……それは……確かに危険ですね……あの、自力で他国を目指すんじゃなくて、騎士団以外の外部の人に連絡を取って助けてもらうことは出来なかったんですか……?」
「やってみたけど駄目だったよ。なんでか知らないけどこっちの動きを読まれてるみたいに邪魔が入って、それで強行突破しかない状況に追い込まれたんだ。もしかしたらスパイが入り込んでたのかもしれないね……」
「そ、そうだったんですか……それでその作戦はうまくいったんですか……?」
「……正直わからない。王族や騎士たちと国外に逃亡する際にドラゴンと操られた騎士やゲイズ、その部下であるドルドたちに結局見つかっちゃってね。みんな散り散りにはぐれちゃったんだ。私はなんとか逃げ延びてこの街の近くまで戻って来たけど、団長たちが無事に王族を同盟国まで送り届けられたかは確認できてない。自分の傷の手当てで精一杯だったからさ。まあ同じように逃げ延びた一人とさっきここで再会できたから団長達も逃げ延びてる可能性はあると思うけど……」
腕に巻かれた包帯をさすりながらブレイディアはうつむき、ラグナはあることを思い出す。それは今朝の出来事だった。
「……もしかして逃げている最中にレクーヌ川に落ちたってことですか……?」
「うん、恥ずかしながらそういうこと。ドラゴンに襲われて、それから寝ずに追手から逃げてたら街の近くまではなんとか戻ってこれたんだけど……傷の痛みやら疲労困憊で意識が飛んで崖みたいなところから川に落ちちゃったみたい。君に助けられなきゃ本当に死んでたよ。ありがとね」
「いえ、そんなことは……でもじゃあつまり、アルフレッド様たちやその再会できたっていう仲間と王族を除けば、もうこの街、いえこの国の中枢は……ほぼディルムンド様に支配されてるってことですか……?」
「……そうなるかな……逃げてる団長達を除けばここにいる仲間はあと一人だけだし。この街の騎士や王都のお偉方たちはたぶんもう全員ディルムンドの支配下にあるからさ。幸い騎士学校の生徒や国民はまだ洗脳されてないみたいだけど……」
(……ブレイディアさんがこの街が危険って言っていた理由がようやく理解できた……でもあのディルムンド様が……信じられない……けど俺は自分の眼で見てしまった……あの人がゲイズと協力しているところを……くそ……酷い現実だ……)
ラグナは頭を抱えながらも、もう一つの疑問をブレイディアに聞く。
「……あの、もう一ついいですか? ブレイディアさんはどうしてあの森に……?」
「今朝ラグナ君と別れてからドルドたちを追いかけて半殺しにした後、このアジトで再会した仲間と情報を交換し合ったんだ。そしたらディルムンドが騎士採用試験で何かやろうとしてるっていうから探りに来たんだよ。そしたら君を見つけたってわけ。まさか君が受験生だったなんてね、驚いたよ。私服だったから全然気づかなかった。騎士採用試験を受けるのはたいてい訓練校上がりの軍服を着た生徒だからさ。もし最初に会った時に君が何をしようとしてるか聞いてればもっとちゃんと止められたんじゃないかと思うと、申し訳が立たないよ。ごめんね」
「い、いえ、俺があの時何をしたいか言わなかったせいですから。ブレイディアさんのせいではないです。ということは……つまり本当に偶然だったんですね」
サラッと出た半殺しという凶悪な言葉に動揺しつつもラグナはようやく納得したが、別の疑問がまたわいてきた。
「……今更なんですけど、聞いていいですか? 貴族や騎士たち、ドラゴンが操られてるっていう前提で話を聞いてたんですけど、そんな何千人もの人間やドラゴンを同時に操ることなんて本当に可能なんですか……? なんていうか……いくらディルムンド様といえど『月詠』の使う『月光術』の能力の限界を超えているような気がするんですけど……」
「確かに。通常なら不可能だね。私たちもこうなる前は君と同じでディルムンドがそこまでの力を身に着けてると思わなくてさ。認識が甘かったよ、でも事実その異常な能力によって気づかないうちにジワリジワリと騎士団はアイツに浸食されてた。気づいた頃にはもう手遅れ。半数以上の騎士がすでにアイツの手に落ちてた……それでそんなあり得ない状況を作り出したアイツの『月光術』についても説明しようと思ってたんだけど……ところでラグナ君は『月光術』についてどの程度知ってるの?」
