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38話 殺戮

 明かりが点いていながらもどこか薄暗い室内で二人の男が向かい合っていた。一人は冷たい目で相手を見据え、もう一人のハチマキを額に巻いた男はその視線に耐え兼ね震えながら床を見つめている。そして冷たい目の男――ベラルは箱状の『月錬機』を手で弄びながら抑揚の無い声で呟いた。


「まったく……人質を逃がすなんて……とんだ失態ね、モルー」


「い、いや違うんすよ姉御……まさか、あの人数を全滅させるなんて……思いもしなかったんです……あ、そ、そうだッ……! あのジュリアとかいう女が侵入者に手を貸したのかもしれませんッ……! 俺の部下は全滅したのにアイツだけは無事でしたからねッ……! なにせ人質はアイツの妹だ、きっと侵入者を手引きして――」


「モルー」


「っひッ……!?」


 底冷えするようなベラルの声を聞いてモルーは体をビクつかせた。


「そんなことはどうでもいいのよ。侵入者が逃げた際アンタはアタシに『任せてください』と言った。だからアタシはアンタに任せたの。でもアンタは見事に失敗した。そこが問題なのよ。それにね、仮にアンタの言う通りだったとしてもそんな証拠どこにもないでしょう? あのお嬢さんは戦闘要員だけど、ボルクス男爵とフェイク様から丁重に扱うように言われてるから尋問なんて真似は出来ないしね。しかもあのお嬢さんを連れて逃げた人質と侵入者を追うって選択をしたのもアンタ。人質は彼女の妹なのだから、連れて行くのならそういうことを企てる可能性も考えて不測の事態に備えるものなんじゃないの? それが出来ないのならあのお嬢さんを別の場所に隔離しておくべきだった。違う?」


「そ、それは……」


「そのうえアンタは侵入者や人質の対処を部下に押し付けた挙句、明日の準備にかこつけて自分の部屋で女を抱いていたとか」


「ッ……!」


「バレないとでも思ってたのかしら。侵入者を追うっていう口実でアタシから離れて堂々とサボろうとしていたわけね」


「い、いや、ちが――」


 その瞬間モルーの頬に鋭い痛みが走った。直後背後にあった壁の一部が轟音を立ててへこみ、へこんだ周辺には無数の亀裂が入る。そして頬から血が流れ出してようやく気付く。目の前の人物がいつの間にか緑色の光を纏い、手にしていた双剣の片方を投擲していたという事実に。だが問題はそれだけではなかった――。


「何がちげえんだ。言ってみろ」


 静かながらも口調と雰囲気を悪鬼のように豹変させたベラルの血走った眼を見てモルーは本能的に跪き床に頭をこすりつける。


「す、すみませんでしたぁぁぁッ……!」   


「…………」


「ほ、本当にすみませんでしたッ……! ひ、人質は必ず取り戻しますッ……! だ、だから、い、命だけは……命だけは勘弁してくださいッ……! お願いします姉御ッ……!」


「…………」  


 土下座して許しを請い始めたモルーにベラルは冷たい視線を送り続けたが、やがて小さなため息をつくと『月光』を消し表情を元に戻す。


「……まったく。最初からそうやって謝罪しなさいよ。アンタが言い訳ばっかりするからついアタシもキレちゃったわ。……アタシの方こそごめんなさい、大人げなかったわね」


「あ、姉御ぉ」


 頭を下げた状態でベラルの優しい声を聞いたモルーは内心助かったと思った。


「アタシもよくわからないシスターに負けて無様をさらしちゃったしね。失敗は誰にでもあることよ。それに部下の失態は上司の失態。アンタに全てを任せたアタシにも責任はあるわ。アンタばかりを責められない。最近はテレビも見れないくらい忙しかったしハメを外したくなる気持ちもわかるしね。……ほら、もういいから立ちなさい」


「は、はい! ありがとうございま――」


 満面の笑みで頭を上げ立ち上がったモルーは、ベラルの機嫌がもう直ったと思い込んでいた。その血走った眼を見るまでは。


「あ……姉……御……?」


「今回の件はなんとかギリギリ許してあげられるわモルー。ボルクス男爵は既に逃亡の準備を整えているから、仮に妹さんからアタシたちと男爵の関係が漏れても問題ない。妹さんは魔獣が通る地下のルートのことも詳しくは知らないから魔獣移送には支障も無い。でもね、次は無いと思いなさい。……フェイク様は他の幹部の方々よりもお優しいから一度くらいなら失敗も許してくださるの。だけどそう何度も失敗するような部下は確実に切り捨てるわ、そういうお方でもあるのよ。だからもし次失敗したら、アンタもアタシも色々な意味で首が飛ぶの。そのことをよーく肝に銘じておきなさい」


