三章 プロローグ 蠢く悪意
ラフェール鉱山内部のとある一室にて、四人の男たちが紙の資料やパソコンが置かれた縦長のテーブルを囲み会議を始めていた。そしてその中にいた仮面の男――フェイクが最初に口を開く。
「ベラルとボルクス男爵からの連絡が途絶した。おそらく二人ともこの世にはすでにいないだろう。アルシェにいた『ラクロアの月』の構成員たちも死亡した可能性が高い」
それを聞いた三人の男のうち二人――ロンツェとワディは目を剥いて驚いた。だが最後の一人――赤毛の少年レインは顔色一つ変えずにフェイクに問う。
「んで、魔獣はどうなったんだ?」
「どうやら全滅したようだ。偵察に出た者から報告が上がっている」
全滅という言葉を聞き表情を歪めたロンツェはフェイクに問いかける。
「全滅って言うと……地下から侵入しようとした魔獣もってことですよね? ……事前に計画を知ってねぇと対処なんて絶対不可能だ……どっかから計画が漏れて……ってことになりますよね……」
「そうなるな。おそらく内通者がいたのだろう。だが対処できた理由はそれだけでは無いはずだ。……お前たちには教えていなかったが、現在王都を守る防衛機構や無人兵器を制御している人工知能――『メイガス』がウイルスに侵されている。ゆえに王都の防衛機能の精度は半分以下にまで落ちている状態だ」
「えッ!? そ、そうなんですかッ!? ……でも、どうして俺達に黙って……」
「……お前たちにはラフェール鉱山での仕事があった。王都制圧はもともとベラルの部隊が主導して行う予定になっていたため、話す必要は無いと私が判断した」
フェイクの言葉を聞いたレインは思わず吹き出す。
「嘘つけちげえだろ。王都の警備がザルだって聞いた俺らが手柄欲しさに勝手な行動しないよう黙ってたんだろ?」
「…………」
フェイクの無言を肯定と受け取ったロンツェは机を豪快に叩き声を上げる。
「酷いですよフェイク様ッ! 俺らはそんなに信用無いんですかッ!?」
ワディもロンツェに同調するようにコクコクと頷いていたが、ここでレインが割り込む。
「まあ落ち着けよお前ら。信用されない原因は俺らにもあるんだしよ。なにせ俺はもともと言う事なんて聞かねえし。ロンツェに至ってはすぐキレて命令違反になることもしょっちゅう。ワディも弱いものイジメが大好きだもんなぁ。フェイクに隠れて意味の無い殺しをしてるって知ってるぜ」
「ぐ……」
「…………」
図星だったのかロンツェとワディは悔しそうに押し黙る。それを見たレインは犬歯を見せて笑いながらフェイクの方を向いた。
「どうせベラルにも伝えてなかったんだろ? 王都の警備がガバガバなんて聞いたらそれこそあのカマホモのことだ、お前に対する想いから功を焦って暴走するかもしれねえしな。ま、俺らにも落ち度はあるし仕方ねえけど。今度はちゃんと事前に教えてくれよ、フェイクさんよぉ。じゃないと信用無くすぜ?」
「……わかった。次からは考慮する。……では話を戻す。さっきの話の続きだが――王都の防衛機能が低下している状態であの魔獣の大軍を全て倒しきるのは実質不可能だ。無人の兵器や仮に王都の騎士を総動員したところで王都に被害が出るのは必至。だが王都は無傷。一人の死傷者も出ていない」
フェイクの話を聞いたロンツェは狼狽え、呟く。
「王都の防衛機能が低下してたんならそんなことはあり得ないですよね……奴ら、いったいどうやって……」
「……作戦決行当日の話だ―――空に『黒い月』が出現した、と報告が上がっている」
「んなッ!?」
ロンツェは素っ頓狂な声を上げた後、反射的にフェイクに向かって口を開く。
「ま、マジですかッ……!? 『黒い月』が出たって……それじゃあレインの言ってたことが合ってたってことになりますよッ……!? カーネル湖の魔獣や王都に向かう予定だった魔獣も全部ラグナ・グランウッドって野郎が始末したって言うんですかッ……!?」
「おそらくな。だがまだ確定した情報というわけではない。可能性の段階だ。しかし限りなく高い可能性だと思え」
「け、けど……いくらなんでも……それは……」
「別におかしかねえだろ?」
納得できないロンツェに対してここでレインが声を上げる。