「基本的なことは全部勉強してきました。えっと確か『月光術』は持っている『月痕』の種類によって六つの属性に大別されるんですよね。炎を操る『赤月の月痕』――水や氷を生み出す『蒼月の月痕』――風を巻き起こす『緑月の月痕』――土や岩、植物を作り出す『黄月の月痕』――光や雷をなどを発生させる『銀月の月痕』――そして上記以外の特別な能力を発生させられる『紫月の月痕』」
さらにラグナは『月光術』の説明を続ける。
「そしてそれらの『月光術』の呪文は右手首から右肩のどこかに刻まれる。輪のように刻まれた呪文の文字は『月文字』と呼ばれ、その文字を詠み上げることで『月詠』は『月光術』を発動することが出来る。ただし使用後は身に纏っている『月光』を全て失ってしまう。また個人差もありますが術の使用後、数十秒から一、二分ほどは『月光』を呼び出すことが出来ない――あの、間違って、ないですよね……?」
合っているかブレイディアを見て確認すると満足げに頷いていた。どうやらちゃんと説明できていたようだ。
「よく勉強しているようで大変よろしい。さすが受験生だね。だったらディルムンドがどの『月痕』を持っているかわかるよね?」
「対象を操る能力なら『紫月の月痕』ですよね? 呼び出す『月光』の色によっても判別できますから間違いないと思います。ディルムンド様が紫色の『月光』を呼び出しているのをこの目で見ました」
「正解だよ。これなら普通に話しても大丈夫そうだね。君の言う通りディルムンドは『紫月の月痕』を持ってる。それでアイツの使う『月光術』は切った対象を一体だけ十数分間だけ操ることが出来るってものだったんだ。しかも知能の低い生物に限定される。大きさもせいぜい二メートルくらいが関の山かなってくらいのもの。アイツが『竜騎士』って呼ばれてたのも竜種の中でも一番下位のワイバーンを操って戦っていたからなんだよ」
「……え……でも……」
先ほどまでの話と大きく矛盾する説明にラグナは戸惑った。ブレイディアもそれをわかってると言わんばかりに大きく頷くと再び話し出す。
「そう。そんな能力では今みたいな状況は作り出せない。でも前のディルムンドにはそれが限界だったの。だけどだいたい半年くらい前から急にあり得ないような力を発揮するようになった。人間なんて操れなかったはずなのに今では貴族や騎士たちを操り、そしてついにはドラゴンなんてものまで操れるようになってる」
「……それって、おかしいですよね。『月光術』は強化することが出来るけど、それには数年単位の修業が必要なはずですし。それに仮に数年修業したとしてもそれほど急激に術が強化されるなんて、あり得ないことなんじゃ……」
「君の言う通り。だからディルムンドは通常の修業ではなく、別の要因によって『月光術』の力を増幅させてると私たちは見てるの」
「別の要因ですか?」
「うん。でもそれがなんなのか現状わからないんだよね……わかってればこんな状況になる前に対策の一つでも出せたんだけど……いくら調べてもアイツの力の正体にたどり着けないんだよ……クーデター後のアイツの周りは警備が滅茶苦茶厳重だったし……まあ人手が足りな過ぎて調べるのが難しかったからっていうのもあるんだけどね……」
ブレイディアの心底困った顔を見ながらラグナは考える。
(『月光術』を強化する要因……なんだろう……って言っても本職の騎士であるブレイディアさんがわからないのに、受験生とはいえ素人同然の俺がわかるはずない……いや、でも待てよ……そういえば何かゲイズが聞きなれない言葉を言っていた……あれは確か――)
『ルナシステムの誤作動ですかねぇぇぇ〜』
その時、不意に聞きなれないあるキーワードが頭に蘇った。
「……『ルナシステム』」
「え?」
「ゲイズが俺の前に現れた時、小さな声で独り言でも言うみたいに言ってたんです――『ルナシステム』の誤作動がどうのって」
「……『ルナシステム』――か……うーん……聞いたことないなぁ……でも、もしかしたらランなら知ってるかも」
「ラン……?」
「私の仲間。偵察に出てるんだけど、もうすぐこのアジトに戻ってくると思うからその時に聞いてみるよ」
「そうですか……何かの役に立てればいいんですけど……」
「大丈夫。きっとディルムンドの力に何か関係してるはず。教えてくれてありがとね――さて私の話はこれで終わりだよ。今度は――君の力について教えてほしいな」
ブレイディアの真っ直ぐな視線がラグナを射抜いた。
「……わかりました。聞いてください」
ラグナは覚悟を決めるとブレイディアに向き直る。その後、ドラゴンと戦った際に破けた手袋を外し、左手の甲にある黒い獅子の形をした紋章を見せた。