 ベラルは手元に残っていたもう一本の剣をモルーの心臓に突きつけながら優しい口調で諭すように言った。そして蛇に睨まれた蛙の返答は言うまでも無く二つ返事の了承。


「わ……わかり……ました……」


「……そう、ならいいわ。お嬢さんの妹さんは別の部下に任せるから、アンタは明日行う魔獣移動の準備をなさい。明日騎士が派遣されるっていう情報がボルクス男爵から入って来たの、だから王都制圧はたぶん明日になるわ。入念に準備をしておきなさい。……ああ、それと次サボって女とやってたらアンタの自慢のイチモツぶった切るからそのつもりで」


「は、はいぃぃぃッ……!」


「……あ、ちょっと待ちなさい」


 モルーは股間を押さえてその場から立ち去ろうとしたが、壁から剣を引き抜き『月錬機』を箱状に戻している途中で何かを思い出したように声をあげたベラルに呼び止められる。


「な、なんでしょう姉御……」


「途中でサボったとはいえアンタ、侵入者は見たんでしょう? どんな奴だったの?」


「え、えーっと、確か……一人は若い女で、もう一人は若い男でした。年齢はたぶん十代半ばから後半あたりだと思います」


「若い女ってシスター服来た桃色髪の女……?」


「いえ、青い髪の女でした。男と同じ軍服着てたんでたぶん二人とも騎士だと思います」


「そう……じゃあ若い男って……もしかしてこの坊やのこと?」


 ベラルはポケットからラグナが写った雑誌の切り抜きを取り出し見せる。それはレインが持っていたものと同じもので、部下に用意させたものだった。そしてそれを見たモルーは大きく目を見開く。


「あ、こ、コイツです! 間違いありません!」


「……なるほどね、この坊やだったの。確かにそれなら取り逃がしたのも頷けるわ。アンタの部下程度じゃあ手に余るかもね」


「手に余るって……コイツ何者なんですか?」


「そこに書いてあるでしょう。よく見なさいな」


「…………」


 モルーは切り抜きに書かれていた少年を称える謳い文句を凝視する。そこには『黒い月光』のことやドラゴンを倒したこと、ディルムンドの反乱をさも一人で鎮圧したかのような言葉が大きな文字で写真の下に綴られていた。


「あの……この『黒い月光』使ってドラゴンを倒したって……これ、マジですか……?」


「さあね。アタシたちの部隊は二月ほど前から地下に籠って魔獣の準備をしてたから地上の情報を得るのが他の部隊より遅れてたけど、どうもそういうことになってるらしいわ。この坊やの特別な力について真偽のほどはわからないけどディルムンドの反乱で何かしらの活躍をしたのは間違いなさそうね」


「でも……『黒い月光』なんて信じられないんですけど……いや確かに最近地上に出てから空に黒い月が浮かんでるみたいな話はちょくちょく聞くようにはなりましたけど……それでも正直おとぎ話の力が実際にあるとは到底……」


「アタシも半信半疑よ。でもこの坊やには何かある。それは間違いないわ。だからもし作戦の邪魔をしに来るようなら魔獣を使ってもいいから全力で排除しなさい。いいわね?」


「え、でも……いいんですか? アレは王都制圧用のモノですし……勝手なことやったら俺がフェイク様に殺されちまうんじゃ……」


「責任はアタシが取るわ。安心なさい。それにもし手を抜いて失敗でもしたらそれこそアタシたちは終わりよ。この作戦の失敗=アンタとアタシの終わり――そう思いなさい。……もしこの坊や以外でも邪魔する者が現れたのならその時も手段を選ばなくてもいいわ。なんとしても排除なさい」