「第一の計画でディルムンドはドラゴンと数千の騎士を操ってた。そのうえハロルドは『ルナシステム』なんて反則じみたもんまで持ってたんだぜ? それでも計画は失敗。加えて第二の計画における要である千の魔獣とおまけにベラルまでやられてるときてる。入念に準備した計画二つがあっさり瓦解。これはもう普通じゃ考えられないような力が働いたとしか思えねえ。お前だってそれくらいわかるはずだ」
「いや、そりゃあ……そうかもしれねえけどよぉ……正直信じられねえ……おとぎ話に出てくる……たった一人で世界を崩壊に追いやった力……それが現実にあるなんてよ……」
ロンツェの言葉に同意するようにワディは深く頷く。二人は未だに目の前の現実を理解できずにいたようだが、ただ一人赤毛の少年だけは不敵な笑みを浮かべていた。だがそんな部下達の様子を気にも留めずにフェイクは話を進める。
「とにかく敵がそういった力を所有している可能性があるということは覚えておけ。……レイン、αタイプの開発状況はどうなっている?」
「順調に進んでるぜ。つっても一番開発の進んでる一号機でも完成まではまだかかるが。そんで一号機のテストが出来るまでは……まあ少なく見積もってもあと一月くらいはいるな」
「二週間でテスト出来るまでにしてくれ。その代わり必要な人員は優先的にそちらにまわす」
「……あいよー。ったく人使いが荒いぜ」
「任せたぞ。ロンツェ、ワディ――お前たちは一度鉱山を下り、麓の町に戻れ。おそらく騎士たちが近いうちに訪れるだろう。お前たちには奴らの足止めを頼みたい」
「……了解しました」
ロンツェの言葉と同時にワディは頷く。
「私はこれからαタイプの二号機と三号機に必要な部品を調達してくる。ここに戻って来るのはおそらく十日後になるだろう。私がいなくとも問題ないとは思うが、何かあれば携帯で連絡してくるといい。……では全員作業に取り掛かってくれ。お前たちの働きに期待している」
そう言うとフェイクはその場を立ち去った。その場にいた他の者たちもそれに続く。レインは整備された坑道を歩きながらほくそ笑んでいた。
(どうやらラグナ・グランウッドは見事に計画を潰してくれたみたいだな。流石は伝説の力と言ったところか。……しっかしフェイクの野郎。王都の防衛機能の事を隠してやがったとはな。それなりに俺の事を警戒してるってことか? 情報を流したことも感づいてるかもしれねえな。ま、明確な証拠があるわけでもねえし問題ないか。それより問題なのは時間だな)
レインはフェイクに指示された開発時間の短縮を思い出していた。
(このままだとあと二週間足らずであのやべー代物が完成しちまう。そうなれば俺の目的を達成する前に計画が終了する。そんなことあってたまるかよ……早くここまで来い、ラグナ・グランウッド。でないと――)
レインは坑道の出口――巨大な物体が置かれた広大な空間に足を踏み入れる。周辺には白衣を着た多くの作業員たちがすでに働いており、レインはそれらの間を通り抜けるように進んだ。そして大きな台座の上に置かれたこれまた巨大な黒い球体の場所へ到着すると見上げながら心の中で独り言ちる。
(――王都が先に吹き飛んじまうかもしれねえぞ)
球体の斜め上に取り付けられた球体に負けないほどの大きさを誇るパラボラアンテナに似た装置を横目にレインは作業に取り掛かった。
一方、別の坑道を歩き鉱山から出ようとしていたフェイクだったが、不意に前方から金属の擦れあう音が聞こえてきたため足を止める。すると程なくして目の前に奇妙な格好をした女性が現れた。女性が傷だらけの素足で歩くたびに体と顔に巻き付けられた鎖がこすれ合いジャリジャリとした音が坑道内部に響く。どうやら先ほどの金属音の正体はこれらしい。鎖の上から羽織ったボロ布と長い黒髪を揺らし仮面の男の前にやってきた女性はしわがれた老婆のような声で呟く。
「フェイ……ク。王都制圧は……どうなった? シャルリーシャ様が……お前からの報告を待っているぞ」
「……そうか。それでお前をわざわざ派遣したのか――ブルゴエラ」
二人目の幹部――ブルゴエラは鎖を揺らしながら頷いた。
「そう……だ。それで……どうなったのだ?」
「……二つ目の作戦は失敗した。これより用意していた最後の作戦に入る」
「大丈夫……なのか?」
「問題ない。次の作戦で終わらせる。報告が遅れて悪かったとシャルリーシャに伝えてくれ」
「……わかっ……た。ただ……今後は報告を徹底しろ。こんなことで……出向くのは面倒で時間の無駄だ」