「……まず最初に聞いてほしいんですが、この左手の『黒い月痕』と『黒い月光』――そして『黒い月』については俺も詳しくは知らないんです。というかその事を調べるためっていうのが騎士になりたい理由の一つだったんです。自分の力で調べられるだけ調べてはみたんですが、俺個人が収集できる情報では限界があって……それで個人で調べるよりも組織の情報網を使った方が確実だと思ったんです。その上騎士という仕事は職業柄、誰よりも『セカンドムーン』や『月光』について詳しい。だから騎士採用試験を受けに来ました。騎士になってこの力の正体を知るために」
「そっか、君自身も正確なことはわからないんだ……じゃあ、次はゲイズとの関係について教えて」
「その前に一つだけ聞いていいですか? ゲイズはどういう経緯でディルムンド様の仲間になったんですか? そこがどうしても気になって」
「実は私も詳しくは知らないんだ。いつの間にかドルドとかの部下を連れてディルムンドのそばにいたからさ。たぶん騎士や貴族たちを洗脳するための先兵としてお金で雇ったんじゃないかな」
「そうですか……答えていただいてありがとうございました。すみません、話の腰を折ってしまって…………昔の話になるんですが、いいですか?」
「うん、もちろん」
ブレイディアが頷くとラグナは複雑そうに顔をこわばらせ、やがて口を開いた。
「……赤ん坊の頃から幼少期まで俺は孤児院を兼ねた小さな教会で育ちました。親に捨てられたっていう悲しさはありましたが、周りにはたくさんの友達や優しいシスターがいたので貧乏ながらもそれなりに幸せな日々を送っていたんです――あの時までは」
ラグナは左手に血がにじむほど強く手を握った。
「……十年前、他愛ない日々を過ごしていた俺の前に突然ゲイズたちが現れました。当時ゲイズは盗賊団の頭で、俺の住んでいた教会を次の盗みのターゲットに選んだらしいです。貧乏な教会から何を盗むんだって子供ながらに思いましたが、奴が不気味な笑顔で子供たちを舐めまわすように見た時に全てを察しました」
「人さらい、だね」
「ええ。奴は最初にシスターを殺すと、子供たちを捕まえ始めました。俺も必死に抵抗しましたが、勝てるわけも無く……」
「全員捕まったんだね。でも全員捕まったんならラグナ君も売り飛ばされてるんじゃ……もしかしてラグナ君はうまく逃げのびる事ができた、とか?」
「いえ……」
ラグナは一度言葉を切ると、何度か深呼吸した後、話を再開した。
「……思い返せば、あれが初めて『黒い月光』を使った瞬間だった――『黒い月痕』自体は物心ついた頃から左手にありましたけど、最初はただの痣だと思っていたんですよ。だっておとぎ話の力が現実にあるだなんて、普通思わないじゃないですか」
自嘲するように笑うと、ラグナは左手の黒い痣を見つめた。
「事実、その時までは『黒い月光』を呼び出すことなんて出来なかったんです。でも……シスターを殺し、友達をさらい、俺の大切な日常を壊した奴らへの憎しみが爆発した瞬間、空に『黒い月』が浮かんだ。そして体には『黒い月光』が纏わりついていました。その後は……あまり覚えていません。唯一覚えているのは俺が左手首に刻まれた『月文字』を詠み上げて『月光術』を使ったという事。その結果――全てを消してしまったという事」
「全てを……消した……?」
「言葉通りです……『月光術』を使った後には何も残っていなかった。ゲイズやその仲間、俺の友達、シスターの死体、育った教会、庭、全てがなくなっていました。あったのは巨大なクレーターとその穴の中央に座り込んでいた俺だけだったんです」
ブレイディアは絶句したが、ラグナは淡々と話し続ける。
「最初は自分がやったとは思えませんでした。でも熱を持った左手と空に浮かんだ『黒い三日月』を見た瞬間、思い出したんです。自分がやったんだと」
「……そんなことが……じゃあゲイズは君にとって憎い仇みたいなものなんだね。それならあの殺気も納得だよ。でも……さ、君の話だとゲイズってもうとっくに死んでない?」
「ええ……俺も今日会うまで生きてるなんて思いもしませんでした。十年前に死んだと思ってましたから。だから今でも驚いてます」
「ゲイズの奴はどうにかして生き延びたわけね……憎まれっ子世に憚るっていうけどアイツの生命力どうなってるんだろ……。でもラグナ君、その後はどうしたの? 孤児院が無くなっちゃんたんなら行く場所ないよね……?」