「りょ、了解です……」


「結構。じゃあ行きなさい」


「し、失礼しますッ……!」


 モルーが足早に部屋を出た後、ベラルは件の少年の写真を見ながらつぶやく。


「……ラグナ・グランウッド……」


 明日この少年は目の前に現れる――そんな奇妙な予感をベラルは抱いていた。



 騎士団支部の一室で少女――サリアは驚いたように声をあげた。


「な、何言ってるんですかッ!? 危険すぎますよッ!? 私の能力は痛みもそのまま伝えてしまうんですよッ!? ラグナさんの精神が絶対もちませんよッ!?」


「わかってる。でも明日に備えてどうしてもやっておきたいんだ。だから頼むよ」


「どうしてそこまで……リリさんから聞きましたけどそのベラルって人の対処はレイナードさんがやってくれるんですよね……? それなのに……」


「もちろんこれはあくまで保険だよ。俺が駆けつけた時にベラルが倒されていればそれでいいんだ。でも不測の事態が起こるかもしれない。その時になってあの時やっておけばよかったっていうようなことにならないよう準備しておきたいんだ。そのためにはサリアちゃん、どうしても君の力が必要なんだよ。お願いだ、協力して欲しい」


「でも……」


 渋るサリアにラグナは抱えていた本心を懺悔するように打ち明ける。


「……俺は今回ジュリアに対して何もしてあげられなかったんだ。苦しんでる彼女に何も言ってあげられなかった。そこでわかったんだ。俺はジュリアの事を何も知らないって。俺とジュリアはね、友達って言ってもまだ会ってから一か月程度の仲なんだ。だから彼女の好きなモノや嫌いなモノも知らない。こんな俺が説得に入ったって当然ジュリアの心を開くことなんて出来ないよね。でも――リリは違う。付き合いの長い彼女だったらきっとジュリアを救ってくれるってそう思うんだ。……俺に出来ることはリリの説得に邪魔が入らないようにすることくらいなんだよ。それが俺に出来る限界。でも、だったらその限界をとことん突き詰めたいんだ。ジュリアの事を全然知らなくとも、俺にとって彼女は大切な友達だからさ」


「ラグナさん……」


「ジュリアだけじゃなくてリリとも似たような感じなんだけどね。だからこの戦いを乗り切って二人とちゃんとした友人になりたいんだ。そのためにも作戦の成功率は一パーセントでも上げたいんだよ。どうかサリアちゃんの力を貸して欲しい――お願いだ」


 ラグナは深々と頭を下げ、それを見たサリアは息を飲んだ後口を開く。


「……頭を上げてくださいラグナさん」


 その言葉を聞いたラグナはゆっくりと頭を上げ、サリアは言葉を続ける。


「……私たちは助けてもらう側。だから本来頭を下げてお願いするのは私の方なんです。お姉ちゃんを救うために必要な事ならなおさらそうです」


「……サリアちゃん……それじゃあ……」


「……お姉ちゃんのお友達にこんなこと本当ならしたくないですけど……ラグナさんの気持ちよくわかりましたから。私の力がお役に立つなら、どうか使ってください」


「……ありがとう」


 礼を言ったラグナはすぐに別の事を考え始める。


(サリアちゃんからの了承は得られた。後はセガール隊長の病院まで彼女を連れて行くだけだけど……リリがいうには大きな病院の医者は貴族と繋がってる可能性が高いらしいし……連れて行けばサリアちゃんの居場所がボルクス男爵にバレるかもしれない……なんとか素性がバレないように彼女を病院に連れて行きたいけど……怪しい恰好なんかさせたらそれこそ人目を引くかも……やっぱりここはあの人を頼るしかないか……)


 ラグナはサリアに断りを入れた後、密約を結んだ相手に電話をかけた。何回かのコール音の後、爽やかな声が電話越しに聞こえてくる。


『……どうかしたのかいラグナ君。もしや何か不測の事態でも起きたのかな? それとも計画について何かわからないことでも?』


「いえ、違うんです。実はレイナード様に色々とお願いしたいことがありまして――」


 ラグナは病院の事に加えて『あるお願い』をした。


『……なるほどね――さっそくキングフローの力を頼ってくれたという事か』


「……ダメ、でしょうか……?」


『いや、そんなことはない。頼ってもらえて嬉しいよ。さっそく君に七大貴族の力をアピールできそうだしね。セガールさんを病院のVIPルーム移してもらうように手配するよ。それと君たちがVIPルームにいる間は邪魔が入らないように私の部下に見張らせよう。病院の関係者にも君たちのことは決して他言しないように釘をさしておくから安心するといい』