「すまなかったな。今後は気を付ける。……要件がそれだけならばもういいか? これから出かけるところなのだが」
「待て……まだ話がある。……最近『黒い月』が空に浮かんで……いる。ここまで言えば……全て言わずとも私の言いたいことがお前ならばわかるだろう?」
「……ああ、お前の言いたいことはわかった。レギン王国に現れた『黒い月光』の使い手――ラグナ・グランウッドのことについてだな」
「そうだ……状況から察するに王都制圧作戦は『黒い月光』の使い手に潰されたのだろう?」
「…………」
「やはり……な。おそらく……次の作戦も邪魔してくるはずだ。戦いになることは……避けられないだろう。だが、覚えて……いるな? 『黒い月光』の使い手が現れた……その時の対処法。これは……ある意味では『鍵』や『方舟』の入手よりも重要な事になる。我々幹部にのみ……教えられている最重要案件の事だ」
「……わかっている。シャルリーシャの命令通りに動く」
「……本当……か? お前は……時々シャルリーシャ様の命令を無視して勝手に動くことがある。いつもならば……ここまで口うるさく言うつもりは無いが。今回ばかりは……勝手が違う。『黒い月光』の……使い手の扱いに関してはな。命令無視して……勝手なことをするつもりではないだろうな?」
「……安心しろ。嘘はつかない」
「…………」
ブルゴエラは唯一鎖で覆われていない血走った片目でフェイクを睨んでいたが、やがて視線を外した。
「……いいだろう……ただし忘れるな。お前は幹部の中では……新参者。まだ我々は……お前の事を完全に信用したわけではない。隠し事をしているなら……なおさらだ」
「『ラクロアの月』に入る前から私が『血』を所有していたことがそこまで気になるのか?」
「当たり前……だ。シャルリーシャ様が……お前を幹部に据えたのは『血』を持ったお前を監視下に置くためでもある。この際だ……もう一度聞いておこう。フェイク……お前は何者だ?」
「……『ラクロアの月』に入る時にも聞かれたが、答えるつもりはない。それにお前たちも私の力を利用できると踏んで私を『ラクロアの月』に入れたのだろう? だからこそ私の提示した――私に関して何も聞かないという条件を受け入れた。それともシャルリーシャは今になってその条件を覆すような命令をしたのか?」
「…………」
「……お前の独断か。ならば答える必要は無さそうだな。今度こそ話は終わりだろう? では行かせてもらおう」
「…………」
突き刺さるブルゴエラの視線を受け流しながらフェイクは坑道を出た。そしてそのまま鉱山の外に出ると夜空を見上げる。六つの月の中央――何も無い空間を赤い瞳は見つめていた。同時に報告で部下から聞いた『黒い月』の形を思い出しふと呟く。
「……三日月……なぜ満月ではないんだ……?」
少しの間空を見上げていたフェイクだったが、すぐに視線を前に戻す。
「……まあいい。直接聞けばわかることだ」
呟いた後、ゆっくりとフェイクは歩き始める。闇の中を進む仮面の男の頭にはレインの見せて来た雑誌の切り抜きに写っていた少年の顔が浮かんでいた。
ブレイディアの家の二階――自分にあてがわれた部屋のベランダでラグナは手すりに手をかけながら夜空を見上げていた。だが不意に悪寒に襲われ背筋が凍る。
(……う……なんだろう今の感じ……まるで何かに睨まれたような……気のせいかな……)
ため息をついたラグナは左手の甲を見る。黒獅子に似た痣を見ながら考えたのは仮面の男。
(……フェイク……きっと今度こそ戦うことになるんだろうな。……勝てるだろうか。前は見ただけで『黒月の月痕』が異常な反応を示していたうえ、その直後『黒い月光』が使えなくなってしまった。理由はわからないけど、もしかしたらまた同じことが起こるかもしれない。そうなれば右手の『月痕』だけで戦うことになる)
ドラゴンを百体以上瀕死にし、殺気だけでベラルのような歴戦の猛者を行動不能にする仮面の男の力はハッキリ言って怪物そのものと言っても過言ではないだろう。そんな相手と『黒い月光』無しで戦わねばならないことを想像してしまい思わず体が震えはじめる。しかしラグナは腕で強引に震えを止めると深呼吸した。
(……怖いけど、やらなきゃいけない。ディルムンド様や先生から始まったこの戦い――いい加減決着をつけよう。それがこの件に関わった俺の義務だ)
決意を新たにしたラグナはもう一度夜空を見上げた。