「実はその後すぐに俺は孤児院近くの村に住んでいた人に拾われたんです。その人のおかげでなんとか今日まで生きて来れました。その人は『黒い月』や『黒い月光』のことを知ってなお俺を育ててくれたんです。孤児院のことも事故ってことにしてくれて、俺の力のことを周囲に隠して養子として村に住まわせてくれました。なんでも、もともとその人は科学者だったみたいなんですけど、事情があって田舎の小さな村で暮らしていた時に俺を偶然見つけたとかで。それで俺に色々勉強とかも教えてくれて、それもあって俺はその人の事を先生って呼んでたんです――あ、すみません。長々と。えっと……とにかく俺は運よく拾ってもらったんです」
「そっか、それは不幸中の幸いだったね。でもよく今まで『黒い月』のことが周囲に広まらなかったね。十年前に一回空に浮かんだっていうのに。っていうか私も今の話聞くまで全然知らなかったよ」
「その時は今回と違って、現れたと言ってもすぐに消えてしまったので。後から村の人に聞いてみたら見た人もいたみたいですけど見間違いだと思ったみたいです。もしかしたら他にも見た人がいたのかもしれないですけど、同じように目の錯覚だと思ったのかもしれません。それで、それ以降は一度も黒い月光は使ってません。ただ……年々左手の『黒月の月痕』が疼くようになって……黒い月光を呼び出したい衝動が強くなってきているんです……だからまた暴発する前になんとかこの力の正体を知って、ちゃんと制御しようと思ったんです。ずっと爆弾を抱えて生きて行くわけにもいきませんから――これで俺の話は全部です」
「……聞かせてくれてありがとね。言いづらいこともたくさんあったのに」
「いえ……それで、俺はどういう罪に問われるんでしょうか? 騎士であるブレイディアさんに『黒い月』や孤児院での話をすると決めた時から捕まる覚悟はできてます。十年前俺は孤児院の子供たちを……だから教えてください」
「え、捕まるって……ああ、そういうつもりで話してくれてたんだ。なるほどね。でも……うーん……十年も前に起きたことだし、なにより正当防衛による事故みたいなものでしょそれ。ラグナ君だってまだ七歳の子供。そういうことを踏まえると、君が考えているようなことにはならないと思うよ」
「……でも……俺は……」
ラグナは唇を噛んでうつむき震える。ブレイディアはその様子を察すると優し気な口調で問いかけて来た。
「……ラグナ君は罰して欲しいの……?」
「……わかりません……ただ、大勢の人を殺しておきながら俺だけ普通の生活を送っていていいのかって、いつも思うんです……このままで本当にいいのかなって……」
「……正直、君は何も悪くないと私は思うけどね。それにたとえ君のしたことが罪になったとしても今の騎士団は機能してないから君を捕まえられないよ。だからさ、もしこの事件が解決して、それでも昔のことで罰が欲しいと思ったならもう一度私に話してみてよ。相談に乗るからさ」
「そう、ですね……わかりました」
「じゃあこの話はお終いにしよう。でも事故の後、親切な人に出会えてよかったね。君がずっと一人ぼっちだった、みたいな話じゃなくて安心したよ。恩人が今までずっとそばにいてくれたんだもんね」
「あ、いえ……今までずっとってわけじゃなくて……それが……その人、三年前に突然書置きとお金を残してどこかに行ってしまって。それで騎士採用試験が終わった後にこの街でその人の手がかりを探そうと思ってたんです」
「え? ……あー……そうだったんだ。なんかごめん……でも人探しか。こんな状況でなければ私も手伝ったんだけどね――っと、街の偵察に行ってた私の仲間が到着したみたい」
ブレイディアが喋っていた途中の出来事――突然ブザーが鳴り、ラグナ達が入ってきた扉とは反対側の扉が開き、二人の人物が部屋に入ってきた。一人は顔を隠すように頭から首まで黒光りする大きなヘルメットをスッポリとかぶった長身のメイド。そしてもう一人はそのメイドが押している車椅子に乗り緑色の髪をショートヘアにした少女。少女は黒い軍服の上からダボダボの白衣を羽織り、青いマフラーを首に巻いて口元を隠していた。その姿を見たブレイディアは慣れたように声をかける。
「遅いよ、ラン。待ちくたびれちゃった。ねえラグナ君」
「……ッ!」
ブレイディアの声に返事が出来ないほどラグナは驚愕していた。車椅子に乗ったその少女は三年前と何一つ変わらぬ姿。探し求めていたその人物を見て思わずつぶやく。
「ら、ランスロー……先生……」
三年前に消えた育ての親を前に、呆気に取られたラグナの声が広い部屋に響いた。
突然の再会に少年の顔は驚愕に彩られる。