「あの……お願いしておいてこんなことを言うのもなんなんですけど……口止めってうまくいくでしょうか……? この町はボルクス男爵の領地ですし、いくら黙ってろと言っても男爵と懇意の医者や看護師が情報を漏らしてしまうんじゃ……」


『それはないよラグナ君。たとえ情報を漏らしてボルクス男爵に媚を売ったとしても、七大貴族の一角を敵に回してしまえば採算が取れないからね』


(……そこまで差があるのか……確かに伯爵と男爵じゃ位に差はあるけど……)


 ラグナが貴族の力関係について考えているとレイナードが声をあげた。


『……ところで君のもう一つのお願いについてなんだが――用意することは出来そうだが、どうしてそんな物が必要なんだい?』


「……明日、もしかしたら使うかもしれないんです」


『……そうか。まあ深くは追及しないよ。明日、言った役割をこなしてくれればなんの問題もないからね。では今日中に君の言ったものは騎士団支部に届けさせよう』


「……ありがとうございます」


『気にしなくていいさ。三十分後に迎えの車を寄越す。それに乗って病院まで行くといい』


「わかりました。失礼します」


 ラグナは電話を切ると、時間までサリアにリリスの部屋で待つように伝えた後、自室を出た。


(……セガール隊長の記憶を見る前にこの術の事を正確に知っておかないと……)


 ラグナは右腕に刻まれた第二の術を見ながら騎士団支部の庭に向かった。



 そして翌日、すべての準備を終えたラグナはアルフレッドに電話をかけた後自室を出るとリリスの部屋の扉をノックした。すると程なくして扉が開き青髪の少女が顔を出す。


「おはよう。リリ」


「……うん、おは――」


 言いかけてリリスは突然言葉を切る。その理由はラグナの奇妙な格好にあった。少年はいつもの軍服ではなく首から足首までを包むような漆黒のローブに身を包んでいたのだ。


「……どうしたの……その格好……」


「えーっと……地下でも目立たないように……するため……かな……」


「……そっか……」


 歯切れの悪い回答だったものの、リリスはなんとか納得してくれた。だが別のことがまだ気になるらしく再び口を開く。


「……一つ聞いてもいい……? ……昨日、何かあったの……? ……昨日、サリちゃんとラグナ、二人でセガールさんのお見舞いに行くって言ってたけど……夜遅くに帰って来た二人、すごく疲れてたから……」


「……いや、大したことはしてないよ。普通にお見舞いして帰って来ただけだから。たぶん昨日の疲れが急に出てそう見えただけだと思う」


「……それなら……いいんだけど……ごめんね……私、昨日お兄様に今日の準備をするよう言われてお見舞い行けなかったから……」


「いや、いいんだよ。リリのせいじゃないから。気にしないで――」


 言いかけて突然ラグナの体が横に倒れる。リリスはとっさにそれを受け止めた。


「……ラグナッ……!? ……大丈夫ッ……!?」


「あ、ご、ごめん……ちょっとふらついただけだから。もう大丈夫。ちょっと貧血気味なのかな……アハハ」


 ラグナは体を起こし立ち上がるとリリスに笑いかけた。


「……ラグナ、顔色悪い……目の下にクマも出来てるし……本当に大丈夫……?」


「本当に大丈夫だよ。昨日、ちょっと緊張してなかなか寝付けなかったってだけだからさ。気にしないで。それより今から出発することを伝えに来たんだ」


「……もう行くの……?」


「魔獣が王都に近づく前に片をつけたいからね。だからその前に挨拶をしようと思って。……リリ、ジュリアの事頼むね」


「……了解……必ず説得する……」


「そうだね、リリなら絶対出来るよ。俺も自分の仕事をキチンとやり遂げるから。そしたら三人で一緒に王都まで帰ろう」


「……うん……」


 二人で笑い合った後、ラグナはリリスに背を向ける。


「じゃあそろそろ行くよ」


「……サリちゃんには挨拶して行かないの……?」


「たぶんものすごく疲れてるだろうから、やめておくよ。寝かせておいてあげて。それじゃあまたね」


 歩き出したラグナの背中を見つめていたリリスだったが不意に声をあげる。


「……ラグナッ……!」


 歩く背中越しに声をかけられ思わずラグナは振り返った。


「……気をつけてね……」


「……ありがとう。リリも気をつけて」


 礼を言ったラグナは騎士団支部を後にした。まだ太陽が上り切っていない空を見上げた後、懐から携帯を取り出しレイナードにかける。


「……レイナード様、今から作戦を開始します」


『了解だ。健闘を祈るよラグナ君。ああ、それと地下道の入口までは送るよ』


 レイナードの言葉に連動するように支部の敷地の外に黒塗りの車が突如現れる。


「……ありがとうございます。お言葉に甘えます」


 ラグナは携帯を切ると車に乗り込んだ。



 ラグナが車に乗り込んでから二時間後――モルーは百メートルほど離れた地下の天井を見上げながらベラルに無線を飛ばす。


「……姉御、これから王都へ向かいます」


『了解したわ。準備は滞りなく済んだんでしょうね?』


「大丈夫です。部下も魔獣も万全の状態です」


『それならいいわ。わかってるとは思うけど、囮の魔獣はアンタが王都近くまで到着したうえで、騎士たちがアルシェに派遣されたことを確認したら地下から解放する手筈になってる。だから到着したらアタシにもう一度連絡を入れなさい。いいわね?』


「わかりました姉御。じゃあこれで失礼します」


『ええ。……それと……くれぐれも昨日言ったことは忘れないようにね』


「……はい……」


 モルーは冷や汗をかきながら無線を切ると後ろにいた百人近い部下達にトレーラーへ乗り込むよう指示を飛ばし、自身は止めてあったバギーに乗り込む。先頭のバギーがゆっくりと発進すると、無数のトレーラー達もそれに追随し走り始める。今回魔獣を運搬するトレーラーは『月光石』を動力源とした特殊な物で凄まじい馬力を持っていた。それゆえ一台につき搭載したコンテナの他に車輪の付いた巨大な檻も複数けん引しており、それぞれのコンテナや檻の中には二十メートルほどの魔獣が入れられていた。天井だけでなく地下道の横幅が二百メートル以上あったためそういった行為が可能であったが、それでも他の車や檻とぶつかれば大惨事になるため慎重な運転技術が求められていた。そのためバギーやトレーラーの速度はかなり遅めである。


 モルーは鬱屈した気持ちで車を運転しながらため息をつく。


(……失敗するとは思えねえけど……今回の仕事、しくじれば俺は殺される……姉御は冗談であんなことを言う人じゃねえからな……マジで崖っぷちってことかよクソッタレ……気持ちまで滅入って来たぜ……あああ……女抱きてえ……そうすりゃこのクソみたいな気持ちもちったあマシになるのによ)


 脳内で女を抱く妄想に耽っていたモルーだったが、前方に違和感を覚え空想を中断する。そして前方を注意深く観察すると、遠方に黒いフードを被り、同色のローブで全身を包んだ妖しい人物を発見した。普通地下は黒闇に閉ざされているため黒いローブなどで全身を覆っていればまず見つけることは出来ないが、今回『ラクロアの月』は作戦のために使う地下に電気を引き灯りを付けていたため、その結果ハッキリと認識することが出来たのだ。バギーを怪しい人物の十メートルほど手前で止めると、部下に無線を飛ばす。すると後ろのトレーラーたちも次々に止まった。それを確認すると車から降り黒いローブの人物を睨み付ける。


「……おい、てめえ何者だ。なんでここにいる」


「…………」


「聞いてんのかてめえ! 俺の質問に答えやがれ! 事と次第によっちゃあ容赦しねえぞコラッ!」


 モルーの恫喝にも似た言葉を聞いた妖しい人物はようやく口を開く。


「……俺は、お前たちを止めに来た」


「へえ……ってことは敵かよてめえは。だったら悪ぃが死んでもらうぜ――おい、てめえらッ!」


 モルーが無線に向かってそう叫ぶと、トレーラーから一斉にガラの悪い男達が現れた。


「さて、どうする? 選ばせてやるよ。ここで俺達に八つ裂きにされるか、それとも――」


 懐からリモコンのようなものを取り出したモルーが複数のボタンを押すと、トレーラーのコンテナが一つ開き、中から二十メートルほどの巨大な白猿が現れる。さらにリモコンを操作すると白い猿が跳躍し、ローブの男の背後に着地する。


「――この化け物に踏み潰されるか。どっちがいいんだ? 言ってみろよ。それくらいは選ばせてやるぜ。一人でやってきたらしい勇敢なお馬鹿さんに対する褒美だ。さあ――選べ」


「……踏み潰されるか。そうだな、お前の言う通り普通の人がこんな怪物に襲われたらそうなる。こんな怪物を王都に放てば大勢の人間が肉塊になるだろう。子供やお年寄り、妊婦のような力の無い人達もそうなるんだ。それを考えて……少しは心が痛まないのか……?」


「それが俺と何の関係があるんだよボケが。いやー、しっかしさっきまで鬱屈してたが、こうして圧倒的な力を振りかざすとスカっとした気持ちになるぜ。きっと王都に住んでるジジババやガキを魔獣が踏み潰す瞬間でも見れたらもっと気分が良くなるだろうよ」


「……それが答えか。今回ばかりはお前が最低の人間でよかったよ――容赦する必要が無さそうだ」


「容赦? 何寝ぼけたこと言ってやがる。だが……お前のおかげでテンション上がってきたぜ。気づかせてくれてありがとな。俺は今王都の連中の命を握ってるってことをよ。そう思うとおかしくて笑っちまいそうになるぜ。この魔獣どもを従えてる今の俺ならなんだって出来る気がする。王都の連中が泣きながら命乞いしてくる姿が目に浮かぶぜ、ギャハハ! 普段ならこうはならねえが、力っていうのは人を傲慢にするもんだな。……さて――おしゃべりはもういいだろ? そろそろ選べや。もし選べねえなら俺が選んで――ん?」


 その瞬間、突然地下道に風が吹き荒れる。それと同時にローブの人物を中心とした周辺から黒いオーラのようなものが噴き出し周囲を満たし始めた。それを見たモルーやその部下達の顔は驚愕に彩られる。


「な、なんだこりゃッ……!? どうなってやがるッ……!? て、てめえいったい何しやがったッ……!」


 モルーは叫ぶが黒いローブの人物はそれに答えず冷たい声で独り言ちる。


「……力は人を傲慢にするか――話せてよかったよモルー、お前は良い反面教師だった」


 やがてローブのフードが風でめくれるとその殺気立った素顔が明らかになり、モルーはさらに驚く。


「て、てめえは……ら、ラグナ・グランウッド……ッ!?」


 モルーが悲鳴のような声をあげたその時、地上の岩盤を貫き地下に巨大な黒いエネルギーがなだれ込んできた。



 ベラルは車を運転しながら国境付近に抜ける地下道の入口に向かっていた。後続車は二台で、後ろを走る車にはボルクス男爵とジュリアが乗っており、その後ろには自身の部下が運転する車があった。現在走っている道路は舗装こそされているが、周囲には木々や草花といったものしか存在しない。アルシェからはだいぶ離れた場所を走っていたそんな時、突然助手席に置いた無線がノイズのような音を発し始める。そして聞き覚えのある声が聞こえて来た。


『……あ……あ……姉……御……』


「ッ!? ……モルー……?」


 ベラルは運転しながら助手席の無線を取ると通話を始める。


「モルー、どうしたのよ? まさか、もう着いたの?」


『……ち……い……す……く……い……う……が……』


 無線からは要領を得ない断続的な言葉の羅列が流れるだけでよく聞き取れない。


「よく聞こえないわモルー! もっとちゃんと話して!」


『……くろ……げ……う……』


(……もしかして……何かあったってこと……?)


 ベラルは無線の先から感じるただならぬ雰囲気を察したため語気を荒げ問い詰める。


「……なにッ! なんなのッ!? ハッキリ言いなさいッ! 何があったのッ!?」


 すると数秒後、聞こえて来た言葉はベラルの顔を引きつらせた。


『……黒い……月光……ラグナ……グランウッド……が…………』


 それを最後に無線からはノイズ以外何も聞こえなくなった。


『…………』


「……モルー? モルーッ! モルーッ!!!」


『…………』


「……ッ! まさかッ……!」


 無線を握ったままベラルが茫然としていると、昨日見た雑誌の記事が脳裏をよぎり車を勢いよく止める。後ろの車たちも急ブレーキをかけて止まったがそんなことは今はどうでもいいと言わんばかりに車外に飛び出すと空を見上げた。そして大きく目を見開き震える唇で空に浮かんだ異物の名を呼ぶ。


「……黒い月……」


 ベラルは黒い三日月を見上げながらラグナの姿をその月に重ねていた。

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